カテゴリー: 未分類

  • カルト宗教とマルチ商法

    ここのところ、カルト宗教とマルチ商法がニュースで取り上げられています。多分、旧統一教会の方はまだまだ問題が長引くというか、完全解決は相当先でしょうし、まだまだ政権を揺らし続けるでしょう。

    その一方で、突然と言えば突然ですが、マルチ商法の本家とも言うべきアムウェイが消費者庁から一部業務の停止命令を下されました。

    そもそもずっと同じようなことをやってきたのに今になって処分されたのかが分かりませんが、どこかでレッドラインを超えたと判断されたのでしょうか。個人的には存在そのものが超えていると思っているのですが。

    カルトにしろマルチにしろ、それによって恩恵を受けている人がいるのは確かでしょうけれど、その人以上に被害を受けた人、訴えている人が圧倒的に多いわけで、
    「~~は良いこともしている」
    「~~によって救われた人もいる」
    「~~の全てが悪いわけではない」
    という弁護や擁護をする人もいますけれど、そもそも法体系的には善事によって悪事が相殺されるわけではありません。違法行為はそのものとして裁かれねばならないのです。

    カルト宗教側にして見たら、マルチ商法と一緒にされたくないかも知れませんし、マルチ商法側にとってはカルト宗教と同一視されるなんて思いもよらないかも知れませんが、どちらにも無縁の人間にして見たら、どちらも人を犠牲にしている点では変わりありません。

    マルチ商法は友人知人関係をお金に換えて踏み台にするものですし、カルト宗教は家族関係を犠牲にして自分だけ悦に入るようにします。どちらも三方良しの概念とはかけ離れているというか、世間に受け入れられることを前提としていません。組織内・団体内だけでの評価だけが重視されます。

    でも、マルチもカルトも結局は、上位の幹部連中のみが肥え太るものなのですよね。そしてそれを訴えても、ハマっている人には受け入れてもらえず、深みに堕ちていってしまいます。だからこそ、擁護する人には相応の責任を負ってもらいたいものです。

  • 民主主義国家の多様性と選挙

    イギリスの新首相にトラス元財務相が就任することになりました。

    生のレタスが腐るよりも早く辞任してしまった、イギリス史上2人目の女性首相だった前首相は残念でしたが、今回の新首相はイギリス史上初の非白人・アジア系・ヒンズー教徒の首相ということになり、目玉と言える特徴が目白押しです。

    ただ、今のイギリスはそういうプロフィールのアピールをしている余裕も無く、この若き首相がすぐに辣腕を振るうことを求めています。

    イギリスは貴族的で社会階層も分断されているような印象がある一方で、女性首相が2人も出たのに、そこから独立したはずのアメリカ合衆国は未だに女性大統領は誕生せず、非白人の大統領もオバマ元大統領のみです。宗教に至っては、アメリカ大統領はケネディとバイデンがカトリックなだけで、2人以外の大統領は全てプロテスタントでした。

    イギリスとアメリカでは「多様性」の実現度合いが違う格好になりましたが、君主制と大統領制の違いもあるのかも知れません。それでも女性には女性の国王が過去に複数名いますので、結局アメリカの方が女性がトップになれない国になってしまっています。

    ともかく、これからのイギリスの命運は旧植民地からの移民の子どもであったスナク首相に託されました。さすがに前首相ほどの失敗(党員の支持を得た減税策だったのですが)はすぐにはしないでしょうけれど、どうなるでしょうかね。

    日本の首相が毎年のように代わる!という批判は、安倍第二次政権期と小泉政権期を除き、21世紀になっても事実ではありますが、ダメなときにダメなトップが代わるのはそれはそれで正常というかあるべき姿なのではないかとも思います。アメリカのように4年間必ず続けられる(ニクソンみたいなことがない限りは)というのも、良い面も悪い面もあるのでしょう。

    思いっきりイギリスの影に隠れていますが、イタリアも首相が代わり新政権が発足しました。メローニ新首相はイタリア共和制76年の歴史において初めての女性首相であり、こちらもアメリカに先行して国家元首を女性が務める事例を生み出した次第です。

    ちなみに、自由・平等・友愛をモットーとするフランスでも、女性大統領はこれまで存在していません。首相は現任含めて2名いるのですけれど。

    アメリカやフランスの方が、イギリスやイタリアよりも自由や男女平等っぽい印象が勝手ながらあるのですけれど、国家元首については明らかな差があり、皮肉にも感じます。

    もうすぐ行われるアメリカの中間選挙でも、2年前の大統領選挙同様、郵便投票が民主・共和両党の議論の火種になりそうですが、州ごとに選挙制度に大きな違いがあり、結構杜撰にも思えるシステムで実施されているのは、現代日本に暮らす人間にとってはかなりの驚きもあります。アメリカこそ、イギリスと並んで民主的な選挙制度の本場であり、19世紀初頭にトクヴィルが見た先進的な選挙制度が、今では世界的に見ても古いシステムとなってしまったのは、これまた大いなる皮肉でしょう。

    どこかで読んだ話で、アメリカンフットボールでは適当に置いたボールを審判がメジャーを持って正確に測る、という小話がありましたが、アメリカの選挙制度も似ているところがあるかも知れません。

    日本の選挙制度も、今年の参議院選挙でそうであったように、恒常的に一票の格差が是正されないまま実施され続けています。事情判決の法理はしようがないものでしょうけれど、その司法のある意味「温情」に対して、立法が応えるには、ハッキリ言うと地方を切り捨てなければなりません。

    一番良いのは、過疎地域の解消を行い、都市と地方の人口密度格差が改善されて、一票の格差が是正されることですが、数十年がかりで成功するかどうか分からないレベルの困難なものです。現実的には、都市の国会議員数を増やして地方のそれを削るしかありません。

    ただ、与党も野党もマスコミも、それを主張すれば地方切り捨てだとの非難を浴びるのが目に見えているので言わないのですよね。

    一票の格差を無視して地方の議席数を維持するか、一票の格差を重視して議席配分を変更するか、近未来的にはこの二択しかないのですが、空気を読んで皆黙るというのが、日本の政治の問題点の一つなのは間違いないでしょう。

    多様性の実現はその先ですかね。

  • 複雑なAppleに「Simple」はあるか?

    Appleが先日発表した新型の第10世代iPadとそれにつなげるApplePencilに関して、誰か止めなかったのか、という疑問は誰もが思ったことだと思います。遂にUSB-C接続になったのにPencilはLightning接続の第一世代しか使えず、使用するには別途アダプタが必要という、スティーブ・ジョブズがいた頃の「Simple」さの欠片も無い仕様となっています。

    iPad Pro、iPad Air、iPad miniとこのiPadで、全て側面がフラットになってUSB-C接続になったのですから、今後は全てのiPadは第二世代ApplePencilのみ対応です、ということにすれば良かったのですが、そうしなかったのはコスト面なのか差別化のためか。

    性能向上、半導体不足、ドル高を反映してか、かなりの値上がりになったことを考えると、よく分からないコンセプトのiPadとなってしまいました。多分、過渡期なのでしょうけれど、無印iPadはいずれラインナップから消えるのではないですかね。あんまり儲からないのでしょうし。

    iPhoneはまだLightning接続ですが、これも来年にはEU規制もあってUSB-C接続になるという憶測もあります。それよりもポートレス・ケーブルレスにして全て無線にするのではとも言われていますが、Appleがすんなり独自規格を捨てることは無さそうです。

    別件ですが、iMessageにおいて、AppleはiPhoneからのメッセージは青色、それ以外からのメッセージ(実質Android)は緑色にしていることにより、ユーザーにAndroidへの不快感を与えている、というニュースがありました。

    https://gigazine.net/news/20221014-iphone-imessage-poor-green-bubbles/

    わざとそうしているかどうかは怪しいところで、ウォールストリートジャーナルでAppleの元エンジニアへのインタビューがあり、ただ単に見分けるためだけに色を変えただけで特別な意味は無かった、という証言もあります。

    https://jp.wsj.com/articles/why-apples-imessage-is-winning-teens-dread-the-green-text-bubble-11642038542

    現実はどうなのか分かりませんが、日本人はLINEが緑色(緑地に黒文字)のメッセージに慣れているので、緑色のメッセージに不快感は持っていないのではないでしょうか。

    Appleならやりかねないと思われているが故の記事かも知れません。逆にGoogleがやっていても同様に「Googleならやりかねない」と思われると思いますけれどね。

    長く日本ではiPhoneが優勢で、アメリカではAndroidが優勢でしたが、最近では上記WSJの記事にあるようにアメリカでは若者世代のiPhone所有率が圧倒的になってきました。その代わり、日本ではAndroidの方が多くなってきて日米で逆転現象が起きています。

    Appleの戦略上の勝利もあるのでしょうが、歴史的なドル高・円安も影響しているはずです。日本人にとって9月10月に発表されたiPhoneもiPadもかなり高額に感じられますが、日本だけの話ではありません。世界中に起きているインフレと、ドル高が相まってアメリカ人(特に最近自分のお金で買えるようになった若者世代)はそれほど高く感じないかも知れません。

    ただ、AppleはMagSafe3のように未だに新たなケーブル・規格を作っていますし、本当にiPhoneがUSB-C対応になるかどうかも分かりません。

    Appleのエコシステムは圏内に入っている人間にとっては素晴らしいシステムですし、Appleに巨額の利益をもたらしてきました。ただ、Appleとそれ以外に世界が分かれてしまうと、いずれはApple離れを招きかねない気もします。

    ジョブズ復帰後のAppleが復活しIT業界で覇権を握ることが出来た端緒は、MicrosoftのExcel含むMS OfficeをMacに対応してもらうことと、電源とUSBケーブルだけで使えるiMacでした。

    規格もソフトも標準に合わせてこその、「Simple」であるはずですが、今のAppleは「Simple」でしょうか?

  • アンブロとデサントジャパンへの長い支援に感謝します

    ガンバ大阪のユニフォームをこれまで長く提供していた、アンブロ(デサントジャパン)との契約が今シーズン(1月31日)にて終了することをガンバ大阪が発表しました。

    https://www.gamba-osaka.net/gameinfo/news/no/14231/

    デサントとの付き合いはガンバがまだ強豪と言われるようになる前の2003年からなので、大半のガンバサポーターにとっては思い入れのあるスポンサーだと思います。見方を変えればアンブロになってからタイトルを取れるようになったとも言えるのです。

    それにしても20年は本当に長く、ありがたいスポンサードでした。アンブロではないガンバのユニフォームの時代を知らないサポーターの方が多いでしょう。

    そう言えば、ガンバの某元社長が出版した某書籍において、某メーカーがガンバに高額のスポンサー料を提示して乗り換えを持ちかけた時に、デサントがスポンサー料を上乗せして契約を継続してきたという話がありましたが、あの本は自主回収されてもう手に入らないはずなのですよね。

    いやーなんででしょうねえ、なにかかいちゃいけないことでもあったのでしょうかねえ。

    それはともかく、来シーズンからはヒュンメルがオフィシャルサプライヤーになるとの報道もありましたが、日本での商標権はSSKが持っているそうです。中年のオッサンにとってはSSKといえば野球用品のイメージが強かったのですが、結構色々やっているのですね。

    さて、ガンバ大阪自体は、来シーズンの展望どころか、残り2試合に残留の運命がかかっている状態ですが、経営部門、運営部門は来シーズンのことを考えて動いていないといけないわけで、今回のスポンサー変更がガンバのチーム・選手にとって良い影響を与えてくれることを望みます。

    経営面の色々な仕掛けについては評価しやすいのですけれど、この5,6年のチーム成績や強化の方がなんというかアレで、そこがダメになると経営の方に強烈なマイナスが来てしまいます。

    降格するとスポンサーの解約、減額もあり、観客数も減り、メディアでの露出も減ります。収支面ではとんでもないことになります。

    そうならないためのラスト2試合は、10月29日(土)のジュビロ磐田戦、11月5日(土)の鹿島アントラーズ戦となっております。2連勝だけを考えて応援するしかないですね。

  • 誤り訂正のない独裁体制が行き着く先は・・・

    今回の中国共産党大会において、習近平が一強体制を確固たるものにしたようです。自身と同様にこれまで首相を務めていた胡錦濤派閥の李克強を、遂に党中央のポストから追い出すことに成功したのみならず、大会中に胡錦濤を無理矢理立たせて退席させたシーンは、中国ウォッチャーではない一般人にとっても、この共産党大会においていよいよ習近平が好き勝手に出来る権力を確立したのだと、確信できる一瞬でした。

    党中央の幹部には自身の側近、傘下を集め、もはや誰も逆らうどころか先んじて国家主席の靴を磨こうとする人ばかりに囲まれています。今後は、江沢民とその影響下にある人物が政権の枢要や地方の権力ポストから追い出していくのでしょう。

    しかし、独裁者がその独裁を強めていけば、その国は国力を弱めます。今回の大会は中国衰退の一歩が確実に始まった瞬間でもあります。

    古今東西、独裁によって長期的に発展した国家は一つもありません。一時的、短期的に優れたリーダーによる独裁によって、迂遠な手間暇をかけずに良い政策・選択をすることで驚異的な国家成長を成し遂げた国はいくつもありますが、独裁制の恐ろしさは成功が失敗にすぐに裏返って成立してしまうところです。

    独裁者が成功すると、成功体験が大きな足枷となって、時代や状況が変わって通用しなくなった手段を変えられません。独裁者派過ちを認めず、周りも批判できず、批判や諫言は退けられ、反対派は粛清されていきます。そうすると失政が失政を呼び転落していくことになります。

    中国やロシア、イランなどは、欧米などの自由民主主義国家の失敗をあげつらいがちですが、それはその失敗が公になっているからこそでもあります。失敗を表に出さないようにする専制主義・独裁主義国家が、公にされた自由主義体制の国家の失政をネタにするのは、ある意味ギャグのようなものです。なにせ、前者は「失敗しない完全無欠の指導者」に率いられているのですから。

    自由主義・民主主義国家は多くの過ちが存在しています。過去にも多くの失敗をしてきました。政治体制上、優れた政策を素早く実行することも難しいです。それは本質的にそういうものだからです。その代わり、失敗に気づき修正することが専制国家よりも素早いのです。

    コンピュータの世界には誤り検出訂正という仕組みが存在します。保持すべきデータに符号を追加して、もしどこかのデータにエラーや改ざんが生じても、追加した誤り検出符号によって簡易にチェックでき、多くの場合で正しい元のデータを復元できます。

    その代わり、データ量はデータそのものよりも符号の分だけ確実に増えます。チェックの手間暇もかかります。それでも、誤り検出訂正は重要だからこそ存在している技術です。

    おそらく、民主主義国家も似たようなものです。権力を分散し、最終的には国民(=有権者)のチェックと審判によって、誤った権力者は排除され、間違った施策は修正されます。その代わり、「正しい」独裁に比べて、検討・実行のプロセスには多くの時間と手続きが必要となります。

    独裁制は大事なデータを誤り訂正機能なしでイジり続けるようなものです。どこかで間違っても修正出来ません。元の状態に戻すことも出来なくなります。

    人間が人間である以上、間違わずに何十年も独裁を続けることは出来ません。失敗したときに穏健的に引退するならいいのですが、独裁者が唯々諾々と過ちを認めて退くわけがありません。

    ロシアもイランも政治体制の矛盾が現実の失敗に明白に跳ね返ってきています。中国は香港への強権体制の押し付けまでは出来ましたが、ここからどうなるでしょうか?

  • ブラック校則の悪循環と再生産

    未だに昭和以来のようなブラックな校則が存在し続ける学校が結構あることに驚きを受けてしまいます。

    非人道的なものや人権侵害に当たるような規則はそもそも存在自体が学校にとってのマイナス評価にしかつながらないと思うのですが、中にいる人にとってはそうではないのでしょう。

    そういう学校でも日本国憲法の「基本的人権の尊重」って教えているはずなのですけれど、基本的人権よりも校則の方が重要だと教えているのでしょうかね?

    昔はしょうがないかと思われていたような校則でも、今の時代には合わないのであれば変えるべきでしょうし、ブラックな校則の中には昔でもダメなんじゃないのか?と思わせるようなものもあります。

    こういったブラック校則はその制限を受ける生徒への被害だけではなくて、さらに副次的な悪影響も存在します。

    生徒にしてみたらそんな校則を押し付けてくる学校や教師に対しては良い感情を抱かないでしょうし、さらに言うと教師という職業自体に幻滅しかねません。自分の将来の進路として教師という選択肢を最初から外してもおかしくないでしょう。

    逆にそういうブラック校則に対して、さほど嫌に感じない人だってもちろんいるでしょうし、その人の中から将来の教師が生まれてくることになります。

    子ども時代にブラック校則肯定派だった人が、大人になって教師になってその学校に就任した場合、ブラック校則を廃止するでしょうか? むしろ自分がこうやって立派な教師になれたのはこの校則のおかげだとして、また生徒にブラック校則を強要する教師になると考える方が無難です。

    かくして、ブラック校則が維持され続ける悪循環が生まれ、ブラック校則肯定派の再生産が行われます。

    ブラック校則の悪循環を断ち切るには、中の人の多数に考え方の突然変異が発生するか、外部(行政や司法)の介入という強制力による改革しかないのですが、どちらもあまり期待は出来ないかも知れません。

    一番可能性があるのは、ブラック校則によりマイナスイメージが付いたために入学してくる人が減って学校自体が潰れる未来、いわば市場原理によって学校が無くなることでしょうか。それだと潰れるまで時間がかかってしまうので、結局はそういう校則が嫌な人はそういう学校に行かないというアドバイスということになります。

    臭いものに蓋をする学校に対しては、臭いものには近寄らないというごく普通の対策しか無いですね。

  • 紙製・木製のストロー・スプーンの時代

    ポリ袋の無料配布が槍玉に挙げられたのに続いて、今度はプラスチック製のストローやスプーンの使用を控える動きが出てきました。

    マクドナルドでもアイスコーヒーと一緒に出てくるストローは紙製になりました。紙のストローはまだ違和感が凄いですが、味が変わるというか、口に付いている感触がまだ慣れないのでしょう。

    そのマクドナルドで先日、アイスコーヒーと一緒にマックシェイクも頼んだらストローが2本付いてきて、
    「ああ、紙のストローでシェイク飲むのは厳しいな」
    と思いつつ、紙のストローで頑張ってシェイクを飲み切り、それからおもむろにもう一本のストローを開封すると、出てきたのは従来通りのプラスチック製のストロー。

    確認不足の自分のせいではあるのですが、まだプラスチック製のストローが使用されているとは思ってもいませんでした。まあ確かにそうです。半固体のようなシェイクを紙のストローで飲むのはどう考えても難しいものです。

    商品によってはプラスチック製と紙製を使い分けるくらいなら、ただ単にプラスチック製のストローの要不要を客に聞いた方が良いんじゃないかとおも思いました。化粧をしていない人の大半なら、ストロー無しでも問題ないと思うのですが、世の考えは違うのでしょうか。少なくとも中年のオッサンには不要ですし、スターバックスコーヒーなんかはストローがデフォルトではなくなりましたよね。

    紙のストローはいろいろ拒否反応も招いていますが、個人的には1時間もすればたいてい飲み干す飲み物に、半永久的に分解されないストローを使用するのはもったいないというか、バランスが取れない気がします。1時間はさすがに無理だとしても、そのうち分解される原材料で作られたストローで十分です。

    ケンタッキーフライドチキンが、スプーンを木製に変更するとのニュースもありました。これも、一度使用したら捨てるスプーンに、半永久的素材を使用する必要は無いでしょう。

    経済性と利便性から、プラスチック製のストローやスプーンやフォークがコンビニ・ファストフードなどでは大量に使用されてきましたが、少なくともそれら店舗の飲食品で使用する分には、ストロー等に堅牢性は必要無いのですから、紙製・木製のもので良いと思っています。後は、紙製・木製のストロー等を使用時に感触の違和感が無くなり、店側もそれらを安く調達できるようになれば、いずれはプラスチック製を求める人もいなくなるでしょう。

  • 人の為に世襲する政治家になりたい?

    誰かを羨む気持ちというのは、誰にもあるのかも知れませんが、その誰かの立場や状況をそっくりそのまま自分と入れ替えたいと思うとなると、それは羨むというよりも妬みに近いかも知れません。

    少し前に岸田総理が秘書官に息子を任じたことがかなり批判されていました。私自身はそれ自体はそれほど悪いこととは思っていません。その立場を利用して賄賂を受けたり、不必要に高額の収入を得たりするなら別ですが。

    もちろん、批判するのも当然でしょう。中国や北朝鮮やロシアやイランではないのですから、最高権力者を批判する自由が日本にはあります。

    とはいえ、その立場を羨ましいという意見には賛同できないというか、
    「本当に父親が総理でその秘書官に就く立場になりたいか?」
    と疑問に思ってしまいます。

    朝晩関係なく、平日土日関係なく、知らされる情報には大量の機密情報が存在して気が抜けない仕事のはずですが、皆さんそんなに国家機密に携わりたいのでしょうか。

    あの息子が政治家を目指しているから世襲だ、という批判も分からなくはないですし、世襲によって権力の継承がなされて社会階層が固定化されるのも問題です。それは確かです。

    政治家が世襲するのは、これまで得たモノを失わずに子どもに継がせたいから、というのがあるかも知れませんが、そもそも財産は選挙に費やしてもし負けたら失ったまま戻りませんし、権力も子どもが馬鹿なら維持出来ないでしょう。名声は引き継げず、親が偉大なら子どもはかえって苦しみます。

    政治家が世襲するのは本人・子どもよりもその周りで既得権益を得ている支持者達が、その既得権益を失わないためにそうさせている面もあるでしょう。子どもなら親の面倒を見ていた後援者を見捨てないだろう、ということです。

    自分であれば、批判すべきは利益誘導型政治の在り方なのですが、これは少なくとも明治期以来からの日本の伝統ですから、そう簡単には覆せません。野党自体が各種団体の支持を受けているのですし。

    政治家は旨味が無い仕事とまでは言いませんが、別になりたい職業とも思えません。偉い人や上流階級な人ならまた違う感想があるのかも知れません。ただ、職業選択の自由を享受出来るに親の政治家の仕事をさせられる立場は、私にとっては全く魅力を感じません。

    皇室の誰かに対しても、税金で生きてるのにとか、ただで留学して勉強しているとか言われますが、政治家以上に生まれたときから自由も無く権利も制限されている生き方を強いられる人生を、私は羨ましいとは思えません。

    結局、幸せは誰かと比べるものではなくて、感じるものなのですよね。他人と比べて自分が不幸だと思い、その誰かと入れ替わりたいというのは、自分が今持っている見えないものを捨てることと同義です。

    卑近な例えで言えば、私はガンバ大阪のサポーターですが、自分が応援するガンバが優勝してほしいのであり、優勝する他クラブのサポーターになって、その優勝を味わいたいとは丸っきり思いません。

    今の自分が何もかも嫌で苦労に苦労を重ねた人生を送っている人なら、羨ましい人生を送っているように輝いている人と入れ替わりたいと思うのもしようがないのでしょうが、多分、入れ替わってもそんなに幸せにはなれないんじゃないですかね。

  • クーデターの心配はロシアよりもウクライナの方かも

    江戸時代の小藩、江戸から遠方の藩は、参勤交代が免除されたり、数年に1回で良かったり、状況を考慮されていました。小さい藩では江戸と国元の移動だけでも負担を維持出来ないため、また遠方では当然ながら移動に費用と時間がかかりすぎるからです。

    藩主が国元にいなければ、国元にいる家老やその他家臣に良からぬ考えを持つ者によって乗っ取られる恐れがありそうなものですが、現実にはありませんでした。血縁を辿って実質的に自分の子や孫を藩主に仕立てるくらいのことはあったでしょうが、室町時代・戦国時代のような、守護代やその家臣が守護を追い出して地域を支配して独立するような動きは江戸時代には起こり得ません。

    そもそも、戦国時代において統治の正当性は武力によって裏付けされるもので、中央である京の幕府や朝廷が授ける官位官職だけでは、容易に現地武力勢力によって統治者としての立場を奪われてしまいました。

    一方、江戸時代では地方にいる大名がその地を統治する正当性は、江戸にある幕府が保障するものであり、幕府が認めた大名家でないと、その地の統治者としては認められません。大名家を追い出した武力勢力が独立を宣言したところで、島原の乱のように幕府と周辺大名による大兵力によって潰されるだけです。

    中央が地方の権力を保障するのは中央集権体制ではごく当然のことですが、中央が権力を委任させすぎると、その権力を利用して反乱を起こします。中央側の権力・権威が下がりすぎても同様で、それが起きたのが幕末期でした。

    では地方の有力者に権力を与えず、一人の中央の権力者の他は皆一律に権力を持たない構造にしてしまうと、それはそれで古代中国の秦帝国のように、あっという間に瓦解しかねません。

    現代においては絶対的権力者1人とその他全国民、ということなどありえませんが、それに近い独裁を求めようとする国は日本周辺だけでもいくつもあります。

    ロシアはプーチン大統領が絶対性を持っているように思われがちですが、年金改革に手を付けたらデモが頻発して修正せざるを得なくなったり、今回のウクライナ侵攻でも上手く行かないために国内の強硬派に突き上げられて予備役動員に至ったりと、独裁者なのに権力基盤に絶対性は感じられません。

    権力構造が複雑化しているのか、政治体制的にはプーチン一強なのに支持層の反発をなだめにかからないといけないのです。

    絶対的権力を持てていないのなら、そのうちクーデターでも起きるのではないかと期待?してしまいますが、軍部にはそれなりに干渉出来ています。

    各種報道で、プーチンが軍部の意見を聞かずに強引に進めたために苦戦に直面しているということが言われていますが、まさに現在のロシア軍はウクライナ戦争において、中央側の権力が強すぎて現地判断が出来ずに苦しめられているそうです。

    https://jp.wsj.com/articles/how-ukrainian-strategy-is-running-circles-around-russias-lumbering-military-11665633447

    ソ連時代からの意思決定の仕組みがそうらしいのですが、前線が主導権を握ることはありません。

    逆に、下級将校にある程度の裁量を任せているウクライナ軍が互角以上の戦いを出来ている理由の一つになるのでしょう。

    軍部さえ掌握していれば権力は維持できる、ということはかつて中国で鄧小平が証明しましたが、集団指導体制内での鄧小平の立ち位置を、今のロシアで真似るのは無理でしょう。そうなると、プーチン大統領のままで、国内の強硬派からの突き上げに遭いつつ、ズルズルと勝てない戦争を続けていくしかないのではないでしょうか?

    そして、むしろウクライナの方が、晴れてロシアの侵攻をはねのけて安全保障を確保した後に軍功労者の権力増大を気にしないといけなくなる(イコール、クーデターの心配をしないといけなくなる)のではないでしょうか?

  • 献血カードのスマホアプリ化と、来るべきマイナンバーカードのスマホアプリ化

    8月に全血献血して以来の献血をしてきました。今回は成分献血です。

    日本赤十字社の献血に関するホームページを見てみると、いつの間にか献血カードがスマホアプリ化されていました。それに加えて、当日の問診回答を事前に行えるようになっています。

    https://www.bs.jrc.or.jp/kk/osaka/2022/09/-2022928-iosandroid.html

    アプリ化によって献血カードを持ち歩く必要が無くなるのは便利!と思いましたが、献血ルームでは様々なキャンペーンがあり、そのキャンペーンで使用するカード(献血カードと同じサイズ)が何枚もありますから、それを持っていくなら結局スマホだけということにはなりません。

    何の気なしに歩いていて、突然近場の献血ルームや献血バスで献血しようと思った時に、献血カードが無くてもスマホがあれば大丈夫!というケースしかメリットを感じられません。

    毎日献血するわけではないので、カードでもアプリでもどちらでも良いといえばどちらでも良いですし、アプリによってカードが廃止されるわけでもないので、別に文句を言う人はいないでしょう。

    文句というか批判や非難が多く上がっているのがマイナンバーカードの方でして、健康保険証の代わりになるだけでなく、2年後には元来の健康保険証を廃止してしまうということを発表したことで、マイナンバーカード嫌いの人が激高しています。

    個人的には運転免許証と健康保険証がマイナンバーカード1枚で済むようになれば、財布に入れるカードのスペースが減りますので大変ありがたいのですが、ありがた迷惑どころか国家による人民支配の始まりだと騒ぐ人は結構います。

    そもそも、国家が国民を管理するのは当たり前で、現時点でも戸籍・住民票・健康保険・年金によって事実上全ての国民を管理しています。情報漏洩が不安というのも、今あるシステムなら情報漏洩しないのかというとそうでもありません。そして、基本的にシステムは古いものより新しいものの方がセキュリティはしっかりしています。もちろん、一切オンライン化せずに紙とペンで管理するなら別ですけれど、その場合は不便さと引き換えになります。

    不便でも安全なら良いというかもしれませんが、もし完全オフライン化すると、現代ではあまりに不便すぎる社会になってしまいます。

    反対や批判をするなら、むしろ現行のマイナンバーカードの「不便さ」の方でしょう。カードの裏面の番号が見られないようにマスクするスリーブに入れるとか、この仕組みを作った役人は何を考えていたのだと問い詰めたいくらいです。どんどん使え、でも番号は人に見せないようにとか無理すぎます。番号管理の基本設計がおかしい気がしますが、何か重大な問題が起きない限りは、現行のシステムは変わらないでしょうね。そっちの方がよっぽど不便なのですが。

    こういう点が、先日河野大臣が発表したマイナンバーカードのスマホアプリ化によって解消されるのなら良いのですが、どうなんでしょうか?

    COCOAアプリの初期のようにボロクソに批判されるような出来のアプリになってしまわないか心配です。

  • 政治は結果責任よりも過程責任

    先日明石市の泉市長が来年4月の任期満了をもって政治家を引退すると発表しました。暴言・パワハラなどのマイナスと、人口増加や国政への厳しい発言などが評価される面もあった、功罪相半ばするというか、人によって評価が大きく異なる市長でしたが、引退後はマスメディアに出番を求めれば出演機会は得られるのではないでしょうか。

    彼の政治姿勢を見るに、そりゃそうだけどそこまで言ったら(やったら)ダメだろう、ということもありました。良いことをするなら何を言っても良いとか、何をやっても良いとかいうことは、少なくとも民主主義国家ではありません。結果のみ

    政治は結果責任、という言葉はもはや政治家の挨拶レベルで口にする人が多いですが、結果が一番大事なのはそもそも当たり前で、結果に関して責任を取らなくていい政治家などいません。ただ、ゲームとは異なりリプレイなど出来ないので、施策・政策や判断・決断が最も優れたものだったか、正しいものだったかということは評価がしづらいものです。現実世界の政治では再現性はありません。

    だからこそ、政治においてはその実行プロセスが重要であり、敢えて言うなら結果責任ならぬ「過程責任」を取る必要があります。

    立場ある政治家がその行動に至った手続きは、取るべき手段としては再現性があるはずです。他の者なら到底経過しないプロセスを経て行ったのであれば、それは民主主義国家ではあるべき姿ではないでしょう。

    では誰が最終的な責任を取るのだ、ということになるかも知れませんが、民主主義国家では最終的な責任を取るのは国民、有権者です。だからこそ、国民は選挙やリコールなどを通じて自らの責任を政治に反映させる権利があります。

    そう考えると、有権者ノットイコール国民であるのは、民主主義国家ではやむを得ない欠陥とも言えます。どうしても有権者にとって有利な人が政治家として選ばれることになります。

    現在の日本の人口動態を考えると、どうしたって高齢者に予算が配分されて若者・子ども・出産育児に関する予算が減らされます。だからこそ、これまで非有権者だった18歳・19歳を有権者にしたことは、民主主義に根源的に存在する欠陥の是正でもあるのですが、政治に対する評価としては話題になることは少ないと思います。

    また、同じく選挙権を持たない世代に関して、泉市長が評価されているのはその子育て支援の政策を充実させたからであり、その点は認めるべきでしょう。

    だからこそ、規定に背いて国会を開会しなかった内閣や、専決処分を推し進めたり暴言や問題のある手続きを経て強行しようとする市長が、過程責任として非難されるのは当然だと思います。

  • 神は細部に宿るけれど、人間の興味はAI作品に宿るか?

    AIが自動的にキーワードに合わせて絵を描いてくれるサービスが結構話題になっています。

    多分、似たようなサービスがこれから乱立してくるでしょうし、絵のタッチも多様な感じになってくるでしょう。

    これで全ての絵師が廃業になるなんてことはないのでしょうけれど、それっぽい絵は非常に安いコストで誰でも簡単に得られる時代になってきました。絵を描けない人や、背景など自分のタッチをそれほど求めない場面の絵は、このサービスを多用するようになるかも知れません。

    グラフィック分野よりも、テキストの方がコンピュータの自動処理は上手なはずで、自然言語に関しての研究の蓄積はかなりのものです。文章の自動作成サービスは既に色々あります。AIによるニュース作成も実際に行われています。

    しかし、文章の場合はどこかがおかしければすぐに気が付きます。人間だったらこの書き方は絶対しないという文章・文字列がもしあれば、容易に見つかります。

    その一方で絵の場合は、そういうノイズがあったとしてもそういう絵、タッチ、趣向なのかと思って流してしまいます。

    これは画像データと文字列データの特性の違いによります。非可逆圧縮が可能な画像と、可逆圧縮しか許されない文字列(あるいは数値)の違いというと分かりやすいかも知れません。

    ともかく、文章にしろ絵にしろ、今後はAIで作成されることが多くなるはずです。それでもAIは事前のディープラーニングや作成者による重み付けなどがインプットがあってこそのアウトプットです。

    AIによってたやすく量産される箇所には、おそらく人間はさほど惹かれないのではないかと思います。AIが発達しても将棋で盛り上がるのは人間同士の対戦です。将棋ソフト同士のコンペティションもありますが、名人戦・竜王戦ほどのお金も動かず注目度もありません。

    芸術作品も、AIよりも稚拙であっても人間が作り出したものが、人間の心に触れるものだと思います。

    ただ、この理屈だと、AIが作ったモノをAIが評価する時代も来ますよね。そっちの方がはるかに高度で精緻で優秀なモノになるのでしょうし、人間世界とAI世界で完全に分離する時代としたら、それは良い時代と言えるのか、暗黒の時代なのか?