ミニマリストの流行は既に終わったと思われます。これからはトレンドではなく日常に溶け込む形で、ミニマリストやシンプリストっぽいことをする人もいればしない人もいる、という程度になるでしょう。
ただ、とにかくモノを減らすことがミニマリストだという風潮には違和感を覚えてしまいます。元々のミニマリストの定義としては、厳選したモノだけを所有・利用することで、思考の妨げるモノを無くして生きやすくすることだったはずです。
あくまで厳選であって、ゼロにすることではないのですが、修行中の禅僧並みにモノを減らしている人は単純に凄いというか何と言うか、何の修行をしているんだろうと思ってしまいます。
モノを減らすことで思考にかける脳内のリソースを減らすという理屈は、個人的には結構分かりやすいです。
よくあるのが所有する衣服の種類を減らして、常に同じセットの服を着るようにすることで、毎日の服選びに悩む時間や思考を節約し、より他の生産的な行動に生かすことが出来る、というやり方です。
よく持ち上げられるのが、スティーブジョブズがイッセイミヤケのタートルネックシャツを愛用して、いつでもそれを着ることで衣服選びに頭を使わずに、プロダクトに集中していたと言われます。しかし、その服は数着しか持っていないのでもなく、最初に何十着もオーダーして、その後も毎年のように購入していたそうですので、決して「モノの数」そのものを減らしていたわけではありません。
思考を妨げないためにモノを減らすのであって、モノそのものを減らすことに執着してしまうと、手段が目的になってしまうことになります。禅僧並みとは言いましたが、モノを減らす(あるいは断捨離)に執着するなら、それは結局は思考を妨げられてしまっていると言えます。
モノを厳選して思考を妨げられず、自分のやる気を高められるような状態であれば、それはミニマリストと言えるでしょう。それこそ、大量の衣服を所有していても、その服選びでやる気が高まり、インスピレーションも溢れ、仕事にも生かせるのであれば、矛盾するようですがミニマリスト的生き方のはずです。
自分が選ぶことに労力も思考リソースも消費してしまうモノを、種類や数を減らして毎日考えずに生きることがミニマリスト的生き方です。例に挙げた服選びだけではなくて、生きることは選択の連続です。食事することに全く喜びや楽しみを覚えない人にしてみたら、完全食とされるバーやレーションなどだけの味気ない食事であっても十分でしょう。
その一方で、今日は何を食べようか、アレを食べに行こうか、と考えることでやる気がみなぎり、1日を充実して過ごすことが出来るのなら、完全食レーションを食べるのは拷問に近い苦行でしょう。
とはいえ、なんでもかんでも抱え込んで、モノが家や部屋に溢れるようになると、日々の暮らしにおいて思考が選択に妨げられてパフォーマンスが落ちることになります。
最終的には「程度の問題」でありますが、大切なジャンル以外はモノを減らせば、たいていは上手く行くのではないでしょうか。
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