自助・共助・公助の割合の歴史的変遷

菅政権が掲げたスローガンの一つ、「自助・共助・公助」は様々な反響を呼びました。保守よりの人らは自分のことは自分でするのが当然だと肯定し、リベラル寄りの人らは政府としての役割を放棄する暴言だと非難しました。

自助・共助・公助のそのものを字面だけ追えば言っていることは至極まともであって、出来る限りは自分で自分の身を助け、それが出来ない部分を共同体で助け合い、さらに公的には全体的なサポートを行うというものです。

スマイルズの自助論、日本では西国立志伝とも訳されましたが、自分のことは自分でやって頑張りましょう、というのが近代的な思想の根本でもあり、プロテスタンティズム的な思想でもあります。とはいっても、もともと中世は日本だろうと西洋だろうと自力救済の社会でしたが、最終的には神(仏)にお任せ、という考えでは無くなったことが大きいです。

さて、共助の方はそれこそ昔から存在するもので、支配被支配の関係性が国家や政府よりも薄い、平等に近い共同体は人間社会の原始からずっと続いてきました。ただ、これも一方的に助けてもらうのではなく、あくまで助け合うことが大前提で、近世から近代を経て現代においても講や町内会や新興宗教といった形で存在します。

最後の公助は支配層が継続的に行わないものを入れればこれも昔からありますが、気まぐれや統治における問題に対する対処療法を除けば規定されたものではありませんでした。政府・国家が行わないといけないとされたのは近代国家成立以後ですし、手厚くなったのは20世紀後半です。「ゆりかごから墓場まで」との言葉に代表される社会主義的政策は、共産主義国家圏だけではなく西側諸国でもほとんどの国で充実してきました。

フーコーの死権力から生権力への移行という考えにあるように、現代国家は国民が生きて行動して納税して経済を回させるような権力となっています。だからこそ政府は公助を充実させてきましたが、少子高齢化が進む日本では公助の限界が明らかに見えてきました。

だからこそ公助で全てをカバーするのではなく、自助と共助も首相が口にせざるを得なくなったのでしょう。しかし、公助が減って享受出来るものが減った国民は、政府を支持するインセンティブが無くなります。自助で成り立つグループと、見捨てられたグループの間に分断が生まれます。

今は多くの国で国民間の分断が問題視されていますが、このような分断は先進国特有の現象かも知れません。

正確に言うと、人口減少し始めて少子高齢化が進む国、人口減少を移民で補ったために在来の国民と移民との間で溝がある国です。後者の国では公助に対して移民がフリーライドしているという反発が目立ちます。

とはいっても、移民に頼らず人口が増加傾向にある国でも分断はあります。

インドネシアの急速なイスラム主義化や、ナイジェリアの南北問題、インドもヒンズー教第一主義が問題視されています。しかし、それらの国では公的な組織における援助よりも、共同体における援助や支援が充実しているケースが多いです。

もともと公助があまり無い国では、人々が支え合っていないと生きていけません。もちろんそこでも自助が大事なのは当たり前ですが、公助よりも共助の割合が多くなります。

しかし、20世紀後半に公助を充実させてきた先進国では、共助の存在感が無くなっていきました。その状態で公助が減ればいきなり自助だけでやっていかないといけなくなるので、文句を言われるのは当然な流れでしょう。

公助はどうしたって減らさざるを得ないのなら、共助の充実の助けとなるような政策が必要となってきますが、だからといって各種団体に対する免税・減税、企業の福利厚生分の減税などではあまり効果がありそうにはないですね。そこを提供できれば安倍・菅ラインの政策・思想的な連続性は続くでしょう。

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