スポーツに感動と倫理性は必要か

多分、東京オリンピックの際には、
「感動をありがとう!」
という言葉が目にも耳にも溢れると思いますが、スポーツを見て、行って感動するのは良いことだと思います。

ただ、感動はあくまで自主的に感じるものであって、
「感動しましたよね! ねえ? 感動して当然ですよね!?」
と押し付けられると、当然反発が生まれます。

また、スポーツ選手はそのスポーツに専念して打ち込み、他のことを犠牲にしてでもひたすら競技での成功を目指します。だからこそ、見る人に感動を呼ぶわけですが、スポーツ選手は競技に集中しているから、他の一般人のように悪いことに興味がない、純粋無垢で清廉潔白な美しい心根の持ち主だという誤解が出てきます。

誤解と言ってしまうと、まるで全員悪人のようになってしまいますが、実際にはスポーツ選手にも善人もいれば悪人もいます。ごくごくまともな人もいればヤバい人もいます。

スポーツ選手に対して勝手に見る側が清廉潔白、感動、倫理的正しさを要求していませんかね?

勝手に理想を押し付けると、理想と異なった時に裏切られたと勝手にショックを受けてしまいます。

何も期待しない方が良いとは言いませんが、少なくともスポーツ選手にスポーツ以外を強く要求するのはなんか違う気がします。もちろん、明らかに違法行為や競技に悪影響があるようなことをしたのなら、批判されてもしょうがないでしょうけれど、そこまでじゃないのに赤の他人が選手個人をネットで糾弾するのは残念なことです。

スポーツはするのも見るのも素晴らしいものです。それは確かですが、スポーツ選手が、世間一般の人間と比べて競技に必要な能力以外の面でも、特別な人間でないといけないと考えるのは無理があります。

今ではスポーツは趣味の一つ、職業の一つ、時間つぶしの一つです。感動にしろ倫理性にしろ、現代(あるいは昔から)のスポーツを巡るメディア・SNSの反応には、受け取る側の勝手に過ぎる部分が多すぎると思います。

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