有名スポーツ選手は、テレビなどのマスメディアにもよく登場して、世間一般では知名度が高く芸能人に近い存在となります。
よく知られた存在というのは、そのままスポーツに関わる場合はスポンサーも付きやすいし、引退後のセカンドキャリアも見つけるのは容易いものです。
しかし、知名度が高いのも問題で、何かやらかしたときには同じく芸能人と同じように叩かれますし、スキャンダルを暴かれて大騒ぎになります。
特定のスポーツ選手のことをあげつらうつもりはありませんが、もしその人が選手としては凡庸でワールドクラスのプレイヤーでないのであれば、当該のスキャンダルに関して、少なくとも赤の他人である大半の日本人には知られなかったであろうことは容易に想像できます。
もちろん、有名だろうとなかろうと、スキャンダルの当事者とその周辺の人たちはその問題によって大変な状況にはなるでしょうけれど。
ただ、こういう問題が起きたときに気になるのが、
「そんな人だとは思わなかった」
とか、
「スポーツ選手なのにそんなことをするなんて」
とか、
「同じスポーツをする子どもたちに悪影響が」
といった非難が集まることです。
スポーツ選手だって人の子で、善人もいれば悪人もいます。一般人との違いは、ただそのスポーツに特に努力して才能があり結果を出してきたことだけです。倫理的に優れているから成功したわけではありません。
そういう選手本人の現実と、赤の他人の理想のギャップが生まれる一因は、「スポーツマンシップ」という言葉だけが普及していることではないかと推察します。
運動会の選手宣誓で今でも言っているのか分かりませんが、
「スポーツマンシップに則り」
云々は、その選手がスポーツを通じて敬意・礼節・マナー・リスペクトといったなんやらかんやらを発揮することです。あくまでその選手とそのスポーツにおいての話なのですが、私生活での不行跡が存在しないことを保障するものではありません。
当然ですが、あまりに酷い行いや犯罪行為は別です。それはスポーツに限らず、サラリーマンだってそんなことをやらかしたら会社にそのままいられません。
あくまで一般社会レベルに求められる倫理で良いと思うのですが、それ以上の倫理をスポーツ選手に求めるのは可哀想ではないかと思います。
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