デジタル化で置き去りになる人、アナログのままで置き去りになる人

官から民、民から官、民から民、官から官のいずれの書類のやり取りでも、なかなかデジタル化は進んでいません。官から官については私は全く関わりが無いので想像でしか測れませんが、一番進んでいるのは民から民でのデータのやり取りでしょう。

もちろん法律の問題や重要性・公共性などの違いがありますので、だから官僚はダメだとか言うつもりはありません。民間だって本質的には同じでしょう。

デジタル化がデジタルが苦手な人を置き去りにする、という批判はこれまでもありましたし、これからも出てくるでしょう。もちろんそれは確かにそうなのですが、だからといってデジタル化を否定することは、デジタル化によって恩恵を受けた人・受ける人の存在を無視することになります。

アナログな紙の書類を自分一人で準備出来る人はデジタル化されなくても困難はないでしょう。ただ単に紙が面倒なだけです。しかし、そもそも紙の書類でやり取り出来ない、大変困難な身体障害者のような人にとっては、自分一人で自活自立した生活が出来ないことになってしまいます。アナログのままでの社会はその不便さを押し付けている格好になります。

バリアフリーという言葉は今ではどこでも見ることが出来ます。健常者にとってはただ単に、昔のデザインのものよりも少し便利になった程度の感覚ですが、まさにバリアがある人にとっては、それを使える/使えないの分岐点になるものです。

蛇口やドアノブが握ってひねる形状ではなくレバーを上下するようになったことで、指一本や肘だけで利用出来るようになりました。

バリアフリーと銘打っていなくても、例えばスマホのワイヤレス充電もケーブル充電に比べて、手を自由に使えない人にとっては使いやすい存在でしょう。

パソコンでもスマホでもタブレットでも、指一本使えれば使用出来ます。指十本使う人と比べればはるかに時間はかかっても、デジタル経由・ウェブ経由ならどんな書類・データも作成出来ます。

だからこそ、アナログでしか認めないというのは今の時代では問題と言わざるを得ません。

テクノロジーは困難を克服するために存在します。自分は困難を覚えていないからテクノロジーなんて必要無い、という考えは、自分以外には困難を覚えている人がいるという想像が出来ない証しでしょう。

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