平繁無忙の何でも書くブログ

  • 批判する資格

    フジテレビホールディングスの外資比率違反問題は、法律そのものには反していなかったということで幕引きとなりました。総務省の内部ではいろいろあるのかも知れませんが、対外的には総務省もフジテレビもとりあえず何事も無く今後も何も無かったかのように存在し続けます。

    東北新社は認可時に外資比率が規定を超えていたので免許取り消し、フジテレビは認可後にちょっとの期間だけ超えていたということでノーペナルティーというのは、いわば法律側の問題であって違反していないフジテレビが悪いとは法律上は言えないのですが、倫理的・道徳的にはまた別の話でしょう。

    法律の理念には反していたけど法律の条文や解釈そのものには反していないので何も悪くない、とは別に胸を張って言うことでもありません。そう言わないと社外的にも社内的にもダメでしょうけれど。

    少なくとも、東北新社−総務省−菅政権のラインをフジサンケイグループのメディアが責め立てるのは無理になりました。言ったら「お前のところはどうなんだ」というブーメランが返ってきます。

    https://hrsgmb.com/n/n91a390839674

    1年半も前にこんなnoteを書きましたが、この21世紀になっても総務省に放送免許の件で貸しを作ってしまうテレビ局が出てくるとは思ってもいませんでした。

    どうしても脛に傷を持つというか、自分が責められたくない事情を抱えているマスメディアは、政府・政治家・大企業とかへの追求だって及び腰になります。

    報道だって民放では何らかの形で収入を得るから、人件費も取材費も設備費も賄えるわけで、じゃあ報道部門だけで100%予算を確保できるかというとそうもいきません。だからこそ、報道番組の中にエンタメやスポーツも盛り込まれます。エンタメ界やスポーツ界での不祥事やスキャンダルに対して、必要な報道がされるかどうかは、社内の問題でもあるでしょう。

    例えば、プロ野球の巨人に関してスキャンダルがあったとして、読売新聞や日本テレビがその件で厳しい追及をするかというと、するわけがありません。そのことで読売新聞をけしからんと思う人もいるでしょうけれど、そりゃそうでしょと諦観する人もいるでしょう。

    親会社の読売新聞が、子会社に当たる巨人を貶める報道なんてするわけがないというのは、非常に分かりやすい構図です。

    そこまでズブズブの関係で無くても、批判されるべき対象からの利益が見込まれているなら、マスメディアの突き上げは鈍くなって当然です。

    東京オリンピックが本当に今夏に開催できるのか、開催すべきかどうかについては、かなり厳しい見方も出ていますが、当然政府も与党も東京都も委員会も現時点では開催するように動いています。中止や延期が決まるまでは開催を前提で動くのはもちろん当たり前の話ですが、開催された場合に中継するテレビ局は、ジャーナリズム的に批評する立場と言うよりはむしろどっぷり浸かった利害関係者です。

    五輪開催、あるいは聖火リレーの限定的な実施について、果たして為すべき報道がなされているかは難しいところです。忖度しているのか、必要十分な報道を行っているのか、視聴者・読者が個人で判断する他ありません。

    マスメディアは権力の監視に当たる機関ですが、ではマスメディアの監視は誰が当たるのか。

    インターネットの中の人ですか?

  • もしも米中和解が成立したら

    日米首脳会談が先日行われました。バイデン大統領はこれからも対中外交では原則として対抗を前提とするようです。これはまあ既定路線でしょうけれど、トランプ大統領時代からの変化を期待していた中国側にとっては忌々しいことかも知れません。

    そもそも、アメリカの対中外交政策が厳しい目線になったのは共和党・民主党に共通しています。保守的な共和党が国内産業保護のためだけに中国を敵視しているわけではなく、超党派で対中敵視の考えは存在しています。

    人権擁護派も国内経済保護派もみんな、中国はライバルだと認識しているわけで、今後も当面は続くでしょう。そして太平洋の向こう側でアメリカの同盟国として中国に対峙する日本の立場も当面は変わりません。地理的には米中の大国に挟まれていて、単純な距離だけなら中国の方が圧倒的に近いですが、だからこそアメリカよりにポジションを取った方が、偏りすぎずにいられるのかも知れません。

    日本有史以来、大陸進出は悲願でもあり鬼門でもありました。古代では大化の改新後に白村江の戦いで唐・新羅連合軍に惨敗して、朝鮮半島への影響力を失いました。

    その後も、太閤秀吉による朝鮮出兵も二度行った上に失敗に終わりました。さらに下って明治中期以降続いた朝鮮半島・中国大陸への進出も、結局は敗戦によって終わりました。

    日本は、地政学的にどうしても大陸に勢力を拡大したくなりますが、例え一時的に出来ても永続きはしません。だからといって無力であれば、刀伊の入寇や元寇もあったように、今度は向こうから攻めてきます。ある程度牽制できる武力は保持しておく必要はあります。

    戦後の日本はそのある程度の武力としてアメリカ軍を利用しました。だからこそ、日米同盟は不可欠な重要政策であり、アメリカと中国の間でバランスを取るために存在しています。無ければあっという間に中国に取り込まれかねません。

    等距離外交は難しいものです。韓国は保守派が政権を握ると親米になり、革新派が政権を取ると親中になります。今の文在寅政権では親中・親北ということになるのですが、その分アメリカとの距離が空きます。政治制度や経済的な影響では西側諸国の一因なのに中国に近付く難しさが存在しています。

    アメリカの国力が落ちていって、中国が強大になり続けていくと、親米反中路線は日本でも韓国でも難しくなります。その場合に国家運営をどうするかは悩みどころです。本当にそうなるか分かりませんが、そこに至るまで米中の対立構造が続くとも限りません。

    どこかで超大国同士の手打ちがあれば、結局、間に挟まれている国としてはやり方を変える必要が出てきます。実際、数年前に中国がアメリカに対して、米中で太平洋を二分してしまおうと呼びかけました。さすがにその時は話にもなりませんでしたが、中高米低という状況が続けば、そんなビッグディールが知らない間に成立してしまう可能性も全く無いとは言えません。

    かつて、古代中国春秋時代で、北の晋と南の楚が争っていたときは、間にある中小国はある時には晋に、ある時には楚に付いたりして生き残っていました。距離感と国力の伸張を読み間違って、楚に滅ぼされる国もありました。

    晋楚両国がバチバチやっている時、間の国々は戦場になり貢ぎ物も要求され、戦争時にはどちらかの同盟軍としての参加も要求され、弱小国の悲哀を日々味わっていたわけです。

    しかし春秋時代中期の終わり頃には、晋楚間での和平もあり、また内乱・内紛がそれぞれで起きたために大国同士の決戦は無くなりました。ではそれで中間国がハッピーになったかというとそうでもなく、晋楚両国への貢ぎ物が必要になってさらに負担が増えたそうです。

    さらに時代が下っていった戦国時代では、大半の中規模・小規模の国が征服されて無くなっていきましたが、さて、アメリカと中国が近い未来か遠い未来に和解するとしたら、太平洋の間にある国はどうなっていくのでしょうかね。

  • SimpleではないAppleと、革新的ではないIT産業

    昨年発売されたiPhone12miniはあまり売れ行きが良くないそうです。

    個人的には、小さめのiPhoneが欲しい人はSE2を選ぶだろうし、高性能のiPhoneが欲しい人は12ProやProMaxを選ぶと思います。12miniはラインナップでダブついているポジションになってしまっているのでしょうね。

    思えば、iPhoneも種類が増えました。4Sまでは最新製品は1種類でしたが、5と5sが出てから複数が出るようになり、今では12Pro、12ProMax、12、12mini、SE2と5種類になりました。

    iPadもジョブズが発表したときはもちろん1種類でしたが、今ではiPad Proが2サイズ、iPad Air、iPad、iPad miniと5種類あります。

    ApplePencilですら2種類、AirPodsも3種類、Apple Watchも2種類が最新製品としてラインアップされています。

    Macに関して言えば、2015年から出ていた無印MacBookが消滅したので、数年前に比べるとサイズ展開から見れば製品点数は減っているのですが、IntelMacとM1 Macが混在しているのでさらにややこしくなりました。

    いずれはAppleSiliconオンリーになるのでしょうけれど、何年も先の話ですのでまだまだApple製品の陳列棚は減ることは無さそうです。

    まあ、そもそもMac自体がApple全体の売上高の中では少なめですので、ラインアップが増えても減っても大差ないかも知れません。

    AppleはSimpleであるということがアイデンティティというか、DELLやHPみたいに闇雲に製品を増やしていかないことが高い利益率の源泉でもあったはずですが、カラーバリエーションも含めてここまで増えると、だんだん他のメーカー系大企業に近付いているようにも見えます。

    ティム・クックがCEOになってからラインナップが多くなったとも言えますが、売上・利益のアップを求める株主からの圧力にも逆らえないのかも知れません。

    そういう意味では、奇人・変人でもあったスティーブ・ジョブズだったら株主なんか平気で無視していたでしょうし、そんな姿勢をユーザーも支持していたでしょう。

    もうジョブズが亡くなってから今年で10年です。未だに彼の影を追ってもしようがありません。ただ、Apple=Simpleという等式が徐々にニアリーイコールになりつつあるのは間違いなさそうです。

    先日、クック自身が10年後にはAppleにいないと発言しました。もう既に10年近くCEOをしていて、ここからさらに10年というのはないということですが、まあそうでしょうね。

    さすがに次のCEOとなると、ジョブズやジョニーアイブがいるAppleを知らない世代になるかも知れません。その頃になると、Appleも特別な企業ではなく普通の大企業になっているのでしょうか?

    そう言えば、ウォーレン・バフェットはIT企業・テクノロジー業界には手を出さなかったですが、唯一持っているのはアップル株です。GAFAMの中でアップルのみ、ハードウェア販売から始まり、今も核になっている企業です。GoogleもAmazonもFacebookもMicrosoftもネット企業・ソフトウェア販売がメインです。これがバフェットにとっての違いだったのかも知れませんが、見方を変えるとAppleのみ、バフェットの理解しやすい企業になってきたとも言えます。

    IT業界自体が、爆発的に変化が起きうる産業ではなくなっているかも知れません。数人で始めたベンチャー企業は大きくなっていく途中で資本を受け入れたり、買収されたりしていきます。

    これからGoogleやFacebookのような企業が新たに出てくるかというと微妙に思えます。Instagramが売上が全く無い時にFacebookに買収されたように、完全に一匹狼で巨大になることは難しい時代です。

    大企業が中小企業を買収してさらに巨大になっていく、かつての鉄鋼業や自動車産業などがたどった道をIT業界も進んでいます。IT業界はこれから人工知能が一大産業になるのかも知れませんが、ある意味想像の範囲内です。50年どころか、30年前と今との違いと同じ差が、今と30年後の間にあるとは思えません。

    21世紀の後半をリードするような、地球規模のブレイクスルーが起きるのは、IT業界ではなくて全く別の新しい業界じゃないでしょうか?

  • 個人的初めてのメカニカルキーボード購入【Maestro 2S】

    昨年春からコロナ禍により、在宅勤務の日が多くなりました。それまでは自宅ではAppleのMagicKeyboard(テンキー無し)を使っていましたが、会社でしていた仕事をそのまま自宅でやるようになると、テンキーが欲しくなります。数字入力がそれほどないのならともかく、Excelを使う仕事の人は多分必須でしょうね。

    MagicKeyboardに外付けのテンキーパッドを使いもしましたが、MagicKeyboard自体が十字キーの構造に問題を抱えています。

    十字キー

    手探りで分からないというクソみたいな形です。Excelを使う際に十字キーも結構使うので、やはりこのままでは厳しく、結局有線タイプの旧型のAppleKeyboardを手に入れて使っていました。

    画像2

    このキーボードは結構使い勝手が良いです。最新のテンキー付きMagicKeyboardよりも重いので安定性が高く、左右にUSBハブも付いているので、ワイヤレスマウスのレシーバーをここに指せば感度もバッチリです。

    ここからは個人的に変わった使い方だと思いますが、机の上で右から
    マウス
    キーボード
    トラックパッド
    を並べて使っています。トラックパッドはマウス操作の補助的な使い方というか、左手でマウスカーソルを動かしたり、デスクトップ画面をスワイプで切り替えたり簡単に出来ますので、結構便利に思っています。

    こう並べると、テンキー無しキーボードの時にはまだ良いのですが、フルサイズのキーボードを設置すると、両手を左右に広げて使うことになります。キーボードだけ、マウスだけなどなら別にいいのですが、結局全てを使うなら身体の真ん中をキーボードの中心に置かないといけなくなり、マウスやトラックパッドに手を伸ばすときに、少し腕や身体が斜めを向くことになります。

    とは言っても、テンキーも必要。手探りで分かる十字キーも必要。

    ということで、こんなキーボードを買ってみました。

    ARCHISS Maestro 2S(日本語配列)
    https://archisite.co.jp/products/archiss/maestro/2s-jp/

    テンキー付きなのにテンキーレスキーボードサイズ!という商品です。発売されたのが確か2年くらい前のはずなので、ここでドヤ顔でレビューするようなものでもないのですが。

    個人的には初めてのメカニカルキーボードです。これまで、家電量販店のキーボードコーナーで、いろいろ高級キーボードを試し打ちしては値段を見てうーんとなっていたのですが、今回は必要性があると自分を納得させて購入に至りました。

    ただ、メカニカル特有のカチャカチャ音は出来るだけ避けたい。仕事のビデオ会議中にも音が相手に聞こえそうですし。

    そこで買ったのは静音赤軸タイプです。

    パッケージはこちら。

    画像3

    画像4

    付属品はこんな感じ。

    付属品

    とりあえず使い始めはキーキャップを変えず、DIPスイッチも変更しません。Mac向けの配列にはショートカットキーで簡単に切り替えられます。

    ただ、一ついただけないのはキーボード本体側のUSBポートがminiBタイプであることです。

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    久し振りに見ましたよ、miniBとか。まあ、そんな抜き差しするものでもないし、持ち運ぶつもりもないので良いのですが、出来ればUSB-Cが良かったです。

    実際に机に設置してみるとこんな感じ。

    画像7

    白い机の上で白いトラップパッドと白いマウスに挟まれると色が目立ちますね。

    前に使っていたAppleKeyboardと並べると、サイズの違いが分かりやすいです。

    比較

    テンキーレスサイズ!というよりも、2列分幅が狭くなったと言った方がいいですね。

    実際にタイピングした感じは良好です。静音赤軸の名にし負う静かさです。

    幅が狭い代償としてのキー配列の特殊さは追々慣れていくしかないでしょうね。それでも、テンキー無しMagicKeyboardの十字キーに比べたらまだマシです。

    以前にnoteで、自宅のキーボードと持ち運んでスマホやタブレットに接続するキーボードを同じMagicKeyboardにしたら最高だ、と書いたことがありましたが、このコロナ禍では外出もままなりません。カフェでキーボードを取り出して何かを書くようなこともやってられません。ほぼ自宅で行動していることを考えると、自宅のキーボード環境のみアップグレードするのは悪くないですね。

    また、自由に外で行動できるような時期になれば、気が変わってしまうかも知れませんけれど。

  • ネットがつながらない時の覚悟と準備

    「コンピュータ、ソフト無ければただの箱」
    という言葉で私は覚えていたのですが、実際は
    「パソコンは、ソフトが無ければただの箱」
    だったらしいです。SHARPなど多くのパソコンメーカーやメディアで活躍された宮永好道さんという方が残した名言だそうです。

    ソフトウェアが無ければコンピュータだろうとパソコンだろうとハードウェアは基本的には役に立ちません。今の時代では当たり前すぎてもはや何の印象も出てこないというか、ソフトウェアが入っていないコンピュータを想像することの方が難しいでしょう。

    現代の人に伝えるなら、
    「スマートフォン、ネット無ければただの板」
    くらいの言い方をした方が良いかもしれませんが、実際にはネットがつながらなくても使える機能やアプリはいくつもあります。

    例えネット回線がつながらない状態でも、カメラ、ボイスレコーダー機能なんかは単体で使えて当然ですし、自炊したりダウンロード済の電子書籍であれば何の問題も無く使えます。一部のゲームアプリだって通信しないものなら使えます。

    スマホ同士をBluetoothを利用してアドホックでつなげる仕組みも昔からありますが、じゃあ全員使っているかというとそうでもありません。ほとんどの人が同じサービスを使ってBluetoothをオンにしていないと使い物にはならないものです。

    ネットがつながらないときでも使えるアプリ、機能は何かということは覚えておいても損はありません。常時接続が大前提の時代だからこそ、あえて考えないと思いつかないものです。私のようにインターネット老人会に半身を突っ込んでいるようなオッサンにとっては、ネットにつながらない状況を想定するのは難しくないですが、今の若い人たちだとどうでしょうか? 月の通信容量を使い切ったときでも、急激に速度が低下するくらいですし、そもそもWi-Fiがあるところに行けば良いだけです。

    通信会社やDNSサーバに障害が発生したら、個人レベルではなく社会や国家のレベルでインターネットが使えなくなります。あるいは、地震などの大規模自然災害が発生したら、その地域一帯がネットから遮断されてしまいます。

    日本だけで起きた災害・サーバ障害などで日本人がネット接続出来なくなる、というのはやむを得ないでしょうけれど、例えばアメリカで何らかのネット障害が発生したことで、日本でも影響は受けることはあり得ます。

    GAFAのサービスの大半はアメリカにあるサーバに存在していますし、そこで障害が起きれば、少なくとも特定のサービスが日本でも使えなくなります。例えばGoogleのサーバで障害が起きたら、Gmailが日本国内でも使えません。

    アメリカのインターネットがテロや災害で使えなくなったときに、アメリカにあるそれこそGAFAのサーバを利用するメールサービスやチャットサービスだと、日本自体はテロや災害が無いのに日本国内でもネットが使えなくなる、というのは社会運営的には結構致命的です。

    少なくとも日本国内でのメール管理、チャット管理は無いよりはあった方がいいのは当然です。携帯キャリアメールは今後減っていくでしょうけれど、代わりに何か作った方が良いんじゃないでしょうか。

    以前にも書きましたが、政府レベルで出すか自治体レベルか。自分だけのメールサーバの設定を当然のものとして、全国民に教えるか。そこまでは難しすぎますよね。家族単位でも良いけれど、独立や離婚でややこしくなりますし、自治体レベルだって引っ越したらややこしいです。ナンバープレートの陸運局の届出レベルみたいに出来たら良いですけれど。いっそのこと、マイナンバーの数字@japan.jpとかいうメールアドレスにします? まあとんでもないレベルの反対運動とか起きそうですが。

    ともかく、システムに完璧は存在しないですし、障害が発生しないシステム、サーバ、ネットワークも存在しません。障害が起きたときにそれと理解し、また障害が起きても自分の用途は満たせるような使い方は各自必要です。

    BCPとは事業継続計画(Business Continuity Plan)の頭文字を取った言葉です。企業が、テロや災害、システム障害や不祥事といった危機的状況下に置かれた場合でも、重要な業務が継続できる方策を用意し、生き延びることができるようにしておく計画のことですが、企業や大規模な団体・組織だけではなく、個人レベルのネットBCPというのも必要でしょう。

    今の菅政権は、前政権に引き続き携帯電話料金の値下げ圧力を続けています。携帯・スマホ・ネット接続が現代の日本人にとって重要なインフラだからこそですが、それだから「こそ」ネットがつながらない、ウェブサービスが使えないときの計画も結構重要なんじゃないですかね。

  • ドメイン名で安心できる時代、安心できない時代

    インターネットを使う以上、ウェブページ閲覧にしろメール利用にしろドメイン名と無関係ではありません。

    ドメインはウェブ上に存在するコンピュータのIPアドレスを分かりやすい文字列にしたものです。iPアドレスでも区別は付けられるとしても、実際に数字の羅列だけでは自分がいま何のページを見ているのか分からないため、DNSサーバによって文字列との変換が行われて利用出来るわけです。

    ブラウザでウェブページを見るときに、上部にURLが表示されていますが、あそこがそのページの説明にもなっています。

    ドメイン名の後にスラッシュを挟んで、indexとかtopとかaboutとか表示されている部分を見ても、少なくともそのページの制作者が何の意図を持ってそのページを作っているかが分かります。

    ドメイン名自体にも当然意図は反映されます。組織・団体・企業がそれぞれ自分たちの名前そのものあるいはそれに近いドメイン名を取得して利用しているのですが、インターネットが個人レベルで普及して四半世紀以上経つと、簡単なドメイン名を新規取得することはほぼ不可能になりました。

    .comとか.jpとかのトップレベルドメインをマイナーな.shopとか.xyzといったものにすれば、単純なドメイン名を使うことは無理ではありませんが、それはそれで逆に胡散臭さが引き立ってしまいます。

    かといって、.comの前に長々と英語や日本語のローマ字表記が並ぶドメイン名もわかりやすさが減じてしまいます。かくて、閲覧する側もドメイン名をあまり意識しないようになります。

    90年代ならいざ知らず、今、ブラウザにURLを直接キーボード入力して閲覧することは年一回も無いでしょう。印刷物でURL表示するにしてもQRコードがまず間違いなく入っているでしょうし、ハイパーリンクで飛べなくても検索すればまず間違いなく目的のウェブサイトは見つかります。

    では、本当にドメイン名は意図して作成する必要があるのかどうか、という疑問が沸いてきます。完全にランダムな文字列のドメイン名(例えば、wnatij1a39b6weoa2iab52to8b.co.jp)でも、直接URLを見たり入力したりすることなく、リンクやQRコードや検索結果からアクセスするなら同じことです。

    そうなれば、ドメイン名の制約はなくなりますが、問題としてはフィッシング詐欺を見抜くのが難しくなることでしょうか?

    迷惑メールに記載のリンクは、誤認させる対象の存在(例えば銀行やショッピングサイト)の正しいURLっぽいけれど本物とは異なるドメインです。ハイパーリンクは表示される文字列とリンク先の文字列を別に出来るので、こんなフィッシング詐欺メールも簡単に作成出来ます。

    だからこそ、迷惑メールに気付く対策としては、リンク表示にマウスカーソルを合わせて、ウィンドウのステータス表示に出てくるリンク先URLの文字列のドメイン名が本物かどうかを見ることになります。ドメイン名が全くランダムの文字列になってしまうと、そういった見抜き方が使えなくなってしまいます。

    ただ、そもそも迷惑メールに騙されないためにはリンクを確認する以前にスパムフィルタがしっかりしているメールサービス、メールソフトを使えば良いのですけれど、Gmailでもちょくちょくすり抜けてくるので結局末端ユーザーでの心構えがいつまで経っても必要とされます。

    フィッシング詐欺のリンクが機能しないような新たな仕組みが生まれるか、あるいは詐欺に引っかかっても容易に被害回復出来るような、カード決済やデジタル通貨決済が普及するしかないのでしょうか。

    そういった対策が普及しても犯罪者側はまたそのさらに上を行ってイタチごっこにしかならないのでしょうけれど、少なくともドメイン名については、公的組織や大企業のホワイトリストのようなものがあればと思います。

    SSLのEV証明書は、あくまでそのドメインの利用者が実在して組織として機能していることを表しますが、SSL自体はあくまで通信の安全を証明するだけのものですので、目的が異なります。そのサイトの運営組織が悪意を持ってウェブサイトを運営していたら、詐欺の危険性は全く変わりません。

    ハイパーリンク、ドメイン、SSLはインターネットの普及と発展にとてつもない大きな貢献をしてきましたが、さらに少なくとももう一段階追加しないといつまで経っても詐欺被害は減らないでしょうね。

  • コメディの冬

    コロナ禍において、身体的な接触は出来るだけ避けましょう、という風潮というか、欧米社会の文化として出会った際にキスやハグをするのがダメだ!ということになりました。日本では挨拶で接触することはありませんので、その習慣の方がいいとも言われましたが、だからと言って日本人がまるっきり接触しないわけでもありません。

    漫才を始めとするコメディアン、バラエティ番組などで、ボケた人にツッコミとして頭を叩くことはよくあります。もちろん日本人でも簡単に人の頭を叩くものではないのですけれど、外国では当然ながら失礼な仕草です。

    キスもハグもしないけれど漫才でのツッコミで頭を叩くのはポピュラーという日本ですが、日本では身体的な接触が非日常的だから、ツッコミで叩くことが成り立つのでしょうか?

    失礼かどうかという問題もありますが、それよりも社会的に重視されるポリティカルコレクトネスはどんな分野でも求められるようになってきました。それそのものは結構な考えですし、全てを否定するつもりは毛頭ありませんが、何か踏み込んだことを発言すると、引っかかってしまう恐れを考えると、なかなか難しいものがあります。

    現実の人や組織などを取り上げる際には注意すべきなのは当然ですが、ハリウッド映画に代表されるようにフィクションでも同等の厳しさは感じられます。

    フィクションの中でも真面目なもの、シリアスなものならまだいいでしょうが、観て笑っておしまいでいいはずのコメディでもそういう厳しさが求められると、笑っている場合でもなくなります。

    そもそも笑いは誰かを馬鹿にするものです。馬鹿にされる側が了解の上であればちゃんとした笑いとして成立し、了解していなければ揉め事になります。その点では非常に難しい、高度な文化的行動です。

    誰かをネタにして笑いを取ろうとして、ポリコレ的な判断を誤れば即炎上です。そのこと自体は否定しません。そういう時代と言えばそれまでですが、19世紀には小人症や身体障害者の人がそのことをネタにするサーカスや見世物小屋で働くことは珍しくありませんでした。今では当然不可能ですしするべきでもないですし嫌悪感を誰もが持つでしょう。かつて一世を風靡したシャネルズのようなキャラクターももはや出来ませんしやろうとも思わないでしょう。時代が変われば笑いもネタも変わります。

    ネタが変わるのは当然ですが、演者側のパーソナリティも今後変わってくるのでしょうか。二人組の漫才で言えば、男性+男性、男性+女性、女性+女性の内で、単純に数として一番多いのは男性+男性の組合せです。ここに、LGBTですとか、人種、民族、宗教とかが絡んでくる時代がやってくるのでしょうか。

    白人、黒人、スパニッシュ、アジアン、ネイティブアメリカン、男性、女性、LGBT、カトリック、プロテスタント、イスラム教スンニ派、シーア派、大乗仏教、上座部仏教、神道といったバリエーションを揃えても不足は絶対に出てきます。この中の全てを網羅するような人間がいない以上、二人組の漫才をやったとしたら他の属性への配慮が足りないということになるのでしょうか?

    これはさすがに極論過ぎますが、フィクションの冬の時代、コメディの冬の時代が近付いているような気がしてなりません。

  • 「このドラマは手作りです」

    単純な構成のニュース記事であれば、AIによる自動生成文章機能で作成出来る時代になりました。実際のニュースメディアで使っているところはまだ無いでしょうけれど、出てきても読者は気が付かないレベルです。作成したものを生身の人間が校正するなら多分今でも十分なレベルにあるはずです。

    これがさらに進化すれば、ネットから情報を拾ってきて構造的な文章作成するだけではなく、例えば記者会見の音声データをリアルタイムで解析してニュースを作成するのも当然出来るはずです。情報を仕入れて加工して出力する程度の仕事であれば記者の仕事が奪われることになります。実際には、それ以前の取材や他の情報源も参考にして書くでしょうから、そうそう入れ替わることはないかも知れませんが、デジタル情報で出力されるものはいずれは自動生成に置き換えることも可能になるでしょう。

    フィクションの分野も例外ではなく、小説や漫画、イラストも自動で作成される時代が来ます。人工音声は既にありますので、文章を自動生成できれば、それこそアニメや実写のようなドラマだって可能になるでしょう。

    ただ、それを見たいと思うかは別ですね。

    シナリオ、ストーリーが優れていれば見る、と言う人もいれば、人間が演じていないなら見る気になれないと言う人もいるでしょう。当たり前ですが人それぞれだと思います。

    以前、将棋やスポーツでAI・ロボット同士の競技を見るかどうかというnoteを書いたことがありましたが、フィクションでも同じことかも知れません。

    AIが面白いフィクションを作り出す時代になったとしても、人間が作ったフィクションを好んで見る人もいるはずです。そうなると、AI作成か生身の人間作成のものか区別が付くように、わざわざ言わないといけない時代が来るかも知れません。

    スーパーに並ぶ野菜に生産者表示があるように、あるいは遺伝子組み換えではないという表記のように、AI自動作成ではありませんとか、生身の人間が書きましたというキャプションが付くような時代になるでしょうか。

  • コロナ後の近い未来

    日本におけるコロナ陽性者数は減ったかと思えばまた増えて、日々の増減に翻弄されているような状況で。多くの国で変異株による感染者数がまた急増しています。

    ただ、1年前の2月3月あたりのどうなるか分からない状況よりはまだマシでしょうか。少なくともガッツリ往来を減らせば感染は減るので、経済と制限の兼ね合いで調節しながら、ワクチン接種を進めていけばなんとかなりそうという、淡い期待は抱けるくらいにはなりました。

    そうは言ってもワクチン接種はまだまだ途上ですし、副反応の問題もありますし、さらなる変異株もあります。ただ、100年前のスペイン風邪だって数年で収束したわけで(被害は今回よりはるかに多かったですが)、永遠にこの状況が続くこともないでしょう。

    コロナ禍によって誰の生活も一変しました。実際に感染した人は大変な思いをしたのは間違いありませんし、亡くなった人もたくさんいます。

    それ以外にも、様々な活動やイベントがストップし、失業した人、精神的に苦しんでいる人は感染者以上にいることでしょう。

    そういった、コロナ禍で悪影響を被った人は世界中に数十億人いるでしょうけれど、逆にこのコロナ禍によって生き方が楽になった人だって数はともかくいるはずです。

    学校でイジメに遭っていた人がリモート学習になって精神的に救われたかも知れないし、満員電車で痴漢に遭っていた人は被害に悩まされなくなったはずです。

    介護や育児が必要な家族がいるのに毎日長時間の通勤が必要だった人は、在宅勤務で家族を見守りながら仕事を出来るようになりました。

    コロナ禍で通常の状態から悪い方向に変化した人については、当然ながら政府もマスコミも諸団体も配慮があってしかるべきとされます。しかし、もともと苦しんでいた人がコロナ禍で学校、仕事、生き方が良い方向とは言わないまでも、苦しまなくて済むようになった

    またコロナ禍が収まり、また前の生活が戻れば、また前の苦しみが戻ってくる人がいるとしたら、あまりに残酷です。今の状況がずっと続いて固定されれば良いとは思いません。ただそう願いかねない苦しみや辛さを持っていた人もいるはずですが、そういう人は目立ちませんし、マスメディアもあえて取り上げないかも知れません。

    選択肢が増える未来が待っていれば良いのですが。

  • 2021年4月11日J1リーグ第9節柏レイソル対ガンバ大阪DAZN観戦の感想

    コロナに苦しめられたガンバは、リーグ戦に戻ってきてから2試合ともスコアレスドローに終わりました。それでも、元日の天皇杯決勝、2月のスーパーカップ、そして開幕戦と今年の公式戦は負け続けだったことを考えると、2分けにも価値は十分あると思います。

    もちろん、強力なはずのFW陣が無得点なのは意外というか期待外れではありますが、他のチームは試合をこなして今シーズンの戦い方が確立し始めた一方で、ガンバはそこまでではないというハンデを考えると、いずれは爆発してくれるものと信じています。

    さて、今日は日立台での柏レイソル戦。まだまだ固定のスタメンというか、これが今年のベストメンバーという布陣を見つけられないガンバですが、今日はブラジル人FW3人を同時起用で挑みます。

    試合数に差があれど、ガンバと柏の勝ち点差は2ですので、今日勝てば順位で上回れます。まだまだ残留争いを気にする時期ではありませんが、4チーム降格する今年はどうしても気にしてしまいます。

    試合開始後から結構ガンバが前掛かりに攻め、パトリックが抜け出して惜しい場面、倉田のクロスから最後は高尾のシュートなどありましたが、惜しくも決めきれません。

    その後も両チームとも裏に抜けるボールがメインの攻撃とし続けますが、どちらの守備も破綻せずにシュートまでもなかなか行けなくなります。

    ガンバの攻撃で言えば、どうもポゼッション時の人の配置というか距離感がチグハグな気がします。中盤で前を向いてボールを持った時に出す先があまりありません。結局、後ろからのロングボールの方がチャンスになりやすい皮肉な状況です。

    34分にはガンバのCKからのカウンターで危険な場面もありましたが、幸運にも柏のシュートが外れました。39分にも最後にはクリスティアーノのシュートまで持っていかれましたが、ペナルティエリア内どころかゴールエリア付近でディフェンス陣が身体を張って守って何とかしのぎました。

    結局前半は最後攻められ続けましたが、守備の問題と言うよりは効果的な攻撃が出来ないことの方が大きかったはずです。

    後半開始では、レアンドロペレイラに代えて宇佐美が入りました。最前線でのシュートを目的とするよりは、アタッキングサードでのボールキープとパスが期待されます。

    それでも48分には江坂の鋭いシュートを東口が何とか弾くシーンも作られます。

    一方、ガンバの攻撃ではカウンターから51分に宇佐美のシュートまで持っていけました。

    62分には相手のシュートがギリギリ外れてくれました。63分に井手口・小野瀬が入り、これで中盤の構成が去年に近付きました。直後にセジョン、倉田とつないで宇佐美のシュートがDFに防がれます。

    一進一退と言うよりは、一進二退くらいの試合展開でしたが、76分についに柏の大谷に決められて失点。そしてそのままビッグチャンスも無く試合終了。

    結局、開幕戦から得点出来ない状況は全く変わっていません。惜しいシーンは当たり前ですがありますが、決められないという点では前線の選手の問題ですが、そもそもチャンスが少ない、攻撃が効果的に組み立てられないというのはチーム全体の問題です。

    試合展開的には神戸との開幕戦の繰り返しでしたが、上手く行かない感じとしては今日の方が大きかったかも知れません。

    次は水曜のアウェイ鳥栖戦。好調の鳥栖相手にこれまで通りの戦い方をしたらどうなるものか。そろそろ、宮本監督が大きな手を打ちそうな気がします。

    しかしねえ……、まだ今年になってからガンバは勝っていないんですよね……。

  • 浜の真砂は尽きるとも世に接待の種は尽きまじ

    法律や条令で規制される、あるいは官公庁の入札が命綱になるような産業では、政府と特別なつながりを求めてエリート官僚の定年後に天下りとして受け入れることはよくあります。企業だけではなくて、大学・公社・公団など官公庁の影響力の強い組織に行くこともあります。

    今さら言及することでもないのでしょうけれど、数年前に大々的に摘発された、文科省における天下り仲介問題では他省庁の天下り斡旋も明らかになりました。

    ゴキブリは1匹見つけたら30匹はいると言われますが、不正や汚職は発覚したときに氷山の一角と言われます。

    これで天下りが根絶されたわけでもないでしょうし、それ以前にもあったでしょうけれど、業界団体と政府・官公庁の結びつき方は形を変えた、あるいは別ルートもあるのだろうなと思ったのが、先日の東北新社による総務省接待事件です。

    今の菅首相が長男を東北新社に入れたのは2008年で、その翌年の総選挙後には官僚主導から政治主導を謳う民主党政権が誕生しました。

    官僚中心の政治から官邸中心の政治になれば、官僚の天下りを受け入れるよりも有力政治家の子弟を受け入れる方が、許認可に左右される企業にとってはメリットが大きいでしょう。

    先述の文科省天下り問題は2017年に起きましたが、東北新社のCS事業認定は2018年です。それらに直接的な関連はないでしょうけれど、法案作成だけではなく政治と企業の関わりも官僚主導から政治主導になっていっているのでしょうかね。

    天下りしようがコネ入社だろうが、その人物を受け入れた企業や団体は政府とのつながりを持ち続けるには接待なり交渉なりは必要です。

    だからこそ政府高官との会食を行うのですが、そりゃその場そのもので重要な政策や法案について情報のやり取りなんかしないでしょう。あくまで「交流を深める」ための儀礼的なものだったでしょうけれど、特定の企業が特定の官僚と特定な交際関係を持つことがそもそもアカンのですよ。

    会食中の会話の中身に関係なく、会食自体が罰せられるのはそのためであって、弁明で何も無かったというのは弁明になっていないのですけれど。

    そんなに一緒にメシ食いたいか、と言いたいですが、多分役人の方も企業の方も、内心では面倒くせえと思いながら飲み食いしてるんじゃないですかね。金のため、会社や同じ省庁の後輩やらのために飲み食いしているのだとしたらクソつまんないでしょうね。

    役所と企業の線引きが出来なくなると不正が生まれるのは当たり前のことで、境界は守られるから境界たり得ます。

    古代、新任の役人が地方に赴任する際に「坂迎え(境迎え)」といって赴任地の境界近くで、供応・接待される儀式があったそうです。接待というのは境界線上で起きるわけで、別に日本固有の不正でもないでしょうけれど、接待を防ぐには境界線を厳重に守るか、境界をいっそのこと無くすかするしかないですかね。

    境界線を厳重に守っているのは、個人的なイメージではヨーロッパの一部の国々で、境界をいっそのこと無くしてしまっているのは、企業が議員を大っぴらに札束で殴っているアメリカです。前者は日本には無理そうだし、後者みたいになるのもちょっとなあ……。

    第一、フジテレビホールディングスの外資比率問題では、東北新社とは状況が多少は異なるとはいえ、特別な接待をしていなくても総務省からは問題なしとのお墨付きをもらえました。接待しなくてもOKなほど、普段からそれなりにつながりがあるんでしょう。そう言えば、フジテレビには誰か政治家の子弟とか勤めていないんでしょうかね。そういった日常的に効果を発揮するようなコネクションがあるのなら、特別な接待なんか不要でしょうし。

  • 政権交代があっても継続する政策をもたらす現代貴族

    政権が変われば政策が変わります。それは当たり前のことなのですが、前政権のあらゆる全ての政策を逆転させてひっくり返すことはまずもって不可能です。かつての野党・反政権側にいたとしても反対は出来ないような政策は当然ながらそのまま継続します。

    民主党政権から自民党政権、あるいはその前の自民党政権から民主党政権への移行に際しても、引き継いだ政策があれば引き継がなかった政策もあります。

    例えば、官僚批判をしていた野党民主党が政治主導を唱え、その民主党から政権を奪還した安倍自民党も官邸による官僚支配を強めました。野田政権が敗れた一因の消費税増税も安倍政権では2度実施されました。民主党政権だってそれ以前から進んでいたマイナンバー制度を止めることなく、次の安倍政権で正式スタートにつなげました。

    もっと昔の話で言えば、徳川家の江戸幕府が長期政権たり得た二つの要因である、参勤交代と転封制度も豊臣秀吉の頃から始まっています。

    参勤交代は、大名の家族を江戸に集中させたことで実現させましたが、元は秀吉の頃に豊臣政権の中心地であった大阪城、聚楽第や伏見城の周りに大名屋敷を作って家族を住まわせたが始まりですし、転封制度も秀吉の命で大大名をあちこちに移動させました。それこそ、豊臣政権にとって最も危険な存在だった徳川家を東海地方から関東地方に移動させたことが、江戸幕府の始まりの始まりです。

    転封・参勤交代という稀な制度によって、連邦制国家のような各地域の領主の権力は限定的なものになりました。なんせ転封になれば住民や産業、文化はその地に残ったままで、支配層の武士だけが移住するのですから、領主が地域に根ざした権力を持つことはままなりません。江戸時代においては移封されなかった薩長土肥が倒幕の中心になったのは逆の意味でそれを証明しているかも知れません。

    その倒幕を実行した明治維新は、「維新」であって「革命」ではありませんでした。天皇を中心とした政権でもあるのですが、そもそも「革命」的な断絶までは起こらず、明治初期を通じて徐々に国の形を変えていきました。大名・武士階級の中で没落する者もいれば、華族として官僚として実業家として成功する者もいました。江戸時代の支配階級が転覆されて庶民層が一気に社会層の上層部に成り上がったわけでもありません。そういう意味では「明治革命」という言葉が存在しないのは当然です。

    国家運営上、どうしても必要な政策は多少の変動はあれど政権交代があろうが進めざるを得ません。画期的な出来事で体制が変わっても全てが変わるわけではありません。画期的な出来事で、画期的な出来事をまたいで、継続的に利用される体制や政策は存在します。野口悠紀雄氏の1940年体制理論も同じようなものでしょうか。

    今のアメリカ合衆国のバイデン大統領も、基本的にはトランプ時代をひっくり返していく体で進めていますが、対中国や対ロシアの政策をガラッとは変えないでしょう。対中強硬派は党派的ではなく超党派でつながっています。

    結果的に、政権が変わっても継続的に進む政策が結構あるのであれば、政権が変わることを長期的視野に立った政策の断絶として恐れなくてもいいでしょう。

    ではなんで政権が変わっても全てが変わらないかというと、もちろん継続すべき、党派の垣根を越えて普遍的な実行して当然の政策もあるでしょうけれど、それ以外にもそもそもその政策を実行して欲しい、実行させたい層もいるからです。

    政権がどっちに転ぼうが、継続される政策によって利得を享受し続ける層というのは、王朝が変わっても領主たり続ける貴族のような者かも知れません。

    貴族というと何もせず、搾取した富で楽して生きるようなイメージもありますが、実際には一番重要な、「貴族であり続ける」という任務が存在します。

    貴族として存在し続けるための行動はいわば仕事であって、その中には武力行使も経済発展も含まれます。子どもを作って後を継がせるだけではすぐに没落します。

    貴族の仕事が家の存続と特権の維持を意味するなら、現代の世襲政治家、企業経営者の一族、資産家などは貴族に当たるでしょう。

    しかし現代は民主主義社会であり、貴族制ではありません。かつての貴族は法や慣習に守られていたがそれもありません。そのため、ガチの既得権益層・貴族層は政権担当がどっちの側に転んでも生き残れるよう、利益を得られるように配慮しているはずです。関ヶ原の戦いの時に、親子や兄弟で東西陣営に分かれたように、片方にオールインしていなければ何とかなります。

    日本だけではなく、民主主義化した欧米でもその意味では貴族は存在します。日本ほど世襲政治家がいないとしても、アメリカのケネディ一族は有名ですし、今のカナダ首相は父親も首相でした。共和国だからと言って現代貴族がいないわけではありません。

    政治貴族・企業貴族が存在する国では、政権交代が起きても抜本的には変わりづらいのです。既得権益層として政策の断絶を拒みます。逆に言えば、抜本的にガラッと変わる国は貴族層がいないことになりますが、それが良いかはまた別の問題です。政権交代の度に、方向性が180度変わって一からやり直しの繰り返しを数年毎にしていたら、経済も福祉もグチャグチャになるでしょうし。

    微妙に影響力を持っているくらいの現代貴族層がそこそこいる程度であれば、一番塩梅が良いのでしょうけれど、そう上手く行かないというのは、多分どこの国のニュースを見ていても実感出来ますよね。