平繁無忙の何でも書くブログ

  • 挙措進退で国家を批判する人、暴力で何とかしようとする人

    ミャンマーでは選挙結果に不満の国軍がクーデターを起こしました。アメリカでは選挙結果に不満のトランプ支持層が議会に乱入しました。ベラルーシでは選挙結果に不満の反独裁者派が抗議行動を起こしました。どこの国でも選挙に負けたら不満を持つのは当然ですが、それに対して起こす行動は様々です。

    負けた側が不正があったと叫ぶのは良くある話ですが、実力行使をするとさらに事態が悪化します。独裁が行き着くところまで行くと、欧米の価値観では民衆が立ち上がって革命を起こすだろうと考えるのでしょうけれど、世界を見ればむしろそれが少数派なのだと思い知らされます。

    ロシアのプーチン大統領も中国の習近平国家主席も、自分の権力から任期を取っ払って死ぬまで最高権力者であり続けるつもりのようですが、そもそも独裁者の終身制というのはむしろ当たり前のことで、独裁者が権力を平和裡に後継に委譲する方が珍しい話です。たいていは死ぬまで権力を保持するか、政変・クーデター・革命・他国からの侵攻によって権力を覆されます。

    権力を失ったときに、
    「私は法的に死ぬまで最高権力者だ」
    と主張したって、法的根拠の元となる権力自体が存在しなくなっているのですから、あっさり無視されて良くて幽閉、悪くて処刑でしょう。

    独裁者ではなかったとしても、選挙に不正が無かったとしても、国家と個人の関わり合いは難しいものです。

    現実世界にはヒーローもスーパーマンも存在しません。楽園もパラダイスも桃源郷もユートピアも存在しません。打ち出の小槌も賢者の石もミダス王の手も存在しません。人が出来ることは限られています。

    国家が誤った道を進んでいるときに、反対の声を上げるのは当然のことですが、どこまで関わるかというのは人それぞれでしょう。厳しく戦い過ぎれば命を奪われます。命惜しさに退くというのは言い方が悪いですが、古い国家を壊した後の新しい国家で必要な人もいます。

    古代中国春秋時代の衛の国の大夫だった蘧伯玉は、孔子と同時代の人でしたがその在り方、挙措進退を孔子は何度も絶賛しました。

    その頃の衛の国は、君主やその家族、近臣などの権力抗争によって乱れており、大夫としての国家・君主への仕え方が難しい時代でしたが、蘧伯玉の生き方を孔子は、

    「蘧伯玉という人はなんと優れた君子だろう。国家に道ある時は進んで仕え、国家に道無き時はすぐに退きその才能を懐に巻いて収めた」

    と称えました。優れた君子、賢臣がいることでその国が信用されることもあり、逆にその君子を生かせないとその国が信頼されないということもあった時代です。生き方によって衛という国の本来の在り方を示し続けた蘧伯玉を称えたのですが、人によっては、政治に関わる立場なら積極的に国家を正しくするように行動するべきだとも思えるでしょう。

    ただ、蘧伯玉を称賛する孔子自身が、そもそも儒学に基づく改革をさせてくれる国を求めて、弟子達と共に放浪し続けた人です。蘧伯玉は何もしなかった怠惰な保身主義者ではなく、国家から退くことが国家に対する最大の批判者であったのです。

    正道を進んでいない国家に対してどうあるべきかは難しいものです。少なくとも、議会に乱入したり軍隊でデモ隊に乱射する人は蘧伯玉とは真逆なんでしょうね。

  • 情報ミニマリストと情報ゴミ屋敷

    物が少ない時代においては、物を多く持っていることは豊かさ、少なくとも経済的な裕福さの証しでした。しかし今では、金持ちほど部屋や持ち物は少なくなりました。ミニマリストのみならず、物が自宅や自室、カバンやポケットに溢れかえっている金持ちはあまり見かけません。

    逆に、物が多すぎる人は貧しいとまでは言わないでも、裕福とは言えない人である証しとも言えるような時代です。いわゆるゴミ屋敷を例に出すのはやり過ぎかも知れませんが、物を厳選して整理整頓することと、経済的に成功することに必要な資質に関連性はあるでしょう。

    大量生産・大量消費の時代を過ぎると、物をたくさん持っていることは経済的裕福さの証しでは全く無くなったわけです。ミニマリストはその一つの現れです。

    では、情報についてはどうでしょうか。

    かつては情報も貴重なモノでした。「知識人」という言葉が示すように、「知識」を持っている人は限られていました。しかし、質はともかく量だけなら、ほとんど全ての物事に関する知識をインターネット経由でわずか数秒で目にすることが出来ます。

    「蔵書家」という言葉もあまり聞かなくなりました。書籍以外からも大量の情報を得られる時代であると共に、蔵書もこれから出る本については電子書籍でほぼ全てカバー出来ます。蔵書の多さも知識の豊かさの担保では無くなりました。

    情報・知識を自分の脳内に大量に所有していることは他人との差別化というメリットではない時代になったわけです。逆に、SNSの悪影響を取り上げるまでもなく、余計な情報を受け入れすぎることによって、生きる上でのマイナスなことだって起こり得ます。自分の頭の中で情報を雑多に詰め込みすぎて整理できなくなってしまうのは、情報のゴミ屋敷のような状態と言えます。

    むしろ、多数の情報から厳選する能力が必要になる時代でしょう。情報に関するミニマリスト的なアプローチも出来るようになっておかねばなりません。大人にとっての心構えだけではなく子どもに対する教育自体も、情報が少ない時代に通用していた教育法から変えないといけないかも知れません。

    情報は新しい方が良いというのはGoogle検索結果の順位付けの一つですが、新しい情報に価値があるということは、その情報はすぐに陳腐化して役立たずになることの裏返しです。

    逆に古い情報の中で現代でも残っているものは、時代を超えて通用する情報であることの証しです。100%そのままで通用するわけではないでしょうけれど、時代に合わせてアップデートしていきながら、将来に受け継いでいけるはずです。

    良いものは長く使えるということは形のない情報よりも、形ある物品の方が分かりやすいはずです。

    安かろう悪かろうの商品は長持ちはしません。逆に良いものは長く使えますし、もし欠けたり壊れたりしても修理して使い続けるのも無理ではありません。安物は修理自体が前提とされていないものも多いです。

    修理できる権利を消費者に認めて、メーカーへの10年修理可能の義務を課す決議がEUで採択されましたが、本当に価値あるモノは修理してでも使いたいはずです。

    情報だって同じことで、価値ある知識・情報は時代を経ても通用し続けます。質の高い情報を厳選するのは難しいかも知れませんが、誰にでも出来るのは古典を読むことです。

    古典の文章をそのまま文字通りには現代社会に適用できないでしょうけれど、エッセンスを取り込み今に合わせて解釈し直せばいいだけです。それはまさに「情報の修理」であって、それが出来るということは逆に「古典」が古典たる理由と言えます。

    500年前の古典を200年前の人が大事にしていたのであれば、現代の人にだって大事にして通用させることは出来るはずです。単なる懐古趣味ではなく自分が生きる上での道徳律として生かしてこそ、厳選した情報を活用していると言えるのではないでしょうか。

  • 何かちょっとしたことを変えてみると。

    何かをして、どこかに行って
    「人生が変わった!」
    とよく聞きます。

    揚げ足取るなら
    「人生は誰にだって1回しかないものなので、変わったかどうかは確認出来ない」とかいくらでも出来ますが、それはともかく実際に変わるのは人生観とか価値観とか生き方とか生きがいとか、生きる上で持っている考え方の方でしょう。

    ずっと同じ場所で同じ考えをもって同じことをし続けるのは、居心地が良いものです。ただ、居心地が良すぎるとそこから変えず動かず、停滞や怠慢の原因にもなりかねません。居心地が少しぐらい悪い方が発展のためにはいいのかもしれない、とまで言うと言いすぎかも知れませんが。

    ただ、自分が変わろうとして何かを変えてみれば、居心地どうこうよりも環境が変わってまた気分も変わります。無理のない範囲であればそれは良いことに違いありません。

    自分からすぐにパッと変えられないのなら、人に背中を押してもらっても良いでしょう。自分の親しい友人や家族のアドバイスもあるでしょうし、あるいはネット上のインフルエンサーに影響されたり、占いで思ってもみない指摘をされて行動を起こしてみるようなケースもあるでしょう。

    どうであっても、そんなに危険とかリスクを背負わないのであれば気軽に「チェンジ」してみればいいんじゃないでしょうか。いきなり2代前のアメリカ大統領のフレーズをぶち込んでみましたが。

    まあ、そういったアドバイスにしろ占いにしろ、振り回されたり、迷って悪い方向に行ったりする怖さはあります。個人的には、占いは迷いを断ち切って前に進むための物であって、迷いを生んだりマイナスな方向に進ませたりする占いや占い師は三流以下だと思っていますが、人が人にアドバイスするというのはまあまあ難しいものです。

    自分を見失っているような人には、大きなことを助言するよりも今いる自分の立ち位置を教える程度でいいとは思いますが。

    自分から何かを変えてみるアクションとして、本当に些細なことですが、住んでいる町の通ったことがない道を歩いてみるということたまにします。

    長く住んでいても通る道はたいてい決まっています。けれど、ぶらぶら散歩するときにでも知らない道をずっとたどってみると、
    「あ、ここに出てくるのか」
    ということがあります。もちろん道中には色々な発見もあります。

    全然知らない道を歩き続けたとしても、スマホの地図アプリを使えばすぐにどこか分かります。迷子になる心配はもはや無い時代になりました。

    コロナ禍においては出来ることは限られますが、自宅でもネットやスマホ上でも、これまでの自分とはちょっと違うことは、探せばいくらでもあるのではないでしょうか。

  • 「聞かない人」<「聞くだけの人」<「調べてから聞く人」という不等式

    「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」という格言があります。

    自分が知らないこと、分からないことをそのままにすることにより、大きな失敗や損害を招いてしまうよりも、知らないことを認めて知っている人に聞いた方が良い、という教訓ですが、聞くことだけで終わってしまわないようにすることも大切です。

    自分が分からないことに出くわしたときに、誰かに聞いてそのまま右から左に流して解決するだけでは身につかない可能性があります。

    一昔前、というか二昔前までならいざ知らず、今の時代はたいていの情報はウェブ上に存在します。もちろんその情報の質や量は様々ですが、まるっきり何も情報が無いという問題の方が少ないでしょう。

    解決方法がどうしたって分からない、見つからない問題で、誰かに聞いたらすぐに分かるものであれば聞いた方が手っ取り早いし効果的でしょうけれど、それにしたってある程度は自分で調べてからでないと、教えてもらった内容を理解出来ないかも知れません。

    自分の困難を解決するには、自助努力が必要なのは当然のことです。そうはいっても難しい場合は当然他人の助けが必要で、それを求めること自体は恥ではありません。まさに「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」そのものですが、

    「人に聞かない」<「人に聞くだけ」<「調べてから人に聞く」

    という不等号が成り立つはずです。ある程度は悪戦苦闘して自分で調べてこそ、他人からのアドバイスがすんなり入ってくる、ということはあると思います。

    あえてすぐに人に聞きたいのであれば、調べ方・考え方を聞くべきでしょう。

    自分で調べて見つけた解決法はそうそう忘れません。忘れたとしても、調べ方自体を理解していれば、また同じ解決法を簡単に見つけられるはずです。そして違う問題でも方法が分かっていれば解決策を類推するのも容易です。

    これと同じ扱いをすると語弊があるかも知れませんが、発展途上国に対する支援でも、直接資金を渡すのではなく、資金の稼ぎ方を教えるべきだという意見もあります。

    先進国が途上国に直接お金を渡しても、それで例えば食糧や燃料を購入したらそれで終わりです。石油や鉱物の採掘技術を導入したり、教育に資金投下して技術者や熟練労働者を育成したり、あるいは輸出のための港湾・鉄道・道路などのインフラを整備したりして、将来的に外貨を稼ぐために使ってこそ、資金援助が生きてくると言えます。

    途上国の問題は政情不安や汚職など別の理由もあるのでそれだけでもありませんが、与えられるだけだと発展しないのは国家も人も同じでしょう。もちろん、これは自戒でもありますが。

  • Jリーグ春秋制とEUのサマータイム廃止と

    私の愛するガンバ大阪では2月の開幕戦後にチーム内での感染のため、3月丸々試合無しという異例の事態になりましたが、ようやく4月になって試合を出来るようになり、昨日はアウェイ広島戦で攻められながらも引き分けに持ち込めて待望の今年最初の勝ち点を得ました。

    特定のクラブだけではなく、リーグ運営そのものが維持できるのか、クラブ経営の破綻を防げるのかということが、この2シーズンでの最優先の課題でした。

    このコロナ禍で吹っ飛び、もはや誰も話題にしていませんが、Jリーグのシーズンに関して、春秋制維持、いや秋春制への変更だ、といった攻防がしばらく続いていました。

    Jリーグ内部あるいは日本サッカー協会内部で、シーズン制についてどのように議論が進んでいるのか分かりませんが、毎年のように発生する豪雪被害を考えると、地球温暖化というよりも、夏の豪雨と冬の豪雪に悩みながらのシーズン運営が今後も続いていくのは間違いなさそうです。

    そもそもJリーグが春秋制なのは、日本社会自体が春に年度が始まることに起因します。そしてなぜ春に年度が始まるかというと、稲作文化では春に田植えをして秋に収穫するからです。

    これをヨーロッパに当てはめると、冬小麦は秋に播いて春に収穫するから秋春制になったという理屈まで持っていけます。

    実際の文化・社会の成立はそんな単純なものではないでしょうし、農作業が収穫物に関係無しに個人も政府も動ける時代になったのですから、利便性や合理性を元にシーズンの始まりと終わりを決めればいいのですが、長く続いている慣習というものは変えられないものです。

    春秋制・秋春制は当面このままでしょうけれど、変えられるものは変えられることを証明するのが、今年行われるヨーロッパでのサマータイム廃止でしょうか。

    夏は1日の活動時間を早くするために時計を1時間進めて、寒くなる前に元に戻すというサマータイムというシステムは欧米社会を中心に続いてきました。

    しかしこれがずっと昔から存在した習慣とは言えません。当たり前ですが正確な時計が発明・普及してからですし、国全体や一定地域において一斉に時間を変更出来る政治体制があってこその話です。

    実際にはこの100年くらいのことで、多分、時計の動力がネジ巻きや重りから電気に移行したくらいのタイミングでしょうか。

    EU加盟国では今年、サマータイムによる時間変更が無くなります。各種ITシステムで時間変更の手間がかかることや、生活時間の変更による健康悪化、交通事故が増えるとか色々あったらしいですが、一番は「めんどくさい」のが理由なんじゃないですかね。

    たかだか100年程度の歴史の伝統・習慣であれば、決断すればさっさと無くせるということです。日本でも、この100年以内に出来た伝統で無駄や無意味になりつつあるものもたくさんある気がしますけれど、ダラダラ続いていくんでしょうかね。

  • ブラウザ上で動くアプリ全盛期が来る

    iPhoneにしろAndroidにしろ、スマートフォンにアプリはつきものです。というかアプリがなければただの重りですが、アプリを作る人や企業はAppleやGoogleのアプリストアの審査を通過しないと公開出来ません。Androidなら野良アプリのインストールも大して手間はかかりませんが、ビジネスとしてアプリを作った場合に、一般に訴求するのは難しいでしょう。

    AppleもGoogleも、自社のプラットフォームでアプリを紹介する以上は、危険なアプリを認めるわけにはいきません。スマホを破壊するような物はそうそうないとしても、アプリ利用者の個人情報を不正に取得したり、マルウェア・スパイウェアのような物は当然ダメです。公序良俗と法律に反するアプリがアプリストアの審査で弾かれるのは当然のことです。

    問題は、iOSのApp Storeも、AndroidのGoogle Playも、公開を申請したアプリの審査にはそれなりの日数がかかってしまうことです。

    個人が作ったアプリなら待てるにしても、企業がそれなりの手間暇と経費をかけて制作したアプリの公開が、審査を理由に遅れたら、それだけ企業にとっての損害となります。

    最初の審査をクリアして一度公開に至っても、開発は続ける必要があります。新機能の追加だけではなく、不具合修正もまず間違いなくありますし、OSのバージョンアップに合わせて修正が必要な場合も出てきます。

    企業側が一番焦るのは、アプリ自体に不具合があり、まともに動かないとかセキュリティに問題があるような場合でしょう。急いで修正して公開しようとしても、アプリストアの審査で時間がかかればたまったものではないでしょう。

    一つの方策としては、サービス自体はウェブ上で公開して、ブラウザでも使えるしアプリでも利用出来るという形にすることでしょう。アプリでしか使えないサービスは、不具合発生時にユーザーに修正バージョンを届けるのに時間がかかるというリスクが大きいのです。

    ウェブサービスとしてブラウザ上でも同じような使い方が出来るのなら、アプリは使わずにとりあえずブラウザで使ってください、ということができます。

    もちろん、ハードウェアを直接叩くようなプログラムや、激しいゲームなどはそうはいかないでしょうけれど、アプリにしないといけない理由が無ければ、ブラウザで使えるウェブサービスとして出すのが当然な時代が来るかも知れません。

    今はまだモバイルデバイスだけの話ですが、AppleはMacでもこの方向に進めていきそうな気がします。MicrosoftもWindows8からアプリストアを作ったものの大して利用されていません。ただ、噂に上がるWindows10Xでは、自由にインストールさせない代わりに、従来のUWPアプリと、PWAと言われるプログレッシブウェブアプリ、いわゆるブラウザベースのサービスアプリしか使えないとも言われています。

    そしてMacを出荷台数が上回ったと言われるChromebookも、アプリストアからのインストールとブラウザでのサービス利用がメインです。

    今後は全てがブラウザに集約されていくでしょうけれど、それには高速な通信速度と、ネット回線自体も冗長性を持てるようになってからでしょうね。まだまだでしょうけれど。

  • 今度は非代替性トークン(NFT)に関する話題が出てくるんだろうなあ

    今年か来年中には流行りそうなものとして、非代替性トークン(NFT)を挙げてみます。既に知ってるよ、という人もたくさんいるでしょうけれど、既にアメリカでは盛んに高額な売買も行われているそうですが、日本ではまだそこまでの隆盛は見せていません。

    NFTは仮想通貨でも有名なイーサリアムの技術を使ったものですが、作品・著作物などに紐付けることで、それが唯一なこと、所有者を明確にし、偽造も出来ず、安全に所有権の移転が出来るようになります。

    逆に言うとデジタルデータは、複製が容易で、所有者が特定できないという難点を抱えています。だからこそ、DRMやらコピープロテクトなど様々な不正防止技術が作られてきましたが、使い勝手が悪くなる上に結局防御を破られるイタチごっこがありました。

    ブロックチェーン技術を生かすことでこれらの欠点をカバーしたということで、NFTが注目されるようになりました。実際にNFTがデジタルデータの安全かつ複製不可能な取引に寄与できるかどうか素人には分かりませんが、アナログな物品にもトークンを紐付けることも出来るそうです。

    少なくともデジタルであれば、このNFTによって不正コピーがもたらす、製作者側の不利益は無くなるでしょう。しかし、逆に製作者側がよこしまな考えを抱いて、大元のデジタル作品を複製したり、ほんのわずかにだけ改変した作品を大量に販売したらどうなるんでしょうか? それは不正というよりは、自業自得的な安売りですので大目に見てもらえるんですかね。それとも防ぎようがあるんでしょうか?

    これはもちろん、デジタルな話だけではなくアナログな物品でも起こりうることです。例えば画家が似たような絵を何枚も描いて、それを販売することは可能です。誇りや倫理を気にしなければの話ですが。

    アナログだろうとデジタルだろうと、製作者側がやろうとおもえばいくらでもそんなことはできますが、それが判明すれば価値が下がるでしょうし、場合によっては信用だって失います。ただ、アナログだと複製するのが非常に難しいです。一方でデジタル作品であれば、ものによっては作者が非常に簡易に複製や改変が行えます。

    複製や不正利用が出来ないのなら、NFTを使った電子投票なんか良いんじゃないか、と思いましたが、これだと秘密投票にはならないですね。国会での投票(青票・白票)なんかは満座の前で行うので記名投票みたいなものですが、唯一無二のトークンに紐付けられた投票だと、誰がどの投票をしたのか投票を管理する側にはバレます。

    投票を理由に国民を縛り付ける恐怖体制の国家だと、そんなヤバい選挙もやりそうだなと思いましたが、そもそもそんな恐怖政治の元では手書きの投票での選挙だってまともに実施されないのだから結果は同じですね。

    あえてまともな民主主義国家で電子投票するなら、唯一無二で複製も不正利用も出来ない投票用紙をNFTで作って、投票後は跡をたどれないような仕組みが出来ればいいのですが、その仕組みを保証する仕組みが必要になるので難しいものです。

  • プログラミング教育も良いけれど……

    プログラミング教育はどうなっていくでしょうか。

    学校で義務化して、その後に社会に出てくる人間全員がプログラミング出来るようになるかというとそんなわけがありません。学校で英語を習ったからと言って日本人全員が英語を使えるわけではないのと同じ話です。

    プログラミングは学校でやったことはあるけれど、実社会に出たら必要無かったな、という人がたくさん生み出されるだけにならなければいいのですが。

    そもそも英語以前にも、国語・日本語の勉強をしたとしても、誰もが長い文章をきちんと読んで正しく理解したり、文章を書いたりすることが得意になるわけでもありません。

    作文や読書感想文を書いてきた長きにわたる国語教育のことを考えると、これから始まるプログラミング教育によって実用的なプログラミング技術が身につくかどうか、疑問に思ってしまいます。

    コロナ対策の切り札の一つだった、新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」のAndroid版不具合が4ヶ月放置されていた問題とか、GitHub上に大企業のシステムの一部ソースコードが流出(というか書いた人が誤って公開)していた問題を思うと、学校でのプログラミング教育以前にコンピュータとは何か、インターネットとは何か、ということをまず今の大人達みんなに厳しく教え込まないといけない気がします。

    COCOAにしろGitHubにしろ、やらかした人が問題というよりも、官庁や企業がシステム開発を依頼する際のやり方が問題だったのでしょう。個人レベルでのミスを批判すればいくらでも批判できますが、そもそも開発依頼の方法だってどこかで学べるわけでもありません。依頼する側が自分で勉強しないといけないのですが、そういう属人化そのものが日本社会の構造的問題でしょう。

    システム開発手法は洗練されてきましたし、ノーコード・ローコードのシステムも今では豊富に存在します。依頼する側・仕様を決める側の技術レベルやリテラシーレベルの方が重要になってくるでしょうか。とにかく何でもExcelで何とかするよりはシステムを作る習慣があった方がいいでしょう。

    いっそのこと、プログラミングを全員一律にさせるよりも、プログラミングを依頼する側と開発する側で交互にロールプレイする勉強の方が良かったりして。

    全員黙って画面に向かってコードを書いているよりも、ディベートよろしく開発依頼シミュレーション授業の方が、社会に出てから役に立つかも知れませんよ。

    そうなるとプログラミング教育ではなく、コミュニケーション教育になってしまいますね。もしくは、自己表現、自分が考えていることをいかに正確に相手に伝えるか、という技術を磨く授業になります。

    でも、世の中に出たときというか世の中に出る前の学校生活・家庭生活でもそれが一番役に立つ技術のような気もします。

  • メーガン妃と小室圭氏と君主制

    島国でアメリカ合衆国の同盟国で、君主制を長く続ける民主主義国家という共通点を持つ日本とイギリスにおいて、皇室・王室を巡る騒がしい状況がここ数年続いています。

    日本は眞子内親王の婚約とその相手の小室圭氏の問題、イギリスはヘンリー王子の結婚相手であるメーガン妃とその二人の王室離脱について、ずっとマスコミのネタになっています。どちらもスキャンダル的な、タブロイド紙と女性週刊誌のターゲットになっていますが、問題はもっと根深い気がします。

    問題そのものは私個人としては特にどうということもないと言うと角が立ちますが、良い悪いを言ってしまうとなおさら角が立つのでとりあえずここはスルーします。

    しかし、女王・女系でもOKなイギリス王室が男子継承に困っていない一方で、男系継承が絶対で皇室典範により女性天皇も認められない日本の皇室の男子継承が綱渡り状態なのは皮肉なものです。

    日本の天皇・皇室は権威や権力がそれまで以上に高まると、その後に危機に見舞われてきました。

    古くは大化の改新(乙巳の変)で蘇我氏を打倒して天皇(大王)が中心となる政治体制が確立されたと思いきや、数十年後に壬申の乱が起き、甥の大友皇子を打倒した大海人皇子が即位しました。

    平安時代後半には藤原氏による摂関政治から、治天の君と言われる天皇家(皇室、王家)の家父長が院政を行い、権力を拡大させたと思いきや、武士が台頭し源氏・北条氏による鎌倉幕府が始まりました。さらには承久の乱によって三人の上皇が流刑に遭いました。

    14世紀前半には後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒して建武の新政を始めた直後に、やはり武家にひっくり返され、さらには南北朝に分裂する始末です。

    その後、室町時代や江戸時代を通じて天皇や皇室の権威や権力はかなり低下していましたが、幕末にペリー来航から急速に天皇や京都の朝廷の影響力が強まりました。明治維新を経て大日本帝国が成立し、さらに昭和に入って統帥権干犯問題や天皇機関説批判で天皇の不可侵性が高められすぎた後に戦争に敗れ、場合によっては天皇制廃止もあり得ました。

    自ら権力を集中し高めようとしたケースもあれば、周囲・臣下に利用されるケースもありますが、天皇制の危機を招かないためには権力も権威も程々にしておくしかなさそうです。

    現行憲法では天皇は権力を持ちようがありませんが、権威、特に政治性を帯びない権威であれば高めることが可能です。権威も自ら進んでではなく、国民側が敬いすぎれば勝手に強まります。

    平成や令和の時代においては、天皇や皇室に関しての言及に気を遣うことが以前よりも必要とされているようにも思えます。昭和の後半であればもっと気軽に口に出来たような気がするのですが、どうでしょうか。昭和天皇をネタにするようなことがありましたし、それに強烈な反応をするのは右翼団体くらいでしたが、今の時代では即炎上です。

    自分が敬意を払うことと、他人に敬意を強制することは違うでしょう。大久保利通の孫で後に歴史学者になった大久保利謙は、著書において学習院に通っていた昭和天皇が同級生に「天ちゃん」と呼ばれていたと書いていました。

    敬意を持つことは良いことでしょうけれど、あまりにやり過ぎて天皇の権威が高まりすぎると、良くない結果を招きそうな気がしてなりません。

    スキャンダルだって今に限らず、戦前には宮中某重大事件がありました。後の昭和天皇と香淳皇后の婚約に際し、皇后の実家に判明した色覚異常の遺伝が皇室に伝わるかも知れないということで、当時の政界で大問題になりました。これに比べたら小室圭氏の問題なんて些細なことでしょう。

    イギリス王室だって、16世紀にヘンリー8世の離婚問題がきっかけでローマ教会との決別とイングランド国教会設立にまで至りました。近年でもエドワード8世が離婚歴のある既婚女性と結婚するために退位した大スキャンダルもありました。これらに比べたらメーガン妃とヘンリー王子のアレコレも大したことはありません。

    歴史の長さを誇り、これからの永続も望むのであれば、それこそ過去の歴史との比較をしてみたら、もう少し問題への大騒ぎや大仰さも減るのではないでしょうか。

  • 呪縛を解放するクラウドベースの作業

    文科省提唱のGIGAスクール構想に対応したパソコン、タブレットが今でも新しく発売され続けています。先日はアイリスオーヤマがノートパソコン市場に参入というニュースもありました。そこで発表されたノートパソコンのスペックが高いものではなかったので失望した向きもありましたが、GIGAスクール対応PCとしては標準的なものです。金額に見合うかは人それぞれでしょう。

    あのスペックでWindows10を搭載しているから見劣りするわけで、Chromebookだったら十分なものです。重い作業になるようなソフトウェアをほぼインストール出来ないChromeOS上でしたら評価も変わるでしょうけれど、それはそれで結局割高感が出てきますね。

    Chromebookほどではないにしろ、Windows10でもブラウザ上での作業は徐々に一般的になってきました。Microsoft謹製のSkypeもブラウザから使えますし、OneDrive上のOfficeファイルも、インストールタイプのWordやExcelとほぼ同等に利用出来ます。

    MicrosoftOfficeの正規版(買い切りでも365でも)にお金を出さなくても、無料版のOneDriveにアップしてブラウザ経由で使うなら、たいていの機能や関数は使えます。おそらく、個人ユースの大半の利用者はこれで事足ります。業務上や研究で特別な関数やらマクロやらVBAやら必要なら別ですが、家電量販店で売られているパソコンを買う層には、プリインストールのオフィスなんてほぼ無用です。

    もはや、クラウドベースでは全く使えない機能やサービスが時代遅れになりつつあります。パフォーマンスは多少落ちても、ブラウザ上で使った方が楽なことが多くなってきました。

    パソコン初心者にとってはむしろクラウド利用の方が分かりやすいのではないかとも思います。上述のOneDrive上のオフィスファイルは、ブラウザで開いている限りは文字を打ったりセルを編集したりする度に自動で保存してくれます。

    クラウド上ではなく、パソコン内蔵ストレージに保存しているWordやExcelを使っていて、フリーズやクラッシュで数分〜数時間の作業結果が吹っ飛んだ経験をしたことがある人は、おそらく世界中で数億人はいるでしょう。Officeには自動保存機能があるので、運が良ければクラッシュ直前の状態のファイルを復活出来ますが、その辺は自分でコントロールするのは非常に難しく、こまめに上書き保存(Ctrl+S)をしていくしかありません。そのうち、キーボードショートカットを癖で行うくらいになります。

    自動保存はおろか上書き保存もままならないパソコン初心者こそ、クラウドでの作業を中心にした方が良いかも知れません。ファイルを作成する、ファイルを保存する、ファイルを開く、という概念はパソコン、特にローカルデータを扱う際に特有のものです。

    ファイル保存、データ保存を利用者が意識しなくなる時代は、クラウドベースにすればもう来ているとも言えます。

    あとは、文字コードについてもパソコン初心者にとっては難問であり鬼門でもあります。そもそも文字コードとは何かを教えるのも大変ですし、よく知らないという人が大半でしょう。紙の文書なら存在しない概念です。

    文字コードとはコンピュータ上で、文字を表示するために割り当てた番号のことです。コンピュータは0と1で全て成り立っていますが、アルファベット26文字の大文字小文字と数字の0〜1を2進数で表すなら、2の6乗は64ですので、0と1の組合せを6個並べれば区別できます。しかし平仮名片仮名、そして膨大な漢字を表すには割り当てを増やす必要があります。この割り当て方が色々あって、シフトJISとかUnicodeとかがそれです。

    アクセント記号のあるフランス語や、同じ漢字でも異なる中国、ハングルを持つ韓国、その他たくさんの文字が世界中には存在しますので、それらを統一して扱うためにUnicodeが規格として作られました。

    しかし日本においてはシフトJIS全盛期が長く続いていたので、まだまだUnicodeの普及が進んでいませんし、Unicode自体にもUTF-8やUTF-16という違いも出てきてなおさらややこしくなっています。

    今ではまず出くわしませんが、一昔前のウェブサーフィンでは、ブラウザがサイトの文字コードを適切に読み取れず(というかサイト作成者がいい加減な作り方をしていて)、文字化けすることがありました。

    ローカル環境にあるデータでも、テキストファイルでもWordファイルでも文字コードの設定はあるのですが、個人で使うだけなら気にする必要はないですし、会社や組織なら使うデバイスも似ているでしょうからまず問題にはなりません。全くの他人が使う可能性があるときには、文字コードも気にする必要はありますが、最近のソフトウェアでは自動で認識してくれます。

    コンピュータの歴史なんかどうでもいいから世界中で統一しろよ、と言いたくなるのはパソコン初心者だけでもないでしょう。個人的にはもはやシフトJISの時代でもあるまい、と思い出来る限り意識してUnicodeで作成するようにはしています。ただ、これまでの互換性とかを考えると、企業でも官公庁でも統一というのはもっと先でしょうね。

    世界中で統一された規格なんて、メートル法、時間、アラビア数字と太陽暦くらいなんじゃないでしょうか。

    基本、Unicodeで表示も作成もされるウェブブラウザ上での作業が当たり前になれば、文字コードのことも気にしなくていいようになるでしょう。

  • YouTuberに憧れたって良いじゃない?

    子どもがなりたい職業ランキングにYouTuberが入って来たことで、いろいろ批判したり呆れたりする人がいますが、子どもの夢なんて本来そんなものでしょう。

    楽しそう、楽できそう、稼げそう、好きなことでお金をもらえる、といったことで憧れるのは当たり前です。

    なりたい職業でよく出てくるような、プロスポーツ選手とか芸能人とかだって、子どもからしたら似たようなモノでしょう。

    YouTuberも当然ながら成功できません。というかほぼ全ての人間は稼げません。毎日のように動画を撮影して、編集して、タグやらキャプションやら頭をひねり、そもそもどんな動画にするか企画を考えるのにも大変で、そこまで苦労して動画を公開しても大して再生されず、チャンネル登録者数も増えない中、既に有名な芸能人が参入してきたらさっさと莫大な登録者数と再生回数をかっさらっていくという、えげつない社会の縮図が存在します。

    そういう現実を子どもに突きつけて諦めさせるというのもどうだかとは思います。理想と現実に大きな差があるのはどんな職業でも同じです。

    プロ野球選手になりたいと思う子どもに、小学生の時からエースで四番でキャプテンという才能を持っている選手が、さらに人一倍努力し続けて中学・高校・大学・社会人で活躍した上でプロ入り出来ても、大半の選手は一軍に出ることなく二十代の内に第二の人生を歩むことになるのだ、と言い放つ大人とか嫌でしょう。

    職業に就くことがそれほど難関では無かったとしても、例えばお花屋さんになれたとしても、朝早くから花卉市場のセリで良い花を仕入れても、売れ残ったら容赦なく廃棄物として捨てざるを得ないということを、お花屋さんになりたいと思っている子どもに言わないでしょう。

    今、YouTuberに憧れていたとしてもそのうちまた気持ちは変わるでしょうし、そもそもYouTuberが憧れの仕事になっている時代だってこの数年だけのことかも知れません。とりあえず放っておけばいいと思うんですが。

    もちろん、YouTuberになる!と言ってYouTubeばかり見て他に何もしなかったら問題ですし心配にもなりますが、それならそれでYouTuberになればいい、と言えば良いんじゃないですかね。動画撮って公開すればそれであなたもYouTuber!なんですし。

    野球中継を見るだけで野球選手にはなれないように、YouTubeを見るだけではYouTuberにはなれません。プロ野球選手にはだいたい18歳〜40歳くらいまでしか出来ませんが、YouTuberは10歳でも80歳でもなれます。参入障壁が限りなく低い職業です。

    やって見ないと分からないことをやる前に教えても不信と不満しか沸いてこないでしょう。

    G・K・チェスタトンの「知りすぎた男」という小説の中で、こんな一節がありました。

    「若者を動揺させて、腐りきった理想の轍から逸らせることには、一つ、じつに厭な責任がある」
    「何なんだね?」
    「そんなことをすると、若者は同じ力を使って、もっとずっと悪い方向へ行きがちなんだ」

    これは小さな子どもに関する発言ではありませんが、多分、大人が思っているほど子ども・若者は放っておいても悪い方向には行かないですし、大人が正しい筋道を用意して枠にはめようとすると上手く行かないものなのでしょうね。

  • FLEXISPOTのスタンディングデスク「EG1」使用感追加レビュー

    先日、無償サンプル品でいただいたFLEXISPOTの電動式スタンディングデスク「EG1」についてのnoteを書きましたが、その追加レビューです。

    https://hrsgmb.com/n/nddb844227ee6

    その時には、Mac miniや外付けのSSDとHDDをデスクの上に設置していましたが、以前購入して結局使わなかった(使えなかった)このラックを差し込んでMac miniその他を天板下に持っていきました。

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    https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0739QQJ16/

    そして吊り下げた下はこんな感じ

    画像1

    Mac miniたちがいなくなった机の上はスッキリしました。

    画像2

    さて、スタンディングデスクとしての機能として一番大事というかむしろそれしか無い、昇降機能ですが、在宅勤務での利用頻度として使うのはだいたい1日2回です。1日8時間勤務する場合は立って仕事をするのは2回、合計90分程度でしょうか。この辺は勤務時間にもよりますし、一回立って仕事をする時間の長さも人それぞれでしょう。仕事の内容によっては立って行うのが難しい場合だってあるでしょうし。

    出社した場合は、意識せずとも結構動いているものです。通勤時の徒歩はもちろんのこと、オフィス内でもなんやかんやと動きます。やっている仕事は在宅勤務と大して変わりませんが、複合機までFAXやらプリントアウトを取りに行ったり、来客に対応したり、書類を整理したりとかいろいろあります。お手洗いだって、自宅では机から数歩で行けますが、職場では十数メートルは歩きます。

    それが在宅勤務だと本当に座りっぱなしになります。趣味でパソコンの前に座っているのなら、いつでも疲れたら席を離れたり、ベッドやソファーに寝っ転がったり、気分転換に散歩に出掛けたり何でも出来ますが、仕事となればそうはいきません。

    スタンディングデスクで立ったままでも仕事を続けられるのはありがたいですね。腰周りの筋肉の張りが明らかに無くなります。あと、全く無関係かも知れませんが、なんかお通じが良くなった気がします。

    気になる点としては、前のレビューにも書きましたが、キーボードを打つとやはりモニターの微妙に揺れます。。今使っている、AppleKeyboardが薄型のキーボードでパンタグラフ式のものだから、打鍵時の衝撃が机に伝わりすぎているのかも知れません。高級キーボードに良くある静電容量無接点式だと、マシになるんでしょうかね。東プレのリアルフォースを買ったら試したいですが、気軽に変える値段じゃないというか、このスタンディングデスクと同じくらいの値段なんですよね……。

    あと、仕事の集中していると立つことを忘れてしまいます。そういうときには、FLEXISPOTの上位機種にあるアラーム機能が良いのでしょうね。また、たいていのスマートウォッチなら座りっぱなしを注意する機能があるので、その都度立てば良いのでしょう。

    ちなみに、元から使っていた机より5センチほど高いので、イスの座面を上げましたが、その分つま先が浮いて太ももが圧迫されます。足を上げる踏み台を段ボール箱で用意しました。フットレストやオットマンもまた買ったら試したいですね。

    スタンディングデスクを使い始めたらキーボードやフットレストも買いたくなるというのは恐ろしい話です。とりあえずは、横に並べている以前使っていたデスクの高さを揃えるために木の板を買うのが一番早いと思いますが。