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  • デュアルモニターやモニターアームのテレビ利用について

    自宅ではMac miniを使っているのですが、先日、Mac miniを新調しました。2014年モデルから2018年モデルに乗り換えです。それに加えて、せっかく2018年モデルのMac miniにしたので、4Kモニタも買いました。もともと使用していたフルHDのモニタと一緒に使用してデュアルモニターとなりました。

    これで広いデスクトップであれこれ出来るようになる! と思っていたものの、実際に使い始めてみたらそれほどでもないというか、そもそもmacOSは複数デスクトップの切替が簡単便利に出来るOSです。そして今までデュアルモニターを使っていなかった自分が、常時2画面で表示させる使い方を身につけるのはなかなか時間がかかりそうです。

    いまのところ、片方の画面にテキストエディタ、Twitter、YouTubeの画面を表示させておいて、もう一画面でブラウザを起動していますが1.5画面分くらいしか使っていない・・・。

    1画面の時には、タブレットをモニターとキーボードの間に設置して、動画を見たりTwitter表示させたりしていたのですが、結局用途があまり変わっていません。

    まあ、モニターの前にタブレットを置くと、せっかくモニターアームを使っていてもモニターの前と下がタブレットやケーブルで塞がるので、机の開放感が無かったのですが、その問題は解消されました。机の上にはマウス・キーボード・トラックパッドしかありません。しかしそのためだけにデュアルモニターにしたとしたらあまりにコストパフォーマンスが悪すぎます。

    完全に自己満足の世界ではありますが、パソコン好き、ガジェット好きだからしょうがないですね。

    なんとかデュアルモニターを使いこなせるようになりたい。とりあえず2020年の最初の目標はそれになりそうです。

    それはそうとモニターを色々いじくっていてふと思いましたが、モニターアームはモニターを机にガッチリ固定するので、これは地震対策にもなりますね。

    自身のスタンドによって立つモニターは、それはそれで便利ですがいざ自身が起きたときに倒れたり机の上から落ちたりしかねません。モニターアームで固定されていれば、アームが机から外れるか、机自体が倒れない限りはモニターは地震が起きても固定され続けています。

    パソコン用モニターだけではなく、テレビも地震が起きたら真っ先に倒れる家具・家電の一つでしょう。

    阪神大震災から25年が経ちましたが、当時のテレビはみなブラウン管ですね。東日本大震災の時は液晶テレビが既に普及していました。今ではほぼ間違いなく薄型テレビです。

    薄いことはもちろんいいのですが、地震が起きたらブラウン管テレビに比べると安定感が無いので倒れる可能性が高くなります。テレビもアームに接続した方が地震時に倒れて壊れたり通路を塞いだり、あるいは直接人間に当たって怪我の原因になることもなくなります。

    ただ、パソコン用モニターに比べると一般家庭でのテレビでアームを利用している人はまず見かけませんよね。洒落たレイアウトの部屋を作っている人が壁掛けにしているくらいでしょうか。

    パソコン用モニターに比べると、チューナーやサウンド周りの機構があるので分厚くて重い液晶テレビですので倒れる可能性は低いかも知れませんが、逆にだからこそ、倒れたときに被害も大きくなってしまいかねません。

    こんなことを言っては不謹慎でしょうが、また大地震が起きて倒れた薄型テレビによる被害が出てきたら、テレビもアームに固定した方が良いという流れが出来るのでしょうか。

  • 法三章とあおり運転

    秦の始皇帝は、法による人民支配を進めて国力を増大させたことによって古代中国の戦国時代を終わらせて天下統一を果たしました。

    その「法」というのはもちろん近現代における法律の概念とはかなり異なりますが、決まったルールに基づいて運営すると言うことが当時としては画期的で、戦国七雄と呼ばれた、秦・韓・魏・趙・燕・斉・楚の中で秦が抜け出した一つの要因でした。

    その「法」に基づく秦では国による人民支配がかなりきつく、高率の税金や大規模な工事によって民衆は疲弊しきっていました。そんな中、陳勝呉広による乱に始まり、秦帝国は倒れ、楚漢抗争を経て劉邦による漢帝国が始まります。

    その劉邦が秦の根拠地である関中に入り、国家による法の暴力に怯えていた民衆に向かって宣言したのが「法三章」です。

    曰く、
    ・人を殺した者は死刑にする
    ・人を傷つけた者と盗んだ者は相応の罰を与える
    とのこと。
    「法三章」といいながら二つしかないやん!というツッコミは無しです。傷つけた者、盗んだ者で二つとカウントしますので合計では三章となります。

    非常に簡潔な内容で、一度聞いたら誰でも覚えられるような法です。煩瑣で厳格な秦の法に苦しめられていた民衆の心をつかみました。この後、劉邦は項羽に関中から追い出されてまた戻ってきて泥沼の抗争を戦い抜いて最後には勝者となります。

    もちろんずっと漢帝国が法三章で運営され続けたわけではありません。人口が増え、産業が発達していく中で普通に法律は増えていきます。

    この「法三章」の逸話のポイントは、複雑な法律で苦しんでいる人民に対して、新しい為政者は法を簡素にすることで人心を掌握できるということです。

    逆もまた真なり。もし法律が緩すぎるというか規制すべきところを出来ていないことで社会が混乱しているのなら、厳しくすることで安定と安心を人民に与えることが出来ます。

    少し前にあった、あおり運転を禁止・防止するための法改正についてのニュースを見ながらそんなことを考えました。

    「あおり運転罪」新設へ 免許即取り消し、警察庁
    https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53031310W9A201C1MM0000/

    本来、人を傷つける行為は犯罪であり、裁かれて当然のことです。しかし、今回改めてあおり運転を罪として特別に扱うようになったのは、あおり運転自体が人を傷つける行為であり犯罪であるということを理解していない、悪質なドライバーが多いということでもあります。

    また、罪刑法定主義という主義があります。これは、罪として裁くためにはその犯罪と刑罰について法律として存在していないといけない、という原則です。あおり運転が社会問題化している現状としては当然でもあり、素早い法制定になったことは国会や省庁の対応が良かったものとして褒めるべきでしょう。

    これによって、馬鹿げたあおり運転によって被害を受ける人が減ることを祈ります。

  • イギリス王室の問題と立憲君主制について

    イギリス王室のヘンリー王子とメーガン妃が、称号返上して公金を受け取らないことを発表しました。

    カナダとの往復を日常的に行うようなので、単なる仕事や収入だけの話ではなく、メーガン妃に対するマスメディアの過剰なバッシングに対しての反発や批判も含まれての行動でもあるのでしょう。イギリス王室へのマスコミ・フリージャーナリストによる報道の激しさは今に始まったことではなく、かつてのダイアナ妃を思い起こします。

    ヘンリー王子がどのような仕事につくつもりなのか、報道ではまだ明らかになっていないようですが、人脈は色々あるでしょうし、広告塔として欲しがる企業は欧米にいくらでもあるでしょう。

    さて、イギリスと同じく立憲君主制である日本にとって、この問題は対岸の火事と言えるでしょうか?

    日本でも皇族の結婚について問題というかあれやこれや騒がれている人がいますが、

    イギリスでの憲法・法律における王室・王族の扱いがどうなっているのか知らないですが、日本では日本国憲法において、天皇制が明文化されています。

    その一方で、日本国憲法では基本的人権の尊重とともに、職業選択の自由が規定されています。

    とは言っても、皇族は自由に仕事を決められません。この辺はイギリス王室と同じです。日本国憲法の中で矛盾が生まれているわけですが、現時点では皇族本人からの訴えが無い以上、何も変わらないでしょう。

    しかし、もし皇族の誰かがヘンリー王子のように自由に仕事をする代わりに保護や義務を減らしてくれと訴えだしたら、日本政府や日本国民はどう対応すべきなのでしょうか?

    独立して仕事をして収入を得る、というのは別に皇族に限らず大変なことですが、皇族であることを理由に普通に企業に就職して、というのは日本では難しい気もします。研究職などであればあり得そうですが、いっそのことYouTuberにでもなってしまい、「皇室の裏話暴露します!」とか言い出したらさらに大変です。

    そんなことあり得ないと言えばそれまでなのですが、皇族ではないことを求めて世間や裁判に訴え始めた止められるでしょうか?

    今回のイギリス王室の問題にせよ、数年続いている眞子様の結婚問題にせよ、現代社会の変化が立憲君主制にも変化を求め始めた兆しなのかも知れません。

  • AIが作る芸術

    年末の紅白歌合戦で登場したAI美空ひばりが色々と賛否両論だったようですが、あの技術の凄いところは歌声であって、不気味の谷を乗り越えられなかったCGは無かった方がいいんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか?

    プロや耳の肥えたアマチュアの方なら、歌声が本物ではない、人間ではないということが分かったのかも知れませんが、そうじゃない人にしてみたら区別は付かないでしょう。手間暇(あとお金)さえかければ、AIによる芸術的な表現が可能な時代になりました。

    しかし、歌や音楽だけではなく詩や小説、絵画など一般的に芸術と見なされる作品をAIが作り出した場合、その作品は芸術と見なされるのでしょうか? それとも芸術とは生身の人間がその頭脳や手足を使って作り出すことだけが条件でしょうか?

    そのAIに人間が何らかの具体的な指示を出して出力された作品であれば、芸術と見なす人は多そうな気がしますが、ほぼ指示を出さず、ただ「詩を書け」とだけ命令して出てきた「詩」は、人間が関与せずに作られた芸術作品となり得るのでしょうか。

    たまにニュースで、動物園のゾウやチンパンジー、水族館のアシカが絵の具を持ったり踏んだり振り回したりしてカンバスに色を付け、「動物が絵を描いた」という微笑ましいエピソードとして語られます。しかし、忖度無しにそれらの作品は芸術と言えるのでしょうか?

    間違いなく近い将来、ごくわずかなルールだけ人間から入力されたAIが、文学や絵画や音楽を勝手に作り出す時代がやってきます。そしてその作品が、人間が作ったものかAIが作ったものか判別できない場合、芸術そのものの定義の問題が出てくるかと思います。

    また、ほぼ無限かつほぼ無料で芸術作品がコンテンツとして生み出されることにより、受け取る側・楽しむ側の芸術の受け取り方も大きく変わるかも知れません。

    かつては、文章も動画も音楽も、質を問わなくてもお金を払うか広告を見るかしない限り、閲覧も鑑賞も出来ませんでした。しかしインターネットの普及によって、質さえ問わなければ(場合によっては質も問うた上で)それなりに鑑賞に堪えうるレベルの文章・動画・音楽を無料で楽しめる時代になりました。

    そのことで私たちのライフスタイルやそれら作品への接し方が変わりましたが、まだ今は生身の人間がそれらのコンテンツを作成しています。人間には睡眠も食事も必要ですのでコンテンツ作成に費やせる時間は限られています。そもそも人間の数自体有限です。

    しかしAIによる芸術制作が始まれば様相が変わります。無限にいくらでも新しいコンテンツを生み出し始めます。

    生身の人間のうち、一定のレベルに達しないコンテンツ製作者が駆逐されるのは間違いありません。コンテンツの消費者は望めば死ぬまで消費しきれないコンテンツをほぼ無料で受け取ることが出来るようになります。

    作る方も見る方も、今とは全く異なる時代になるでしょう。その時にnote.comはどうなっているでしょうかね。

  • メジャーリーグのサイン盗み問題を解決する方策はあるんでしょうか?

    メジャーリーグでサイン盗みの問題がアストロズのGM・監督が解任されるなど事態に発展しています。アスレチックスにも処分が下るのではとも言われています。

    しかし、野球のサイン盗みはイタチごっこというか、しばしば問題になりますよね。去年の夏の甲子園でも監督が対戦相手のサイン盗みを非難して後で謝罪するといった顛末もありました。

    多分現行ルールのままではサイン盗みは無くならないと思います。

    ・簡単なサインを出す。
    ・バッターやランナーだけで簡単に見破る
    ・少し複雑なサインを出す。
    ・一三塁のコーチと合わせて見破る。
    ・もっと複雑なサインを出す。
    ・ベンチ含めて見破る。
    ・さらに複雑過ぎるサインを出す。
    ・スタンドにいるスタッフも含めて総力で見破る。

    という悪循環が続いていき、試合時間が延びてしまうのでサイン盗みは禁止とされています。もちろん、サイン盗みによる打者絶対優位という状況が作られてしまうのも、野球の面白さを損なってしまうので、サイン盗みが正当化されるいわれはありません。

    現時点ではサイン盗みの防止の方法は厳罰の他に電子機器利用禁止くらいしかありません。盗むことはもちろん、盗んで分析してデータをバッターやランナーに渡すのもやろうと思えば簡単です。選手やコーチを介さずに、スタンドにいるスタッフからバッターが身につけている電子機器(例えばApple Watchなど)が1回震えたらストレート、2回震えたらカーブ、といった伝達はプロ野球どころか草野球ですら可能です。

    結局のところサイン盗み対策は、究極的にはサインを盗めないようにするしかないはずです。つまり、投手と捕手の間でのサイン交換を無線機器などを通じて直接音声でやり取り出来るようにしてしまえば盗みようがありません。打者は捕手のそばにいるので捕手が声を出したら分かりますが、投手がグラブで口を隠しつつ小声で喋ってマイクを通じて捕手のイヤホンに届き、それに対して捕手側がイエスノーを伝えれば盗まれる可能性は相当減ります。

    ただ、そこまでやるとそもそもの野球自体が大きく変わってしまいます。無線機器を選手が付けるようになると、選手間だけではなく、ベンチやその他チームスタッフから直接選手達に指示を出すことも不可能ではなくなってしまいます。

    そこまでするくらいなら、現状のままでいいや、ということになるでしょうね。時折問題が顕在化して、一部の人間が厳罰を食らって終わり、というこれまで通りの対応でしょう。

    すぐに出来るサイン盗み防止のルール作りとしては、チームスタッフだけではなく、実行した選手達にも厳罰を与えることでしょうか。命令されたから実行しただけの選手にしてみたらたまったものではないでしょうけれど、その代わりとして司法取引のように告発したら選手側の責任は問われないという仕組みであればなんとかなるんじゃないでしょうか。

  • 大統領弾劾のためにはクーデターでも起こすしかないのではないか

    この年末年始におけるイラクでのイランとの一連の軍事的緊張で大規模な紛争の危険性もありましたが、今のところは民間航空機の撃墜の問題でイラン政府がそれどころではなくなった感があり、急速に事態が悪い方向に進むことは当面無さそうです。

    そうはいってもトランプ政権は問題山積みで、中国との貿易交渉はわずかずつしか進んでいませんし、そもそも国内で民主党による弾劾が進められています。

    上院議員の3分の2が弾劾に賛成しないと成立しませんので、共和党が多数を占めている上院で弾劾が成立する可能性は現時点ではゼロです。

    トランプ大統領の弾劾を成立させるには、上院での共和党議員達の多くが造反することが必要です。しかし、共和党議員にとっては、いくらハチャメチャな大統領であっても民主党の弾劾に賛成してしまうと、党にとっても自分にとっても次の大統領選挙や自身の選挙区で苦しむことになります。

    見方を変えると、共和党議員にとって、
    「例え大統領選挙や自分の選挙で敗れることがあっても、やむを得ず大統領弾劾に賛成するしかない」
    と考えるような状況が生まれれば、弾劾が成立するだけの共和党議員の造反を生み出すことが出来ます。

    では、どうすればそのような状況になるのか。

    中国相手の問題では、共和党だけではなく民主党にも対中強硬派がいますので、トランプ大統領が仕掛けた対中貿易戦争は取り下げる必要は無いでしょう。交渉次第によってはアメリカの利益になることは間違いありません。もちろん失敗する可能性はありますが、失敗したところで今までと大差ない条件での貿易となります。

    ではロシアはどうか。INF条約破棄や新型弾道ミサイルなど米露での応酬はありますが、ロシアにとってはウクライナ・クリミアでの問題を突っ込まれず、中東での権益を確保できるのであれば、あえてトランプ政権と対立する必要はありませんし、数年後にはプーチン後のことを考えないといけません。プーチン大統領の支持が減っている今、一か八かでアメリカと決定的に対立することはないでしょう。

    北朝鮮問題も進展なしですが、二度もトップ会談を行っているなど、これまでの政権に比べればはるかに北朝鮮問題を進めています。ここでも大きな動きは無さそうです。

    やはりトランプ政権、というよりアメリカ合衆国にとっては、中東の問題が命取りになりそうです。911以降、アフガニスタンとイラクでの戦争を通じて大量の人員・経費を注ぎ込んできましたが安定にはほど遠く、アメリカ企業の利益が確保されるならアメリカ軍を撤退させてもいいとトランプ大統領は考えています。中東地域からの完全撤退とはならないでしょうし、短期的にはつい先日のように増派はするでしょうが、長期的には誰が大統領であっても派遣軍は減らしていくでしょう。

    軍と大統領の間に齟齬がなければいいですが、もしこれらの方針において、軍と大統領の間で大きな対立が生じ、このままではクーデターが起こりかねない、というほどの危機的状況になるか、その機運が感じられるようになれば、弾劾やむなしという共和党議員も出てくるのではないでしょうか。

    世界各国で起きたようなクーデターなど、このアメリカ合衆国で起こしてはならない、という自負は政治家だろうが軍人だろうが持っているはずですが、大統領のやり方にもう我慢ならない、という状況が上からにしろ下からにしろ出てくれば、弾劾の成立可能性もグッと高まると思います。

    逆に言うと、そこまでの事態にならない限りは現時点での疑惑では大統領弾劾は全く無理だと思います。

  • 倫理観が求められる芸能人・テレビからYouTubeへの軸足シフト

    島田紳助氏のYouTube出演が話題になりましたが、その中で語っていた、
    芸能人の不倫への非難が大きすぎるとなり手が無くなる、ということについて。

    ある意味これは正しいというか、昔の芸能人というのはそんなに倫理観が求められていない立場でした。

    かつては河原乞食という言葉もあったくらいですが、さすがにそこまで蔑まれるのは酷いと思います。しかし、元々は神と関わる芸能が起源であり、他の一般の身分・仕事での感覚では計れないものでした。

    しかし時代が下り、特にテレビの一般家庭への普及が大きかったと思いますが、芸能人を毎日身近に何時間も見る時代になりました。

    そうなると芸能人・芸能界は特殊な世界ではなく日常の延長線上にある、遠いけれど隔絶されてはいない世界になりました。そうなると、芸能人の奔放さは一般人に許容されなくなっていきます。子ども達の憧れの存在にもなりましたので、芸能人にも一般人並みの倫理観や道徳を求める人が増えていきます。

    それに加えて、芸能人をバッシングすることが出来たマスメディアに加えて、SNSなどで直接的に一般人でも叩くことが出来るようになったのが今の時代であり、紳助氏が嘆いているのはそういう状況でしょう。

    芸人にまともな倫理観なんか求めるな、そんなことしてたらオモロイことなんてできひんやろ、ということです。

    昔の芸人は飲む打つ買うといって、酒を大量に飲み博打を打ち女を買うのが当たり前と言われていたくらいです。誰もがそんなことをしていたわけではないですが、それが大目に見られていた時代でした。いわば一般人の中でも今に比べると倫理観が緩かった時代であり、その感覚が芸能人にも投影されていたわけです。

    現代では一般人の倫理観もかつてよりは厳しくなっています。飲む打つ買うを公言する人もまずいないでしょう。大酒飲みと公営ギャンブルがなんとか許されている程度でしょうか。酒による失敗も、飲酒運転は御法度ですしそもそも酒を飲まない人も増えています。

    芸能人も一般人の延長線上にあり、時代の流れでかつてよりは道徳的な行動が求められているようになっていくのは、今後も間違いないでしょう。

    しかし、最近は芸能人のYouTubeへの進出が増えてきましたね。新しいメディアに対して始めは否定的、消極的だったのですが、ここまで影響力が増えてきたら無視できなくなってきたのかも知れません。

    完全にYouTubeに軸足を移す芸能人はまだそれほど多くありませんが、ハイブリッド的に使う人は今後も増えていくでしょう。テレビからYouTubeなどのデジタル配信に、という流れはかつての映画からテレビに、という流れと同じですね。

    無料で見られるけど小さい画面でコンテンツもブランド力も少なかったテレビに対して、映画業界は自分たちの優位性を誇っていましたが、その後の歴史は言うまでもありません。メディアの主役はテレビとなりました。そうは言っても映画が無くなってしまったわけではなく、今でも存在しています。テレビとデジタル配信も同じ関係性になるのではないでしょうか。

  • コンビニおでんからみる民主主義と法律論

    ファミリーマートがフードロスや従業員の負担軽減を目的として、一部店舗でのおでんの提供形態を変えるそうです。

    食品ロス削減 おでんの販売方法見直し ファミリーマート
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200114/k10012244561000.html
    いわゆる食品ロスを減らすため、コンビニ大手のファミリーマートが「おでん」の販売を見直しました。売れ筋の具材を、注文を受けてから電子レンジで温める方法を導入し、売れ残りや廃棄を減らす効果があるとしています。

    コンビニおでんは従業員による準備や廃棄に手間がかかり、フードロスも大量に生まれているとの批判が最近は強くなっていました。

    コンビニおでん中止・縮小のピンチ!~きめ細かなビジネススタイルも限界?
    https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1911/01/news097.html
    大手コンビニの店舗を中心に、レジ横でのおでん販売を中止、縮小する動きが広がっている。調理時間が長いおでんは清掃や補充にも手間がかかることから、従業員の人手不足が加速するなか、店側が敬遠する傾向があると見られている。

    セブンイレブンやローソンではこれまで通りですし、ファミリーマートでも好きな具材を選べる形ではないようですから、今後の展開がどうなるか分かりませんが、いわば時代の趨勢として、おでんをこれまでのようなレジ前で長時間煮込み続けなくなる、ということになります。

    こういった流れが出てくるのはコンビニ本部側が、従業員の労働環境改善による人材確保費用の削減という目に見えた形のメリットだけではなく、社会問題解決や企業イメージ改善という目に見えないメリットを意識している、ということでもあります。

    極端な言い方をすれば、営利企業、特に上場企業は利益を上げて株主に還元するために存在しているので、法律に反しない限りは本来、金にならないことはしなくていいはずです。営利企業が利益を削ってでも社会貢献するのは、そういう時代だからといってしまえばそれまでですが、法律だけが社会のルールになっているわけではない、ということでもあります。

    法に触れなければ何をしてもいい、と思っている人や企業も確かに存在しますが、法律以外に倫理観や宗教観、社会通念、道徳、常識などを考慮して行動する人もたくさんいます。いわばそれらも法律同様、社会を成立させるためのルールとして認められています。

    もちろん法律に反する形での法律以外のルールは認められませんので、法律が一番緩いルールとして存在して、それ以外のルールは法律以上に厳しいルールとして存在しています。

    だからこそ、ファミリーマートはフードロス問題解決のための法的強制が存在しないのに、おでんの提供形態を変更する決断を行ったわけです。そして、法的強制力がないからこそ、セブンイレブンやローソンはそのままになっています。これにより、ファミリーマートに比べてセブンイレブンやローソンの評判が悪くなり、場合によっては売上・利益が落ち込めば同様の対応を取ることもあり得るでしょう。

    この辺は法律論にもなるのですが、どんな社会でも法律以外に何らかのルールは存在するでしょう。それを守るかどうかは、社会の構成員やその社会そのものの在り方の違いによって様々です。

    例えば、日本よりもフードロス問題に対して積極的に取り組んでいる西欧の国であれば、もっと企業が前向きに取り組んでいるでしょうし、法的整備も行われているでしょうし、逆に不公正な大企業が政府や独裁者とズブズブになっているような国家であれば、フードロス批判を大企業に対してさせないような政府による不当な弾圧が行われているかも知れません。

    民主主義の進度、権力の分散がそれなりに進んでいる国でないと、こういった法律以外のルールを守る構成員はあまり出てこないでしょう。

    今回のコンビニおでん問題は、日本社会がある程度は民主主義が進んでいる(コンビニ批判をさせないような働きかけをコンビニ本部が政府・マスコミにしない・できない)ことを表すものであり、その一方でまだまだフードロス問題は社会全体で最重要課題とまではなっていないことも表しているのだと思います。

  • 電気不要のテクノロジーも今後重要になる

    先日書いたnoteにあった、子どもの飢餓状態をチェックするリストバンドがまさにそうでしたが、電気もなにも要らず、ただ子どもの腕に巻くだけで簡単に判別できます。

    https://hrsgmb.com/n/n52a32d468cef

    また、こんな風な、本来は外部電力が必要なはずのデバイスもリチウムイオン電池など無しで動かせるようになるそうです。

    世界初、充電不要のウェアラブルトラッカー「MOTHER」、今夏発売へ
    https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1228300.html
    MOTHERは、世界初の人間の体温で発電するスマートリストバンド。装着していれば充電のために外すことなく、活動量や睡眠、消費カロリーを測定できる。米国カリフォルニア州に本社を置くMATRIX INDUSTORIESとの共同開発で、同社が持つ「温度差発電技術」により実現した。

    身につけないと意味が無いデバイスといえば、こういったリストバンドだけではなくイヤホンなんかもそうですよね。さすがにBluetooth接続のワイヤレスイヤホンなんかは消費電力も結構ありますから、

    また、何かで見たのですが、ガチャガチャを使って両替できる仕組みがあるそうです。100円を入れてガチャガチャを回すと、50円玉2枚がカプセルに入って出てくるようになっているとのことで、電気は1ミリアンペアも使わずに維持できます。初めて聞いたときには気の利いたアイデアだなと思いました。

    こういった動作に電力が不要、あるいは超低電力なテクノロジーで動く装置は、改めて見直される時代になるのではないでしょうか。

    今は発電量や装置の製造費など、自然エネルギーが原子力や火力による発電を置き換えることが出来るほどのものではないですが、どんどんテクノロジーが進歩していけばいずれは、大半のデバイスの電力を自然エネルギーで賄えるようになるでしょう。

    そうは言っても同じことをするなら必要な電力は少ない方がより良いわけで、既存の製品をより効率よく電気を使えるブレイクスルーも増えていくはずです。

    今でも電気を使わない装置というのは色々ありますが、例えばエアコンの代わりにガスストーブ・灯油ストーブを使っていれば環境への負荷がかかることは変わりません。そういったことではなく、トータルで見て電力含めた環境負荷が少ないデバイスの開発・利用というのは今後最も重要視される分野でしょうし、道徳的な目的だけではなく、ビジネス上も巨大な利益が埋まっているに違いありません。

    Amazonのタブレットカバーや人工衛星の太陽光パネルなどに折り紙技術が用いられているように、困難を力技ではなく工夫で乗り越えるのは日本にとっても馴染みのある経験・文化だと思います。ベンチャー企業や大企業だけではなく、それこそ個人や零細企業などからとてつもない発明が出てくるのではないかと期待しています。

  • 占いは迷いを決するためにある

    あくまで個人的な見解ですが、「占い」は何かの「迷い」を「決断」するためのものだと思っています。

    二つの選択肢のうちどちらを選んだら良いのか、前に進むのか後ろに引くのか、新しいことを始めるのか現状維持の方が良いのか、いろいろ悩むことがある中で、自分ではどうにも決断できないようなことで占いを利用するのは別に良いと思っています。

    占いなんて非科学的だからダメだ、というのは確かにそうなのですし、吟味もせずに適当に選択肢を決するのは問題があるでしょう。失敗したときに後悔も大きいはずです。

    しかし、検討や調査を重ねた上でどっちがいいのか決められない、というような問題であれば、どちらを選んでもそれなりに理由があるはずです。選択肢のどちらにも選ばれるべき正当性があるということです。それであれば、占いで決断した後に迷いを捨てて突き進んだ方が、どちらを選んだとしても成功する可能性は高いでしょう。

    古代中国での占いでは、亀甲や牛骨を焼いて出来たヒビの形で占っていました。読み解くのに特別な知識が必要であり、早い時期に廃れたのですが、解釈によって全く異なる意思表示が生まれます。ちなみにこの亀「甲」と牛「骨」を用いて占った結果をそこに記したことから、「甲骨」文字が生まれたと言われています。

    春秋左氏伝には、攻めてきた敵を迎え撃とうとした大臣が占ったときには、「軍を出せば敗れる」という読み解きになったのに対し、別の人がその占いで解釈を真逆にして、「軍を出せば敗れる」のであれば、攻めてきた敵が敗れるのだからこちらは勝つから迎え撃つべき、という助言に従い、実際に戦って勝ったという逸話があります。

    方法はどうあれ、迷いを占いで決断できるのであれば良いと思います。胡散臭いとか科学的ではないとかいうのは無粋でしょう。もちろん、ぼったくりだったり、怖い予言を押しつけて余計に不安がらせるのはダメです。

    占われる側に悪影響を及ぼしてしまう占いは、例え正確に未来を予知していても役に立たないものと言えるでしょう。

    また、迷いがない状況で占いを行って、かえって迷いを招いてしまうのも使い方としてはいかがなものかと思います。神社で引いたおみくじの結果が凶や大凶だからといって落ち込む必要はなく、当分は物事が自分の思い通りには進まないから、より慎重になろう、とか助言をよく聞こう、というくらいの受け止め方で良いはずです。

    占いは占いのために存在しているのではありません。占われる側のために存在しています。ただ単に甘い言葉を占いとして与えるのも間違っていますが、厳しすぎる占いによって悩みが増したり迷いが深くなったりしては本末転倒でしょう。

  • 縦長のコミック・雑誌が出てくるか? それとも・・・?

    最近は電車の中などで、スマホで漫画を読む人をちらほら見かけるようになりました。もちろん今に始まったことではありませんが、昨今のスマホの大画面化も影響しているかと思います。

    そのスマホの大画面化自体は、横幅よりも縦幅の方が長くなることによるものです。そのため、紙媒体の原稿を元にして作られている漫画では上下に余白が大きく表示されてしまいます。

    文字中心の本であれば、いわゆるリフロー型という画面サイズによって組み直されますが、漫画のような絵や、雑誌のように段組が完全に決まっている本の場合は、縦長のスマホでは読みづらいとは言えません。

    今でこそまだまだ日本では紙媒体の雑誌・書籍・コミックが多いですが、スマホでの読者が増えてきたら、今の縦横比でのサイズではなく、16:9や21:9といった縦横比での原稿や電子出版される本も出てくるのではないでしょうか。

    その場合、逆にその本を紙媒体で読む場合にややこしいことになってしまいますが、今の本よりも縦長の比率のサイズで出版されるものも出てくるでしょうか?

    電子書籍の縦横比の影響力の方が圧倒的に強くならないと、そういう事態にはならないと思いますが、そもそもそういう状況になったら紙媒体の出版物そのものが絶滅しそうになっているかも知れません。

    新しいサイズ・縦横比の出版物を作るための紙や設備を用意することを考えると、電子書籍の影響力が強くなったときには紙媒体の絶滅も同じことを意味するようになるのではないかと思います。

    紙のサイズ感を意識せずに電子書籍を作るようになったら、表現技法に大きな変化が出てきたり、あるいは紙では出来なかったような、インタラクティブな電子出版物もあり得るでしょう。もちろんそれらは今でも出来なくはないはずですが、紙媒体での出版物でも同じように表現できなければ、同じ作品とは言えないでしょう。そうなると紙媒体と電子書籍では別々の作品ということになってしまい、手間もかかるし売上や経費などビジネス上の問題も出てきてしまいます。

    紙媒体ならではの良さももちろんあるはずですが、逆に電子媒体ならではの良さもあるはずです。一つの作品を紙とデジタルで同じように表現しないといけない、というのは必然的な先入観のようでいて、いずれは駆逐される固定観念なのかと思ってしまいます。

  • 「国境なき医師団」に寄付しました

    以前、別件で作成したVプリカの有効期限が迫ってきて、わざわざ手数料をかけてまで新しくチャージしたくないなあ、でも特にVプリカで買うようなものも無いなあ、と思っていたところ、ふとクレジットカードでも出来る寄付をしようと思いました。

    だいぶ前に国連難民高等弁務官(UNHCR)に寄付したことがあったので、今回もそこにしようかと思ったのですが、

    国連UNHCR協会
    https://www.japanforunhcr.org

    寄付金額が1,000円以上の500円単位、ということでVプリカ残額をぴったり使い切れないため、今回は別のところを探した結果、国境なき医師団に寄付することにしました。

    国境なき医師団
    https://www.msf.or.jp

    こちらなら金額を1円単位で指定できたので良かったです。

    数日後に、こんな封筒が届きました。

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    「命のうでわ」ってなんだろう、と思ってパンフレットを読むと、子どもの栄養状態を見極めるためのものだそうです。これのすごいのはか電気も薬品もそれらに関する知識が無くても簡単に使えて栄養失調かどうかの大まかな判定が出来ることですよね。

    さて、世界ではシリアや中東・アフリカからのヨーロッパへの難民、中南米からアメリカへの難民、あるいはミャンマーから追われるロヒンギャ族の難民といった問題が解決されないまま存在しています。

    難民問題の解決といっても、そもそも元の国や地域にそのまま戻せばOKというわけにはいきません。元の地域で暮らせないから、あるいは追われてきたからそんな状態になっているわけですから、元の地域で難民が発生した問題を解決しないといけないのですが、それこそそう簡単にはいきません。人道的な配慮というお題目を掲げた諸外国が、難民を発生させた張本人や組織をドカーンと空爆しても解決はしません。むしろそれで新たに難民が発生するでしょう。

    元の地域の問題が解決されるまでは、難民は別の国や地域で保護されるしかありません。その場合も、難民キャンプの形でずっと居続けるのか、その地か全く別の国に行って移民という形で過ごすのか、ということになります。本人が望んでの移民ではありませんし、その移住先の社会に上手く溶け込めるかどうかも分かりません。

    そもそも、完全に移住先に同化してしまったら難民ではなくなります。そして元の地域に戻ることもないでしょう。それでも日々の暮らしが大幅に改善して命の危険も無いのであれば、その選択肢を選ぶ難民もいるでしょうけれど、現代社会で問題になるのはその移住先の別の住民側の方です。

    民族なり文化なり宗教なりが同じあるいは近いのであれば、同化することもそれほど困難ではありませんし、そもそも同化しなくても軋轢は少ないかも知れませんが、全く異なる文化や慣習などを持った状態で移住すると、どうしたって色々な摩擦は出てくるでしょう。

    許容範囲内の摩擦であれば問題視されませんが、今、世界各地で問題視されるのは移住先の近隣住民の許容範囲を超えているからです。寛容ではなくなったとも言えるかも知れませんが、そもそも昔はこういった難民が発生するにしても、数百キロも離れた地域に行くことはありませんでした。人間の脚で移動出来る範囲内での難民としての移住のため、かけ離れた文化と共存することもなかったわけです。

    しかし今の難民は国際社会の援助により、バスや鉄道、船や飛行機によって遠い地にある受け入れ国まで運ばれていきます。そこでも不便さやストレスの解消のためにある程度のまとまった数で生活するため、現地に同化しなくても何とか生きていけます。これもまた昔には存在しなかった国家による福祉政策によって、無理矢理同化して生きるための仕事をしなくてもいいからです。

    こういった難民救済措置自体はヒューマニズムの観点から言えば当然のことです。しかし、難民を受け入れることでかえって問題が起きるようでは、難民を受け入れないという政策を掲げる政治家の支持が増えかねません。欧米で起きているのはまさにこの状況です。

    では、難民を移住させずに元の地域に近いところにある難民キャンプに置いておけばいいのか、というと、そういうわけにもいきません。ほとんど全ての難民キャンプは劣悪な環境下であり、長期間の居住をするためのものでもありません。まさかキャンプ周辺に新たに村や町を作るということも出来ません。そもそも居住に適している土地であれば住んでいるはずです。

    それなら第三の選択肢として、難民支援を止めてしまい、元の地域の紛争や内戦をさせるがままにしておけばいい、という考えが出てきます。

    エドワード・ルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」はまさにその理屈から書かれた本です。

    戦争にチャンスを与えよ
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166611201

    書かれてある理屈は分かりますし、その通りと言えるところも充分にありますが、だからといってなかなか国際紛争や内戦を完全に見過ごす、というのも出来るものでもありません。国連や各種組織に問題があるのは確かでしょう。極端な言い方をすれば、日本が戦後華々しく復興して先進国に再び仲間入りしたのは、日米が徹底的に戦争してもうダメだと思った日本が無条件降伏し、そしてその後の日本の復興を戦ったアメリカが支援したからです。太平洋戦争の途中で強制的に停戦させていたら、日本は軍事国家であり続けたでしょうし、アメリカも冷戦以前に日本との敵対関係が続いて軍事費もかさみ、太平洋・アジアとの経済関係なども結べなかったでしょう。

    完全に紛争をほったらかしにしていても、難民は発生します。陸続きの国には歩いて入れますし、国境線全てにフェンスを設けている大陸内の国家などもまずありません。前述のように、そういった歩いて行ける国への難民であれば、移住先で同化して新たな人生を歩むことになりますが、グローバル化した現代社会では無法かつ無謀な国家や独裁者は、陸続きでない国に対しても非道を仕掛けてくることが出来ます。日本にとっては北朝鮮を思い浮かべれば分かりやすいですが、北朝鮮から日本への難民、あるいはキューバからアメリカへの難民が多くなれば、他国や国際社会として無視し続けることも出来なくなります。

    結局は何らかの形で紛争・内戦の当事者同士以外も関わらざるを得なくなります。もちろん、内戦の片方あるいは両方に武器を輸出するようなところは問題外ですが、ヒューマニズムの観点から手助けするのは必要だとは思います。ただその援助もあくまで緊急かつ時限的なものであるべきだ、ということをエドワード・ルトワック氏も言いたいのかも知れません。

    常態化した長期間の難民援助は、結局のところ難民のキャンプへの固定化か、移住先での非同化の問題を生み出すことで難民援助自体に危機的状況を及ぼしかねません。

    長々と結論の出ないことを書きましたが、自分が行った国境なき医師団への支援が、何らかの形で人の命を救うことが出来るのであればそれでいいです。