令和の宮中某重大事件となったのでしょうか

小室圭氏と眞子様の結婚を巡る一連の騒動が、メディア上では未だに終わりを見せませんが、もしかしたらずっと続くのでしょうか。多分、他にも重要な問題はあると思いますが、消費者側の興味が途切れなければメディアの取り上げも続くのでしょう。

個人的には小室氏とは自分だったら友人にもなれないなとは思いますが、だからと言ってどんな誹謗中傷も許されるわけではありません。親の因果が子に報い、とはよく言いますが、ことわざではなく令和の時代でも現実に存在する事例だという証明にもなりました。

立憲君主制、特に日本の天皇制は皇族の自由を制限する形で実現しています。基本的人権の尊重は日本国民の最大テーマですが、同じ憲法内で規定されている天皇制を構成する皇室には、厳密には適用されていません。

今回の騒動で、言動の自由が生まれてからずっと制限されている皇族の生き方を、教育も生活費も税金からもらえる楽な暮らしと捉えているような意見が散見されたことに驚きました。

ネットにそんな書き込みをしている時点で、今日の食事に事欠くほど貧しいわけではないでしょうけれど、自由よりも目の前のお金の方が大事だと嘘でも言う人がいるというのは、貧富の格差が広がっていることの一つの証しかも知れません。

ネットで炎上させている側の人数は、実際には書き込み数よりもはるかに少ないですが、そういう反感の持ち方が増えれば皇室とは何かと考える人も増えます。

中産階級が減り、貧しい人が増えると社会が不安定になります。それは体制の危機でもあり、富裕層の危機でもあり、革命が起きる前提条件です。日本で皇族の生き方に寛容な人が減り、天皇制の維持に必要な費用を税金の無駄遣いと考える人が増えれば、立憲君主制の危機にもなりかねません。

皇族の婚約発表から相手の家の問題を原因として不適格ではないかという反対が出た挙げ句に数年後に結婚が成立する、というこの流れは、100年近く前にもありました。宮中某重大事件と呼ばれる事件です。

1921年、皇太子時代の昭和天皇の婚約に際して、後の香淳皇后の実家である久邇宮家と島津家に色覚異常の遺伝があることが分かり、元老の山縣有朋が反対した一方で賛成する勢力もあり、水面下で騒動となりました。

当時の天皇は軍隊の最高指揮権を持ち、色覚異常の遺伝が皇室に入るのは好ましくないという反対意見は、1920年代の日本ならではですが、当時は徴兵でも色覚異常が発覚すれば事実上不適格でしたので、陸軍にも強い影響を持つ山縣には反対する理由があったのでしょう。

それに対して、既に決まった婚約を覆すのは畏れ多いという意見も多く、またこの問題を利用して打倒藩閥や政治闘争、宮内省批判など騒ぎが広がっていき、内密にしていた騒動を遂に新聞も取り上げるようになって、結局は婚約から数年の混乱を経て1924年に成婚式が行われました。

今回の小室氏を巡る一連の問題と、登場人物の立場や人間関係、あるいは騒動の原因も異なりますが、婚約→問題発覚→数年後に結婚成立という流れは同じです。

大きく異なるのは、宮中某重大事件の方は途中でようやく新聞が取り上げたのに対し、今回の件はまず週刊誌報道から始まっています。また、前者は元老・藩閥と右翼や政治家・官僚など限られた人物での暗闘でしたが、後者では週刊誌・テレビ局・芸能人による批判とウェブ上での一般人による書き込みが中心でした。

戦前と戦後の憲法の違い、天皇制の違いがはっきり表れているのでしょうけれど、宮中某重大事件の後を思うと、令和以降の日本にあまり明るい予想は立てづらくなります。

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