平繁無忙の何でも書くブログ

  • 審判の絶対的裁定者性と相対的判定者性

    先日、アメリカンフットボールのスーパーボウルを見ていてふと思ったのですが、アメリカ発祥のスポーツは、一連のプレーが終わってゲームが途切れたときにボールを審判に預けます。

    アメリカンフットボールではランプレーにしろパスにしろ、ダウンが終われば一度ボールは審判の手に渡り、それから攻撃側のチームに渡されます。

    バスケットボールでも、得点が入ったりボールがコート外に出たりファウルがあったりしてプレーが止まったら、選手は審判にボールを渡して、また再開のために審判がボールを選手に渡します。

    野球では上記2競技ほどではなく、投球がバウンドしたり、打者が打球を当てたりしてボールに傷が付いたときに、主審がポケットから新品のボールを出して投手や捕手に渡します。ボールがボールパーソンから直接選手に渡るわけではない、ということでは共通しています。

    一方で、ヨーロッパというかイギリス生まれのスポーツでは、そこまで審判がボールを管理することになっていません。

    サッカーではキックオフにしろ、得点が入った後にしろ、ボールが外に出たりファウルで止まった場合にしろ、必ず審判がボールに触れるとは限りません。基本的には選手間、あるいはスローインやコーナーキック、ゴールキックの際にボールパーソンから直接選手にボールが渡されます。

    ラグビーでも同様ですね。

    テニスでも同じで、ネット際に居る審判はボールを持ちません。新しいボールをボールパーソンから選手が受け取ります。

    これって何でこうなっているのか、正確なところは分かりませんが、個人的勝手な解釈では審判が絶対的な存在として試合に関わっているか、あるいは相対的な存在か、という違いにあるんじゃないかなと思っています。

    アメリカンスポーツでは選手が審判に対して異議を唱えることは基本的には許されていません。やったら退場です。日本のプロ野球では結構頻繁に選手や監督が判定に文句を面と向かって言っていますが、同じことをやるとメジャーではあっさり退場処分を食らいます。

    逆にサッカーでは、本来はもちろん良くないことですが、抗議してナンボみたいなところがあります。ペナルティエリア内で守備側がファウルをしてペナルティキックになってしまったら、まずどこのチームでもやらかした側の選手達が審判を取り囲んで抗議します。もちろんサッカーでも選手や監督が度を過ぎた抗議をしたらイエローカードや退場処分になりますが、そうそうありません。

    審判がプレーに対する判定を裁定者として下すアメリカ的スポーツと、どっちか分からない時だけ出てきて判定して普段は目立たない方が良いイギリス的スポーツ、という見方が出来るでしょうか。

    ここから、イギリスとアメリカの文化や国民性の違いにまで踏み込むと安易な文化論になってしまいますが、英米文化の違いよりも島国・大陸文化の違いの方が大きい気もします。適当な意見ですが。

    今ではたいていのスポーツでビデオ判定やチャレンジ制度(それに類する制度)が備わってきましたので、審判への異議も形が変わりつつあります。また、国単位の文化も今では人も情報も入り混じり、どの国にも色んなスポーツをする人と見る人がいます。

    もともとはどうあれ、審判と選手の関係性、試合への関わり方、ジャッジの下し方については、アメリカ的なものとイギリス的なものとの中間ぐらいに、どのスポーツも収斂していくのではないですかね。

  • 「國」は境界が存在してこそ

    「国」という漢字は旧字体では「國」でした。常用漢字ではないので固有名詞でない限りは今では目にしませんが、結構知っている人は多いと思います。

    では昔は「国」という字が存在しなかったかというと、どうもそうではないらしく、省略して書いたり草書などで書き崩したときにくにがまえの中に「玉」や「王」になっている文字もあったようです。

    そもそも「國」とは、或を壁で囲った形を意味します。

    では「或」とは何かというと、これも「戈(ほこ)」=武器で土地を守っている区域のことを意味します。そうなると「國」という漢字は、武器で守っている土地をさらに囲いをしている地域のことになります。

    近代国家は領土・国民・政府が存在して成り立ちます。逆に言うと、近代より前の国家は国家としての体裁がその三つの内どれかもしくは複数が曖昧になっていたことになります。

    政府=政権は昔から存在していても、国民という概念はまさしく近代国家が出来てから生まれたものです。もちろん、政権が支配している人民も昔から存在していましたが、その政権に属する民衆と、その政権からの支配を限定的にしか受けていない、あるいは全く受けていない人々がいました。

    政権に属する民衆としては、江戸時代の農民などを思い浮かべれば分かりやすいですが、支配を完全には受けていない人々としては流浪する人々がいます。近代以前はそういった人々が政権の支配地域にほぼ自由に出入りできました。

    近代以前に一番境界線が曖昧だったのは境界=領土でした。中世ヨーロッパでは国家とは貴族層以上の連合体であり、国家の境界ではなく貴族の支配地域の境界は存在していて、それが伸長したり帰属先の国家が変わったりしていました。

    国家としての境界が近代以降のような確定的なものではない時代に生まれた漢字「國」であっても、境界があっての国家であるという考えは当然のものなのでしょう。

    第二次世界大戦後の国際連合に基づく国際関係では、国境線の変更のための戦争は禁じられています。そうは言っても冷戦を経て90年代以降も戦争と名乗らない紛争はどこかで起きています。ロシアとウクライナの間の紛争や、最近でもナゴルノカラバフを巡るアルメニアとアゼルバイジャンの争いなど、結局昔からある領土問題がそのまま残り続けて、何らかの理由でバランスが崩れたときに紛争が発生します。

    国境にこだわりすぎるから紛争が起きるのは間違いない事実ですが、だからといって国境線で譲歩するだけなら国家としては成り立ちません。

    日本は島国なので陸上の国境線には無縁ですが、島の帰属をめぐってロシア、韓国、中国、台湾らとの実質的な問題を抱えています。

    武力による国境線の変更を行うわけにはいきませんが、それを狙う国に対抗せざるを得ません。防衛費が増大することへの批判はありますが、単純な金額比較ではなく少なくともGDP比率で見るべきでしょう。物品費用も人件費も物価の影響を受けて上がるのは当たり前です。それは中国やロシアの軍事費も同じですが、国家間費用だと比較する際に為替レートの変動が影響しますので比較が難しくなります。

    ただ、少なくとも世界第3位のGDPを持つ日本は軍事費・防衛費のGDP比率を見る限りは節度を持った安保体制と言えるでしょう。ただ、国境線の変更を武力で狙う周辺国が軍事費を急増させてきても、GDPが伸びないのは厳しいですね。

  • 五輪はなんのためにする?

    2020年に行われるはずだった、そして今年2021年に行われる予定の東京オリンピックの招致が決まったのは、2013年9月7日でした。

    その後は都知事が汚職疑惑・政治資金疑惑で既に二人も入れ替わったり、新国立競技場のデザインが決まったのに白紙になったり、五輪ロゴも決まったのに盗作問題が出て変更になったり、コロナ禍によって1年延期になった上に、森喜朗前組織委員長の失言問題からの交代があったりと、ここまでケチが付き続ける五輪もそうないのではないかと思います。ただ、他の国で行われた五輪の詳細については、そんなに知っているわけではないので、もしかしたら他の五輪でも大差は無いかも知れません。少なくとも、1980年と1984年の東西冷戦の煽りを受けた世界的なボイコット合戦とか、1972年のミュンヘン五輪でのテロ事件ほど酷いわけではないとは思いますが。

    ともかく、招致活動で騒いだ7年半前が嘘のような状況になってしまっていますが、今の日本にあの時の「お・も・て・な・し」の気持ちはまだあるのでしょうか?

    今回の東京五輪が、
    ・2011年の東日本大震災からの復興アピール
    ・停滞する経済状況をインフラや特需で盛り上げる
    といった目論見があったのは確かです。この2点は純粋に、日本国内の問題解決のための五輪利用だったわけですが、一応は招致運動の中では、日本の「お・も・て・な・し」精神という、ホスピタリティ能力を発揮して世界中から選手と観客を集めて、五輪とスポーツの重要性を世界に知らしめる、という大義名分がありました。

    はたして、今の日本にもてなそうという考えを持っている人はどれくらいいるでしょうかね。五輪を開催する大義名分に、新型コロナウイルスを克服した意味合いも加わりましたが、大丈夫でしょうか。開催をするのか中止するのかでかなり揉めている、賛否両論分かれてしまっている気がします。

    少なくとも、ゴタゴタ揉めているところが「お・も・て・な・し」と言っていても相手はドン引きするだけだと思います。

    例えば、あなたが子どもだとして、友人の家に遊びに来るよう誘われたときに、
    「ずっとお父さんとお母さんが喧嘩し続けているけど、気にせず遊びに来て!」
    と言われて、喜んで行きますか?

    開催・中止を巡っても揉めていますし、組織委員長人事でも足の引っ張り合いをしています。少なくとも、五輪開催反対派が森喜朗も橋本聖子も否定するのは分かります。とにかく人事に反対し続けて組織委員会を機能不全に陥らせれば、中止に持ち込みやすいですから、理屈の正否はともかく戦略的には理屈は通っています。

    しかし、本来五輪を開催してほしいと思っているはずの保守的な人が、橋本聖子の過去のセクハラ問題を取り上げ、男女セクハラ問題を大事にするのはむしろ逆効果なんじゃないでしょうか。

    まあ、とりあえずは決まったこの状況で進めていくことになりそうですが、夏までにも一波乱ありそうな気もします。

  • シグナルを間違う怖さ

    ミャンマーのクーデターに対しては、予想に違わずロシア・中国は不干渉、西欧諸国は反対の意向を示しました。この点は他の国で起きた場合でもほぼ同じなので特に驚きではありませんが、ミャンマーは中国と密接な関係が存在します。

    何せベトナムや北朝鮮よりも長い国境で接していて、パイプラインも存在します。インド洋・ベンガル湾経由で運んできた原油・天然ガスをミャンマー国内を突っ切り、中国南部に到達するパイプラインによって、マラッカ海峡を通らずにエネルギー需要を一部満たすという点では、中国政府にとっては重要な生命線です。

    中国がミャンマー国内での影響力が低下し続けると、パイプライン自体に何かあれば苦しむことになりますが、逆から見ればミャンマー経由のパイプラインが存在することによって、マラッカ海峡への固執の度合いが減ることにもなります。

    もちろん、マラッカ海峡経由での原油輸入ルートはどうでもいいというほどではないので、南シナ海・東シナ海での中国の覇権獲得的行動は無くなるわけがありませんが、中国がミャンマーとの密接な関係を失ったら、マラッカ海峡〜南シナ海〜台湾海峡〜東シナ海というルートの絶対的確保のために、もっと過激な行動に出てくる可能性があります。

    欧米各国や日本などの西側諸国がミャンマーにそれなりの圧力をかけるのは当然ですが、ミャンマー国軍の影響力が排除され、完全に西側よりの国家になってしまうほどの圧力をかけると、中国が必要以上の警戒心からどういう行動に出るか、ということも考えておくべきでしょう。

    同じく反欧米の大国であるロシアでも、反体制派のナワリヌイ氏を巡って抗議行動が活発化しています。プーチン政権が超長期になることを認める法改正をしたばかりですが、経済の落ち込みもあって反プーチンの動きが目立ってきたように思います。

    ロシアを強くした、という見方から英雄視もされるプーチン大統領ですが、そもそも2001年に就任後にロシア経済が強くなったのは、世界的な原油価格の高騰があったからです。その点は前任のエリツィンよりも幸運でした。もちろん、地位を固められた理由はそれだけではありませんでしたが、原油による収入が落ち込むとその分、権力のリソースが削がれることになります。

    ロシアに対して他国、特に仮想敵国である国々が、ロシアの内紛に乗じようとするのは当然のことですが、そこでも結局ミャンマー・中国問題と同じことで、ロシアを完全に西側の言うがままになるようにしてしまおうとすると、どう考えても現行政権が強行に抵抗します。

    ロシア国内でなくても、もともとロシアの影響が強かったウクライナでは実際にそうなりました。EU寄りになったウクライナに対して、クリミア半島を併合し、ウクライナ東部を独立させ不安定化させた状態にまで持っていきました。

    先日のアルメニア・アゼルバイジャン間の紛争において、旧宗主国とも言えるロシアに各国が任せっきりだったのは、変に割り込むともっとややこしい結果になるかも知れないと判断したからとも思われます。あそこはトルコも絡んできますし。

    ともかく、ウクライナでのロシアの動きは、ミャンマーにおける中国の動きのお手本になるかも知れません。国軍を粉砕してしまえば再度の民主化は容易でしょうけれど、その後には中国を止められなくなります。もちろん、このまま放置していても、ミャンマー国軍と中国政府が利権と援助を引き換えにWin-Winとなり、国際社会にそっぽを向くことになります。

    まるで20世紀の東西冷戦時代のような話ですが、密接な関係を大国同士が築けていない以上、限られたメッセージが発するシグナルは間違って相手に受け取られると厄介な問題になりかねません。

  • 2021年2月27日J1リーグ第1節ヴィッセル神戸対ガンバ大阪DAZN観戦の感想

    先週土曜日に行われたゼロックススーパー杯では、昨年のリーグ戦・天皇杯決勝と続けて三度、川崎に優勝を目の前で決められました。まあ過ぎたことを言ってもしょうがないのですが、この3試合の中では一番戦えたものであったとも思います。

    とにかく今日はリーグ開幕戦。ここで勝てば少なくともゼロックスの敗戦は忘れられます。

    先発ではこの人が控え、この人がいないと色々考えがちですが、とにかく今日は勝利最優先で良いです。選手層とかローテーションとかも色々考えてしまいますし、阪神ダービーということもありますし、天皇杯準決勝の徳島戦が直近の最後の勝利ですし、J1相手だと12月の33節が最後です。やっぱりここは勝利するならオウンゴールだろうとなんだろうと勝てば良いです。

    今シーズンのガンバは新戦力によるというよりも、新フォーメーションによる攻撃的なサッカーが鍵となります。昨年リーグ2位をもたらした守備、特にギリギリでしのぎきって勝つ勝負強さに、個人と組織での攻撃力を加えるというのは強化方針としては至極まっとうな物です。

    ただ、この開幕戦の最初の方はこれまでと変わらん、というかどちらかというと神戸がキープしてガンバはあまりつなげません。

    しかし本当に右サイドバックに小野瀬ですね。2006年に西野ガンバが試した家長の左サイドバック並に驚きます。

    どうも中盤の3人、矢島・井手口・山本のトリオの攻撃時の呼吸が合ってない気がします。実戦を重ねれば良くなるのでしょうけれど、それまでは去年の攻撃パターンに頼ることになるのかも。

    飲水タイム後に良くなってきたのか、相手陣内でボールを持って仕掛けるシーンが増えてきました。40分前後にはコーナーキックや左サイドから立て続けにチャンスも作れました。

    ただ、結局チャンスを物に出来ずに前半終了。前半の前半は神戸、前半の後半はガンバが優勢でしたが、どちらも決め手を欠きました。

    個人的にはもう少し川﨑はボール持ったときに仕掛けて良いと思うのですが。

    そして後半キックオフ。後半もガンバペースが続きます。52分には小野瀬の鋭いシュートもありましたが相手GKに阻まれます。

    62分にも宇佐美の素晴らしいボレーがありましたがこれも前川に弾かれます。

    飲水タイム後、宇佐美に代えて高尾、パトリックに代えてレアンドロペレイラが入りました。小野瀬を右ウイングに上げる形になりますが、古橋のバー直撃シュートもあり、徐々に神戸も出てきます。

    76分には矢島から倉田、川﨑からチュセジョンという交代が行われ、また前に出ていくところですが、まだ神戸ペースは続きます。前半の裏返しのような優勢・劣勢です。

    79分についに抜け出した古橋にループシュートを決められて失点。攻めているときに点が取れないとこんなものです。

    81分に井手口を下げてチアゴアウベスが出場。これで5人フルに交代させました。時間を考えるととにかく得点することだけがミッションとなりますが、新戦力の多いことで結局効果的なコンビネーションプレーも少なくなってしまいます。

    結局むしろまともにシュートも打てないまま試合終了。攻めているけど決められない時のパターンらしい敗戦でした。

    新外国人が3人も来ましたが、まだまだチームとしては生かせず、新フォーメーションも不発となった開幕戦でした。

    外国人選手と言えば、昨年秋に重大な交通違反によって契約解除となったアデミウソンが、中国2部リーグに行くそうです。あの事件が起きた直後に書いたnoteは覚えていますが、まあJリーグで契約するクラブはないですよね。今後反省と活躍をして、ガンバでなくともどこかのトップリーグでまたプレーする姿を見れると良いのですが。

    あと、ウェリントン・シウバって結局いつ来るんでしょうね。

    ともかく第2節は3月6日(土)のホーム鹿島戦ですが、その前にACLのために3月3日(水)に第11節のアウェイ名古屋戦が先にあります。そこで勝たねばなんかズルズル悪い流れになりそうな気がしてなりません。

  • 「同」ではなく「和」でありたい

    協調性は色々なシチュエーションで必要とされます。どこでも必要とされるために、同調圧力と言って嫌がられることもありますが、そもそも協調と同調は異なります。

    協調は何かの目的のためにそれぞれが出来ることをすることであって、全員が同じことをすることではありません。同じことを他人に求めるのは協調とは言えませんし、そもそも目的を達成するためではなく、同じことを他人がすることが目的になってしまっています。手段が目的になっているわけです。

    何かの組織が目的を達成するために人を集めたとして、その中での役割は各々異なるはずです。そうでないと組織が成り立ちません。

    別の言葉で言えば、「和」と「同」は意味が違います。

    和とは異なるものを合わせて新しいものを生み出すことであり、同はそのまま異ならないことを表します。

    四則演算で言えばまさにそのままですが「和」とはプラスのことであり、「同」とはイコールです。

    音楽の和音も複数の異なる音を合わせてさらに印象的な音を生み出します。同じ音を奏でることではありません。

    こういったことを思うと頭に浮かぶのが、晏子の逸話です。

    古代中国春秋時代の斉の国の宰相だった晏子(晏嬰)が仕えていた景公が、狩猟からの帰還に駆けつけてきた侍臣の梁丘拠を見て、
    「梁丘拠だけが私に和するなあ」
    と言ったときに、晏子は
    「彼は君主に同しているだけであって和しているわけではありません」
    と言い、その後に、
    「『和』とはスープを作るようなものであり、水と火を使って調味料や具材を合わせて料理人が作るものです。君臣の関係も同じであり、君主の言うがままに従うのではなく、国家のために君主が間違っていれば臣下が反対することが必要です。しかし、梁丘拠は違います。君主の言うことやることにそのまま従っているだけです。水で水を調理しても誰が食べられるでしょうか。種類の異なる楽器が同じ音だけを出していて聴けるものでしょうか。君臣は『同』であってはならないのです」
    と言う諫言を行いました。

    斉の景公は暴君ではなくとも凡庸な君主であり、ずっと晏子が諫言をし続けて支えていました。その中の1エピソードですが、今の時代の人にもスッと理解出来るものだと思います。

    同じ時代の孔子も、「和して同ぜず」という言葉を残しています。こちらの方が今の日本でもポピュラーでしょう。

    そう言えば、日本最初の憲法と言われる「十七条憲法」の最初に、
    「和を以て貴しとなす」
    とありますが、この「和」が「同」ではないことは、改めて考えてみるべきではないでしょうか。

    同じことをすることが仲良くすることではありません。家族間でも友人間でも、学校でも会社でも、他人に同じことを求めるのは貴いことではないのです。目的に沿って違うことをすることが重要であり、それは多様化が進む現在でも通用する金言ではないでしょうか。

  • ブームの仕掛けがメディアの本質か

    2020年を生きた人にとっても、未来から2020年を振り返る人にとっても、間違いなく2020年は新型コロナウイルスに集約される1年となるでしょう。

    そんな中でも、テレビドラマでは半沢直樹、漫画・アニメでは鬼滅の刃というヒット作品のブームがありました。どちらも今年新しく誕生した作品ではありませんが、多くの人に認知されて話題になるという点では今年がピークかも知れません。

    長期的に視聴率低迷が続くテレビドラマ、また少子化が雑誌発行部数・アニメ視聴率にも明らかに悪影響を与えてきた漫画・アニメの業界にとっては明るい話題でしょう。

    ただ、これら単発のヒットはあっても毎年のようにヒット作品が出てくるような時代ではなくなりました。その点は昔とは異なります。

    どちらもテレビや書籍・雑誌など以前からある既存メディア発のものですが、今の時代ではブームになる際には必ずSNSで話題になります。個人の嗜好が多様化・細分化した時代ですが、「バズる」という他人との共感を表す現象が現代のヒット商品やブームの一端を担っていることは間違いありません。

    その一方で、SNSで話題になった「100日後に死ぬワニ」なんかは、SNSでの成功を既存メディアや広告業界が世間的なヒット商品にすることに失敗した分かりやすい例でしょう。

    メディアがヒットやブームを作るように思えてしまえますが、あくまで元の作品の質と量があってのものですし、影響される人がいてこそのブームです。

    何かが流行している状態を作り出すとしても、平然とメディアや口コミに影響されて好きになる、ファンになる、流行に追随する人が出てこないとブームもヒットも生まれません。

    みんながみんな独創的で他人に影響されない人だったら、流行もブームもヒットも存在できません。ブームはオリジナルの人だけでは起きません。恥とか思わず平然と真似をする人がブームを巻き起こすものです。

    影響を作り出すのがメディアや広告でしょうけれど、その影響を受ける人も同じくらい重要な存在です。影響を受ける人がどのような思いを抱いて、さらにそれをネット上に表現するかを推し量れなかったら大失敗を招いてしまうことになるのでしょう。

    ブームの仕掛け人とか、ヒット商品の作り方とかよく言われますが、メディアは既存のものだろうと新しいソーシャルメディアだろうと、媒体にしか過ぎません。

    メディア、”media” の語源は medium であり、「中間」「間にあるもの」という意味です。そもそも、mediumの複数形がmediaですので、mediaは発信と受信の間に存在することに意義があります。土管のように100%そっくりそのままスルーするだけというわけにはいかないのでしょうけれど、だからと言って思い通りに作り変えてしまったら、それはもはやメディアの役割を放棄したことになるのでしょう。

  • 不正確な情報が他の情報の信頼性を失わせる

    世の中の全ての分野の情報に精通している人は存在しません。どんな人でも詳しい分野とそうでない分野があります。詳しい分野の深度や、分野の広さは人それぞれでしょうけれど、たいていの人は自分はこの分野はまあまあ詳しい、と思えるものがあるのではないでしょうか。

    自分が詳しいその分野に関して、専門的に報じているメディアもあるでしょうけれど、一般的なメディア、例えばテレビニュースや一般紙などでその分野について取り上げているのを見たときに、その内容よりも自分の知識や経験の方が上回っていてメディアの方が間違っていたり不正確だったりすることがあります。

    単に狭い分野、あまりメジャーではない分野は一般的なマスメディアで取り上げられませんので、間違いや説明不足に気付く人も少ないです。そのためにあまり大きな問題にはなりません。

    しかし、そこに詳しい人にとってはそのメディア自体の信頼性も個人の中で揺らぐことになります。

    単にその分野の取材だけいい加減だったとか、ピンポイントで間違えてしまったということで流してくれる人ならいいですが、むしろ逆に、その分野以外の記事・ニュースでももしかしたら間違いがあるんじゃないかと疑う人だっているでしょう。

    つまり、何か詳しい分野や業界などがあれば、そのカテゴリの報道に接したときに、当該マスメディアがどれくらいの正確さや詳細さで報じているのか、その報道機関のスタンスが分かるということです。

    社会にとって影響が少ないニュースで間違いがあっても大した問題にはならないかも知れませんが、マスコミとして重要な政治や経済や社会問題などにおいても、同様のレベルの不正確な報道であると推測してしまうかも知れません。

    そもそも報道をそのまま鵜呑みにしなければ良いだけの話ではありますが、そうは言っても一般人がたやすく情報を得られない政治や社会についての重大なニュースについて、信頼性に揺らぎが出るとしたら、それはそれで問題です。

    ただ、これは報道機関だけに言えることではなくて、個人間でも同様でしょう。自分がさして詳しくないネタについて知ったかぶりするとろくなことはありません。それこそこのnoteがまさにそうなのかも知れませんが……。

  • ゴールドラッシュのGPU不足と燃料豊富なParler

    仮想通貨のマイニングのために自作パソコン用のビデオカード、特に高性能なものが使用されるのですが、昨年後半あたりから急上昇するビットコイン価格に釣られてか、ネット上でも秋葉原などのPCショップでもビデオカードが軒並み品薄になっているそうです。

    ビットコインがどこまで値上がりするのか、あるいはどこかで急落するのか誰にも分かりません。もしかしたらディープステートとか闇の結社とかなんやかんやと世界を牛耳っている人たちには分かっているのかも知れませんが、少なくとも私には分かりません。

    現代のゴールドラッシュと言える仮想通貨マイニングブームは、ビットコインや多くの仮想通貨が大暴落でもしない限りはずっと続くでしょう。むしろ、暴落したらかえって今が狙い所だと思った人がさらに参入してくるかも知れません。

    19世紀のゴールドラッシュでツルハシやジーンズを売った人と同じ立場にいるのは、半導体メーカーのNVIDIAでしょうか。マイニングのためにビデオカードを買い占める人が多すぎるために、こんな対策を立てました。

    GeForce RTX 3060は“ゲーマーに届く”。マイニング性能を半分に制限
    https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1307428.html

    NVIDIA、マイニング専用GPU「CMP HX」投入。ディスプレイ出力なし
    https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1307502.html

    自作パソコン特に重いゲーム用のためのGPUと、仮想通貨マイニング用のGPUに分けて販売するということですね。

    ゴールドラッシュで売られたツルハシはその後も土木工事などで使われたのでしょうけれど、マイニングブームが終わったらマイナーに買われたビデオカードってどうなるんでしょうね。

    少なくとも、世界中で中央銀行が資金をジャブジャブ供給している限り、株高も仮想通貨高も続くでしょう。材料というか燃料を供給している感じですが。

    燃料と言えば、SNSでもヘイトなり失言なり燃料を供給すれば炎上はいくらでも発生し続けます。

    ちなみに、先日Amazonやアプリプラットフォームや決済業者から排除されたParlerが、復活していました。アメリカで保守的というか右寄りというか色々アレな人が集っているSNSとして有名になってしまいましたが、マネタイズってどうするんでしょう。

    ともかく、ログインしてみましたが若干、表示は変わっています。それよりも自分が過去に投稿した内容が消えてしまっているのですが、前の時はAWSの中だけでバックアップを簡潔させていたんですかね。まあ別に何か大事な投稿をしていたわけでもないのでどうでもいいのですが。

    個人的にはまたいつParlerがネット社会から排除されるか、ということが一番気になっています。他人の権利や自由を侵害する主張をする権利や自由は認められるのか、というジレンマを非常に分かりやすく体現している存在ですので、良い指標になりますね。

  • 生き残るのは多分、肉体労働

    進化した人工知能が人間の仕事を奪う、という主張がなされる時、その「人間の仕事」というのはどのようなイメージで描かれているのでしょうか。

    パソコンでエクセルを使っているイメージでしょうか。工場でネジを作っているイメージでしょうか。それとも、一般庶民には思いも付かないようなエグゼクティブでハイソサエティでクリエイティブなイメージでしょうか。

    イメージはともかく、どんな仕事でも、
    1,何らかの情報を自分にインプットする
    2,インプットした情報に、それまでに蓄積した情報から判断を加える
    3,加工した情報をアウトプットする
    という手続きを経ます。

    例えば、デスクワークの人が会議の日程について質問メールを受け取った場合、

    自分宛に届いたメールを読み(1)、
    メール内にあった指示に対して記憶やスケジュールを確認して(2)、
    メールの返信を書く(3)、

    というインプット→加工→アウトプットという作業を行います。

    また、タクシーの運転手であれば、

    手を挙げた人を乗せて行き先を聞く(1)
    現在地と目的地の間の道順を思い出す(2)
    運転してお客さんを目的地に連れて行く(3)

    といった感じになるでしょうか。

    仕事とはつまるところ、ワーカーが情報を自分の頭にインプットして、形を変えてアウトプットする仕事です。こう考えると、肉体労働は当然ながら在宅勤務には出来ません。コロナ禍においてはホワイトカラーは在宅勤務で対応出来たため、急な失業・減収は免れたというアメリカのニュースを見たことがありますが、当然ながらその影ではブルーカラー、肉体労働者などにおいては苦境を免れ得ません。

    しかし、人工知能とそれを組み込んだロボットが人の仕事を奪うとすれば、奪いやすいのはまずはホワイトカラーの方ではないでしょうか。少なくとも、今のホワイトカラーの仕事のうちでコンピュータを使っている箇所はほぼAIが担えるはずです。

    必ずハードウェアが必要な肉体労働、ブルーカラーの仕事の方が代替されるまでに時間がかかりそうな気がするのですが、どうなんでしょうか。

    自動運転なんて多くの企業が多額の資金を投じて長年やってきていますが、運転そのものは出来ても多様な道路状況に対する安全策はまだまだでしょう。少なくとも人間より安全に運行できるようにならないと意味がありませんし。

    SFの世界では昔からある自動調理器とか自動散髪機なんてものもまだ存在しません。限定的なもの(寿司のシャリを作ってネタを載せるだけとか、鍋を振り続けるとか)ならともかく、多様な料理を多彩な食材を使って作る機械が出来るのは相当先でしょう。

    資格が必要で高収入な仕事の代名詞的な医者だって、オンライン診断が一般化してくれば、人間がやる部分は減ってくるはずです。そうなると手先の繊細さと緊急事態への対応力が必要な外科手術くらいしか人間の医師の出番がありません。

    近代から現代にかけて、支配層はともかく一般人が行う仕事としては、肉体労働よりも頭脳労働の方が高い収入を得やすい流れが続いてきました。しかし、頭脳労働がもっと発達した人工知能に奪われるのであれば、今後の人間には文字通り「手に職をつけて」行う仕事しか残らないかも知れません。

    以前にも別のnoteに書きましたが、AIが人件費を削減出来るのであれば、高給取りの仕事から置き換わっていくはずです。その方が、まだまだ高いAIの利用料金の使い道としては妥当なはずです。

  • ワクチン接種キャンペーンか、反対キャンペーンか

    この期に及んでワクチンそのものに否定的な意見を出すメディアには疑問を覚えますが、ようやく医療従事者に対する新型コロナウイルス対策のワクチン接種が日本でも始まりました。

    その後には高齢者への接種というスケジュールですが、国内製造拠点の状況によっては、接種の流れは早くも遅くもなり得るでしょう。

    ただ、世界的に見れば非常に遅いわけで、世界で70ヶ国超が既にワクチン接種を始めていて、G7で日本は最後に接種が始まる国となりました。

    世界で一番先に始めないといけないとまでは言いませんが、遅いタイミングで始まってもまだ他人の不安を煽るのはいかがなものかと思います。

    そりゃまあ、ワクチンを拒否する権利も思想もあってもいいと思いますが、ワクチン反対が広がりすぎれば、ワクチン接種による集団免疫が出来ていない国民に対しての差別も起こりかねません。

    去年から各国で浮上してはまだ実現していない、免疫パスポート・ワクチンパスポートの導入だってワクチン接種が一通り完了すれば導入する国家が出てきてもおかしくありません。逆にワクチン接種が進んでいない国民を入国制限することもあり得ます。

    また、ワクチン自体にも期限があり、今は迷っていてしばらく様子を見てから打ってみる、という人が多すぎたら結局ワクチンが足りなくなります。

    自然な感染の広がりによる集団免疫の獲得には相当な時間がかかるし、そもそも被害が大きすぎます。イギリスは早々に諦め、スウェーデンも集団免疫作戦は失敗だと認めました。

    3年後なのか5年後なのか。それまでずっと今みたいな、観光業や飲食店が瀕死の状態のままで、たまに緊急事態宣言を出しては引っ込め、という状況をずっと続けるのでしょうか。

    副反応が怖いから安全なワクチンが出来るまで待つ、という気持ちも分からなくはないですが、そもそもそれがいつ出来るか、という問題があります。これも自然免疫と同様で、いつ実現されるかが分かりません。

    そもそも一体、誰がそんなワクチンを作るのでしょうか。大半の国で今あるワクチンによる免疫が出来たら、もはや新規のコロナワクチン開発が不要かあるいは大幅に研究リソースが削減されるはずです。出遅れた日本人のためだけにどこの製薬会社が非常に安全なワクチンというものを作ってくれるのでしょうか。

    副反応に対して怖いという反応は分かります。もちろんそれは理解出来ますが、世界中が日本よりも先に打っている状況を逆手に取って生かせる状況でもあります。政府がやるべきことはそういったデータと、日本で先行して接種した人のデータを正確に把握と公開をして、副反応による被害を受けた人への補償を十分にすることでしょう。

    ちなみに、埼玉県宮代町がワクチン接種で商品券1000円配布するそうですが、イスラエルではワクチン接種後にピザを配っていました。

    コロナワクチン接種したら商品券1000円分 埼玉・宮代町
    https://mainichi.jp/articles/20210217/k00/00m/040/107000c

    動画:コロナワクチン接種後はピザをどうぞ イスラエル
    https://www.afpbb.com/articles/-/3332123

    日本だとピザの値段の方が1000円以上しますのでピザの方がお得に感じますが、どっちかというと商品券の方が使い道はありますね。いっそのこと、GoToワクチンとか銘打ってキャンペーンやっちゃえばどうですかね。

  • 英雄なんていない

    リベラル派の人たちは、現状の権力、政権や既得権益などを否定するために、その対抗馬となる人を称賛し英雄視します。一方で反リベラル・保守的な人は、現状を是認したり過去を栄光視するために、これまた誰かを英雄扱いします。

    誰かを英雄視して論を組み立てると、その誰かにマイナス面が出てきたときに面倒です。反対派に批判のネタを与えることになりますし、そのマイナス面や人物を無理やり擁護しようとすると、今度は味方の内で反対者が出てしまい、結局組織自体が分断されてしまいます。

    また、その「英雄」がやることなすこと言うこと全て正しいとも限りません。誤り・過ちや過激さなどを放置して、批判も糾弾無しに盲従していけば、行き着く先はカルト宗教になってしまいます。

    さて、最近、ニューヨークのクオモ州知事が、高齢者施設での死者数を隠蔽していたという批判が出てきました。感染者の施設での療養対応を選択したことと合わせて、いろいろ保守系・中立系メディアから叩かれ始めました。

    状況や事情なども考慮すると苦渋の決断になった部分もあるでしょうから、悪魔のような非難はさすがに無理ですが、そうは言っても昨年の一時期のような、トランプよりも大統領にふさわしい!という過剰な持ち上げ方の反動が来てしまうのはある意味仕方ないでしょうね。

    ニューヨーク市長とはずっとやり合っていましたし、演説が素晴らしいからと言ってあまりにも褒めすぎだと思ったので、

    https://hrsgmb.com/n/n6b8381a0b9cd

    スピーチが絶賛されたニューヨーク州のクオモ知事ですが、結果的にニューヨークは大変な自体になってしまいました。こういった医療崩壊と被害の大きさの責任追及はされないんでしょうかね。
    もちろん、知事に出来ることは限られますし、知事一人の責任にしてしまうのはアンフェアかも知れませんが、演説の上手さだけで評価するというのもアンフェアでしょう。

    こんなことをかつて書きましたが、演説で成功する人がいれば当然、失敗する人だっています。ほら、日本でも。

    本来の仕事の中身に関する能力と、演説の上手さとはどれくらいの相関関係があるのでしょうか? 能力がある人、演説が上手い人をどのように適材適所で使っていけばいいのでしょうあ?

    良くあるジョークに、

    有能な怠け者は指揮官に
    有能な働き者は参謀に
    無能な怠け者は連絡将校に
    無能な働き者は銃殺せよ

    というものがありますが、演説の上手い下手の場合はどうなるでしょう。

    有能で演説下手な者は参謀に
    有能で演説上手な者は外交官に
    無能で演説下手な者は内勤業務に
    無能で演説上手な者は……なんですかね。スポークスマンと言ってしまうとスポークスマンを全て敵に回してしまいます。少なくとも、あまり人の上には立たない方が良いと思いますが。

    別にクオモ知事を無能とは思いませんよ。無能だったらニューヨーク州知事なんて要職には就けないでしょうし。

    さて、クオモ知事ばかり批判するのもどうかと思いますが、かといって同じレベルでその逆側に位置する人を批判するのも難しいです。批判しづらいということではなくて、もっと強いレベルで批判しないといけないかも知れません。

    トランプ前大統領は、今は目立つ行動はしていません。自身の弾劾裁判については批判していますが、それくらいです。

    あの議事堂襲撃事件にどれくらい責任があるかは、人によって解釈が異なるでしょうけれど、少なくとも法的な責任の位置はどうあれ、倫理的には煽りまくった責任はあると思うのですが、本人も支持者もそうは思っていないようです。

    本当に偉大な指導者であるのなら、暴動を煽らずに鎮静化させるでしょうし、暴れる支持者の前面に立って命懸けで止めようとしているはずなんですけれどね。

    過激な支持者の代表格の人たちは、なんか知りませんがこんな理屈を信じているらしいです。

    Qアノンの次の予言「3月4日にトランプは正統な大統領になる」を信じて待つ信者たち
    https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/02/q34.php

    小説家にでもなった方が良いんじゃないかというくらい、超絶に想像力が達者なようですが、この理屈だとそもそも、前の大統領選挙でトランプが当選したこともフェイクだったんですかね。トランプ在任期間中にもこういうことを主張して、トランプが当選した選挙だって無効だ!と言い続けていたのなら首尾一貫したものと思うのですが、言ってなかったですよね?

    ともかく、主義や思想を体現する人として旗印にするために特定の個人を持ち上げ称賛し崇拝してしまうと、その人にトラブルやスキャンダルが出た時ににっちもさっちもいかなくなります。英雄を担ぎ上げるとメリットもありますが、デメリットも相当にあることは覚悟しておくべきでしょう。

    当然これは逆もまた真なりで、相手方のトップになっている人物などを過剰に異常な非難をしてしまうと、もっと非難すべきヤバい人物が出てきたときに言葉が足りなくなってしまいます。

    称賛も非難も、英雄視も悪魔認定も、過ぎたるは猶及ばざるが如しという格言を頭に留めながらした方がいいでしょうね。