年明けのベネズエラ侵攻、次いで直近のイスラエルと共同での対イラン戦争の開始と、続けざまにトランプ大統領が軍事力で反米政権の「駆除」に乗り出しています。
これらを受けて、アメリカは「世界の警察官」ではなくなった、という論調の意見もチラホラ見かけますが、そもそもアメリカが「世界の警察官」だったことがあるのでしょうか? まるで昔は良かったが今は駄目だみたいな言い方ですが、その昔も大して今と変わりません。
アメリカ合衆国の歴史を振り返ると、その国際社会における役割は常に変化してきたように見えますが、その根底にある本質的な部分は変わっていないのではないかと考えています。
第二次世界大戦では、ドイツや日本といった強大な軍事力を背景とする独裁政権を倒し、その国家体制を変更させて、その後の冷戦下における西側陣営という名のアメリカ陣営に引き込むことに成功しました。この点だけで論ずれば、反論はあるものの、アメリカ合衆国は、他国に無謀な侵略を行う独裁国家を懲らしめる警察官的な存在であったことは確かです。
しかしながら、その後のアメリカの外交政策には、いくつかの大きな蹉跌も存在します。キューバ危機における政権転覆の失敗や、ベトナム戦争という長期化した紛争での敗北は、アメリカの国際的な影響力の限界を如実に露わにしました。これらの経験から、アメリカは単なる軍事力による制圧だけでは、国際社会の複雑な問題を解決できないことを痛感したのではないでしょうか。
湾岸戦争におけるイラクからのクウェート解放という勝利も、アメリカの軍事外交政策における一過性の成果に過ぎません。イラクのフセイン政権は温存されました。
911テロ事件後、アメリカはアフガニスタンとイラクに軍事侵攻を行い、タリバンを追放し、フセイン政権を倒したものの、これらの地域において、アメリカは民主国家の建設という目標を達成できませんでした。アフガンやイラクは、アメリカの同盟国として定着することなく、不安定な状態が長く続いた結果、イラクはイスラム国や隣国イランの影響を排除できず、アフガンに至っては完全に撤退して再び原理主義国家に戻ってしまいました。これは、アメリカが単なる軍事力による介入だけでは、政治的な安定と国民の民主的自律性を確立することが難しいことを示しています。
今回のベネズエラとイランに関して、アメリカの要望がどこまで通るか分かりません。見通しは不透明すぎます。悲観的な見方も多く出回っていて、いずれも確かに説得力があるものです。ドイツと日本という、80年以上前の成功体験に未だに縛られているのは、トランプ大統領個人だけではないでしょう。アメリカ合衆国という超大国全体が成功体験を忘れられていません。
ただ、85年前にドイツと日本の独裁政権と戦っていたアメリカが、戦後の両国における民主化と西側陣営化にどこまで確証をもっていたでしょうか。戦後政策を抱えて戦っていたことは確かでしょうけれど、理念的な確信を除けば、もしかしたら現在のアメリカと大差ないかも知れないのです。
イランに関してトランプ大統領が無条件降伏を要求していますが、それが実現してイランが腐敗した王政でもなく、抑圧する宗教国家でも無くなった場合は、最も明るい未来が待っている可能性もあります。
全てが理想通りに上手く行くことはありません。常に最悪の事態を想定して準備しておくのが、為政者たるものの務めです。しかし、理念こそが原動力になるわけで、戦後の日本、現代日本における経済的繁栄と思想的自由を生まれたときから享受している人たちが、アメリカによるイラン戦争をただ非難するだけなのは、なんか違うような気がします。昔の日本もガチンコで戦って完敗してケツの毛まで抜かれて体制変更した結果の、現代日本なんですから。
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