地方の諦め

仕事でとある地方、それもかなりの田舎というか結構なところの人たちと関わることが何年もあったのですが、そこで感じたことがあります。

あくまで一部の人に限る話ですが、自己肯定感や向上心、今の環境を変えられる努力というものをかなり過小評価しているのではないか、ということです。

なんというか、言葉を選ぶ必要はありますが、

勉強なんていらない
どうせやれることは限られている
食っていけたらそれでいい

といった感じに、自分で自分の(あるいは自分たちで自分たちの)上限を決めてしまっているように思います。

もちろん、全てがそういう人でもないですし、むしろ今でも東京や各地方の中心都市への流入は増え続け、過密と過疎の問題は続いています。あくまで、地方にいる人の一部がそういう考えの人もいる、ということです。

別に都会に出てこなくても良いというのは正しいと思いますけれど、それを自分だけに留めず、下の年代にも影響させてしまうとちょっとなあ、と思ってしまいます。

思えば、戦後から高度経済成長期にかけて地方から都市への大量の人口移動があって地方は置いてけぼりにされ、裏日本の発展を掲げた列島改造計画によって踊らされ、バブル景気では恩恵を受けるも崩壊後に公共事業削減で景気が悪くなり、さらに失われた30年でさらに格差は拡大しました。

もしかしたら諦めが先に立っているのかも知れませんが、そんな中でも野心のある人は都会に出てきて一旗揚げようとします。ミクロ的にはそれが正解なのでしょうけれど、マクロ的には結局野心と能力のある人が地方から都市に流出し続けることに変わりありません。

そうではなくて、地方にいて野心と能力を存分に発揮できる環境があってしかるべきだと思うのですが、中央の偉い人が考えるだけではなくて、地方の人もそれに呼応できるかどうかが重要なのかなあと思ったりしています。

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