食の幅を広げる技術が未来にどんな味をもたらすか

テクノロジーは困難を克服します。かつて日本ではサーモン(鮭ではなく)は一般的に食べられていませんでした。今、日本で「サーモン」として売られているのは、いわゆる「トラウトサーモン」ですが、日本同様海産物をたくさん食べるノルウェーが、30年ほど前に国を挙げて日本に売り込みをかけてきたことがキッカケだそうです。

サーモンに限ったことではありませんが、日本の各家庭の食卓と数千キロメートル以上離れた場所で漁獲された魚介類を、新鮮に食べることが出来るのは冷凍・冷蔵保存の技術が生まれて実用化されているからで、さらには高速な船舶、港からの貨物列車・トラックなどのロジスティクスが発展してきたからこそです。

脂の乗ったサーモンのお寿司を安く食べられるのもそういうテクノロジーのおかげです。というか、サーモンに限らず握り寿司が日本全国どこでも食べられるようになったことがそういうテクノロジーのおかげでした。

さらなるテクノロジーは新しい食習慣も生み出しつつあります。個人的には動物愛護的観点からの人工肉には否定的ですが、環境保護からみた人工肉は将来的には必要になると思っていますが、そういう新しい人工肉も徐々に認知が広がってきました。今いる家畜、動物、魚などの味を再現出来る日も遠くはないでしょう。さらに進んで、存在していない動物の肉を作り出すことだって出来るでしょう。

例えば有史以前にヒトが狩っていたマンモスも、化石からジュラシックパークばりに味だけ復活出来るかも知れません。

もっと技術が進化すると、この世に今も過去も存在していない味の肉を作り出せるでしょう。もっとも人間が美味しく感じる味の人工肉というものもそのうち誰かが作るはずです。

良いことばかり想像すれば良い未来しか思いつきませんが、悪いことを考えればもちろん逆の未来も思いつきます。わざわざ書く気にはなれませんが、禁忌とされる食肉だって、マッドな研究者が考えないとは言い切れないでしょう。

テクノロジーは困難を克服するためのものですが、悪用も容易です。それを防ぐのは倫理とルールですが、人間の欲望と戦って勝てるかどうかが心配です。

新しい食習慣を全て否定してしまうことは簡単です。保守的な意見の持ち主であれば、人工肉はありえないという人もいるでしょうし、あるいは、サーモンの握り寿司なんて昔は無かったからダメだという意見だってあるでしょう。

極端な話をすれば、昔は無かったから食べないということになるとどこまで遡るのかという問題が出てきます。握り寿司はせいぜい200年程度の歴史しかありません。そのうち30年のサーモン寿司を認めないことの正当性はあるでしょうか? 食文化の発展は今あるものをより良くするだけではなく、幅を広げることにもあるはずです。アンパンもイチゴ大福も昔は無かったのです。

ヒト(ホモサピエンス)が肉を食べるようになってから何億年か分かりませんが、人工肉を否定するのも今はともかく未来は変な話になるかも知れません。自然環境の変化により人工肉しか無くなる、SF的未来が訪れたら誰もがそうせざるを得ないのです。

食べられなかったものを技術の発達で食べられるようになったのは、食糧不足の可能性を考えると良いことでしょう。好き嫌いが誰にでもあることは確かであり、食べたくないものは食べなくて良いでしょうけれど、人が食べているものにケチを付けるのは良くありません。マヨコーンハンバーグ軍艦巻きだって別に良いんじゃないですかね。

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