右手が書くのは論理的か?

少し前から自宅ではマウスではなくトラックボールを使用しています。初日に比べるとかなり慣れてきましたが、職場ではこれまで通りマウスを使用してパソコン操作を行なっていますので、休日の自宅でトラックボールに慣れた体が、仕事でまたマウスに慣れた体にリセットされてしまいます。まだトラックボールには100%順応していない状況ですが、それでも感覚的に30%くらいは染み付いてきたような気がしています。

ただ、マウスと異なるトラックボールの特性として、細かくドラッグしたり頻繁にコピーアンドペーストするような操作は向いていないですね。

慣れの問題かも知れませんが、右腕、右手、親指に変に力が入ってしまいます。

そう言えば、左利き用のトラックボールってないですよね。両手用のはありますが。マウスでも左手専用のものは相当に希少ですので、ただでさえ使用者が少ないトラックボール市場ではまあ売れないのでしょう。

人間は右利きの方が多いのですが、右利きの人は左脳をよく使う、左利きは右脳としばしば言われます。

右脳と左脳はどちらか一方を占有的に使うわけではありませんが、左脳は論理・言語を司り、右脳は感情・イメージを司るため、結果的に右利きは論理的で冷静、左利きは創造的で感情的というイメージが出来上がります。実際はもちろんそこまで厳密ではないですし、逆の場合も多いです。

有史以来、人類は片手でペンを持って石板、粘土板、パピルス、羊皮紙、竹簡、木簡そして紙に文字を記してきました。右利きが論理的なら右手のみでペンを使う作業は論理的思考に大きく影響しているはずです。

情報を記録する作業が片手ではなくなったのは、19世紀のタイプライターの発明からです。これにより高速かつ大量の文書を作成することができるようになりましたが、両手を使う点もそれ以前の情報の歴史と大きく変わったところです。

右手が論理、左手が創造をもたらすのであれば、両手打ちのタイプライター、そしてそれに続くコンピュータのキーボードは、論理性も創造性も人類の文化にもたらしたはずです。

そして21世紀に入り、再び人類の情報入力は片手に戻りつつあります。スマートフォンにおけるタップ、スワイプによる文字入力方法です。これにより、右手か左手での文字入力の時代に戻りつつあります。キーボードも並存していますが、スマホで作成される情報は、短く、刹那的で感情に直結している分野に目立って存在しています。

SNSを中心に、スマホで気軽に他人を害するような、感情的な文章が日々大量に生産されています。その全てが左手(=感情的)によるものでもないでしょう。右手のスワイプでも十分に非論理的で感情的な文章は作成できることを、おそらく今の人類は全世界で証明しています。

そしてそれは逆向きに、右利きの人が論理的でもなく、左脳の影響もそれほど大きくなく、感情的な文章の成立原因の多くは、作成デバイスではなく作成して公開するまでの手軽さによるものであることの証明でもあります。

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