転売は資本主義のあるべき姿か、人類社会の敵か

総務省がいわゆる転売ヤー対策に関してのワーキンググループを開催したそうです。消費者庁ではなくなんで総務省?とも思いましたがスマホの転売問題絡みのようです。

https://www.soumu.go.jp/main_content/000818330.pdf

ただ、これって世間一般の人たちが感じる転売ヤーへの不満とは少しズレていると思いました。出荷数・販売数が少ない商品やチケットを様々な手段で買い占めて高額転売する転売行為の方が、社会的には問題視されているのだと私は思っていました。

例えばPlayStation5とかSwitchとか、入荷したそばから買い占め、転売されるようなものや、数が限られる人気のライブやスポーツなどのイベントチケットなんかは、それを楽しみたい人が買えない!ということが問題になっているわけです。

オークションサイトでの自主規制や法律整備により、物品やチケットの高額転売はかなり制限されるようになってきましたので、この辺はある程度は是正されていますが、それでもいわゆる悪質な転売はまだまだ無くなっていません。

その一方で、総務省が取り上げたスマホの転売行為というのは事情が異なります。キャリアショップや家電量販店が、契約目当てで非常に安い価格でスマホを販売して、それがネットや中古ショップで転売・買取されているわけです。これはプレステの転売とは丸っきり仕組みが異なります。

上記リンク先の中身にもあるように、そもそも販売側の廉売が原因であって、さらにそれはキャリア・代理店・ショップの業界構造そのものの問題でもあります。だからこそ総務省が乗り出しているのでしょうけれど、改善すべき点のハードルが高すぎて、そうそうすぐには正常化しないんじゃないでしょうか。

先日発表されたAppleのMacの価格を見るに、この秋に出るiPhone14は高性能化・半導体不足・円安の三重苦によりかなりの高額化が予想されます。買い控える人が増えればキャリアの廉売も過激になって、それがさらに転売を生む構造が加速するのは目に見えています。

こういった転売行為が問題視されるようになると、非難する人と擁護する人が出てきます。非難する人は購入する側、擁護する人は転売する側に立った考えですが、なぜ転売が起きるのかというと需要と供給のバランスが取れていないからであって、そのギャップがある限り転売というアービトラージは当然発生します。

あるいは、ディズニーランドやUSJなど、人気の娯楽施設が値上げするとやっぱり非難する人が出てきます。行列が出来るほどの人気があるということは、これもまた需給ギャップが大きいということなので、値上げにより売上利益の最大化を図るのは営利企業としては100%正しい在り方ですが、値上げやあるいはファストパスの導入をすると、金の亡者的な批判がなされます。

そもそも商売というのはそのギャップがあるから存在します。安い物、たくさんある物をその場所・時点から空間や時間を経過して別の場所・時点に移動させることで、需給ギャップを埋めて差額を利益として得られるのが商行為そのものです。

資本主義の理屈を守るべきだと考える人は転売行為は当然のものだと考えることになるのですが、その一方で転売行為によって需給ギャップは埋められても、転売(商行為)が過熱化すると商品・サービスのブランド・イメージが毀損されて、長期的に見ると生産者も消費者も得をしないので、行き過ぎた転売行為は規制するべきだ、という考えが出てきます。

むしろ行き過ぎた資本主義に対する批判と考えても良いでしょう。まさにそれは岸田政権や、あるいは中国の習政権の掲げる資本主義批判にも通じます。何を人類・社会の基盤に置くかによって資本主義への態度が変わります。資本主義社会において社会が高度に発展できたのだから最優先で維持すべきと考えれば転売ヤー擁護になりますし、資本主義よりも大切なものがあり資本イコール権力ではないと考えれば転売ヤー非難となります。

物理的な力、暴力で全てを決する弱肉強食的な考えを現代社会の基盤と考える人はいないでしょう。それではいけないと考える人が多いからこそ、法治国家が成立しています。それと同じように金の力、資力で全てを決するのもダメだ、ということなら転売への規制も已むなしということになります。

思想信条の問題なので、これは対立している両者は合意し得ないでしょう。その時々の社会における多数派や、あるいは政治体制、権力構造によってどちらが優勢になるかが決まります。大まかに言えば、アメリカでは資本主義よりの理屈が通りやすいでしょうし、EUでは規制側が強いかも知れません。日本や韓国、中国などアジア地域や権威主義の強いところでは権力に近い勢力に有利な方向に決まるでしょう。

転売と商売は本当に紙一重で、今後も、こういった規制と緩和が行ったり来たりしながら法治国家における資本主義は存在し続けるのは間違いありません。

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