夏の暑い盛りは過ぎ去ったが、しばらく歩くと、じっとりと汗が出て来るような夜だった。私は一人、夏祭りの喧騒の中にいた。景気の悪さのためか、規模も音も小さくなって数も減った花火が上がっていた。昨日、私は二十年勤めた会社をリストラされた。入社して以来、さしたる実績も功績も残していない者が、この大不況のあおりを食らって解雇されるのは、今の世の中ではそう珍しくもないだろう。
あてどもなく近所の祭りを見に来たが、自分と家族の行く末を悩みながら歩いていた。気が付くと、花火の音も人々の話し声も聞こえなくなった。周りを見回してみると、いつの間にか屋台が連なった通りを抜けて、知らない場所に立っていた。
別に道に迷った事を焦ったりはしなかった。一本道にいたので、どちらかに歩き続ければ知った場所に出るだろう、と思っていた。しかし、近所に全く知らない場所があったことに興味を抱いた私は、しばらく道の両側に注意を払いながら歩いた。すぐに、一軒の小さな屋台を見つけた。
薄暗い街灯の下でその屋台は、オレンジ色の電球一個を灯して店を開いていた。屋台の上部に看板があり、そこには「不発屋」と言う文字が書かれていた。私と屋台を挟んだ向こうに一人の男がいた。私よりも年上に見えた、年寄りと言ってもいいくらいだが、顔つきは精悍だった。
屋台に近寄った私と目が合った男は、いらっしゃい、と低くしわがれた声を発した。周囲の状況と屋台の雰囲気に不思議な魅力を感じていた私は、屋台の陳列棚に見入った。何せ、置いてあるものが雑多に過ぎる。食べ物もある、衣服もある。機械の部品らしきものもある。一体何を売っているのかと思い、さっき目にした看板のこともあって、店主に尋ねてみた。
「あのー、この屋台って、何を売ってるんですか?」
「何って、あんた上の看板見ただろう。その通りだよ」
「『不発屋』ってやつですよね。でも、どういう品なんですか、これ」
「どういうも何も、不発の物ばっかだよ。金物屋が売るのは金物だろ。たこ焼き屋が売るのはたこ焼きだろ。不発屋が売るのは不発物に決まってんじゃねえか。寝ぼけてんのか、お客さん」
まくしたてられた私は一瞬ひるんだが、気を取り直して男をよく見てみた。老店主は節くれ立った手を組んで、陳列棚の後ろに座っていた。何かの職人のような格好をしていたが、暗くてよく分からなかった。
私は、一番手前にある大根を手に取ろうとした。見た目は普通の大根だ。
「待てぃ!」
男に大きな声で動きを止められた。男の太い腕が目の前に伸びた。何か、かすかに鼻を突く臭いがした。
「駄目だよ、あんた。うかつに商品に触っちゃ、危ない危ない」
「え、えーと、でもどんなものかよく見ないと……」
「見るだけならいくら見てもらっても構わねえ。だがはずみで爆発するといけねえから、触ってもらっちゃ困る」
まだ爆発する可能性があるから「不発」と名乗るのは分かるが、そんな物を露天で広げて売っているのが気が知れない。物騒だそれ以前に、大根が爆発するのか?
「だ、だ、大根が爆発するんですか? そのほかにもここに置いてあるもの全てがもしかして……」
「ああ、そうだ。みんな爆発の危険があるよ。買ってくれたら厳重に包装して手渡すが、それまでは俺以外の人間は触れちゃいけねえんだ」
触れてはいけない理由は分かったような気がしたが、それ以前の根本的な疑問がはっきりと残っている。
「あの、それは分かったんですけど、この『不発物』って、何のためにと言うか、何に使うんですか?」
「ああ、あんたこの店初めてらしいな。まあ、そう何度も来る人間なんて滅多にいねえしな。ところであんた、今、人生で行き詰まっているんだろう」
「えっ、どういうことですか?」
ズバリ言い当てられたが、一体この人は何者なのだろう。歩いて出た背中の汗はすでに乾いていたが、また汗がにじみ出てきた。
「あのな、この店はな、そういう苦しんでいる人のみを客とするんだ。ただし、苦しんでいると言っても、すでに成功を成し遂げた後に困難に直面している人は別だ。俺らは、あんたのようにこれまでの人生の中でこれといった達成感を感じていない人間を相手にする。今まで『不発』だった人間に必要な品物を売るんだ。それがこれだ」
男は、目の前に陳列されている品々に目をやり、言葉を続けた。
「それでな、これらの『不発物』を持っていると、ある時、いつとは言えねえが、爆発する」
やっぱり物騒だ。それに自分の人生を「不発」だと言われて不快に感じない奴はいない。たとえ図星だとしても。さっさと帰ろうと思ったが、構わず話し続ける老店主の言葉に引き込まれた。
「これが爆発すると、それを持っていた人もその後すぐに成功する。どれくらいの成功かは、その品物による。爆発すると当然飛び散るから、何か覆いをしておかなきゃ危ないがな」
何か不思議というか、不合理というか、変な事を言い始めた。それ以前に屋台全体が変なのだが。男が正気なのかどうか確かめようと、私は男の眼を見つめた。深いシワが刻まれた顔の中で、大きな目が光っていた。正気かどうかはよく分からなかった。
「相当疑ってるな。まあ仕方がない。御守りだと思って買ってみなよ。月並みな言い方だが、騙されたと思ってさ」
爆発する御守りなんてと思ったが、陳列棚をよく見てみると、安い品ならコーヒー一杯分くらいの物もある。男の言うとおり、騙されたと思って買ってみることにした。私は、棚の右の方にあった、小さなプラスチックの容器に入った紫色の物体を選んだ。
「えーと、それじゃあ、その『不発ゼリー』っていうのをもらえますか」
「何だ、一番安い奴じゃねえか」
そう言いながらも男は、手元でゴソゴソと梱包して手渡してくれた。手に持った感じから木箱に入っているようだ。
「爆発っつったって、怪我するようなことはまず無いから安心しな。ちゃんと扱えばの話だがな」
「結局これ、どうしておけばいいんですか?」
「ああ、起爆装置はそのビニールの上蓋だから、それを外さないといつまで経っても不発のままだぜ。まあそいつは爆発力が大したことねえから、机に置いて上から湯飲みでもかぶせておけば大丈夫さ。こいつだったら大変だがなあ」
男は、十四型のテレビに手を掛けながら笑って言う。あんな物が爆発したら厄介というか事故になるんじゃないのかなあ。ちなみにそのテレビに付いてた値札には、新品の同型テレビと大して差のない値段が書かれてあった。本当に買う人がいるんだろうか。
「あの……、ここに置いてあるもの全て爆発するんですよね」
「ああ、そうだよ」
「そのテレビも?」
「ああ」
「そのビールの缶や、乾電池も?」
「そう」
「そこにあるのは……、ノートパソコンですね。それも?」
「みんな今『不発』なだけさ。このサンダルも、デンデン太鼓も、五月人形も、いずれ爆発する。品物の種類は、成功の度合いに関係ない。値段によるだけだ」
「はあ、そうなんですか……。あっ、ところでさっき、『俺ら』と言ってましたけど、他にもこういう屋台があるんですか?」
「あるよ。特に最近は苦しんでるお客さんも多いからなあ。店も増えとる。少しでも世の中のためになれば良いんだがね」
老人は苦笑しながら俯いた。私には、彼も疲れているように見えた。
「もうそろそろ店じまいするから、あんたも帰りな。遅かったら家族も心配するだろ」
男の声で初めて私は腕時計を見た。もうかなり遅い時刻になっていた。私は慌てて帰ることにした。背中の汗はとっくに引いていた。
「それじゃあ、帰りますけど、あのう、ここってどこなんでしょうか? 知らないうちにこの道にいたもんで……」
「元いた祭りの所に戻るんなら、この後ろの林を全速力で駆け抜けな。それだけが唯一の方法だ」
男は、左手の親指を立てて自分の後ろの真っ暗な林を指さした。
「その木箱は走って揺れても大丈夫だから安心しな」
それからこちらには目も向けず、屋台を畳み始めていた。早く帰りたかったので、男の言葉に疑問を持つ暇はなかった、立ち去る前に聞きたかったことを聞いてみた。
「あの……、あなたは何者なんです?」
「俺か。俺はただの、と言うより元、花火職人だよ」
男は、そう言ったきり口をつぐんで、片付けを再開した。私は男への挨拶もそこそこに、林に入っていった。
林の中は暗く、ひんやりしていた。入ってすぐ私は、思いっきり走り始めた。全力で走ることなど何年ぶりか分からないが、初めのうちは体が動いた。五分ほど経って息が続かなくなり、足が止まりそうになったとき、前方の林の隙間には、もう新たな木々の影はなくなっていた。
私は、祭りの屋台の並んだ通りに出た。大半の屋台は店を閉めており、残りも片付け中ばかりだった。歩く人影も見当たらなかった。
自宅に帰り着いて、木箱を開けた。白い発泡スチロールの詰め物の中に、容器に入ったゼリーがあった。上蓋をはがし、そっと机の片隅に置き、上から湯飲みをかぶせた。
とにかく、変な夜だった。今が夢か現かよく分からなくなっていた私は、家族に何も言わず早々に寝た。
翌朝早くに目が覚めた私は、自分の書斎の机に湯飲みと木箱を見た。
(昨夜の出来事はやっぱり現実だったのか)
ゼリーがどうなっているのか気になったので、かぶせておいた湯飲みを、手を伸ばして恐る恐る外してみた。ゼリーに変化はなかった。頭がだんだん覚醒してくると、普通の食用ゼリーで騙されたんじゃないかと思い始めたが、しっかりした木箱の費用を考えると、別に相手が丸儲けになるような商売ではないので、その思いは捨てた。第一、ゼリー自体が不気味である。色は濃い紫色で、匂いはしない。普通のゼリーのような、色が付いていてもある透明感というものが全くない。中が何かで詰まっているように見えた。触ってみたかったが、これが爆発するものだと信じるのであれば矛盾した行動だ。「元」とはいえ、花火職人の肩書きは怖すぎる。あの「不発物」の品々、みんなあの人が作ったのかも知れないし。
色々と考えているうちに、家族が起き出したようだ。この事を知られても、昨夜酔っぱらっていたのか、今まだ寝ぼけているのか、のどちらかに思われるだけだろう。私はゼリーについて何も言わず、朝食をとって仕事探しに出かけた。この不況下では、すぐには再就職が決まるはずもなく、そのまま数日が過ぎた。私は毎日、朝晩に書斎の湯飲みを開けてゼリーを確かめた。だが、何の変化もなかった。やはり騙されたのかなと思い始めた、夏も終わりに近づいたある日、自宅に帰った私は、以前勤めていた会社の上司から電話があったことを妻から聞いた。すぐに折り返し連絡を取ると、私が退職直前にした大企業との交渉が急転直下まとまり、その立役者として私の功績が評価されたそうだ。そこで会社の方針が急転回して、私に戻ってきて欲しいとのことだった。思わぬ幸運に一も二もなく承諾した私は、家族と喜びを分かち合った。
晩酌を済ませて書斎に入った私は、翌日の出勤の準備をしようとしたとき、横になって倒れている湯飲みを見つけた。
その瞬間、あの日の夜の事を思い出した。私の眼はゼリーがあった部分に吸い込まれた。見ると、果たして、ゼリーは飛び散っていた。紫色の物体は、容器にも少し残っていたが、大半が湯飲みの内側に付着していた。私は腰が引けながらも、ゼリーに触れてみた。本来、半個体だったはずの物体は、すでに固くなっていた。もっとも、容器に入っていたときに触れたわけではないので、本当にゼリー状だったのかどうかは分からないが。
(結局、これの爆発と私の復帰と、関係はあるのだろうか。同じ日にぴったり起こったのだから、おそらくそうなんだろうな)
この事の仕組みを聞きたかったし、感謝の気持ちを伝えたかったので、あの老人にもう一度会いたくなった。丁度その日は、少し離れたY市で夏祭りがあることを思い出し、ひょっとしたらそこに屋台を出しているかも知れないと考えた私は、すぐさま家を飛び出した。電車で着いたとき、祭りは最も盛況な時だった。
必死で探し回ったが見つからない。あの時と同じように、人気のない道や、林の中までも歩いてみたが、あの屋台もあの男も見当たらなかった。もちろんこの祭りに店を出している保証などどこにもないのだから、見つからなくて当然とも言えた。
私は、探し疲れて路傍に腰を掛けた。気が付くと、花火が上がっていた。周りの人々から歓声が上がった。少し、大きな花火だった。
ふと、背後に気配を感じた。振り返ると、例の老人が立っていた。会いたい人物に突然出くわしたので驚いた。
男は、どっこいしょ、と言いながら私の傍らに腰を下ろした。そして、眼をパチクリさせながら私をしげしげと眺めた。
「おお、あんた。こないだの客じゃねえか。どうやら上手くいったようだな」
またも当てられた。私は戸惑いながらも経緯を説明した。老人はうんうんと頷きながら話を聞いていた。
「あのゼリーだったらそんなもんだろうな。まあ、あまり高望みもどうかと思うから、あんたの場合はそれで良いだろう。人には分相応ってもんがある。大成功は大失敗に最も近いからな」
相変わらず、達観したような口調だった。とにかく私は世話になったお礼を、と申し出たが、男はすでに代金はもらっている、それ以上はもらわねえ、と断固拒否した。頑固さではとうてい叶わないと思ったので、代わりに一連の事情や仕組みを教えて欲しいと願った。だが、老人は静かに首を横に振った。
「そいつは駄目だ。手品でも催眠術でもねえが、結局のところ、何も知らない方が幸せだよ。悪いけどタネは言えねえ。そんな事よりも、これからの事を考えな。家族もいるんなら今度こそしっかりしなよ。俺が言えるのはそれくらいだ」
男の話は終わったが、しばらくここに座っているようなので、私の方が先に立った。丁重に礼を言って別れ、帰り道に向かった。もう、花火は止んでいた。
私の生活は通常に戻った。いや、昇進して以前よりむしろ、生活は良くなった。私は折に触れてあの老人の事、不発屋の事を思い出す。あの人、かなり疲れているように見えたな。大半の伝統職人と同じように、跡継ぎもいないんだろう。それはそうだろうな。今の日本に、他人の成功を導く物を作ろうとする人間なんて、まず見つからないだろうし……。
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