平繁無忙の何でも書くブログ

  • 2021年5月2日J1リーグ第12節セレッソ大阪対ガンバ大阪DAZN観戦の感想

    勝てない、というか得点出来ない苦しみが続いているガンバ大阪ですが、毎度のことながら大阪ダービーでは直前の調子など関係ありません。勝つしかありません。

    中盤・前線の構成は開幕以来悩み続けていますが、ベストメンバーを固定するのは今シーズンの日程では不可能です。特にガンバは3月の試合が後に連続しますし。

    三度出た緊急事態宣言のため、大阪ダービーがまたもや完全リモートマッチとなりましたがこれがどう影響するか。

    前半開始直後から矢島がシュートを打ち、積極的な感じでしたが、一試合をトータルで見るとセレッソが押し気味だったでしょうか。

    42分のプレーでVARの結果、福田がPKを取られました。まあ確実に当たっていたのでしょうがないですが、このPKを豊川がポストに当てて外してくれたので本当に助かりました。

    ただ後半に入っても苦しいままで、74分に中島に決められて結局先制されます。

    こうなると今年のガンバは非常に厳しくなります。パトリック、川﨑、倉田を入れて攻めるしかありませんが、80分にフリーキックのこぼれ球を昌子がシュート、これがハンドを誘って今度はガンバがPKを獲ます。角度的に触っていなければ上に外れていたでしょうから、この点でもガンバはラッキーだったと思います。

    この貴重なPKをパトリックが決めて同点。今シーズンのガンバがビハインドの状態から同点に追いついたのも初めてです。ゼロックスは別ですが。

    結局このまま試合終了。展開的にも内容的にも引き分けて助かったのはガンバでしょう。今のガンバにとっては非常に貴重な勝ち点1を得て、大阪ダービーが終わりました。

    試合後に三浦がクルピ監督と長く話していたのが映っていましたね。サポーター的には色々思うところがありますが選手は別でしょうし、そもそもクルピを選んだ強化部が(ry

    次は5月8日(土)に圧倒的首位の川崎フロンターレです。サポーターとして気弱になってはいけませんが、同じリーグの対戦相手で勝つイメージがこれほど湧かないケースは稀でしょう。しかしゼロックスは大接戦だったのですから、あの時くらいの攻撃力は出してほしいものです。

    今年のガンバの最終兵器とも言える、ウェリントン・シルバは出るでしょうか?

  • ニュースを巡る一次史料と二次史料

    自分が接している報道が、果たして真実かどうかはすぐには分かりませんし、そもそもほとんど確実に正しいかどうかを思えることはありません。
    そうは言っても全ての情報を間違っていると判断するのも信じるのと同じくらい危険なことですし、独断が過ぎます。

    自分が接した情報が、どこまで真実に近いものかを類推する一つの方法としては、その情報が情報源にどれだけ近いかどうかということがあります。

    歴史学で言う一次史料・二次史料的な考え方を持って報道を受け止めれば、どこまでこの情報は信頼できるか、胡散臭いかという判別はやりやすくなります。

    「一次史料」とは歴史上の事件・事象に対して、その同じ時代にいて直接接した当事者が残した書類や文献を意味します。「二次史料」は、間接的にその事件などに接した人が又聞きで得た情報を残したものとか、時代が下ってから記録された文書とかが当たります。

    当然ながら一次史料の方が価値は高く、二次史料は書いた人の偏見や想像、その人が属する組織などの思惑が入り込んだりしがちです。もちろん、一次史料だから無批判に100%信用できるものとは限りません。それこそその一次史料を書いた人が勘違いや間違いをしている可能性もあります。

    逆に二次史料だって一次史料の誤りを訂正したり、後代だからこそ一次史料をまとめられるメリットもありますが、たいていは二次史料よりは一次史料の方が信頼性は高くなります。

    これらは歴史学の話ですが、今を生きる人が接するマスメディアやSNSからの情報にも運用できるのではないでしょうか。

    何らかのニュースで出てきた情報が、当事者が直接語っているものか、当事者の近くに居る人の発言か、当事者から遠い人が言っているのか、あるいは人物不詳・情報通・業界関係者の発言なのかを確認するだけでも区別できます。

    これにしたって当事者が言っているから信用できるとは限りませんが、全く無関係の人間が語っているよりは、例え嘘であってもその情報としての重要性は価値があります。

    ニュースを見るとき読むときに、そのニュースに関して見解を述べているのは
    ・当事者
    ・当事者にとって利益がある人
    ・当事者と対立する人
    ・無関係な人
    とか色々ありますが、それこそそのニュースを報道している組織自体の意見や思惑だって入り込みます。その辺の見極めは情報を手に入れるときに心がけておいた方が、大きな勘違いや間違いをする可能性は確実に小さくなります。

    誰が言っているのかを色眼鏡で見てしまうリスクはあります。また、本当に重要で貴重で真実に近い情報を、名前を出さずに報道機関やネット上ににリークすることもありますので、機械的に信頼性を順位付けしてはいけないのは確かなのですが、もうその辺は一般人には分からないことですので、ある程度の半信半疑に軽重を付ける程度で良いんじゃないでしょうか?

  • 見てほしい応援・一体化する応援・自分がしたい応援

    サッカーファン・Jリーグサポーターとして、もしかしたら少数派なのかも知れませんが、個人的にはあまりアウェイ仕様のレプリカユニフォームというのは買う気がしないというか、やっぱり買うなら・着るならホーム仕様のチームカラーが配色されたものが欲しいです(アウェイユニのデザインがどうのこうの言うつもりはありません)。

    あえて言い訳をすると、アウェイのスタジアムでは当たり前ですがアウェイチームはホームチームと比べて、サポーターは少なく、スタンドのエリアも狭いです。アウェイチームの選手達がスタンドを見たときに、白っぽい配色の多いアウェイユニフォームよりは、チームカラーのホームユニフォームの方が目立つのではないかと思って、アウェイでの応援時にもホームのガンバユニを着ています。これは「見てもらう」「見てほしい」応援と言えるでしょう。

    もちろんですが応援の形は一つではないですし、人それぞれです。

    アウェイユニのレプリカを着て応援することによって、アウェイスタジアムで戦っている選手達と同じユニフォームを着ていることによる一体感を感じられます。これは「一体化する」「一緒に戦う」応援でしょう。

    あるいは、応援する人がテンションが上がる格好で応援するのもアリでしょう。さすがに全く無関係な配色あるいは対戦相手側のチームカラーでない限りは、何着たっていいですし、それで自分の気持ちが高まって応援の圧力を強く出来るならそれもまたアウェイチームにとって(これはアウェイに限ったことではないですが)、力になるはずです。「自分がしたい」「テンションぶち上げ」応援といったところですかね。

    多分、どんな応援にしても応援される側にとって心強いとは思いますが(応援するサポーターの人間が言うのもおこがましいですが)、少なくとも、選手やチームスタッフ、クラブの関係者に面倒や迷惑をかけないということは、応援する側にとっての最低限必要なことでしょう。

    ガンバのサポーターはこれまで色々散々何かと相当にやらかしてきたので、少なくともそういうやらかしは応援とは全く言えないものであり、今後は無いようにしてほしいです。

  • 新しいテクノロジーが習慣を変える

    いま、プライベートで誰かに連絡を取るときに電話をまずかけるという人は以前よりかなり減りました。たいていは、メールかLINEかあるいはショートメッセージかということになるでしょう。

    特に知らない人、あまり親しくない人同士の電話なんてプライベートではそもそもかけることも減りましたが、企業間のBtoB、あるいは企業と消費者の間のBtoCではまだまだ電話は使われています。

    個人間で電話を利用する場合にしても、基本的には携帯・スマホに登録している人にかける、登録している人からかかってくるケースがほぼ全てとなります。

    そのため、出る方は誰からかかってきたか話す前に分かりますし、かける側も相手側が誰からの電話か分かっていることを前提できます。

    そうなると、通話上での会話の冒頭に、
    「もしもし、誰々です」
    と名乗る必要が無くなります。また、電話を受ける方も、固定電話しかなかった時代では、
    「はい、誰々です」
    と名乗るのが当たり前でしたが、今では携帯で出る場合にも
    「なに? なんかあった?」
    と始めても全然変ではありません。

    親しい個人間ならこれでも全く問題ありませんが、今ではこのマナーがむしろ当然になってしまったため、個人が企業あるいは連絡先をお互いに知っているとは限らない人に対して電話するときにも、名乗らずにいきなり用件を話しはじめるようになります。

    同じことは電子メールとSNS・チャットとの違いでも起きていて、電子メールでは親しい人とも親しくない人ともやり取りしますので、本文の最初で名乗ったり、末尾に署名を付けて誰からのメールか分かるようにします。メールアドレスに名前が入っているとは限らないからで、これは電話番号と同じ単なる記号です。

    その一方でメッセージ・チャットツールアプリでは、お互いに相手のことを分かった上でやり取りが始まりますので、最初に名乗る必要もありません。一文字目から伝えたい内容で開始出来ます。

    ハローもモシモシもメールの署名も、固定電話や電子メールが普及してからの習慣ですので、形が変われば中身も変わるのも当然です。ただ、電話をかけた側は一言でも名乗った方が良いと思いますが、個人情報保護に敏感な人は名乗らないでしょうね。

    個人間でも電話を受けた側が、かけてきた人の名前を話しはじめる前に分かるとは限りません。

    例えば目の不自由な人であれば当然ながら分かりません。あるいは、移動中でイヤホンをしていて、スマホがカバンやポケットに入ったままで電話に出るときにも、イヤホン上の操作で出た場合は相手がすぐには分かりません。

    せめてかけてきた人は名乗るべきだと思うのですが、慣れてしまうと難しいでしょうね。

    イヤホンと言えば最近は1万円程度のワイヤレスイヤホンでもノイズキャンセリング機能が付いているのが当たり前になってきました。性能はピンキリとは言え、すごい時代が来たものです。ノイズキャンセル中ですと、外の騒音が気にならないので、メインの音楽や会話でも音量を大きくする必要がないのはいいですね。

    ただ、電車内とかならともかく街中を歩く時にノイズキャンセリング機能を使っていると危ない場面にも出くわします。

    自動車やバイクの騒音が消えてしまうと、自分の側にそれが来ていても気付かないためにヒヤッとしてしまいます。さらに最近では電気自動車、ハイブリッド車の低速時などではエンジン音がしません。モーターが回っているだけだと外では無音に近く、さらにそこでノイズキャンセルしてしまうとまず聞こえません。

    健聴者ならイヤホンを外せば良いだけですが、難聴や聴覚障がいを持っている人は大変です。勝手に想像するのもおこがましい話ですが、そういう怖さはあるのではないでしょうか。

    また、視覚障がいの方にとっても、耳からの情報は重要なはずですが、電気自動車などの静音性は逆に不便になります。

    障がいを持っていない人間が勝手に推測するのは難しい問題でありますが、新しいテクノロジーが出てくると、便利なのは当然ですがその一方で、逆にそうでもない、かえって不便になるというところもあるのは、頭に入れておかないといけないですよね。もちろん、そういった困難こそ、新しいテクノロジーで解決すべきですし解決出来る問題であると思います。

  • 自然由来の服や食物を知らない時代が来るのかも

    文化・社会・科学技術の発展や進化や変化によって、元々あったものが形を大幅に変えたり無くなったりしても、一部は残ったりします。

    例えばカシャッという、フィルムカメラ時代の物理的にシャッターを切るときの音は、本来の音を聞いたことがある人はもはや30代以上かも知れません。デジカメやスマホでも盗撮防止のために撮影時にカシャッと鳴るようになっていますが、ピッという電子音らしい電子音でも問題ないはずで、既にそういう機種もあったと思います。

    あるいは、パソコン上でのアイコン表示にも、今では使う人がまずいないフロッピーディスクを模したアイコンが存在します。ワードやエクセルの保存ボタンはまだそうですよね。これも初めからこういうものだと思っていたら疑問も持たないかも知れませんが、フロッピーディスクも触ったことがあるのは30代以上でしょうか。40歳あたりでも怪しいかも知れません。

    スマートフォンの電話アプリにだって、昔の黒電話のようなイラストが表示されています。これも同様でしょう。

    ファッションで言えば、フェイクレザーやフェイクファーもあります。皮革や羽毛については対象となる動物の乱獲防止や、動物愛護の観点から人工のものが以前から存在しています。色合い、肌触りなどから、天然物も好む人はもちろんいますが、世界的に人口が増え、ファッションにお金を使える人が今後も増えていくのなら、どう考えても動物資源は足りません。動物愛護の理由があろうとなかろうと、フェイク原料を用いた服やカバンは今後も増えていくと思います。

    人口との関係で言えば、むしろ食品の方が変化は激しいかも知れません。人口増加による食糧危機は以前から危険性を指摘されていますが、その一つの解決策として代替肉があります。牛・豚・鶏・羊、どれにしたって育て始めてすぐに食料として人の口に入るわけではなく、時間も敷地面積も餌も水も必要です。また海で捕れる魚にしても、人口増加地域の沿岸部に住む人による乱獲もありますし、オーストラリアなどでは内陸部から川を伝って流れ込む塩や有害物質による漁獲量の減少問題もあります。

    培養されて生産される代替肉は条件さえ整えば、生産時間や必要な資源を天然物に比べて少なく出来るはずです。ヴィーガン的思想には個人的に賛同するつもりはありませんが、食糧危機を防ぐための代替肉生産には賛成します。

    ともかく、そういう代替肉が一般化してしまうと、元々のものを知らない世代が出てくるはずです。変化が激しい過渡期においては、天然物の状態を再現する必要性(例えば噛んだ感触や溢れる肉汁とか)もあるでしょうけれど、大半の人が元々のものを知らない時代が来たら、そういう性質はあまり必要とされないでしょうね。美味さと値段だけが重視されるようになるでしょうか。それよりも、現実ではあり得ないような形や味など、現時点では未知の食材という未来も待っているかも知れません。

    もしそんな時代になったら、自分自身が
    「今の若い者は天然物の良さを知らない」
    とか言ってしまう老害になりそうで怖いですね。

  • 三度目の安倍政権?

    新型コロナ、さらに変異株による感染が急拡大して三度目の緊急事態宣言を出したタイミングでの選挙で、まあ与党が勝つはずはありませんよね。

    とはいっても、この選挙結果と内閣支持率のまま衆院選に突入すると過半数を割りかねない、という判断をしたら、ウルトラCというかウルトラZくらいのインパクトがありますが、三度目の安倍政権という可能性もあると個人的には怪しんでいます。

    首相としての菅義偉の不人気と、国政選挙にはめっぽう強かった安倍政権時代を考えると、この夏か秋に行われるであろう衆院総選挙前にとんでもないプランも考えている、自民党の中の人もいると思います。

    もう一つ、菅政権では出来ないけれど安倍政権では出来そうなことに東京五輪中止もあるのではないでしょうか。もちろん、オリンピックは東京都で行うものですが、政府が関与しないオリンピックなんて現代ではありません。というよりも、あまりに経済的・社会的な影響が大きすぎて東京都の一存で強行開催あるいは急遽中止の判断を下せるわけもありません。

    政財界に大きなマイナスが出る五輪中止の判断を出来るのは菅総理ではなく・・・と考えると、五輪中止と衆院選のためだけに三度目の安倍政権という、野球のワンポイントリリーフみたいな出番も考えられなくはないです。

    五輪中止の判断は良い方にも悪い方にも大きな影響があるでしょうけれど、五輪のビジネスに関与していない大多数の有権者にとっては概ね好意的に受け入れられるでしょうし、その余勢を駆って解散総選挙に挑めば、また与党が勝つでしょう。そして支持率が高ければ、五輪ビジネス関係者も文句を少なくとも公には言えなくなります。

    そしてまた次の政権に禅譲してしまえば終わりです。この世の終わりのようにも思えなくもないですが、あくまで私の妄想です。

    総選挙の時だけワンポイントで出てきたら笑ってしまいますが、ジョークで済まないのは野党の方でしょう。

    たいていの新政権は、旧政権の不人気や閉塞感を打破してくれるという根拠のない期待感から、支持率は高くなります。さらに前政権が出来なかったことをやると、簡単に支持を得られます。その高い支持率を持って、一番大事な衆院選に政権が挑んでくるとしたら、野党に勝ち目はありません。

    まさかそんな、とは思いますが、非常事態には非常手段が出てきてもおかしくはないですよね。

  • 取らぬスーパーリーグの皮算用

    突如発表されて世界中に大反響を巻き起こし、あっという間に瓦解した欧州スーパーリーグ構想でしたが、後出しジャンケンのようになってしまいますが、どうせ失敗するだろうと思っていました。

    一部のビッグクラブだけで国境をまたいで作る固定的なリーグ構想は、90年代から何度も浮かんでは消え浮かんでは消え、その度に世間からの大反対を食らいつつもチャンピオンズリーグでのクラブに渡るお金が増える形で、一応の決着をつけてきました。

    おそらくは、この2021年におけるスーパーリーグ構想では、仕掛け人やビッグクラブとしては今回こそは実現させるぞという意気込みで臨んだのでしょうけれど、ファン・既存リーグ・政府などからの大反対が起きました。さらには昔に比べると多国籍化した戦力を担っている、自国に戻れば代表に選ばれるはずのスーパーな選手達が代表戦に出られない可能性から、反対に回りました。

    まだスペインのレアル・バルサの二大クラブとユベントスは抗っていますが、実質幕引きでしょう。あとは参加表明したクラブに対してどのようなペナルティが科されるかだけの問題になりそうです。

    結局のところはお金の問題でした。ビッグクラブにしてみたら、既存の各国リーグ戦・カップ戦とチャンピオンズリーグにおいて、大して金にならないショボい対戦相手との試合数が多すぎるので、ビッグクラブ同士だけでの試合で一年間を過ごして今よりも多くの入場料・放映権料を得たい、というのが理由でした。この理由自体は昔から何度も出てきたスーパーリーグ構想の度に言われているものなので、特に驚くことでもありません。

    UEFAや各国サッカー協会・プロリーグが反対することは織り込み済みだったでしょうけれど、当のクラブの選手やファン層からもそっぽを向かれるとは思っていなかったのでしょうか? この辺はかなり楽天的過ぎたのでしょう。

    選手にとっては代表戦を失う以上は今よりもはるかに高い報酬が無いとやってられないでしょうし、ファンにとってはチケット代や中継サービスの料金が値上げされるのも目に見えていますので、反対するのも当然でしょう。

    それ以前に、アメリカのプロスポーツ的運営手法をそのまま持ってきても拒否反応が待っています。

    アメフト、バスケ、野球の最高峰リーグとしてNFL、NBA、MLBが存在していますが、前年順位によるウェーバー制でのドラフト、サラリーキャップ、ポストシーズンなどのルールは全て、リーグ内にいるチーム間の戦力均衡のためにあります。

    自分たちはショボい貧乏クラブとは違う、金も伝統も強さもあるビッグクラブだと自負しているヨーロッパのビッグクラブだけが集まったリーグ内で、収入も戦力も平均化される仕組みが果たして受け入れられるのでしょうか?

    自国だろうと他国だろうと既存の対戦相手をリスペクト出来ないビッグクラブが、ビッグクラブしか存在しないリーグだと大人しく出来るとは思えません。

    例え奇跡的にスーパーリーグが実現していたとしても、それぞれのクラブが好き勝手にやりたい放題した挙げ句に仲違いして破綻していたと思います。

    そもそも、サッカーは得点数が他のスポーツよりも少なく、番狂わせが起きやすいスポーツです。戦力差が結果に反映されやすいイコール番狂わせが起きづらいスポーツのルールを持ってくる必要も無いかと思うのですが、もしかしたら、ビッグクラブの幹部自身が、そのクラブが番狂わせで負けて恥をかくことを最も恐れているのかも知れません。

    そうだとしたら、選手やチームを信頼していない人が運得していることになってしまいますが、これほど不幸なこともないでしょう。

  • 平繁無忙への問合せ

    私の仕事依頼用記事です。

    連絡先はこちらのメールアドレス

    [email protected]

    です。

    現時点では何かを書くことを仕事にはしていませんが……。

    ただ、noteでこれまでに書いてきたような内容であれば、個別に依頼をお受けして作成することは可能です。

    https://hrsgmb.com/n/nb5dbc79e0e9a

    上記のnoteを読んでいただければ、どのようなものが作成可能かお分かりいただけるかと思います。

    よろしくお願いいたします。

  • 一世代30年で見れば、どこで区切っても大きな変化がある。

    この〜〜年の世界や技術の進歩ってすごかったな、過去には無いスピードで進む時代の流れや技術革新について思い返すことがあります。

    ただ、元も子もない話ですが、どんな時代だって変化はあるものであり、一定期間を区切った中でどんな時でも、様々な出来事は存在します。

    一世代とは元々、「世」という漢字が三十を表すように、30年間のことだったというnoteを以前に書きましたが、

    https://hrsgmb.com/n/n85850c4e20f9

    2020年から30年さかのぼったこの一世代において、出来事も新技術・新商品はまさに多様でした。

    <1991年〜2020年>
    バブル崩壊から始まり、Jリーグ開始、Windows95のヒットとインターネットの普及、PHS・携帯電話・iモードの流行、911同時多発テロ、リーマンショック、東日本大震災、スマホとSNS、とざっと挙げてもこれだけあります。

    これだけ革新的な時代ってそんなにないのでは? と思いそうになりますが、さらに30年さかのぼってみましょう。

    <1961年〜1990年>
    テレビや冷蔵庫などの家電製品の普及、新幹線、高度経済成長、東京オリンピック、70年安保、学生運動、ベトナム戦争、大阪万博、ニクソンショック、オイルショック、バブル景気、冷戦崩壊、昭和天皇崩御

    こちらもてんこ盛りというか、西側諸国の技術革新が伸びていき、景気の上下があるも最終的には共産主義諸国を打ち負かすという、技術・商業・政治が絡み合った時代です。

    そこから30年さかのぼると、もう歴史の教科書の話になりますが、

    <1931年〜1960年>
    満州事変、五・一五事件、二・二六事件、日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争、敗戦、独立、復興、冷戦、キューバ危機、宇宙進出、テレビ放送開始

    上記の期間は戦争抜きでは語れません。政治も経済も戦争と密接に関係していました。

    ついでなのでもう一世代さかのぼりましょう。

    <1901年〜1930年>
    日英同盟、日露戦争、明治から大正に、第一次世界大戦、ロシア革命、関東大震災、ラジオ開始、大正デモクラシー、大正から昭和に、映画の発明、電話の発明

    多分技術的なこともたくさん変わっているはずです。エジソンとかベルとか、いわゆる個人の発明家が活躍できた最後の時代でしょうか。

    語弊があるかも知れませんが、一応は時代が現代に近付くにつれて、大まかに見れば平和になりつつあります。そうはいっても各地で紛争も内戦もまだ存在していますが、大国同士の総動員戦争などはもう起こりようが無いでしょう。

    テクノロジーの発展とグローバル化が今後も進むとして、どのような未来になるか、想像や予想は出来ても断定できる人はいません。

    今後の30年、2021年から2051年において何が起きるのか。よく言われるのは人工知能の進化によって人間を上回るということですが、どうなんでしょうね。既にコンピュータの計算速度も、ロボットの馬力も人間を上回っていますが、人間の知能を上回るコンピュータが出てきたらどうなるか、ということは人間の知能で測ることがそもそも出来るのでしょうか?

    哲学の不可知論みたいになってしまいますが、第一、思うとおりに進化が進むとは限らないですし、昔の未来予想図の大半は外れています。

    大きな変化があるかも知れませんが、だからといってそれに怯えるのではなくて、心構えと準備を持って、新しいものに柔軟に対応出来る意識を持っておくしかないですよね。

  • 職業選択の自由と教育

    親が子どもの可能性を広げてあげるのは良いことだと思いますが、学歴のため受験勉強のためにあれこれ手を加えるのはどうかと思います。それで得た学歴を生かす仕事に縛り付けてしまいかねません。学歴は選択肢を増やすため程度に思っておいた方がいいです。その先はもう親の出る幕ではないでしょう。

    義務教育にしろ高等教育にしろ、教育を受けることによって将来の可能性を広げることが出来ます。というかそれが受ける側にとっての一番の目的です。見方を変えると、教育を受けないということは将来就く仕事が限られるという逆の理屈も成り立ちます。

    江戸時代を思い浮かべれば分かりやすいでしょうか。藩校や寺子屋はあっても一律に決まった基準で実施される教育機関が存在しなかった時代においては、親の仕事を子がそのまま受け継ぐのが当然でした。その場合、仕事を教えるのはまず親です。親が自分の仕事を子どもに教えるのが普通でした(もちろん全員が親の仕事をそのまま出来るわけではありませんが)。

    そして明治時代も対比的です。明治政府の成立から殖産興業が始まり、そこでは新たな仕事がたくさん生まれました。そこでは当然ながら世襲はありません。鉄道、新聞などは特徴的ですが、新たな職業では新たな労働者が必要です。

    そもそも国民への教育を義務化した近代国家の目的は、ある一定事情の読み書き計算を身につけた労働者を育てて、近代化してから生まれた産業に労働力を提供するためです。

    親が子どもに教育を受けさせる土壌が無いと、強制させたとしても義務教育がなかなか普及しません。武士にしろ農民にしろ、親の仕事をそのまま子どもに受け継がせるのであれば、教育を子どもに受けさせる必然性が出てきません。

    教育が無ければ親の仕事を継ぐか、非熟練労働者となって不安定な職業に就くことになります。その一方、教育によって職業の選択肢が増えることになります。

    憲法で規定されている「職業選択の自由」は、「教育を受けさせる義務」、「教育を受ける権利」と密接な関係が存在します。

    また、親の仕事を継ぐ方が稀になった今の時代では、仕事の内容を子どものうちに知ることも少なくなりました。

    現代では就職してみないと仕事の中身・現実を知ることがないですので、だからこそ、うつ病やブラック企業、過酷な残業などの問題が出てくるわけです。その解決策の一つとしてインターンシップとかありますが、実際に就職してからでしか分からないこともあるでしょう。

    かつての、労働基準法も児童福祉法も関係ない時代では、子どもが子どもとして働かなくても良い存在でいられるのは短い期間だけです。子守や家事手伝いなどだけではなく、親の仕事を手伝うのも当たり前のことでした。その中で仕事を覚えていく面もあります。

    どっちにしたって良い面・悪い面はありますが、基本的には昔よりは今の方が多くの人にとっては良い環境になっています。その中でも問題があるにせよ、今後も少しずつ解決に向かっていくでしょう。そういったマクロレベルの話だけではなく、個人レベルでも、十分に注意して仕事を選び、そのために教育を受け良く学び、どうしようもない場合は自分を大切にすることを優先すれば、大きな問題にはならないのではないでしょうか。

  • 誰かが道を綺麗にしているということは自慢すべきでもないこと

    日本の道はゴミなどが無くて綺麗だと言われますが、もちろん、諸外国と比べてあくまで比較的という話です。シンガポールのようにポイ捨てに厳しい処罰があるならともかく、モラルだけで成り立っているのは確かに誇って良いでしょう。

    ただ、それがなんで成り立っているのかと考えると、あまり自慢する気にもなれません。

    人が往来すれば自然とゴミは出てきます。もちろん、アスファルトから沸いて出てくるわけではなく、人が排出するからですが、捨てられたゴミ、出てきたゴミは日本でだけ自然と消え去るわけでもありません。

    必ず誰かが路上のゴミを捨てているのです。

    よくよく見れば、人通りがそれなりにある道ならたいていゴミはあります。それでも、ゴミで溢れかえるようなことは、多分日本国内だと無いでしょう。

    必ず誰かが路上のゴミを片付けているのです。

    ゴミを捨てる人がいるから道が綺麗になる、というのは別によく考えてみなくても当然のことですが、ゴミを捨てる人はそんなことを考えていないでしょうし、ゴミを片付ける人も片付けていることを喧伝するようなメンタリティは持っていません。

    ゴミを捨てる人・ゴミを片付ける人の2種類の人がいるわけですが、

    「日本の路上はゴミが無くて綺麗!」

    と自慢げに言う人は、少なくともその2種類のどちらにも分類されないはずです。

    自分がゴミを捨てていることを自覚していれば当然言えませんし、自分が片付ける側ならそんなに綺麗では無いことを知っています。

    かくして、ゴミを捨てる人、ゴミを片付ける人、綺麗になった道を見る人という三者に分かれます。

    綺麗になった道を見る人は、ゴミがあることやそのゴミを片付けられていることを自覚していないわけです。そこで想像して、実際に片付けている人のことに思いが至ればいいのですが、そっち方向ではなく、日本人はきれい好き!最高!という方向に行ってしまうのはちょっと残念なことです。

    もちろん、比較的綺麗であることはおそらく間違いないでしょうし、ゴミを捨てる人を擁護するつもりもありません。ただ、何の苦労も手間も無しに、日本の道が綺麗なままであるわけではないということは、頭の片隅に入れておいた方がいいでしょう。他人の行動で自分が自慢するというのはあまり見栄えの良いものではありませんし。

  • 破綻の責任の取り方はどうすれば良い?

    先日のアルケゴス・キャピタル・マネジメントの突然の破綻によって大騒ぎとなりましたが、市場の反応は大して起きず、実際に損害を被ったクレディ・スイス、三菱UFJ証券、モルガン・スタンレーが大きな損失を計上するくらいに収まりそうです。

    そうはいっても世界的に見れば数千億円のマネーが突然消えたわけで、アルケゴスのような数百億ドルを超えるレバレッジ取引というものの恐ろしさは改めて感じました。

    アルケゴスは一般的なファンドではなく、ファミリーオフィスのため当局への届出も取引や資産内容などを公開する必要も無かったので、リスクを取りたい放題だったのでしょうけれど、今回の問題でファミリーオフィスにも規制がかかるようになるでしょうか。

    それにしても、個人や家族の資産を管理するためのファミリーオフィスにおいて、何倍ものレバレッジをかけて取引をするというのもあまり理解出来ません。しかし、ファンドマネージャーのファン氏が金の亡者だったのかというと、難しいところです。

    自宅は300万ドル程度のものだったそうですし、贅沢の極みのような生活を送っていたわけでもありません。一般庶民には高い家ですが、日本円で兆単位の取引をしていた人の自宅としては、むしろ慎ましいレベルでしょう。彼より少ない取引額・資産額のファンドマネージャーでも数十億円の家に住んでいる人は珍しくないはずです。

    もともと、投資業界をインサイダー取引で追放された後に、規制のないファミリーオフィスで取引を再開してここまで稼いだのですから、単にお金を稼いで贅沢をしたいのではなく、取引をすること・資産を増やすことが自己の存在意義だったのでしょう。その結果としてお金が懐に入ってきただけで、個人の収入はいわば副産物のようなものだったのかも知れません。

    とは言っても、誰かがこの損失を被らないといけないわけで、リスク承知で取引していた各金融機関はそれぞれ金融当局や株主から突き上げられることになります。

    しかし、ファン氏のように、高リスクで取引をし続けて終には高転びした人が、その金額全てを責任を背負うわけではありません。無い袖は振れないのでどんなに法律を犯していても、せいぜい数年程度の懲役刑です。罰金も見つかる資産だけから払われます。

    これは個人だけでは無く法人も同じです。大きすぎて潰せないというのは、日本のバブル崩壊後も、アメリカのリーマンショック後も言われました。潰れた大企業もありますが、国策で残された大企業もあります。

    こう言ってしまうと、上級国民がどうのこうのとか、大企業と政府の癒着だのなんだのという話になってしまいますが、中小零細企業も日本ではそれなりに保護されています。

    零細企業が恩恵を受ける消費税の益税とか、無利子無担保で借りられる融資とか、保証協会やら公庫で借り換え続けて生き延び続けるような、小規模企業はいくらでもあります。最近では、コロナ禍で潰れる会社もあれば補助金・助成金で会社や雇用の維持を出来ているところもあります。

    語弊があるかも知れませんが、潰れる時に潰れない会社は、社会全体から見れば非効率でもあります。平然と潰す完全自由主義社会が理想とは思いませんが、政治的な思惑で生き残りのための資金が融通されるのも、本当に国民全体にとって有益なのかというと、いろいろ思うところはあります。

    ただ、無謀な取引や経営をして潰れそうな会社を税金で救うのと、長年慎ましく商売をしてきた小さな企業を税金で維持するのはまた理屈が異なるでしょう。

    経営者や法人が無茶な投資や取引の結果で破綻した後、その個人も経営陣も大して責任を取らない一方で、その破綻のあおりを食らって失業したり生活が苦しくなる人はたいてい国からも見捨てられます。

    高リスクを取る人から見たら、そんな庶民が貧しい暮らしにあえいでいるのも自己責任と言うことになるのかも知れませんが、高リスクを取って失敗する人だって自己責任のはずですけれど、そういう人は自分の過ちを素直に認めません。

    政府が悪い、マスコミが悪い、ネットユーザーが悪いなどなど、どうのこうのといいわけを言います。勝てば官軍ですが負けても賊軍には現代ではなりません。有限責任を果たせば何だって許されます。この辺は法律の限界ですが、道徳や倫理は人それぞれなので防ぎようがありません。

    ちなみに、アルケゴスを超える損失になりそうな破綻リスクが、中国の国有企業である中国華融資産管理という会社に存在しています。200億ドルを軽く超える借入を中国本土外で行っていた、不良債権受皿機関である華融資産の元会長は、死刑宣告からわずか三週間後に死刑執行されています。「死人に口なし」ということわざを地で行く中国政府が、この融資を中国政府が肩代わりするか、中国国外の機関投資家が損失を被るのかはまだはっきりしていません。

    莫大な損失を招いた人間が無罪や微罪で切り抜けるのも腹立たしいですが、ことがはっきりする前に処刑されてしまうのもそれはそれでアカンのですが、どうも世界はどちらにしろ極端ですね。