京都の観光公害が再び社会問題化してきました。元々は2010年代中頃から、大量の外国人観光客が京都に押し寄せたことで、バスに地元住民が乗れなくなったり、大量のゴミが放置されたり、ホテルに空きがなくなったり、色々ありました。
それが2020年の新型コロナウイルスの発生により、京都だけではないですが観光客がいなくなりました。そして3年経過した今年、また大量の外国人観光客が京都を訪れるようになると、当然ですが観光公害が復活してきました。
この3年の間に有効な対策を取れなかった京都市などにも問題はあるでしょうけれど、そもそもイタリアやらスペインやらギリシャやら、外国人観光客の先輩である各観光地でもそんなに画期的かつ効率の良い対策なんてないのですから、しょうがありません。
特に今の日本は数年前よりも円安になっていて、さらにインフレ率が諸外国より大したことがないため、外国人の大半からしたら日本の観光旅行は安くて済む娯楽とも言えます。
京都人ではありませんので、実際に住民がどう思っているのか知りませんが、生活が困難になるレベルで観光客が溢れていたら嫌どころではないでしょう。
しかし、これも個人的なイメージですが、本物というと語弊がありますが、長年世代を経てきた昔からの京都の人たちにしてみたら、余所から人がいっぱい来ることというのは京都が「ミヤコ」になってからずっと続いてきたことです。
794年の平安京から始まり(京都の外れの長岡京や恭仁京だともっと前)、政変や政権交代、権力構造の変化がある度に、京都への人の出入りが起きました。
権力を掴んだ藤原氏とその係累が支配し、そして平氏が我が物顔で謳歌し、次いで源氏政権の六波羅探題がにらみを利かし、建武の新政で後醍醐帝の仲間が来たと思いきや足利政権が本拠とし、そして戦国時代には三好氏が好き勝手にしたと思ったら織田信長がやってきました。
その後も、信長の後の権力者となった羽柴秀吉が聚楽第を建て、徳川政権では京都所司代が再び朝廷を監視する存在となりました。
京都が権力者の都合に左右されなくなったのは、明治の世になって東京に奠都してからです。そこで初めて一地方都市(歴史や伝統は別として)になって平和な時代が京都に訪れました。
京都という「ミヤコ」は、余所から人がやってきてゴチャゴチャしてまた出ていく、という伝統があると言って良いでしょう。
21世紀になって権力に関係しない外国人観光客が大挙してやってくるようになったのも、京都の歴史の一ページに過ぎないないのかも知れません。
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