道は誰のもの?

京都の舞妓への無遠慮な撮影や、富士山の絶景スポットでの無秩序な撮影など、日本でのオーバーツーリズムの問題はかなり深刻化してきました。

旅行客全員が外国人というわけではありませんが、外国人観光客が多く来るようになってから発生してきた多くの問題は、やはりそこに由来するものと思わざるを得ません。

日本はさして国土、特に居住面積が広いわけではなく、ほとんどの観光地は住宅街と隣接するか、住宅街の中にあります。周辺道路も大陸国のような広い車線があるケースはほぼなく、生活道路と言われる地域住民の日常の便のためにある道路です。

そこに、近隣住民ではなく、ただ単に通過する通行人でもない、その場に留まって写真を撮ったりする旅行者がいると、当然ですが住民にとっては迷惑を覚えてしまいます。

道は誰のものか?

道は、人が行き来するために存在すると言えばそうなのですが、ではその「ヒト」とは誰なのか?

道路は、その近隣住民のものでしょうか?

少なくとも、その道路の整備はその地にある地方自治体が実施したものであり、その財源は住民から徴収した税金です。旅行者や単なる通行人が、その道路の整備費用を払っているわけではありません。

その周辺でお店や交通機関で支払ったお金から、回り回って自治体に納められた税金もありますので、地方自治体の収入がその住民だけによるものではありませんけれど、税金を支払った人に利用権が発生するとすれば、道は住民のものでしょう。

とはいえ、実際はそんなわけもなく、道は誰でも利用出来ます。通行するだけの人でも、旅行のために訪れた人でも、分け隔てなく使用出来るのが当然です。有料道路であれば誰でも使えるとは言えませんが、逆に地域住民でさえ有料なのですから結局は平等です。

ある意味、道は国家以前の社会としての平等性を象徴するものなのかも知れません。

日本人観光客だって、まともな国であればどこでも通行して写真を撮る旅行が出来ます。それが非対称になっているからオーバーツーリズムの問題として顕在化しているだけで、日本人観光客が大挙して海外に行っていた80年代90年代は、逆の立場でした。とはいえ、今のオーバーツーリズムで迷惑を被っている人にしてみたら何の慰めにもならないでしょうけれど。

道は平等であるのなら、逆に言うと外国人観光客のためのものでもないのです。地域住民の生活に支障をきたさないレベルで、問題の解決や状況の改善が出来ると良いのですが。

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