新しい情報を受け入れる難易度の差はどこから生まれる?

パソコンやIT関係にそこそこ詳しい人にとってのあるあるですが、よく人に質問されます。全ての質問に即答できるわけではないですが、それでもたいていの問題は、ちょっと検索すれば解決策が見つかります。見つからなくても実際に状況を確認して、自分の持っている知識と過去の経験と照らし合わせて試行錯誤して何とか解決まで持っていきます。

それでめでたしめでたしとなるわけですが、また同じ人から似たような質問を受けることもあります。全く同じ内容ではないにしても、似たケースは多いです。そうやって毎回答えていくうちに、情報格差は広がります。問題に直面した人の持っている情報は増えず、問題に直面していないのに検索や試行錯誤を通じて解決させた人の情報量はその分増えます。

情報は個別で成り立つだけではなく、他の知識や経験と相互作用を起こして利用価値が高まりますので、情報が多くなると比例的と言うよりも指数的に情報の質が高まります。

手っ取り早く言うと、すぐ人に尋ねる人はそのままで、人に尋ねられる人はさらに詳しくなっていきます。多分これはIT関係だけの話ではないと思います。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とは言いますが、聞いただけでそのままになっていると一時の恥がずっと続くというか、聞き続けないといけなくなってしまいます。

とは言っても、なかなか自分にとって大きな興味がないようなことに対して、貪欲に知識を吸収しようとするのは難しいものです。人に聞くことで問題が解決するのであればそれはそれで構わないし、生きる上での戦略としては正しいのかも知れません。

ただ、こういった人によく聞く・聞かないというのは戦略的というよりは新しい情報を受け入れやすい人かどうかによるような気がします。

そういった新しい情報を受け入れる、取り入れるのに必要な要素は何でしょうか?

・必然性
・興味
・事前知識
・情報源へのアプローチのしやすさ

このあたりでしょうか?

必然性があれば新しい情報を探すのはごく当たり前のことです。また、必然性が無くても興味があれば積極的に情報を求めます。事前知識が無いと全く新しい分野の情報を受け入れるのは難しいですし、そもそも求めている解決策に必要な情報を探し出すのも困難でしょう。あと、情報源へのアプローチのしやすさ、というのは、例えばその分野に詳しい人が身近にいるとか、書店や図書館が近くにあるとか、そういったのが分かりやすいでしょうか。ただ今の時代はたいていの情報はある程度の質と量であればインターネットですぐに得られるようになりましたのであまり意味が無いかも知れません。

条件がどれも欠けていれば詳しくはなれず、不便を被り続けるか他人に依存するかどちらかになります。逆に、新しい情報を受け入れやすい条件が整っている場合は、意識的か無意識的かはともかく、貪欲に情報を受け入れて詳しくなり、さらにその情報が新しい情報を呼び込んでいきます。

ITなりファッションなり、あるいは学問なりといった具体的な、成人してから意図的に受け入れる情報だけではなく、言語習得にもつながるのではないかという気もします。いわゆる丸暗記とか聞き流しとかが上で言う「事前知識」に当たるかも。

ただ、必然性と興味が無いと詳しくなれないのは何であってもおなじでしょうね。

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