「自分で考えなさい」
私たちは幼い頃から、この言葉を何度となく耳にしてきました。家庭、学校あるいは職場など、多くの状況でいつも言われるような言葉です。いつの時代も若者は、自分で考えないとか、マニュアル人間だとかいったレッテルを貼られて、そのついでにこの言葉を言われてきたものです。この言葉は、大げさに言えば、「自律した人間」になるための重要な教えとして、私たちの価値観の形成に大きな影響を与えてきました。
しかし、生成AI時代の到来により、この「自分で考える」という行為自体の価値が、大きく変容しようとしています。
今までnoteに書いた文章に、何度か、
テクノロジーは困難を解決するためにある
と書いてきました。それは生成AIにも同様に適用されるものではありますが、「考えること」を「困難」と見なすのは、これまでの常識からの考えると難しいように思われます。
とはいえ、これまでの人類は既に、様々なものを自分自身が行うのではなく、機械(コンピュータ)に任せてきました。
移動は自動車や電車に。
計算は電卓に。
筆記はワープロに。
記憶はコンピュータに。
情報検索は検索エンジンに。
道案内はカーナビに。
これらのテクノロジーと同じように、
思考は生成AIに。
という時代が始まりました。
ここで重要かつ注意が必要なのは、生成AIを効果的に活用できる人とできない人の違いです。
これまで自分で考えて行動に移してきた人にとっては、思考の一部を生成AIに委ねることに抵抗感があるでしょう。
それは「自分で考える」という子どもの頃から根付いてきた習慣が、むしろ足かせになっているからです。既にそれなりに成功したポジションにいたり、それに近付いている人ならなおさら、「自分で考える」ことが当たり前だと思っているでしょう。
完璧な答えを自分の中で完結させようとする。
細部まで考え抜こうとする。
安易に他人を頼らない。
これらの特性は、従来では大きな強みでした。しかし、これからの生成AI時代には必ずしもそうとは限りません。
対照的に、生成AIをうまく使いこなしている人々には、逆に「適度に委ねる力」を持っているはずです。
完璧を求めすぎない。
細部にこだわりすぎない。
AIの出力を受け入れ、それを土台に発展させていく。
これは決して「考えることを放棄する」ということではありません。むしろ、「どこまで委ねるか」という新しい形の思考が求められています。
重要なのは、「考えない」ことではなく、「何を考えるか」を考えることです。
生成AIに委ねられる思考と、人間にしかできない思考を見極めること。
そして、その両者を効果的に組み合わせていく能力こそが、これからの時代に最も求められるものです。
コメントを残す