平繁無忙の何でも書くブログ

  • コモディティ化とオンライン化

    中国のアニメ企業が日本のアニメーターを3倍の給料で引き抜ぬける、という記事が少し前に出ていました。

    中国企業の巨大さというよりは、日本のアニメ業界におけるブラック度合い、人件費の少なさ、やりがい搾取という諸問題の方が原因のはずですが、労働集約的な仕事であれば、金と人を集めやすいところが勝ちます。
     
    上述の件の記事にしても、日本のアニメ産業が現場で働く人に還元できていないことが問題とするものでした。実際に引き抜きが始まっているのかどうかは知りませんが、引き抜かれるかどうかはともかく、このままなら産業構造が成り立たないか、質量共に中国に圧倒されるかしてしまうのではないですかね。アニメ産業のことはよく知りませんが。

    かつて家電メーカーを始めとして、バブル崩壊以降のリストラや待遇の悪化によって、日本のメーカーから中国や韓国の企業に転職する技術者が相次ぎました。それだけではありませんが、韓国のIT産業の隆盛や、中国が世界の工場と化したことに日本が自らの身銭を切るような形で貢献してしまいました。

    アニメーションにおいても中国が世界の工場になっていくのでしょうか。今の中国では人件費的に割に合わない気もしますが、アニメーション作品も多くの家電製品・IT製品と同じようにコモディティ化していくのかも知れません。

    Apple製品を始めとして一部のブランドは高品質・高性能を武器に高価格を維持できているように、アニメ作品もディズニーやジブリといった誰もが知っているブランド以外は、中国で作られるようになるのでしょうか。

    そもそも現代、そしてこれからの未来においては、グローバル化とオンライン化によって、あらゆる業界が似たルートをたどって発展・衰退していきそうです。

    国内ローカルでのみ成り立ち、競争相手も同レベルのローカルさの業界を除いては、競争相手は世界中に存在することになります。企業レベルだけの話でもなく、システム開発でのオフショア化は珍しくありません。

    これがもっと進むと、例えば経理業務をネット経由でインドに依頼することだってあり得ます。日本語を始めとする日本企業の独自性によって、この点では日本人労働者は助かっているわけですが、都心に本社のある大企業のコールセンターが沖縄にあるケースなどは分かりやすいでしょう。既に英語でのコールセンターによるサポートをフィリピンやインドに移転している世界的大企業はたくさんあります。

    コモディティ化が進んだ業界では、オフショア化が出来ていないと経費面で大きなビハインドを背負ってのビジネスとなってくるのでしょうか。

    数十年後の未来のビジネスの予想なんて、専門家でも当たらないのに素人がやっても意味がありませんが、少し前に誰もが騒いでいたシェアリングエコノミーって進んでいるのでしょうか。

    Uberなどの乗車サービス、Airbnbなどの民泊サービスなど様々あると言えばあるのですが、
    蚤の市→フリーマーケット
    下宿→ルームシェア
    ヒッチハイク→ライドシェア
    無尽・講→クラウドファンディング
    といった感じで、以前からあるサービスや習慣をただ単にオンライン化しただけにも思えます。

    新たに価値を創造しているかというと個人的には微妙です。付加価値としては増えているとは思います。これで新しいビジネスになって多額の出資を受けられるのであれば、今後もあらゆるサービスがIT化・オンライン化していくでしょうね。

    果たしてそれで人々の暮らしが変わるかどうか、未来が本当にそうなるかどうかは分かりませんけど。

  • システム障害はなぜ三度起きたか

    今年の2月から3月にかけて発生した、みずほ銀行のシステム障害については、その時にこんなことを書きました。

    https://hrsgmb.com/n/nf002d2d844e2

    あの時の報道からするに、数年前に移行した、完全一元化して生まれ変わったみずほ銀行のシステム自体には問題が無いけれど、運用において問題があったために起きた障害だった、という認識だったのですが、先日の関係者の処分やみずほ銀行の特別調査委員会による調査報告書によると、どうやらそんな単純な問題でもなくて、運用そのものを軽視していたとも言えますし、そもそものシステムにもやっぱり問題があったみたいです。

    https://www.mizuho-fg.co.jp/release/20210615release_jp.html

    システム設計や運用について素人なので何とも言えませんが、過去のシステム障害時にも言われていた、みずほ銀行の企業風土・体質の問題というのは永遠に解決出来ない問題なんでしょうかね。

    ただ、個人的に気になるのは、システム開発では多数の人的リソースを割いて、今度こそ大規模障害など起きないシステムを作ろう、と意気込んでいたはずですが、いざシステムが出来上がった後は運用部門の人的リソースを大幅に減らしたらしいんですよね。異動によってシステム全容を理解する人が減り、ブラックボックス化していたというのは驚きます。なんで数年でブラックボックス化するねん、とツッコミたくなりますが、出来上がったシステムに余計な人件費は掛けたくなかったのでしょうかね。

    システムは作って終わりではなくて、作った後もずっとメンテナンスとアップデートが必要なはずで、開発に当たった専門家の人たちも分かっていたでしょうし、経営陣には言っていたと思うんですけどねえ……。

    多分、みずほ銀行内でシステム開発に当たった人たちは優秀な人で、開発が完了したシステム部門に置いておくのはもったいない、と判断して別部門に回したのかも知れません。

    今の時代ではシステム部門は昔からある部門(経理や営業)などと同レベルの重要性があると判断するかしないかでは大違いですよね。

    問題は、過去に大規模なシステム障害を起こして金融庁からもお叱りをもらっていてもこの対応、ということになると思います。

    無責任な赤の他人から見たら、もしかしたらまた数年後にやらかすんじゃないかと邪推しています。もう、システム部門の叩き上げの人間が経営トップにならない限りは信用されないんじゃないですかね。

  • タビナス・ジェファーソンに思う国籍という近代の産物

    昨年、ガンバ大阪に所属していたタビナス・ジェファーソン選手に関する記事がナンバーに出ていました。

    https://number.bunshun.jp/articles/-/848451

    昨年ガンバでプレーしてU23でのフィジカルの強さと低い位置でもボールをつなごうとする姿勢は今でも覚えています。ただ、私はタビナスが日本国籍を持っているものと思っていました。上記の記事によると、単なる国籍の問題だけでもなく親のビザの問題もあったようで、まだ若い選手にとっては大変な心労があったことと思います。

    ガンバ大阪U23チームの森下監督との出会いも大きかったそうで、彼に良い影響を受けた選手ってどれくらいの数になるんでしょうか。ガンバだけではなくJリーグや日本サッカー・アジアサッカーにとってもしかしたら重要な指導者になるんじゃないですかね。

    ともかく、国家代表を目指すサッカー選手にとって国籍の問題は避けては通れません。日本に生まれて日本に住んでいる日本人にとって、国籍を意識する機会はあまりありません。せいぜいパスポートを使って海外旅行する時くらいでしょう。

    日本では法律によって日本国籍を持つ日本国民は、他国の国籍を持つことは出来ません。親の関係で複数の国籍を持っていても、日本国籍を取得するか放棄するかを選択する期限があります。

    http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06.html

    二重国籍を認める国もたくさんありますので、それらの国々と比べたら日本政府は融通が利かないとか保守的だとか時代遅れだとか言う人はいますが、法律はその国や文化の伝統と歴史に基づいて制定される以上、単純な話でもないでしょう。

    実際に国籍で悩んでいる人にとっては当然重要な問題ですが、なかなか他の日本人にとっては国籍選択・取得のあるべき姿というのは想像が難しいです。国籍法を改正するかどうか、そもそも改正すべきかどうかについて法務省や国会での議論に現実味が出てくるのは、日本がもっと国際的な人的移動の中に入ってからの話になるでしょう。このコロナ禍によって少なくとも数年は遅れたとは思いますが。

    そもそも国籍という概念が出てきたのは19世紀以降の近代国家化によるものです。それまでは移動手段の難しさはあれど、人々は好き勝手に国を移動出来ました。近代国家の成立によって、国境・国民・政府が成立し、国籍が重要になりました。

    ある人がどこの国籍を持っているかということを、政府が証明する必要が出てきました。国籍を持つことで、その国の保護を受けることができます。もちろんその代わりに国民としての義務を果たす必要があります。

    昔ならいざ知らず、今の時代に国籍を持つ国民に重い義務を課す国はほぼありません。ゼロとは言いませんが。国民の義務と国家による保護は本来はトレードオフの関係にありますが、複数の国籍を持っている人の場合はややこしくなります。徴兵制がある国の国籍を複数持っている場合、どこの国でも兵役をこなすのでしょうか?

    また、これも20世紀ならいざ知らず、自国民の保護を理由に他国に戦争を仕掛けるような国もほぼありません。ゼロとは言いませんが。嫌らしい考え方をすると、他の国籍を持つ人を自国籍に取り込んで他国籍を放棄させれば、「自国民保護」を理由とする侵攻は防げますよね。実際にはそんな陰謀論めいたことは無いんでしょうけれど。

  • 2021年6月16日天皇杯2回戦ガンバ大阪対関西学院大学の速報を見つつ

    よくある天皇杯の下剋上、アップセット、ジャイアントキリングはNHK BSで放送されることが多く、BS劇場と言われます。

    しかし今日の天皇杯ではNHKの放送はありません。3年前のみっともない敗戦の記憶もまだ新しいガンバ大阪対関西学院大学というある意味、NHK好みのカードがあるのですが、BSのサブチャンネルでも放送は無く、ガンバ公式の速報とTwitterが頼みになります。

    ちなみに、今日の天皇杯では、サンフレッチェ広島対おこしやす京都ACがスカパー!で放送されているのと、ヴィッセル神戸対鈴鹿ポイントゲッターズが鈴鹿のYouTubeチャンネルでライブ放送されています。アマチュアチームでもYouTube配信出来るならガンバもやってくれたら良いのに。とりあえず神戸対鈴鹿戦は観ますが。

    スタメンはかなり落としたメンバーです。前に関学に負けた時はベストメンバーで負けたので、日頃出場機会の無い選手たちが活躍してくれることを期待します。ちなみについに藤春小野がサブに復帰です。

    さて、ガンバサポーター以外がガンバのやらかしを期待する中、キックオフされましたが、直後からTwitterで現地のガンバサポからの悲鳴のようなツイートが上がりまくっていて、関学に攻められまくっているようです。

    まあ何と言うかいつも通りですね、と思っていたら11分に小野瀬のゴールが決まったようです。これでガンバペースに持っていけるかも、とチラッと思いましたがそんなことはなく、その後も関学ペース、関学シュートの速報ばかり入ってきます。

    と思っていたら今度は21分にウェリントン・シウバが決めて2−0となりました。攻められつつも得点は決めるという、ある意味去年のガンバが戻ってまいりました!

    学生相手に攻められ続けるというのは非常に大きなモヤモヤがありますが、そもそも3年前に負けた時のことを思うとはるかにマシです。モヤモヤはありますが。

    2−0になってからも小野瀬や高尾が警告を受けたり、チアゴ・アウベスがどうやら決定的なシュートを止められたり、向こうのシュートがクロスバーに当たったりと、なんやかんや不穏ではあります。

    結局このまま前半終了。内容は相当悪いようで、良い意味で内容と結果が伴っていないのですが、後半も多分こんなままだろうなということが観ていない自分でも容易に想像できます。

    ちなみに唯一、テレビ中継されている広島対おこしやすの前半は1対2でおこしやすリードです。今日のカードの中で唯一の格下側がリードしている状況なのはなんというかえらい偶然ですね……。

    ともかく後半キックオフ。ガンバは交代なし。関学は交代あり。そして後半のファーストシュートも関学の交代したばかりのFWでした。後半も同じっぽい……。

    そして55分に失点。これで2−1。松波監督は手を打たないんですかね。

    と思っていたらシウバ→宇佐美、小野瀬→藤春、チアゴ→倉田と一気に3枚替えです。極端やな! 得点者の2名はお疲れさまですが、藤春の試運転をこの状況でやって大丈夫ですかね……。

    山見選手の3連続シュートが外れた後、川﨑から小野にスイッチ。多分、今の問題点はそこでは無いと思いますが、多分、問題点の交代のタマがありません。もう前線の選手の個人技で得点して逃げ切るしか今のガンバには策が無いのでしょう。

    さらに一美に代えてパトリックを投入。本当に前の選手を入れ替えるだけとなっていますね。とはいえ、ガンバのシュートが増えてきました。

    そしてついに87分にパトリックがゴール。守備に問題があっても攻撃で何とかするというのは、ものすごく良く言えば西野ガンバの頃のようです。得点力と完成度に大きな差はありますが。

    3−1で試合終了となりました。失点してメンバーを大きく入れ替えるまでずっと関学に攻められ続けるのは、現地のガンバサポにしてみたら緊張感半端なかったと思いますが、勝てて良かったです。3年前の敗戦時は私現地にいましたので雰囲気はだいたい分かりますが、やっぱり勝ったら勝ったで多少は違うと思います。

    来シーズンにガンバ加入する、関学のFW山見選手はテキスト速報を見ているだけでもヤバい選手だということは分かります。スカウトの正しさを証明するのが天皇杯での直接対決というストロングスタイルは控えてほしいです。

    https://www.gamba-osaka.net/news/index/no/11812/

    自信も中身も結果も失ったチームが再び強さを取り戻すにはやることがたくさんありますが、とりあえずは得点と勝利が必要です。問題解決されないまま得点と勝利がもたらされることで、負債が先送りされて肥大化するという危険性はあるので、あまり喜んでもいられないのですが。

    ともかくこれで公式戦は4試合負けなし。今日の試合を入れるのはどうかと思いますが、それでも結果は良い状況でACLを迎えます。

    ちなみに、ハーフタイム時点で広島対おこしやすは1−2でしたが、終わってみれば1−5というなかなかにエグい試合結果になっていました。おこしやす京都ってアミティエと京都BAMBが合併したクラブで、京都紫光クラブ→FC KYOKENからの流れを組むことを考えると歴史あるクラブなんですよね。広島サポはそんなことどうでもいいのでしょうけれど、心中お察しします。

    そしてひっそり八戸にやられている横浜FCがやらかしたのに目立たないという、これもまたキツい状況になっていますが、神戸は4−0で勝ち、鹿島は前半31分で4−0と試合をほぼ決めているのは羨ましいですねえ。

    天皇杯3回戦でのガンバの次の対戦相手は松本山雅FCです。日程が天皇杯公式だと7月7日のままになっていますが、ACLがあるので変更は間違いありません。しかし、ACLから戻ってきた7月17日の福岡戦から、ミッドウィークも含めてずっと中2日、中3日での試合が続きます。3月丸々試合が出来なかった分がここに回されているためです。

    本来のスケジュールでは8月18日が4回戦ですので、ガンバの山だけ4回戦が先送りになるんでしょうね。

  • 情報に付加価値を付けた過去、情報を減らしていく未来

    日本で言う消費税は、外国では付加価値税という名前が付いていることが多いです。

    「消費」税というと、消費者が払うようなイメージにもなってしまいますが、現実には消費者だけではなくて、売る側もそれを仕入れたときに消費税を卸業者や生産者やメーカーに対して払っています。売値と買値の消費税の差額分だけ納税するので、そういう意味では「付加価値」を付けた分に対する税金として「付加価値税」という名前の方が性質をよく言い表しています。

    人から人に物が渡る度に付加価値が付いていくということが、資本主義の真髄でしょうか。少なくとも、生産者から消費者までの間に価値が全く変わらなければ、余剰生産物を作るインセンティブは発生しません。

    そして20世紀から21世紀に入り、「情報」が爆発的に量を増やし続ける時代になりました。

    情報も人から人に渡る度に付加価値が付いていきます。もちろん最終消費者に渡ればそれで終わりですが、他者の研究をさらに発展させたり、あるいは反論したりするのを思えば分かりやすいでしょうか。

    このnoteのような、大して社会に影響を与えないブログでも、過去に得た情報のインプットを経て形を変えてアウトプットされてまた他人に渡っていきます。

    歴史的には情報は増えていくことに価値があり、実際に増え続けていました。近代以降、印刷技術の普及、配達技術の進歩、情報伝達技術の進化、コンピュータの発明、そしてインターネットの普及によって、情報は誰でも付加価値を付けてばらまくことが容易になりました。

    100%のコピーそのものなら情報は何も増えていないじゃないか、と思うかも知れません。Twitterで誰かのツイートをリツイートするだけでは大元のツイートには変化はありませんが、「リツイートした」という情報が新たに付加されています。それに大きな意味があるかどうかはまた別ですが、前澤前社長のツイートをリツイートするのが無名な一般人かイーロン・マスクかでは社会的な影響力は大きく異なります。

    コンピュータとインターネットの登場で、有史以来の情報の量が年々等比級数的に増加する時代になり、情報が少なくて困ることよりも多すぎて困るという前代未聞の悩みを人類は抱えるようになりました。

    上場企業が運営するキュレーションメディアも、アフィリエイト狙いで露骨に広告を貼りまくっている各種まとめサイトも、コピーと加工でさらに情報を大量生産しています。

    こうなると、情報を減らすことに価値が出てくる時代になるかも知れません。少なくとも、大量の情報から必要な情報を抜き出すのは技術と言えます。

    少なくともウェブリテラシー教育としては、検索方法、炎上回避などと並んで、莫大かつ価値が高くない情報に埋もれている、本当に必要な価値ある情報を見つけ出して自分の中に取り込むノウハウを教えるのも必要だと思います。

  • ローリスクハイリターンは難しい

    「あの泥棒が羨ましい」
    という書き出しで江戸川乱歩の「二銭銅貨」は始まります。泥棒でなくとも楽して稼ぎたいと思うのは人の性ですが、旨い話はそうそうありません。タダより高いものはない、とはよく言いますが、タダでなければ美味しい話があると思ってしまうのも人の性なのでしょうか。

    ハイリスクゼロリターンになると詐欺そのものですが、ハイリスクローリターンのような投資、取引、やり取りは山ほどあります。

    リスクとリターンのバランスが取れているのはハイリスクハイリターンか、ローリスクローリターンとなりますが、どうしても割の良いものを狙ってしまいがちです。

    しかし世の中にはローリスクハイリターンなんてほぼありません。よほどの運と実力があってようやく掴めます。個人で言えばそうなりますが、国家レベルで考えても簡単に富を掴む手段はなかなか無いものです。

    ローリスクハイリターンの道に見える、莫大な富を安易に得られる資源に頼るのは、未来が明るいとは限りません。

    日本は資源がない国です。実際にはかつては石炭産業が盛んでしたし、海に囲まれているので海産物には事欠きませんが、原油や鉄鉱石やレアメタルなどで言えば確かに資源はありません。

    そのため、資源に頼らずに経済を発展させねばなりませんでしたが、先人達の営為と奮闘によって世界3位のGDPを生み出す大国になりました。1位のアメリカはともかく、2位の中国はそもそも人口が10倍以上あるのでノーカウントと言いたいところですが、1人あたりGDPを言い出すとむしろ順位がもっと下がります。

    1人あたりGDPでのランキング上位はたいてい金融産業が盛んな国ですが、カタールやオーストラリアのような、資源に恵まれた国もランクインしています。

    そうは言っても、世界には原油産出国は数十ヶ国ありますし、鉱物資源に恵まれた国もたくさんありますが、大半の国はGDP全体でも1人あたりGDPでも中位から下位に位置します。

    物価の違いや歴史的な経緯もあるので一概には言えないかも知れませんが、稼げる資源が公平かつ平等に国民に分配されていなければ、国家全体が発展することはありません。1人あたりGDPはあくまで平均ですので、貧富の格差が大きい場合は中央値で見るともっと下がるはずです。

    豊かな資源に恵まれていても国民が豊かになるとは言えません。少なくとも国家の中枢にいる政治家・軍人・大企業経営者は豊かになるでしょうけれど。

    それでも一部の人間が豊かになればいずれその富がトリクルダウンで他の人にももたらされるという考えもありますが、多くの場合は貧富の格差の増大を招くだけですし、そもそも資源による稼ぎが国を富まさないケースもあります。

    15世紀から16世紀にかけてスペインは新大陸の富を独占し、膨大な金銀を本国に持ち込みましたが、すぐにイギリスやオランダに流れていき、スペイン本国では蓄積も産業発展もなく、近代化も遅れました。

    資源がもたらす富を上手くコントロール出来なければ物価の乱高下や経済の不安定化が起きます。

    大半の国では資源を売ったお金が国民一人一人の財布に入るわけではありませんが、だからといって何も関わらずに財布に多額のお金をつっこんでくれる国は、それはそれで産業も育ちません。

    労力と能力に見合った富の分配でないと有効に使えないわけですが、資源に頼るのは産業発展を中抜きしているようなものです。

    資源があってもその資源を取り出し加工して輸出するにも技術や設備が必要です。大半の資源産出国ではその技術や設備は外国のものです。完全に独自でやれている国なんてごくわずかです。いわば肝になる部分を他国に掴まれている状態です。

    逆から見れば資源国に設備を売ったりメンテしたり技術を提供していれば、非資源国でも儲け続けられます。仮に資源が無くなっても別の国を相手に出来ます。

    金儲けしたい人を相手にする商売が一番儲けやすい理屈を地で行くのが石油メジャーなんでしょうけれど、だからといってすぐに外国企業を閉め出したらベネズエラの二の舞です。まさにハイリスクローリターン担ってしまいます。

    開発技術を独自で賄えるように技術者の育成や教育への投資をしてこそ国家全体も国民一人一人も豊かになれるのでしょうし、一番ローリスクハイリターンに近いやり方でしょう。

  • 出入り禁止というペナルティの効果が無いオリンピックの観客

    WOWOWで(正確にはオンデマンドで)、サッカーのヨーロッパ選手権(EURO2020)を見ています。

    開幕戦のトルコ対イタリアは、さすがのイタリアという結果になりましたが、トルコはオウンゴールで失点するまで良く守っていただけにもったいなかったですね。

    さて、そのEUROを見ていると、マスクをちゃんと付けて落ち着いてみている観客もいれば、ゴールシーンなどでマスクを外して叫びながら近くの人と抱き合っている人もいます。

    EUROの観客に対する、新型コロナの感染チェック体制がどうなっているのか知りませんが、あの観客全員が陰性でワクチン接種済みとは思えません。感染が広がらなければ良いのですが。

    さて、東京オリンピックは侃々諤々・非難囂々・紆余曲折を経て結局は何事も無く実施されそうな雰囲気です。

    観客動員についてはまだ最終的には決まっていないようですが、個人的には無観客にすべきだと思います。

    同じ日本で行われてきた、去年今年のプロ野球やJリーグでは、観客数を制限したり、体温検査したり、客同士を離したり、大声での応援を禁止したり、様々な手法でスタジアムでのクラスター発生を防いできました。

    それでも緊急事態宣言が出ると無観客試合を強いられるわけですが、オリンピックは本当に大丈夫でしょうか?

    さらに言うと、プロ野球もJリーグも観客は応援する人とほぼ同義であり、試合をする2チームのどちらのファンでもない人はあまりいません。そのことは、ルール・マナー違反に対して、応援するチームからの処分を受けることへの恐れをもたらします。

    要するに、応援したいからスタジアムに行くけれど、ルール違反で出入り禁止になりたくないからルールをちゃんと守るというモチベーションが発生しています。

    もちろん、プロ野球でもJリーグでもルール違反者は出ています。出入り禁止になってでも応援するという心理状態が個人的には理解不能ですが、そういう人は確実にどこにでもいます。

    ただ、ペナルティによってルール違反を思いとどまるという人も確実にいるはずで、少なくともその面ではペナルティの効果が発揮されています。

    さて、オリンピックではどうでしょうか? 特定の選手・国を応援するという人ももちろんいますが、お祭り的な、とにかくオリンピックの試合を見たいという観客もかなりいるのではないでしょうか。

    そうなると、そもそもの観客の姿勢がプロ野球やJリーグと異なってきます。騒ぐのが目的とまでは言いませんが、特定のチーム・好きなチームから拒絶されたくないというファン心理がもたらすペナルティの効果はありません。

    チケットを一枚だけ、その日のその試合・競技だけしか持っていない人は、騒いだ挙げ句に出入り禁止になったとしても、その人にとっては既に目的を達成していますので、何のデメリットもありません。

    まさか、別の国(市)で行われるオリンピックでも出入り禁止にするわけにもいきません。同じ競技の国内の試合での出入り禁止にするわけにもいきません。

    東京オリンピックでの観客の横暴・暴挙に対して、心理的プレッシャーは主催側からはかけられないことになるはずですが、それでも有観客でやるのでしょうかね?

  • マスメディアの良識と、それを促す民度

    大相撲の大関朝乃山が、ルールを破ってキャバクラに何度も通っていたことで、6場所出場停止の処分を受けましたが、同行していたスポーツニッポンの記者は諭旨解雇処分を受けたそうです。

    https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202106110001002.html

    朝乃山、あるいはこの記者に対する処分が妥当なのか厳しいのか緩いのか、人それぞれ感想も解釈も異なるでしょうけれど、取材対象との関わりにおいての過ちに対して、スポーツニッポンは良識を示せたのではないかと思います。

    大相撲の番記者としては取材対象を厳しく諫めたり、紙面で批判したり、あるいは記者クラブと関係ない週刊誌にリークしたり、ということは出来なかったのでしょう。どこまでのめり込んでいたのかは赤の他人には分かりませんが、新聞社としては最大に近い厳しい処分となりました。懲戒解雇処分はかなり条件が限られますし。

    逆に、相撲協会としては、地元の人たちや支援者などの嘆願運動もありましたし、結局はこの辺が落とし所なのでしょう。パトロンには逆らえません。

    この問題で思うに、そう言えば取材対象の重要人物と一緒に賭け麻雀をやっていた記者はスポーツ新聞ではなく、クオリティペーパーを自認する新聞でしたが、記者に対しては停職処分止まりだったのですよね。

    辞めさせれば良いというわけではない、という理屈があるのかも知れませんが、それこそ公的な立場の人間が不祥事を起こした時に、辞めさせるべきだという批判を左右両方どちらの新聞社も行ってきたと思うのですが、私の記憶違いでしょうか。

    辞させる、辞めさせないは新聞社の勝手ですけれど、それこそ政治家や高級官僚がやらかした時に辞める辞めないも勝手になりますよね。

    自分は問題を起こしても辞めないが、他人が問題を起こしたら辞めるべき、と言い張るのであれば、日本語で最も適した汚名は「卑怯者」だと思うのですが、そもそも、政官財マスコミの大いなる互助会・護送船団方式は今も続いているのかも知れません。

    さらに言うと、賭け麻雀とキャバクラ通いは違法・合法の別から言っても大きな差があるはずですが、違法な方が辞めずに、合法だけど組織内のガイドライン違反の方がもっと厳しい処分を受けているというのは大いなる皮肉ですね。

    政治家の質は国民の質・民度によるとも言われますが、この法則は多分マスメディアにも適用出来るのかも知れません。そうなると、政治家の質を高めるには有権者が選挙で示すしかないように、マスメディアの質を高めるには消費者が買う買わないを示すしかないでしょうね。

  • ソローの「森の生活」と、トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」が見た未来

    ヘンリー・デイヴィッド・ソローの名著「ウォールデン 森の生活」は、19世紀中頃のアメリカ合衆国で、著者が2年少しに渡って街を離れ、森の中の手作りの小屋で自給自足の生活をした記録です。生活のことだけではなくて、当時のアメリカにおける諸問題や、生き方・思想についても言及される哲学的な作品です。

    モノを持たない暮らしに憧れるミニマリストのブログにもよく取り上げられましたが、そもそもあれはモノを少なくすることがメインのお話というよりも、当時のアメリカ東部の社会に対しての批判でしょう。もちろん、現代のミニマリストにも現代社会に対するアンチテーゼを提起している人がいますけれど、ソローの時代と現代を見比べるとミニマルな生き方にも大きな差があります。

    あえて言うなら、物質社会の背景にあるアメリカ合衆国の商業主義・自由経済・民主主義に対して、そんなものがなくても普通に生きていけるという証しです。モノを持たなくても生きていける、というのは実際に所有物を減らすということよりも、所有物を減らす考えと真逆の思想や社会や文化に背を向けることです。

    それこそ、隙あらば少しでも稼ごうというアフィリエイトブログを運営する向きとは真逆です。広告が貼られたブログで「ウォールデン 森の生活」が紹介されているのは、アメリカンジョークとしても笑えない部類でしょう。

    ソローが当時の最先端の暮らしを拒否し、自給自足の暮らしを営む森に行ったのに、現代の最先端?のスマホやネットを満喫している人が参考にするというのも変な話です。

    ソローのこの書が出版されたのは1854年です。日本では前年にペリー来航があり、この年に日米和親条約をアメリカと締結しました。アメリカではゴールドラッシュの終わり、南北戦争の少し前に当たります。

    出版年は1854年ですが、実際に森で暮らしていたのは1845年から47年にかけてです。テキサスがアメリカ合衆国のものになった年であり、ひたすら西にフロンティアを拡大していた真っ只中でした。金を求めて目の色を変えた人が先を争ってカリフォルニアに向かう直前に、金を求める暮らしに背を向けたからこそ、この著書の価値は高まりました。

    先住民への圧迫・弾圧は言うに及ばず、それ以外でも資本主義、自由民主主義の下でひたすら拡大していくアメリカという社会に対して、ソローがどのように考えていたかを示すのが先の名著ですが、その少し前に、フランスの思想家がアメリカ合衆国の社会に対してのこれまた歴史に残る名著を残しています。

    フランスのトクヴィルが書いた「アメリカのデモクラシー」は19世紀前半におけるアメリカ合衆国の、村から国家までの政治体制、社会構造、文化経済に関しての一級品です。

    アメリカ人がアメリカの体制を批判しようが称賛しようが、中にいる者として見えない部分があります。逆に、フランスから来たトクヴィルが冷徹な目で当時のアメリカを直視できたのは外部の者だったこともあるでしょう。

    トクヴィルが見た、当時のヨーロッパよりも進んだ民主主義から、その先に待つ新聞が支配する多数派の数の暴力の時代を予想したのは慧眼としか言えません。そしてその数の暴力の時代というのは、トクヴィルが訪米した1831年から190年経った今でも、多くの民主主義国家の悩みになっているのは、人類の進化が遅々としている強烈な皮肉でしょう。

  • もしもに備える精神的内部留保

    とんでもないことは往々にして発生します。自然災害や大事故、大不況や戦争など、いつの時代にもどこの場所でも起こります。

    そういった大ダメージを食らっても生き延びるには何らかの余裕や保険などの備えが必要です。

    例えば、企業が利益を上げるためだけではなく、本業における不況によって赤字になっても企業自体が存続できるように準備するとしたら、内部留保を貯めておくとか、多角化によって他の業種の利益でカバー出来るようにします。

    多角化と言ってもバブル期の日本企業のように、銀行や他人に言われるがまま不動産や金融商品に利益を突っ込むだけだと不況時に共倒れになります。また本業と関連性の高い事業であれば結局全部ダメになります。

    内部留保だって貯めすぎると、本来は事業に投資すべき資金を死蔵させてしまいますので、本業の発展を遮ってしまいます。

    個人がとんでもないことに備えておくには、企業の内部留保に当たるのは貯金とか保険ですが、それも使わずに貯めておくということは、使えば楽しめたり便利になったり資格を取って将来に生かすお金を死蔵するという見方も出来ます。個人で多角化というのも今流行りの副業がまさに当たりますが、本業に費やすエネルギーを分割するという問題もあります。

    多角化(副業)も内部留保(貯金)も、メリットがあればデメリットがあります。デメリットというよりリスクといった方が適しているでしょうか。内部留保は貯めすぎると企業なら本業の伸びが抑えられてシェア不足になるでしょうし、個人ならインフレ時に貯金が紙くずになりかねません。

    それでも、もしもへの備えは必要です。だからこそ日本企業は批判されながらも内部留保を貯め続けてきましたし、コロナ禍でそれを吐き出して雇用や会社を守ったケースもあります。

    そして、もしもへの備えは個人の金銭的経済的な面だけではなく、心・精神的にも必要です。

    どんな悲劇にも従容として受け入れ、心に波風を立てずにじっと静かにし続ける仙人のような人はめったにいません。しかし、大きく心をかき乱されてしまうか、動きを小さめに抑えられるかは日頃の気の持ちようで変えられるかも知れません。

    人間万事塞翁が馬。禍福はあざなえる縄のごとし。吉凶はいつも隣り合って訪れます。

    良いことがあったら悪いことがあるかも知れないから覚悟しておこう。

    悪いことがあったら次はきっと良いことがあるからくよくよせずに気を取り直そう。

    良いときに100%の喜びに浴していると、悪いときにもそのまま100%感情が悪化してしまいます。精神的に内部留保というか、良いときに悪いときのことを考え、悪いときに良いときのことを考えるような融通性を持っていれば、大悲劇に見舞われたときにも心のコントロールはしやすいでしょう。

    楽しむときに目いっぱい楽しみ、悲しむときに思いっきり悲しむべきだ、と考える人もいるでしょう。後先考えずに100%乗っかれる人こそ、あらゆる分野で大成功して名声も富も得られる人になるのは間違いないと思います。

    ただ、この世の誰もが大成功する英雄になれるわけもありませんし、英雄になる自信と能力を持っているわけでもありません。英雄になる人は内部留保も多角化も考えずにひたすら一直線に進めば良いのですが、英雄になれない人は道を逸れたり、立ち止まったりしつつ、もしもに備えながらゆっくり進んでいけば良いんです。

  • チャンピオンとウィナーの違いを知っているか

    「チャンピオンとウィナーの違いを知っているか」

    いつだったか忘れましたが、ある年のJリーグヤマザキナビスコカップのチラシの煽り文句で、こんなのがありました。検索してみたら2006年のものでした。この年のナビスコカップは、シーズン中にオシム監督が日本代表監督になって監督が替わった(ただし息子が後を継ぎましたが)ジェフ千葉が2連覇を果たしました。

    他のスポーツではどうかは知りませんが、サッカーの世界では1年かけて戦うリーグ戦の優勝チームは「チャンピオン」、ノックアウト方式(トーナメント戦)で山を勝ち上がる仕組みのカップ戦の決勝で勝ったチームは「ウィナー」と呼ばれます。

    語源をたどると、「ウィナー」は「勝つ」という動詞の「win」から来ているのは一目瞭然ですが、「チャンピオン(champion)」は、ラテン語の平らな地面を表す「campus」(キャンパスのことですね)からアスレチック練習・軍事訓練において使用され、そこから古フランス語・中世ラテン語の「campio」(戦う人)という言葉を経由してきたそうです。

    「win」の方は、古英語の「winnan」(努力する、争う)、ゲルマン語起源の(征服する、所有する、獲得する)が語源だそうです。今の英語でも同じですが、「win」には「勝つ」という意味と共に、「得る」「勝ち取る」という意味も含まれます。

    「チャンピオン」の方が競技に関して良く戦った人、という意味合いがあって、「ウィナー」には優勝カップを勝ち取った人、と考えた方が良さそうです。

    日本語の「優勝(者・チーム)」は他者に優って勝つということなら「チャンピオン」の方が近いですね。「ウィナー」に近い日本語は、上述の「勝ち取る」方でしょう。

    ともかく、リーグ戦はチャンピオン、カップ戦はウィナーになるのですが、チャンピオンズリーグはどうなるかというと、これは「リーグ」と名乗っていてもカップ戦扱いですので、結局はウィナーになるはずです。

    UEFAチャンピオンズリーグにしろ、AFCチャンピオンズリーグにしろ、グループリーグがあって(その前にはプレーオフもありますが)、ノックアウトステージになって最終的に決勝戦が存在しますので、紛れもなくカップ戦です。

    2021年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)は久し振りにガンバ大阪が参戦します。かつては毎年出ていて、出ていない方が珍しかったのですが、隔世の感がありますね。初出場は2006年でしたが、以後、2008年〜2012年、2015年〜2017年と連続で出ていました。

    罰ゲームとか迷惑とか言うサポーターもたまに見かけますが、個人的には非常に勝ってほしい大会です。2008年決勝第1戦、平日水曜ながらもほぼ満員の万博スタジアムで、相手(アデレード・ユナイテッド)がボールを失ってガンバのスローインになっただけでも拍手が起きて後押ししていた、あの興奮は未だに忘れられません。

    再度の参戦となった2015年では全北現代との準々決勝、ホームでの第2戦では後半44分に追いつかれた後のアディショナルタイムでの米倉の勝ち越しゴールも、現地で見た人は多分一生忘れないでしょう。

    リーグ戦だっていくらでも印象深い試合は挙げられますが、カップ戦の高揚感は独特ですし、さらに国際試合となるとさらなる緊張感がプラスされます。

    コロナ禍の混乱で昨年に引き続き今年もドタバタなスケジュールとなったACLですが、オーストラリア勢が出場を辞退したためにさらにややこしくなりました。

    そもそも今のガンバにJ1残留以外のミッションを優先する余裕はありませんが、逆に集中開催になったことで気持ちを切り替えて上手く行くかも知れないと、あまり根拠のない希望を持ってしまいます。

    今のチーム状況を考えると、リーグ戦でチャンピオンになるのは相当厳しいというか、川崎フロンターレの栄華がまだまだ続きそうですが、カップ戦に関してはACLかルヴァンカップか天皇杯か、どれかで2015年天皇杯以外のタイトルがもうそろそろ欲しいものです。

  • 属人化と構造化という対極

    日本企業の非効率性は、この十数年ずっとあらゆるところから指摘され続けていますが、それほど効率性は上がっていないっぽいです。

    1980年頃には、「ジャパンアズナンバーワン」と称えられた日本式企業経営は、バブル崩壊で年功序列・終身雇用という特性が破壊されましたが、欧米に比べて硬直的な労働市場と、「かかせない人」に頼る属人化した業務は変わっていません。

    日本企業は終身雇用が前提でしたから、従業員の辞める時期が予測できました。その人がやっている業務がその人にしか分からないようなプロセスや技術によって行われているような属人化が起きていたとしても、その業務を他の人に引き継ぐのは退職する前でいいわけです。

    そして終身雇用が崩壊して、いつ誰が辞めるか分からなくなったのに、業務の属人化が減らない状態が続き、誰かが辞めると引き継ぎ時にパニックが起きます。

    パニックが起きないまでも、多大な時間と労力がかかりますし、引き継いだ人が業務を言語化・構造化して、誰でも引き継げるようになればいいのですが、そういう企業はえてして人手不足なので、習得した特殊業務を他人に引き継ぐ準備をする余裕も無く、結局また同じ悲劇が繰り返されます。

    企業側だけではなくて、従業員側でも問題はあって、属人化した業務ばかりで成り立っている企業を辞めて、他の企業で勤めたときにはまたその企業独自のやり方に慣れる必要があります。

    そこで、「うちの会社のやり方」が企業ごとによって大きく異なると、結局は労働市場の硬直化につながります。新しい企業で働くのが大変、上手くやれないと思った人は転職に対して前向きになれません。

    逆に、どの会社でも似たような方法で管理していたら、その企業の独自性の肝の部分はともかく、どの企業も似た業務になる部署の従業員は流動的になるでしょう。

    その一方で、労働市場が日本よりはるかに流動的な欧米式の企業では終身雇用など無く、従業員がいつ辞めるか分からないため、業務が特定の人の特殊な技能で回さないようになっているんじゃないでしょうか? 外資系企業に勤めたことなどないので知らんけど。

    業務が属人化されず構造化されていれば、パソコン業務もRPAツールによって自動化しやすくなります。人口減少、特に労働者人口が減ってくる今後の日本では、効率性向上と合わせて労働者不足を補える自動化ツールは必須だと思います。

    労働市場の流動化と業務の構造化は鶏と卵の関係みたいなものでしょうけれど、この非効率性のサイクルを突破しないと、RPAの大々的な普及はないですよね。