とかく、過去は美化されるものです。
よくあるのが、
「昔は良かった」
だの、
「以前はこんなひどくなかった」
だの、過去と比べて今が悪いという話をしてしまうものです。
いわゆるオジさん的思考回路(もしくはお爺さん的思考回路)によるものと思われますが、これは自分でもやってしまうので自戒を込めてのnoteです。
実際に昔を体験していた人にとっては、その昔の事柄の中でも、自分に関わりがあったことや強く関心があったことはハッキリと記憶に残っていますが、自分が間接的に関わった、かつあまり興味のなかった物事というのは、曖昧なはずです。
さらに言うと、ハッキリ覚えているはずの物事であっても、人間の記憶というモノはあまり信用出来るものでもなく、自分の都合が良いように記憶は書き換えられていきます。
記憶なんて好い加減なもので、当事者ほど冷静さも客観視も欠くものです。
記憶というのはエビングハウス忘却曲線にあるように、繰り返し思い出せば記憶は定着します。その逆で言うと、自分の都合が良い過去を折に触れて思い出しているから、その記憶が定着していきます。
過去を思い出したときに、良かったこと・楽しかったこと・面白かったこと・興味深かったことを、「新しく」記憶に書き換えるのです。
これは個人レベルでも起こるものですし、集団でも起きます。集団レベルによるものが歴史的に言えば、「伝説」や「神話」と言われるエピソードです。
そして、この伝説・神話の特徴としては、より新しく創り出されたお話が、より古い時代に差し込まれていくことです。具体的に言うと、例えば2000年前の時代に関する伝説・神話があったとして、現代人が自らの権威付けや箔付けのために新しいエピソードを創り出しても、2000年前付近にあったお話とは出来ません。既に他の伝説で詰まっていますから。
もちろん、2000年前以降についても同様で、そうなるとそれよりももっと古い時代に、今新しく作ったエピソードを伝説として入れるしかないのです。
こうして、古い時代に逸話ほど新しく作られているはず、という解釈が成り立ちます。
もっと分かりやすく例えれば、地下鉄は新しく作った路線ほど、より深い地下に作るしかないのと似ているでしょうか。浅い地下にはより古い時代に作られた地下鉄がありますから、もっと深い地点に作らないといけなくなるのです。
ともかく、過去の美化はより古い時代ほど極端になってくるものです。新しいエピソードが、より昔の出来事に関して書き換えられていくのです。
オッサンやジジイが、
「昔は良かった」
とグチグチ言うだけなら放置しておけば良いのですが、それに留まらず、過去に関して新しく美化された「歴史」を真に受けて現実の政策なり教育なりに利用されるとしたら大変です。
だからこそ、過去の話は眉唾もので、半分割り引いて聞くべきでしょう。そもそも聞かなくても良いとは思いますけどね。
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