日本よりも人口が多い中国では、当然ながら大学生の卒業者も多く、ここ数年は新卒の就職が大変厳しいようで、たびたびニュースにもなっています。日本でも少し前までは就職活動は厳しいものでしたが、昨今は人手不足が深刻化し、ブラック企業を引き当てない限りは結構な売り手市場になってきています。
それでも、四大卒の就職活動では高度経済成長期やバブル期の頃に比べるとやっぱり厳しいことには変わりません。なんでそうなったかというと、景気が悪いということもありますが、ただ単純に四大卒の新卒者の数が増えただけです。
https://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/002/020807.htm
こちらの文部科学省の資料のうち、「図4 卒業者数,就職者数及び就職率等の推移(大学(学部))」を見れば分かりますが、90年代前半までは急激な角度で大学卒業者数が増え続けています。バブル破綻後に増加割合が急減しましたが、その頃からその年代の人口が減り始めているからです。
89年~92年あたりが団塊ジュニア世代の大学卒業時期であり、その頃がピークになっていて、その一方で大学の新設などがあったのと、不景気による就職難だからこそ大学に進学する人が増えたため、結果として大学新卒が漸増し続けてきました。
大卒者が必ずしも勉強が出来るとはいいませんが、ものすごく大雑把に平均を取ればやっぱり勉強が出来る方に分類されます。勉強というと角が立ちますが、情報をインプットして加工してアウトプットするという修練が出来ている、といえば良いでしょうか。
特定の業種・職務に「特化していない」人間を労働市場に送り出す役割を大学特に4年制大学が担っていたのですが、勉強して(情報を入れて)業務を行うというプロセスが出来る人間に、企業側として価値があったということも出来ます。
ただ、昔はそういう人に労働者的な価値が多くあったのですけれど、情報をインプットして鍛えられるAI、いわば勉強が出来るAIが出てきた以上、勉強が出来ることにそれほど価値はなくなったのでしょうね。
インターネット出現以前には価値があった「知識人」というジャンルと同じです。知識があること自体が優位性があった時代では、たくさんの本を読んだり経験した人の知識は貴重でしたが、インターネットによって質はともかく量は誰でもカバー出来るようになって、「知識人」の価値は無くなりました。
それと同じように、勉強してアウトプットするだけの労働者の価値は、もうしばらくしたら無くなります。勉強が出来てプラスアルファ人間として何があるかが重要なんでしょうね。
よく、「資格を取得しても意味が無い」という意見を見かけますが、それと似ていますかね。資格を持っているだけで安泰なんてことはなくて、それを活かしてどう働くか、金を稼ぐかという自分なりのシステムを作らなければ意味が無いのは確かです。
頑張って勉強して大学卒業や資格取得をするだけで楽できる時代なんてそもそも昔から無かったのですが、より一層、何かのプラスアルファが必要な時代に突入しているのです。
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