指示待ち人間教育と指示待ち社会人

Xなどでしばしば、学校のテストの採点がおかしいというネタがバズります。

指導要領に杓子定規な解釈で採点した結果、どう見ても合ってるやん、という解答がバツになっている写真がネットにアップされると、共有されると共にコメント欄で、教師の問題として取り上げられます。

もちろん教師に問題がないとは言いませんけれど、指導要領自体にも問題はあるのでしょう。

そういうバズる採点結果の中で、
「もっと上の学年で習うはずの方法で解答したために答えは合っているが間違い扱いされてしまう」
というものがあります。

文部科学省としても教育委員会としても学校・教員としても、教えてないやり方で解かれても困るということなのでしょうし、それをOKにしたら塾などの私教育の競争が過熱してしまう、という面もあるのでしょう。テストは普段の授業の理解度の確認ということも理解出来ます。

ただ、間違いにしてしまったらそれはそれで、「教えてくれる存在」が「教えてくれるまで」待つ「指示待ち人間」を生み出すことになるんじゃないでしょうか。

もちろん、正解しているなら何しても良いという同様に駄目でしょうけれど、一律に正解を不正解扱いにするのも結局、教員の教えを待たずに自分の力で考えたことを否定することになってしまい、それは教育と言えるのか、と思ってしまいます。

昔から、社会に出た新社会人が、上司に何か支持されるまで自分からは何もしない「指示待ち人間」として批判されることがありますが、そういう人が目立つというのは、実際の現実社会では「指示待ち人間」が少数派だからこそです。

指示待ち人間を強制する教育を受けて育った社会人の大半が指示待ちではないのは奇跡なんじゃないですかね。ただ単に、みんな学校で真面目にしてなかっただけかも知れませんが。

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