変わることで成長してきた西洋、変わらないことで成長してきた東洋

現代社会において、文化的な価値観の多様性がますます注目されています。特に、西洋と東洋という二つの大きな文化圏における考え方の違いは、しばしば議論の対象となります。もちろん、世界の文明、文化はもっと多種多様ではありますが、キリスト教文化圏が元になっている西洋と、中国発祥の漢字文化圏を元にした東洋という、この二つの文化圏が異なる発展の道を辿ってきた背景を理解することは大雑把ながら分かりやすい分類だと思います。

西洋文明は、常に変化し続けることで成長してきました。科学技術の進歩や社会制度の改革など、歴史の中で様々な変革を受け入れ、それによって新たな価値観を生み出してきました。例えば、西暦やアラビア数字(もちろん発祥はアラビア世界ですが)といった数体系、法体系、政治制度、経済理論などは、西洋文明が積極的に取り入れ、発展させてきたものです。これらの変化は、西洋社会において一定の秩序と効率性を生み出し、社会全体の進歩に貢献してきたと言えるでしょう。

しかしながら、この変化への積極的な姿勢が、時に自己否定につながることもあります。現代の西洋社会では、「自分自身を否定する」という状況が見受けられます。それは、常に新しいものを追い求めるあまり、既存の価値観や伝統を軽視してしまうことによって生じるのではないでしょうか。実際、現在の西洋社会において、過去から連なる価値観や伝統を平然と破壊することが「正しい」ことだとすら考えている節があります。

一方、東洋文化圏においては、変わらないもの、つまり根源的な価値観を守りながら、変化に対応してきたと考えられます。例えば、家族や地域社会における絆、自然への敬意、精神性といったものは、時代を超えて受け継がれてきました。もちろん、東洋文化圏においても、西洋文化の影響を受け入れ、取り入れることはあります。しかし、それは単に「便利だから」という理由だけでなく、自らの文化と調和させながら、より良い社会を築くための選択として行われることが多いのではないでしょうか。

現代の東洋社会の多くにおいて、ジェンダーの平等、差別禁止、公平性といった価値観を受け入れてきているのは事実です。これら自体はおそらく「絶対的に正しい」とみなして良いでしょう。しかし、東洋が受け入れている西洋文化が全て、「絶対的に正しい」から受け入れられたわけではありません。西洋社会においてこれらの価値観が受け入れられているのは、西洋社会でそれらが「良い」とされているからです。つまり、西洋社会の価値観に合わせた形で、これらの価値観を取り入れるという形になっているのです。

例えば、スーツを着る習慣は、西洋社会におけるビジネスマンのイメージを反映したものであり、それを日本人が真似て広めた背景には、西洋社会で認められることを目指す意図があったと考えられます。これは、単に西洋文化が優れているから受け入れたのではなく、西洋社会で受け入れられることで、自身の価値を高めようとする心理が働いた結果と言えるでしょう。明治維新後の鹿鳴館も同様です。

もちろん、人類共通の普遍的な価値観も、西洋文明から生まれたものが多くあります。しかし、それは全てではなく一部であり、西洋文明全体を無条件に正しいと考えることは適切ではありません。

そして、非西洋社会から見れば、西洋人が信じる「西洋の無謬性」は理解しがたいものです。西洋文化は、多様性を尊重し、常に新しいものを追求する傾向がありますが、それは時に、既存の価値観や伝統を無視した軽率な行動につながることもあります。

よく言われる、多様性こそが善であるという考え方を一方的に押し付けるという問題も、一つのその現れでしょう。多様性を大事にしつつ、非西洋社会独自の考え方を否定し、無視し、冒涜する西洋が正しいと思っているのは西洋の中の人だけです。

東洋が西洋に優るという傲慢な考えを持っているわけではありません。変わらない東洋もまた、しばしば失敗してきました。一番の悲劇的な失敗は、清朝が世界の変化についていけず、死せる豚扱いされた中国が列強(日本も含みます)に搾取、分割されたことは、現代中国の習近平国家主席と支持者のコンプレックスになっていて、それが戦狼外交の一因にもなっています。

日本も出遅れた帝国主義、植民地主義の発露の結果、太平洋戦争における悲劇と敗戦がもたらされました。西洋文化を受け入れても受け入れなくても、東洋が失敗することはあるのです。

西洋文明は、変化を恐れず、常に新しいものを追求することで成長してきました。しかし、その過程で自己否定に陥ってしまうこともあります。東洋文化圏は、変わらないものを守りながら、時に出遅れつつ、世界の変化にちょっとずつ対応してきました。

現代社会においては、東洋で最も早く西洋を受け入れて先進国入りした日本、西洋の受け入れは遅く限定的ながら元々のスケールメリットを活かして西洋の脅威になってきた中国、という分かりやすい関係性が生まれています。東洋内での覇権争いがどういう結果になるかは不明ですが、一方で西洋においては、多分今後もずっと、西洋の中だけでの改革と自己否定が繰り返されていくのでしょう。東洋を受け入れて発展するということはなさそうです。

むしろ今の西洋が大量に受け入れているのはイスラム社会なので、西洋のイスラム化の方が未来予測としては近そうです。そうなった場合、西洋と東洋という構図から、イスラム対東洋という構図に移り変わっていくのでしょうか?

重要なのは、特定の文化圏の価値観を絶対的なものとして捉えず、多様な視点から物事を考えることではないでしょうか。そして、それぞれの文化圏が持つ良い側面を取り入れながら、自らの文化を大切にすることこそが、持続可能な社会を築くための鍵となるのではないでしょうか。

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