監視社会を逆手に取ってみる

時々、自宅の前に椅子を置いて道行く人や車をずっと眺めているようなお年寄りがいますよね。

個人的にはなんでそんなことしてんのかなと思っていましたが、ふと、それってYouTubeとかでどこかの街頭カメラの映像を見ているのと似ているのじゃないかと感じました。

ただ、全く同じではなくて違いは非対称性ですかね。

前者では自分が見ている他人から自分の様子も見られますが、後者では一方的にネット経由で見ている人と見られる人がはっきり分かれます。まあ、眺めている側の人にとっては見られていることを気にしていないか、気付いていないかどちらかなのかも知れませんが。

さて、現代社会ではあらゆるところに監視カメラが設置されるようになりました。監視社会の到来として嘆く声ももちろん分かりますが、いっそのこと監視カメラ映像は原則的に公開しないといけない、ということにしてみればどうでしょうか?

少なくともこれで情報の非対称性は無くなります。自分が見られる可能性があるカメラも自分で確かめることが出来れば、監視カメラ映像を利己的に使う組織の悪意を防ぐことにもなるはずです。

プライバシーの配慮が必要な場所を映しているカメラも当然ながらありますが、そのようなカメラの方を何らかの規制か許可を設ければいいのではないかと思います。

監視社会の問題は監視する側と監視される側が分かれて、そのパワーバランスが大きく前者に片寄っているところにもあります。

原則、カメラは公開されて、いつでも誰でも容易に見ることが出来ることにすれば、監視カメラの映像を握っているメリットが無くなります。

もちろん、監視カメラの過多や監視社会の問題点はこれだけで解消されるわけではありません。しかし、そもそも誰かから見られているかも知れない、というのは悪いことばかりではありません。

特に日本人のような性格であれば、悪事への抑止力にはなるでしょう。それが息苦しい社会と感じるのか、公正な社会と感じるのかは人それぞれです。今のSNSでの炎上騒ぎなどを勘案すると、おおらかな社会ではなくなってしまうかも知れません。

以前、別のnoteにも書きましたが、

https://hrsgmb.com/n/n9e021266f5e7

かつて楊震の部下だった者がいました。楊震もその部下も出世してまた会うことになった際に、その部下だった者がお礼として人目を忍んで金品を持ってきたところ、楊震は拒絶します。その部下は、
「私が会いに来たことは誰も知りませんし、こんな夜中に誰も見ていませんからどうぞお受け取りください」
と言いましたが、楊震は
「天知る、地知る、我知る、汝知る。なんで誰も知らないと言えようか」
と言って改めてきっぱりと断りました。

そもそも何かするときには誰かに見られているのです。誰にも恥じないことであれば堂々としていればいいだけの話です。

将来的に政府が市民に牙をむいたとしても、反政府勢力にとって公開されている監視カメラ映像は利用価値があるはずです。

ピンチはチャンスだし、苦境は糧になるし、欠点は長所に出来ます。止められないテクノロジーを批判するのではなく、それを逆手にとって何が出来るか、ということにリソースを注ぐ方が建設的だし、未来につながるでしょう。

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