パルクール動画を見てると忍者っぽい

忍者は小説・マンガ・時代劇などでやっているような派手なアクションなどせず、敵地に潜入しての諜報活動が中心だったと言われています。しかし、個人的にはYouTubeでパルクールの動画を見ていると、昔の忍者は諜報活動ばかりで派手な身体能力は創作だ、というのも実は嘘なんじゃないか、壁に貼り付いたり堀をジャンプしたり凄い動きをしていたんじゃないか、と思ってしまいます。

伝説や虚構だと思われていたことが実は本当にあった、という話は歴史ではよくあります。古代中国の殷王朝は19世紀頃には存在を信じられていませんでしたが、20世紀に入り甲骨文字の発見と解読から殷墟が見つかり、周王朝の前の殷王朝(商王朝)の存在が確認されました。占いを文字で刻んだ亀甲や牛骨が薬として売られていたことから発見されましたが、発見前に失われた甲骨があればもっと商王朝の事跡は分かっていたことでしょう。

ヨーロッパでも、シュリーマンがトロイア文明の発見となる遺跡発掘をしたことは有名です。実際にはそれほど感動的な話ではなかったそうですが、それはそれとして。

忍者のフィクション上のイメージは、たいてい江戸時代に作られました。江戸時代の天下泰平の中、読み物や演劇などで歴史物の需要は非常に高く、少し前の時代である戦国時代は格好の題材でした。曲亭馬琴の南総里見八犬伝のように、真田幸村という実在の人物の架空の名前なんて、今の時代にもまだ残っています。

忍者は江戸時代に色々創作されて、厳しい訓練で得た能力を生かして、城や屋敷に忍び込んだり、敵方の忍者と苦無や手裏剣で目に見えないスピードで格闘したり、呼ばれたら音も立てずに主人の後ろに控え、用が済んだら姿を消すような存在になりました。

忍者が忍者的イメージを持たれるようになったのは、フィクションの巧妙さだけではなく、人々の願望や思い込みもあるでしょう。こうあってほしい、こんな凄いことが出来たはず、という思い込みは忍者を忍者たらしめてきました。

鈍器になるような分厚い本を書くミステリー作家のトリックにもありますが、人の思い込みは全てを作り出して、そして消します。人が認識していないものはその人には無かったものになります。

忍者が姿を消したと思ったのなら、その人にとっては本当に忍者は消えたのです。そして、忍者が姿を消せるなんて単なるフィクションに過ぎない、と思う人にとっては、忍者は虚構の存在になります。ただの諜報員程度の存在になります。

そしてさらに、パルクール動画を怖々と見ている私は、
「あれ? やっぱり忍者ってすごかったんじゃね?」
と、忍者が急に姿を消すとか天井をスタスタと逆さに歩くとかは出来ないとしても、パルクール的な動きで塀を跳び越えたりは出来そうだと思うようになりました。

足利尊氏のように時代によって毀誉褒貶が激しい歴史上の人物もいますし、忍者という存在も、結構これからも認識が変わっていくこともあり得るのではないでしょうか?

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