少し前に、「挨拶しない自由があるんじゃないか」と主張する若者が炎上したことがありました。彼自身は挨拶するとのことでしたが、なんというか、挨拶が必要という人と不要という人の間で、そもそも「挨拶」の定義が異なっている気がします。
どちらにせよ挨拶はコミュニケーションの一つと言うことは認めるのでしょうけれど、
・必要だと思う人は、双方対等のコミュニケーションの一段階と捉えていて
・不要だと思う人は、目下の人間が目上の人間に気を遣って行う行為と考えている
のではないでしょうか。
私自身は、若い頃に問われていたら、挨拶なんてなくてもいい、と言っていたかも知れません。ただ、社会人として年数を経ると、挨拶はただ単にその場限りの面倒なやり取りとは思わなくなりました。
例えば会社に出社して、出会う人に「おはようございます」という必要が社会人としてあるのか、と問われたら、何も無ければ無いけれど、何かあるときには挨拶で異変が分かる、と答えます。
挨拶することで普段は問題が起きていない平時であり、そういう人が挨拶を省いたり様子が違ったりすれば、それだけで異常事態だと知らせることが出来ます。
挨拶によっていつも通りか、いつもと違うのかが分かるのです。そんなことしなくても異変があるなら異変があると言えばいい、と思うかも知れませんが、異変を抱えた人が「異変がある」という前に周囲が気付くことが重要です。それによっていち早く異変に備え対処出来ます。これは組織としてはかなり重要なことです。
コミュニティ・共同体における一員が、異変を抱えているかどうかを共同体の他の成員が察知して対応することは、共同体としては生存・成長には欠かせないことです。
だからこそ、組織における挨拶は重要で、決裁権のある上司に対する挨拶も必要なのです。面倒くさいのも鬱陶しいのも分からんでは無いです。
パワハラ上司が社畜部下に対して傲慢に威張り散らかすための挨拶もあるんでしょうけれど、それは挨拶の問題なのではなくてパワハラの問題です。挨拶は目下が目上にへりくだるためのものではなく、目上が威張るためのものでもありません。
挨拶不要だと言う人の中には、クソみたいな上司や目上の人間によって挨拶で嫌な思いをした経験がある人もいるでしょうし、それは同情します。
あくまで挨拶は人間同士のやり取りである以上、双方対等の上に成り立つコミュニケーションです。そこをはき違える人は、多分他の面でもはき違えているのでやはり挨拶だけの問題とは言えません。
日本は挨拶でも上下関係が厳しすぎるという文化・社会に対する批判もあるでしょう。学校における部活動なんかもその典型ですね。その辺は確かにそうなのですが、だからと言って外国、いわゆる西洋において挨拶が無いのかというとそんなわけもありません。挨拶に含まれる手順や分量が違うだけでしょう。そこに踏み込んだら文化批判やヘイトにもなってしまいかねません。キスやハグで表す挨拶もあれば、言葉とお辞儀で表す挨拶もあるというだけのことです。
ともかく、挨拶はしないよりもした方が良いし、それは組織のためでもあるし自分のためでもありますよ、ということです。
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