「国」という漢字は旧字体では「國」でした。常用漢字ではないので固有名詞でない限りは今では目にしませんが、結構知っている人は多いと思います。
では昔は「国」という字が存在しなかったかというと、どうもそうではないらしく、省略して書いたり草書などで書き崩したときにくにがまえの中に「玉」や「王」になっている文字もあったようです。
そもそも「國」とは、或を壁で囲った形を意味します。
では「或」とは何かというと、これも「戈(ほこ)」=武器で土地を守っている区域のことを意味します。そうなると「國」という漢字は、武器で守っている土地をさらに囲いをしている地域のことになります。
近代国家は領土・国民・政府が存在して成り立ちます。逆に言うと、近代より前の国家は国家としての体裁がその三つの内どれかもしくは複数が曖昧になっていたことになります。
政府=政権は昔から存在していても、国民という概念はまさしく近代国家が出来てから生まれたものです。もちろん、政権が支配している人民も昔から存在していましたが、その政権に属する民衆と、その政権からの支配を限定的にしか受けていない、あるいは全く受けていない人々がいました。
政権に属する民衆としては、江戸時代の農民などを思い浮かべれば分かりやすいですが、支配を完全には受けていない人々としては流浪する人々がいます。近代以前はそういった人々が政権の支配地域にほぼ自由に出入りできました。
近代以前に一番境界線が曖昧だったのは境界=領土でした。中世ヨーロッパでは国家とは貴族層以上の連合体であり、国家の境界ではなく貴族の支配地域の境界は存在していて、それが伸長したり帰属先の国家が変わったりしていました。
国家としての境界が近代以降のような確定的なものではない時代に生まれた漢字「國」であっても、境界があっての国家であるという考えは当然のものなのでしょう。
第二次世界大戦後の国際連合に基づく国際関係では、国境線の変更のための戦争は禁じられています。そうは言っても冷戦を経て90年代以降も戦争と名乗らない紛争はどこかで起きています。ロシアとウクライナの間の紛争や、最近でもナゴルノカラバフを巡るアルメニアとアゼルバイジャンの争いなど、結局昔からある領土問題がそのまま残り続けて、何らかの理由でバランスが崩れたときに紛争が発生します。
国境にこだわりすぎるから紛争が起きるのは間違いない事実ですが、だからといって国境線で譲歩するだけなら国家としては成り立ちません。
日本は島国なので陸上の国境線には無縁ですが、島の帰属をめぐってロシア、韓国、中国、台湾らとの実質的な問題を抱えています。
武力による国境線の変更を行うわけにはいきませんが、それを狙う国に対抗せざるを得ません。防衛費が増大することへの批判はありますが、単純な金額比較ではなく少なくともGDP比率で見るべきでしょう。物品費用も人件費も物価の影響を受けて上がるのは当たり前です。それは中国やロシアの軍事費も同じですが、国家間費用だと比較する際に為替レートの変動が影響しますので比較が難しくなります。
ただ、少なくとも世界第3位のGDPを持つ日本は軍事費・防衛費のGDP比率を見る限りは節度を持った安保体制と言えるでしょう。ただ、国境線の変更を武力で狙う周辺国が軍事費を急増させてきても、GDPが伸びないのは厳しいですね。
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