もしも、
「人生の半分は運で決まるようになっている」
と神様に告げられたらどう思うでしょうか?
神様がダメなら仏様でもお天道様でも親でも大統領でも学者でもいいですが、信じる対象から言われて、そのことを自分が確信したらどう考えるでしょうか?
「人生の半分も運で決まるなら努力しても意味がない」
と考えるか、
「残り半分は努力次第だから頑張ろう」
と考えるか。
もちろん、前者よりも後者の方が良いに決まっていますし、そうありたいと誰もが思うでしょう。ただ、これが「人生」ほどの大きなテーマではなく、仕事とか恋愛とか日常に近い話になるとどうでしょうか? そして実際、残り半分の努力を尽くせているでしょうか?
新型コロナウイルスによってどこでも誰でも苦しんでいます。実際に感染して身体的な痛みを味わった人は言うまでもありませんが、直接的な被害がなくても間接的に大変な思いをしている人は感染者よりもはるかに多く存在します。
その中で、今回のコロナウイルス騒ぎは自分で何とか出来る範囲は超えているが、自分で出来るところは努力しよう、と意識を切り替えて日々を過ごせている人はどれくらいいるでしょうか?
これは自分への戒めでもありますが、他人のせいにしても限界がある問題を他人のせいにしているケースもあると思います。
マスクもしてないのに平気で人前で咳をしているような人とか、方針がふらついている頼りにならない政府とか、無理に仕事をさせようとする企業とか、確かに存在がムカつくし不満があって当然だし批判されてしかるべきなのかも知れませんが、まずは自分(と自分にとって大事な人)の身を守らないといけません。
不要不急の外出をしている人は、そのことで批判されたときに他人のせいにしていないでしょうか?
例えば山登りをしていて、上から岩が落ちてきた時に、上にいる人が落としたから悪いとか、山道の整備をしていない国や自治体が悪いとかわめいている場合でしょうか?
まずは石を避けるしかありません。文句を言っている間に怪我します。文句を言う前にまずは危険回避です。文句は後でいくらでも言いましょう。
もちろん、多くの人が文句を言ったから全員への10万円支給とか緊急事態宣言とかが実現したのだと思いますが、お金が無ければ節約するしかないし、それは普段からするべきことですし、感染しそうなところには行かないのも緊急事態宣言が出なくても当たり前のことです。
自分の身を守るのはまずは自分です。その上で、自分で自分の身を守れない子どもは保護者が面倒を見ないと行けないし、障害者や貧困層などの社会的弱者は自治体や政府が守るという順番です。自分で自分の身を守ることが出来る人の順位はその下になります。
もうそれはしょうがないことです。そうしないと社会が成り立ちません。
政府や自治体のやっていることを全面的に肯定する気はサラサラありませんが、現代社会において初めての事態で、どの国も手探りで戦い、成功している国もあれば失敗した国もあります。それまでの医療・保険・福祉体制にもよりますし、感染症対策がバッチリな国は逆に、感染症がないときに医療リソースを他に振り分けられていないとも言えます。そしてそれはそれまでの為政者や官僚や有権者の責任でもあります。
だから、何とか今回の事態を切り抜けてから、これまでの社会体制と今後の社会体制を見据えて選挙などでの審判を有権者として下せばいいと思います。逆に言うと、将来にその審判を下すためには、今を生き残らないといけません。
安倍内閣がダメだと思うならそれはそれでいいですし、個人的には3選で終わりだとは思いますが、今この時に本当に必要な事は何かを考えながら行動したいと思います。
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