偏見・既成概念・固定観念・思い込みと、
「型にはまった考えにこだわり過ぎて、柔軟かつ多様な考えが出来ない状態」
のことを指す言葉はいくつかあります。
そのどれも、悪いイメージで使用されるものであり、現代社会においてはそういう状態になっている人は駄目人間扱いされます。
そのこと自体は別に疑問でも何でもありませんが、ただ、ではなぜ人間は長い進化の歴史の中で「偏見」を持つ生き物になったのか?という疑問があります。
文化人類学とかだとはっきりした学説あるんでしょうか?
個人的な想像では、偏見によって思考にかける時間を減らし、知識に依らなくても行動できるという利点があったのではないかと思います。
多くの情報や知識がないと判断出来ず、行動に移れないとしたら、それはそれで原始的な狩猟採集社会では生死に関わることでしょう。ヒトを襲う巨大獣の糞や爪痕を見て、もっと情報を集めてから判断しようという迂遠な行動を取ると、すぐに襲われてしまいます。あるいはもう少し時代が下ったとしても、戦争においては敵陣の様子を見てすぐに判断して攻撃あるいは撤退を決め、夜襲や奇襲に対しての警戒のためにちょっとした変化にも果断を下すことが求められます。
偏見という名の即時判断即時行動を出来る人間だけが生き残ってきたことによる、「人間が偏見を持つ理由」なのかも知れません。
もちろん、この想像が正しかろうと間違っていようと、現代社会において偏見による言動が許される訳ではありません。今の時代は生き死にがかかる判断を偏見によって乗り越えるような場面はまず無いのですから、人間が人間に対して行う言動については、情報を集め、知識と良識を持って判断してから行うことが求められます。
偏見はあくまで「過去の人類にとって」有用だったかも知れない、というだけのことです。逆に言うと、現代においても偏見で動く人は、「過去の人間」に過ぎないということでもあります。
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