完全菜食主義者、あるいはヴィーガンという思想には共感出来ません。そういう考えがあることは分かりますし、赤の他人がその思想を持っていること自体は別にどうでもいいのですが、他人に押し付けると問題が発生します。フランスで食肉店を襲撃するとかはまあやり過ぎですよね。普通に犯罪ですし。
人間が生きるために屠殺することを認めない理由として、動物愛護の観点から考える場合、悲鳴を上げるから可哀想という見方があります。実際の屠殺、絞める現場というのはもちろん可哀想に思えるのは当然です。その業を背負って生きていくのが人間ですし、一切衆生は動物のみならず植物も含みます。植物も切られるときに超音波の悲鳴を上げるという研究もありますし、悲鳴を上げない(人間の耳には聞こえない)動物だっています。そもそも、人工肉(培養肉)には悲鳴を上げたり痛みを感じる器官が無いだけです。というか、強制的に肉の部分だけを培養しているだけのことで、果たしてそれは人道的・倫理的なんでしょうか?
動物も植物も命があるという点では同じだと考えるのは、日本人的アミニズムあるいは仏教的宗教観ですと理解しやすいはずです。
動物愛護の観点ではなく、環境保護の観点からヴィーガンになる人もいます。動物・家畜を育てて食肉に加工するまでには、水や飼料が大量に必要です。その飼料を育てるにも肥料や水が必要ですので、肉食は環境に悪い、という理屈になります。
この考えの流れについては個人的にも理解出来ます。人間の数が増えてきた上に、肉を食べられるくらいの経済力を身に付けた人や国が増えてきたことで、歴史上最も肉食需要が大きくなったため、畜産による資源消費が極まってきたのは確かにそうだと思います。
そのために肉食を止める代わりに、植物あるいは人工肉を食べて生きていくことが出来ればいいのですが、肉と同等の栄養素とカロリーを得るために生産される植物・人工肉がどれくらいの資源消費になるのかが鍵ですかね。大量の人工肉工場の建設のための資源消費も考えると、どうなんでしょうね。
思想信条は自由であるべきですし、他人の思想にアレコレ言うべきではないとは思いますが、向こうから喧嘩を売られたら誰だって戦うでしょう。少なくとも破壊された食肉店主とかは。



