
高校では社会の科目は選択制で細分化されています。社会は日本史・世界史・地理で概ねほとんどの選択が含まれるはずですが、個人的には細分化してしまっているのは学習効果としてもったいないというか、社会に出た時のために学ぶ社会科目としてはいずれも必要なのではないかと思っています。
日本史というのはもちろん日本で生まれ、生きる日本人にとっては大切な科目です。しかし昔ならいざ知らず、現代での日本史研究は国際的な視野が必要な場合が多くなっています。昔の日本自体が他地域との交流があって政治も文化も社会も生まれて維持されていたこともありますし、国際的な比較研究は当たり前のことです。
研究成果がそのまま日本史の教科書に掲載されるわけではないにしても、日本史を学ぶ上で日本のことだけで済むこともありません。世界史的な視野に立って日本がどのような歴史を進んできたかを学ぶ方が、得るものも大きいでしょう。
布で言えば日本史は縦糸です。一直線に進みます。日本史と言うよりも各国における各国史です。そして世界史は横糸です。同時代においてその国とその周辺の国がどのような状況だったかを把握せずに、その国の歴史は学べません。
歴史の科目を日本史・世界史と分けるよりは一緒に学ぶべきだと常々思ってきました。日本史だけ学ぶとマクロ的な視野に欠け、世界史だけ学ぶとミクロ的な視点が不足します。
量を減らしてどちらも学ぶというのは難しいでしょうけれど、日本史における世界史、世界史における日本史はどちらも重要なものです。地理の科目では日本地理と世界地理を両方学ぶのに、なぜ歴史は日本史と世界史に分かれるのでしょうか?
さらに言うと、歴史という科目は社会科の中における縦糸です。時代を縦に突っ切るものです。そして地理が横糸になります。地域の現状はその地域の歴史に立脚します。地理を学ぶ上で歴史を知っていたら地理を深く理解出来るでしょうし、歴史を学ぶ上で地理を知っていたら歴史を深く理解しやすいはずです。
極端な例ですが、幾何学だけを学んで代数学を学ばない数学なんてあり得ないでしょう。文法だけ学んで発音を学ばない英語もあり得ません。
多分理科も同じ理屈は出来ると思います。結局は英数国の三科目に比べて、理科社会の二科目が割を食っているのですが、脱ゆとり教育で増える学習時間・学習量が英会話とプログラミングだけに回されるのだとしたら、個人的には残念です。
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