自然を管理するという不自然がもたらす胡散臭さ

植物は栄養・水・太陽があれば勝手に成長していきます。ほどほどの大きさにとどめようとすると当然ながら人間が管理する必要があります。

例えば街路樹は道にはみ出たり電線を覆ったりしないように定期的に刈る必要があります。庭に芝生を植えている人も芝刈り機で手入れするでしょう。生え放題にする人はいないはずです。

あるいは日本庭園やイングリッシュガーデンにしたって、専門知識を持った管理人が日々、丹念に管理することで美しさを維持できます。

もっと大きな環境で言うと、森林も人間が間伐や下草の処理をきちんと行わないと木々の生長を妨げてしまい、結果として森や山の維持が出来なくなってしまいます。

それらは全て、最終的には人のために行う管理です。あくまで森や木々、植生などがそのまま存在し続けるための管理なのですが、果たしてそうやって人間が管理した自然環境は、「自然」と言えるのでしょうか?

別にこういった森林管理などを批判するつもりはありません。むしろこういった管理がなされないと人間社会は成り立たなくなってしまいます。人類にとっては欠かせないものです。

ただ、この自然環境の管理はどこまですべきでしょうか? 単純な東洋・西洋論を持ち出せば、西洋的思想から言えば人類が植物を完全にコントロールする方向に進みそうですが、東洋的思想、特に中国の道教のような考えですと、そもそも人間が自然に干渉すること自体を否定して、ただ自然があるがままに存在するように管理せず、何か災害が起きても受け入れるような考えになりそうです。

完全に管理するか完全に放置するか、両極端な考えとなってしまいましたが、現状はその中間に存在しますし、多分、理想もその中間にあるのでしょう。ほどほどに管理するのがコスト的にも無理がないはずです。

環境保護は大切ですが、それはあくまで究極的には人類のためのものです。人類が全てをコントロールするのは無理がありますし、人間がいようがいまいが自然は生まれて消えていき、また生まれてきます。

環境保護活動に胡散臭さを感じている人は、「地球のため」とか「自然のため」という言葉が引っかかっているような気がします。

環境保護は「人類」のため、はっきり言えば「自分」のためのものです。

46億年前に地球が誕生して、海が出来て原始生物が生まれ、植物や動物が少しずつ増えていき、絶滅したり新種が現れたり進化したり退化したりした結果、今の地球が出来上がっています。この地球に強い影響を人類が及ぼしていますが、地球で生まれた人類が地球を破壊したところで困るのは地球だけです。もちろんそのあおりで滅ぶ動植物にとってはたまったものではありませんが、人類がいなくてもいずれは滅びますし、50億年くらいしたら地球は巨大化した太陽に飲み込まれて消滅します。宇宙から見たら地球の人類が「環境保護」を謳ったところで大した影響力はありません。

人類が人類のために環境保護をするというお題目を掲げ、これまでの虚飾も建前も取り去って議論していくべきではないでしょうか。

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