週刊誌は政治家や大企業の不正腐敗を暴く一方で、芸能人やスポーツ選手などのスキャンダルでも部数や売上を稼いでいます。
スキャンダル絡みでは人権を侵害、無視することが非難されることも多くあって、週刊誌に対する批判は常に存在します。その一方で、記者クラブに縛られて忖度のない報道が出来ない新聞社・テレビ局には出来ない政治批判が出来る週刊誌は、そのことをもって存在価値を認める人もたくさんいます。
なんとも二律背反的なマスメディアであるわけですが、
・良い報道をしているのだからそのための資金源たる芸能スキャンダルは許容しろ
・良い報道をしたとしても人権侵害して稼ぐことは許されない
という二つの論点で、週刊誌の存在を認める認めないに分かれます。
ちなみに、ゴシップ好きの人は芸能スキャンダルで楽しめるので人権やら政治問題とか関係なしに週刊誌支持でしょうから、この際は省いて考えます。
個人的には先の二つの論点では後者の方かなあと思います。政治家・大企業の不正・不祥事を場合によっては報じないことも多い新聞・テレビにはもちろん問題があります。しかしだからといって、その追及のために政治家・大企業の不正と無関係の人間の人権を侵害することが必要だという理屈はおかしいでしょう。
社会にとって良いことをしているので、小さな悪いことは見逃されるべきだ、というかも知れませんが、それこそまさに批判対象である政治家や大企業が悪事をやらかす理屈です。社会にとって必要な存在だからそのための些細な悪事にこだわるなというのは、田中角栄のロッキード事件以降、多くの角栄ファンが言ってきましたし、その後の政治スキャンダルでも言われ続けている論法です。
ミイラ取りがミイラになるというか、目くそ鼻くそを笑うというか、政治家の悪事を暴くために自らが悪事を犯していては元も子もありません。
社会システムの維持のために犠牲が必要と言う理屈もあり得ますが、その犠牲はスキャンダルによって人権侵害される個人である必要はないでしょう。週刊誌や新聞社やテレビ局といったマスメディアが犠牲になっても良いんじゃないですかね。
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