プログラミング教育はどうなっていくでしょうか。
学校で義務化して、その後に社会に出てくる人間全員がプログラミング出来るようになるかというとそんなわけがありません。学校で英語を習ったからと言って日本人全員が英語を使えるわけではないのと同じ話です。
プログラミングは学校でやったことはあるけれど、実社会に出たら必要無かったな、という人がたくさん生み出されるだけにならなければいいのですが。
そもそも英語以前にも、国語・日本語の勉強をしたとしても、誰もが長い文章をきちんと読んで正しく理解したり、文章を書いたりすることが得意になるわけでもありません。
作文や読書感想文を書いてきた長きにわたる国語教育のことを考えると、これから始まるプログラミング教育によって実用的なプログラミング技術が身につくかどうか、疑問に思ってしまいます。
コロナ対策の切り札の一つだった、新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」のAndroid版不具合が4ヶ月放置されていた問題とか、GitHub上に大企業のシステムの一部ソースコードが流出(というか書いた人が誤って公開)していた問題を思うと、学校でのプログラミング教育以前にコンピュータとは何か、インターネットとは何か、ということをまず今の大人達みんなに厳しく教え込まないといけない気がします。
COCOAにしろGitHubにしろ、やらかした人が問題というよりも、官庁や企業がシステム開発を依頼する際のやり方が問題だったのでしょう。個人レベルでのミスを批判すればいくらでも批判できますが、そもそも開発依頼の方法だってどこかで学べるわけでもありません。依頼する側が自分で勉強しないといけないのですが、そういう属人化そのものが日本社会の構造的問題でしょう。
システム開発手法は洗練されてきましたし、ノーコード・ローコードのシステムも今では豊富に存在します。依頼する側・仕様を決める側の技術レベルやリテラシーレベルの方が重要になってくるでしょうか。とにかく何でもExcelで何とかするよりはシステムを作る習慣があった方がいいでしょう。
いっそのこと、プログラミングを全員一律にさせるよりも、プログラミングを依頼する側と開発する側で交互にロールプレイする勉強の方が良かったりして。
全員黙って画面に向かってコードを書いているよりも、ディベートよろしく開発依頼シミュレーション授業の方が、社会に出てから役に立つかも知れませんよ。
そうなるとプログラミング教育ではなく、コミュニケーション教育になってしまいますね。もしくは、自己表現、自分が考えていることをいかに正確に相手に伝えるか、という技術を磨く授業になります。
でも、世の中に出たときというか世の中に出る前の学校生活・家庭生活でもそれが一番役に立つ技術のような気もします。
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