年末の紅白歌合戦で登場したAI美空ひばりが色々と賛否両論だったようですが、あの技術の凄いところは歌声であって、不気味の谷を乗り越えられなかったCGは無かった方がいいんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか?
プロや耳の肥えたアマチュアの方なら、歌声が本物ではない、人間ではないということが分かったのかも知れませんが、そうじゃない人にしてみたら区別は付かないでしょう。手間暇(あとお金)さえかければ、AIによる芸術的な表現が可能な時代になりました。
しかし、歌や音楽だけではなく詩や小説、絵画など一般的に芸術と見なされる作品をAIが作り出した場合、その作品は芸術と見なされるのでしょうか? それとも芸術とは生身の人間がその頭脳や手足を使って作り出すことだけが条件でしょうか?
そのAIに人間が何らかの具体的な指示を出して出力された作品であれば、芸術と見なす人は多そうな気がしますが、ほぼ指示を出さず、ただ「詩を書け」とだけ命令して出てきた「詩」は、人間が関与せずに作られた芸術作品となり得るのでしょうか。
たまにニュースで、動物園のゾウやチンパンジー、水族館のアシカが絵の具を持ったり踏んだり振り回したりしてカンバスに色を付け、「動物が絵を描いた」という微笑ましいエピソードとして語られます。しかし、忖度無しにそれらの作品は芸術と言えるのでしょうか?
間違いなく近い将来、ごくわずかなルールだけ人間から入力されたAIが、文学や絵画や音楽を勝手に作り出す時代がやってきます。そしてその作品が、人間が作ったものかAIが作ったものか判別できない場合、芸術そのものの定義の問題が出てくるかと思います。
また、ほぼ無限かつほぼ無料で芸術作品がコンテンツとして生み出されることにより、受け取る側・楽しむ側の芸術の受け取り方も大きく変わるかも知れません。
かつては、文章も動画も音楽も、質を問わなくてもお金を払うか広告を見るかしない限り、閲覧も鑑賞も出来ませんでした。しかしインターネットの普及によって、質さえ問わなければ(場合によっては質も問うた上で)それなりに鑑賞に堪えうるレベルの文章・動画・音楽を無料で楽しめる時代になりました。
そのことで私たちのライフスタイルやそれら作品への接し方が変わりましたが、まだ今は生身の人間がそれらのコンテンツを作成しています。人間には睡眠も食事も必要ですのでコンテンツ作成に費やせる時間は限られています。そもそも人間の数自体有限です。
しかしAIによる芸術制作が始まれば様相が変わります。無限にいくらでも新しいコンテンツを生み出し始めます。
生身の人間のうち、一定のレベルに達しないコンテンツ製作者が駆逐されるのは間違いありません。コンテンツの消費者は望めば死ぬまで消費しきれないコンテンツをほぼ無料で受け取ることが出来るようになります。
作る方も見る方も、今とは全く異なる時代になるでしょう。その時にnote.comはどうなっているでしょうかね。
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