
なんとかハラスメントといったものが本当に今は増えています。もちろん、中身自体は昔からあって、それをハラスメントとして捉え直し始めたのが今という場合もありますが、どちらにせよ今の時代はあまりに他人に対価を求めすぎているように思えます。
自分が他人に何かをしたら、その他人は自分に対して多くの対価を返すべきだ、と考えている人が多いということです。
例えばブラック企業の問題でいえば、従業員に対して支払われる給与や福利厚生をはるかに超える労働を求めているということになります(もちろん、暴言・暴力はそもそも問題外の犯罪行為にも該当します)。従業員が企業に提供する労働力と企業が従業員に渡す対価が釣り合っていないのです。その対価との差を「働きがい」や「やりがい」といった精神的な言葉で埋めている訳です。
カスタマーハラスメントでいうと、支払う料金以上の商品・サービスを客が店に求める、ということです。対価以上のものを得られたら客として嬉しいのは当然ですが、それはあくまで店側の厚意でしかもたらされません。厚意ではなく義務にしたら店側は赤字になります。赤字にしないようにするには設備や人件費などを削ることになり、新たなブラック企業の誕生です。
支払い以上の対価を要求するのはそもそも無理な話であり、商品やサービスの質と量はあくまで支払う料金に比例します。子どもでも分かる話だと思うのですが、牛丼屋やファーストフード店で店員に対して怒鳴っているようなお客をみると、案外難しい話なのかな、とも思ってしまいます。
「情けは人のためならず」という言葉は誤解される使い方もありますが、本来は「人に良いことをすればいつか自分に良いことが返ってくる」という意味です。
SNS上で赤の他人を責めることは容易ですが、人に向かって吐いた言葉はいつか自分に返ってくるでしょうし、それでさらにイラついてムカついて他人を攻撃するような、負の感情の再生産が行われ続けているとしたら残念な世の中です。
他人を責める人は自分が正しいのだと思っているはずですが、自分の正しさを証明するのは本来難しいはずです。自分が責めているその他人自身が、自分は正しいと思っていたはずです。
誰もが自分を客観的に見るのは難しいです。
何でもかんでも他人に優しくしろ、とまでは言いませんが、自分が支払うものと他人に求めるものは釣り合いが取れているべきでしょう。
責められる方、釣り合わない対価を求められる方のことを考えると、そんなに真剣に考えない方がいいのではないか、と思います。
もちろんしがらみがあってそう気楽には行かないでしょうけれど、そもそも人間が生きていくということはもちろん大変なことです。どんな立場であろうと、楽に生きて楽に死ぬことが出来る人はほんのごくわずかでしょう。大変なのは当たり前として、だからといって生きること自体を深刻に捉えすぎるべきではないでしょう。
とどのつまりは、もっと気楽に生きればいいじゃないか、ということです。それは対価を求めすぎる側にも言えることです。自分が提供するものと相手からの対価がたとえ逆に釣り合いが取れていなくても、そこで目くじらを立てずにおおらかにしていればカスタマーハラスメントなど起こりようがありません。期待するのは結構ですが、過大な要求が満たされないことへの不満を訴えるのはまた別の話です。
厳しさも当然ながら必要ですが、厳しさと無理・無茶は違います。要求する側も状況が変われば要求される側になるのですから、結局のところは「情けは人のためならず」という言葉は至言なのだなあと思ってしまいますね。
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