ジャニーズ問題、宝塚歌劇団問題、そして松本人志スキャンダルについて、色々な人が色々と思うことがあると思いますが、もはや今の時代は過去には大目に見られていたことが許されなくなったことは確かです。
もちろん、性加害にしろパワハラにしろイジメにしろ、昔だって違法でありあってはならないものであったはずなのですが、多少は甘く見られていました。若い頃のヤンチャ、部活のシゴキ、芸能人の破廉恥かつ奔放な生き方は、武勇伝的にも語られ、被害に遭った人が声を上げることも出来ませんでした。
そのことを思えば、今の時代はずいぶん変わったと思います。自衛隊における性加害のように、未だに変われない組織もあるものだと呆れることもありますが、民間そのもの、民間に関わる程度の強い組織・企業は、変わらざるを得なくなってきています。
良くも悪くも「昭和」という時代が昔の代名詞として使われるようになったのは当然ながら平成以降ですが、令和に入って尚更その傾向は強くなりました。
「世」という漢字は「三十」を表し、一世代は三十年と考えるのが妥当です。平成の三十年間を過ぎ、令和は昭和と30年以上隔絶していることは、昭和を冷静に振り返ることが出来ている大きな理由になっていると思います。
昔を懐かしむのは結構ですが、あくまで法治国家において違法行為を肯定的に懐かしむわけにはいきません。
結局、いつの時代でも被害に遭うのは弱者であり、立場の弱い若者です。人口が多い団塊の世代・団塊ジュニアの世代が若い頃は、何をされても競争についていかねばならず、組織や集まりから抜け出してドロップアウトしたら敗者扱いされたものですが、今の時代は若年層が少なく、その若年層がドロップアウトすればドロップアウトさせた側がしっぺ返しを食らいます。
「脱落した者が悪い」時代から、「脱落させた組織が悪い」時代になったのです。
昭和の旧弊に代表される組織重視から、その人個人を重視する考えに移行してきたとも言えます。
その移行が、少子高齢化の人口構造によって生まれたとすれば皮肉なものです。今の若者は高齢層を支える負担が重荷担っているのですから。
人口構成の変化が地位の変化を生んだと言えば、中世の西欧で虐げられていた農民層が、ペストの大流行により人口が激減した社会において、農産物の価値が上がったことで農民層の地位も向上したことが思い出されます。逆に、東欧ではペストの被害が西欧より比較的少なかったために、農奴制を始めとする農民層を苦しめる社会システムが後世まで残りました。
「人間万事塞翁が馬」
少子高齢化社会は多くの困難を社会にもたらしていますが、もしかしたら昨今の旧弊清算は、数少ない好結果の一つになるのかも知れません。
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