個人的には思想が偏らないように、色々な本や情報を得ようとはしているつもりですが、それでも多分、偏っているところはあるのだと思います。それはそれで仕方がないですし、自分は公平平等不偏不党を体現したような人間だと主張する方が信用できないでしょう。
ロシアによるウクライナ侵攻においても、日本は中立であるべきだとか、ロシアだけではなくウクライナも悪いとか、喧嘩両成敗だとか、日本のロシア制裁や西側寄りの姿勢を批判する人がいます。
日本はそういう意見を公にしても処罰されない時点で、明らかにロシアやあるいは中国・北朝鮮よりもはるかにまともな国のはずですが、それはともかく、ウクライナがロシア系住民を虐殺していたから、あるいはロシアを挑発していたからロシアが軍事侵攻するのは当然、とまで言わんばかりのロシア擁護をする人に対しては、今後結構な色眼鏡を掛けて見てしまいそうな気がします。
ウクライナでのロシアの軍事行動をフェイクニュースだと論じるロシア国営メディアを引用しているのも同じことです。大本営発表をそのまま報じるメディアは信用できないと言うことは、まさに日本人が知っているはずのことなのですけれど、そういう人たちは多分記憶力があまりよろしくないのでしょう。
自分は中立な立場でゼロベースで物事を考えられる、と自負する人は裸の王様のようです。完全にど真ん中の中間にポジションを取って物事を論じているという自信がどこから来るか分かりません。極左や極右など完全に片方に寄りすぎている寄りはマシ、と言えなくもないですが、中立というのは難しいものです。
自分が得ている情報を全て同じくらい信用できる、あるいは信用できないと考えると、そもそも何も判断出来なくなります。
ある事例に関して、一方の考え方とその逆の考え方がある場合、その事例に関する得られる全ての情報を得たとして、質も量も双方同じ情報を得たのなら、その事例に関して判断を下せるでしょうか?
実際は全ての情報を得ることも出来ませんし、質も量も双方同じだけ得ることも出来ません。必ず誰もがどんな時でも情報の取捨選択をしています。その取捨選択の度合いで自分の意見が作られていきます。
情報の取捨選択する前に、得た情報に関して重み付けを行います。全く信用できないフェイクだと判断すればそのウェイトはゼロになります。得た情報の全てに対して、均等にウェイトを載せてしまったら、情報自体が存在しないのと同じです。判断することが出来なくなります。
最初から偏った情報収集はもちろんダメですが、判断するための重み付けは必要、というか必ず誰もが行うものです。その取捨選択・重み付けの根拠としては、その情報のソース、時期、内容、影響を考慮して行われるでしょうけれど、一番影響力があるのは、その人が事前に得ている過去の情報や自分の判断の記憶です。
それにより、徐々に意見が偏っていくことになりますので、その偏りを自分で出来るだけ意識して、あまりにも偏らないようにしていれば、「極〜」とまでは行かないでしょう。
中立の立場に立つ人はもちろん重要で必要です。対立を仲裁するには欠かせません。ただ、その中立の立場というのは非常に難しいことを自覚していないと、どちらからも信用されないでしょう。
自分が「偏った」考えなどなく、中立な意見を言っているという人は、とてつもなく奇跡的な存在であるか、勘違いしているかどちらかである思っておけば、そういう人の「偏った」意見には惑わされないでしょう。
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