「好き」の反対は「無関心」って本当?

よく、好きの反対は嫌いではなく無関心だ、とか、あるいはアンチも好きのうちとか以前は言われていました。最近もいっているかも知れませんが、どちらかというと昭和的発想でしょう。

ただ、昨今のSNSなどでの度の過ぎた誹謗中傷を見かけるに、果たして本当に「好き」の反対が「嫌い」ではないのか、「アンチ」も「好きのうち」ではなく単に「嫌い」なだけではないのかと、疑問に思います。

もう少し細かく見ると、「好きの反対は無関心」とか、「アンチも好きのうち」という言葉で言われている「無関心」「アンチ」は、あくまでその「好き」な対象に関わるかどうか、もっと言うと消費行動としての対象にしているかどうかを議論の俎上に上げているわけです。

そこでは「無関心」や「アンチ」の心的内容は消費行動的には関係ないものとして取り扱われています。だからこそ、無関心な人は好きな対象に対して消費者たり得ず、逆にアンチは消費者として関わった上で文句を言うので好きのうちに含まれています。

しかし、感情行動的に見れば、好きの反対は嫌いでしかなく、無関心は反対にはなりません。アンチも好きには含まれず、対局に位置します。

嫌いだからこそ、アンチだからこそ、文句、悪口、罵詈雑言を浴びせます。

昨今の社会は感情の時代と言って差し支えないほどになっていますが、消費行動的な「好きの反対は無関心」「アンチも好きのうち」という昭和的スローガンは、20世紀の資本主義経済的な発想だったのでしょうか。

逆に、感情主義全盛期にさしかかりつつある現代人にとっては、「嫌い」「アンチ」だからこその誹謗中傷が当然となってきているでしょうか?

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