安倍内閣の非独裁的要素と非脆弱性

桜を見る会の公費問題で色々騒がれていますが、事の真偽や問題の重要性は一旦別に置いて考えると、安倍晋三を何がなんでも支持して味方になる人というのはそれほど多くないのかもしれません。というのは、こういった「桜を見る会」に招待する事で支持層の支持固めをしなければならない状態であるとも言えるからです。

野党や反安倍層の主張するような、独裁的、独善的でヒトラーにも擬せられる程の権力を掌握しているのであれば、地方の支持者を招待して一緒に桜を見るようなパフォーマンスなどしなくても、好き勝手やり放題できるはずです。しかし現実はそうではありません。総理大臣や数々の著名人と会えるという売り文句で支持者に媚を打って機嫌を取らないとと権力を維持できないのであれば、とてもじゃありませんが独裁者とは言えないでしょう。

これは昨年、西日本豪雨の被害が出る直前に自派閥の飲み会に出席して赤ら顔で写真撮影に応じていたのが批判された時にも思った事です。安倍内閣が続いている原因は色々ありますが、その中にこういった自派閥、支持層への心配りによるところもあるのだと思います。

そもそも現代国家の独裁者というのは、神聖性を持っているわけではなく、軍事力の掌握と経済力の分配によって成り立ちます。習近平でもプーチンでも金正恩でも、権力維持は同じ方法です。軍事力、この場合は警察権力も含みますので強制的な暴力装置と言った方がいいでしょうけれど、反対派はそれによって押さえ込みます。そして経済力の分配によって支持層をなだめ、自らの味方につく事のメリットを思い知らせます。

日本は民主主義国家であり、国家権力の最高機関として国会とそこで選出される内閣が存在します。議院内閣制の国家制度をフランス流の三権分立と比するのは難しいところがありますが、議院内閣制である以上、内閣が国会に気を使う部分はありますし、国会(ここでは与党)が内閣に利益分配を求めるケースは当然出てきます。内閣は日常的国家権力では最高位に位置しますが、数年に一度の国政選挙によって容易に覆しえます。内閣が国会を経由しての権力掌握になるため、首相は直接選挙で選ばれるわけではありません。直接選挙で選ばれる他国の大統領ほどは権力の正統性を持たないことになります。あくまで有権者の支持を得て当選した国会議員の支持が必要になります。

だからこそ、安倍総理が桜を見る会や自派閥の飲み会出席などで気を使って、議員や党員の支持を固める必要があるわけです。そう考えてみると、象徴的な大統領制のドイツなども含めて、議院内閣制が正常に機能している国家では独裁者というのは存在できないでしょう。ドイツのメルケル首相も類稀な手綱捌きで十数年に渡り連立内閣を組み換え組み換え、権力を維持してきました。メルケル政権の権力も連邦議会において過半数を占める政党を連立させる事で成立してきました。日本では民主党から与党奪回以降、ずっと自民党と公明党の連立によって議員支持を固めることで長期政権を続けることができています。

今回の「桜を見る会」は安倍総理自身が次回は行わないことを認めました。真摯に反省しているところもあるのかもしれませんが、それ以上に次回の「桜を見る会」を開いたところで出席してくれる支持層がいない、メリットがあると思われなくなったということが大きいのではないでしょうか。

そう考えると、この問題で批判を強める野党陣営も攻撃の仕方が下手なように思えてきます。与野党の暗黙の了解がある台本通りのプロレスであればしょうがないですが、本気で安倍内閣を打倒するのであれば安倍総理本人をいくら叩いてもあまり効果はありません。支持層の国会議員・地方議員の方を叩いた方が遥かに痛手を与えるはずですが、どうなんでしょうね。

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