平繁無忙の何でも書くブログ

  • 国外からの批判が権力者を強固にしてしまうジレンマ

    独裁政権が常に国民に恨まれているというのはおそらく幻想でしょう。もちろんその政権が終わっていたら色々噴出してくるのでしょうけれど、だからといって独裁政権があらゆる反発を力で押さえ込んでいるから反対者がいないのだ、というのは欧米の民主主義信奉者の理想であって事実とは異なるかもしれません。

    ミャンマーにおけるロヒンギャ問題もそうです。難民の人権擁護を重視する人にとってみれば、ミャンマー政権によるロヒンギャ族(ミャンマー側はベンガル人という呼び方をしていますが)への仕打ちはとてつもなく残虐なものに思えて、こんな政権を支持する国民なんていないはずだ、とまで思っているかも知れませんが、ロヒンギャ問題の解決が難しいのはミャンマー国民の大半(その構成がほぼ重なる仏教徒)は政権のロヒンギャ対応を支持しているからです。

    それこそ、このロヒンギャ問題が大きく世界的に取り上げられるようになってから、欧米から非難されるようになったアウンサンスーチーがその非難がありつつもロヒンギャ擁護に乗り出さない理由はここにあるのではないでしょうか。ロヒンギャ族への今のミャンマー政府・ミャンマー軍の対応をアウンサンスーチーが非難して別の対応を取るように求めると、国民からの支持を失い、その結果は軍事政権への逆戻りという恐れがあります。だからといってロヒンギャ族虐殺などが認められる訳ではありませんが、国際社会の非難がアウンサンスーチーに集中して彼女の権威・権力が失われてしまうとかえってロヒンギャ問題は悪化しかねないかと思います。

    ブラジルのアマゾン大火災についても非難すれば解決するという問題でもないでしょう。

    アングル:アマゾン火災、ブラジル国内では大統領批判少なく
    https://jp.reuters.com/article/brazil-environment-politics-analysis-idJPKCN1VK0L1
    ブラジルのボルソナロ大統領は、アマゾン森林火災への対応をめぐり、国際舞台では欧州の指導者たちや環境保護グループから激しい批判を浴びている。しかし、国内で大統領の対応の鈍さに怒る国民は少ない。

    ブラジルでは権力者の腐敗が長く続きました。また、アウンサンスーチーのような国際的に知名度と人気があるような人も権力中枢には居ません。そうなるとポピュリズムを掲げる政治家が支持を集めやすくなります。そんな中で誕生したボルソナロ大統領ですが、アマゾンの森林に火を付けたのは環境保護NPOだというものすごい理屈を持ち出していますが、それが真実か嘘かはブラジル国民にとってはあまり重要ではありません。ブラジル対外国という図式が成立してしまえばアマゾンはブラジル国民の資産であり、その資産に手を突っ込む外国勢力を排除する大統領が英雄となってしまいます。

    それならそんな独裁者を排除してしまえばいいのではないか、という考えが出てきかねませんが、独裁政権を排除した後に待っているのはユートピアではなく大混乱であることはアフガニスタン・イラク・リビアなどを見れば間違いありません。独裁政権が成立した土壌を変えないまま独裁政権を存在できないようにすると権力の集中が行えず、国家としてのまとまりがなくなります。政府は唯一の合法的暴力装置でないと国家が成立しないのですから当たり前と言えば当たり前です。

    少し前にアップしたこちらのnoteにも関連しますが、

    https://hrsgmb.com/n/n9acf2dc74cca

    悪の独裁者をすぐに排除してしまうとすぐに次の悪が広がります。そして雑草のように次の悪は前の悪よりも悪い意味で強固になります。独裁政権を国外から擁護や黙認するのはもちろんダメですが、ただたんに非難したり軍事力で排除したりしても結果的にはむしろ悪化するかも知れない、ということは常に考えておくべきことでしょう。

  • 日本史だけの日本史はなくした方が良いかも知れない

    高校での社会科選択の中のいわゆる地理歴史は、地理・日本史・世界史と分かれています。とここで唐突な疑問ですが、歴史は日本史と世界史に分かれているのに、地理はなぜ日本地理と世界地理に分かれていないのでしょうか?

    逆に言うと、なぜ歴史は日本史と世界史で分けて勉強しないといけないのでしょうか?

    「日本人だから日本の歴史は詳しく学ぶべきだ」という主張は理解できますが、それなら同じ理屈で、日本人なら日本の地理も詳しく学ぶべきなのではないでしょうか。もし地理を日本と世界で分けずに学ぶ理由があるのであれば、歴史も同様に日本と世界で分けずに学ぶ必要があるのではないでしょうか。

    怖いというか問題ではないかと思うのが、社会は選択科目ですから、日本史・世界史の両方を学ぶのであれば歴史に関しての知識が偏ることはないはずですが、日本史・地理や世界史・地理という選択をした場合、歴史に関する理解が一部分に留まってしまう恐れがあります。

    日本史を学ばずに世界史を学んだ場合、日本の歴史は断片的にしか出てきません。東アジア文明の中での中国との関わりで出てきた後は、16世紀のヨーロッパにおける大航海時代での日本とヨーロッパの接触、そしてその次は19世紀の明治維新後に列強入りしたところまで飛ぶことになります。

    世界史を学ばずに日本史を学んだ場合、日本の歴史中心ですから当然ながら他国・他文明と比較した上での日本の歴史の標準的なところと特異的なところの区別が付きません。

    例えば日本で17世紀中頃に始まった鎖国(「鎖国」という言葉が使われるようになったのはもっと後ですが)を、日本史の中で解釈するとキリスト教(カトリック)の布教が日本国内で広がりすぎると統治に支障をきたすため、それを恐れた徳川幕府(ついでにいうと「幕府」という言葉も使われ始めたのはもっと後です)が禁令を出し、それに反発して起きた島原の乱が決定的になり鎖国状態になった、となるかと思います。

    じゃあそもそもなぜカトリックの布教が日本にまで及んだかというと、プロテスタントとの争いに危機を覚えたカトリックがイエズス会を中心にアジアにまで布教を広げたというところになりますが、そこからさらにプロテスタントやルターの話までは日本史では行われません。先の鎖国にしてもオランダとの関係は出島を通じて続きましたが、なぜオランダだったのかというとプロテスタントの国だったことや当時の東アジア・東南アジアにおいてヨーロッパで最も強い影響力を持っていたことなど、原因をたどっていくと結局世界史的な見方が必要になってきます。

    さらに鎖国にしてもヨーロッパの大航海時代が始まった15世紀以降、日本だけではなく朝鮮・中国(明・清)でもタイミングは違えど海禁政策をとりました。外国からの影響を最小限に抑えようと対策を立てる、という見方からすれば、日本史上では平安時代の遣唐使廃止による国風文化の成立もありますし、世界史的には第二次世界大戦後の共産圏による情報封鎖や19世紀アメリカ合衆国のモンロー主義など、比較対象はいくらでもあります。そういったものと江戸時代の鎖国は何が共通していて何が異なるのか、ということを学ぶことがより一層歴史の理解を深めると思うのですが、今の教育課程でそこまでやる時間はありません。もうちょっと、覚えないといけないことは減らせると思います。

    歴史とは人の営みの流れを覚えることであり、細かいクイズ的な知識を詰め込むことが最終目標ではありません。地理との比較で言うと、地理は人間社会を水平的に理解するためのものであり、歴史は人間社会を垂直的に理解するためのものです。歴史的事件を覚える必要はありますが、その事件が何によって引き起こされたのか、そしてその事件の結果さらにどのような影響がもたらされたのか、という流れや関係性を学ぶのが歴史です。年号を覚えるのはあくまで事件などの前後関係のためだけですので流れさえ覚えておけば大筋で歴史を間違えて覚えることはありません。

    いっそのこと、日本史・世界史を統合した「歴史」科目を作って歴史を学ぶとはどういうことかということから勉強するようになればいいなと思います。それは決して日本史をないがしろにするのではなく、日本がどのような流れと関係性を世界に対して持っているのかを学ぶためのものになるはずです。

  • チケットデジタル化の必要性と、キャッチアップしていけない人への対策

    INTERNET Watchにこんな記事がありました。

    転売チケットで楽しみにしていたコンサートに行ったら入場できなかった
    https://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/dlis/1204117.html

    記者の実体験ではなく、そういった事例があるということなのですが、チケット転売に関しては最近とみに問題が多くなってきました。

    昔はこんなに騒ぎになっていなかったのに、なぜ今こんな騒ぎになっているのか、というとこれは単純にインターネットの影響です。

    昔のチケット転売と言えば、会場周辺でのダフ屋が行う売買がメインでした。それと金券ショップでの売買くらいです。不要になったチケットを売る人も、そのチケットを買うダフ屋・金券ショップも、そしてそのチケットを購入する利用者も全て対面かつ現金でのやり取りでしたから、トラブルの可能性は今のチケット転売仲介サイトよりは少なかったでしょう。もちろん、一切トラブルが無かったわけではないでしょうけれど、チケットが偽造だったとか現金が偽札だったとかでない限りは。むしろダフ屋行為の摘発が主なトラブルだったはずです。

    しかし、今やチケット転売はネット上の仲介サイトで行うようになりました。その前段階として、ヤフオクなどのネットオークションサイトでのやり取りがありましたが、チケット転売に特化しているわけではないので不便なこともあり、結果的に専門的なチケット仲介サイトが活況を呈する状況になりました。

    ここでトラブルがなければ良かったのですがそうはいかず、冒頭のリンク先記事にあるような様々なトラブルが起きるようになってしまいました。

    結局のところ、記事の終わりにもあるように、公式サイト以外は利用しないということです。

    ちなみに、以前こんなnoteを書いたことがあります。

    https://hrsgmb.com/n/n656b906973a6

    この時は高額転売を防ぐために、ということでチケットのデジタル化が必要と書きましたが、結論的には似た話で、デジタル化により公式サイトでの販売・リセールが出来るようになります。高額転売を防ぐ一方で、行けなくなった人の救済策としては公式サイトがリセールの仕組みを作ってしまえば、チケット転売仲介サイトの存在価値をほぼゼロに出来るでしょう。

    と、ここまで書いてきたデジタルチケットの仕組みはある程度のデジタルリテラシーがある人に利用が限られてしまうでしょう。紙のチケットしか使ったことがない人、ネット上でチケットを買ったことがない人、スマートフォンを持っていない人などは置いてけぼりになってしまいます。そういった人達を切り捨てないためにどうするか。

    チケットを取扱い業界全体(音楽・演劇・スポーツなどの各種興業全体)で共通のICカードを作って、リアル店舗でも販売し、そのカードと身分証を紐付けておいて、チケット購入時にカードを紐付けて購入、そしてそのイベント入場時にもチケットとカードの両方を持っていることをチェックするようにすればなんとかなるかな・・・。

    いっそのこと、あらゆる場面でマイナンバーカードが利用しやすくなればいいのですが、今の仕組みだとむしろ使いづらいマイナンバーカードをどうすれば良いのかって感じですね。

  • カジノとパチンコと依存症

    横浜市がカジノ(IR)の誘致に名乗りを上げたことで、有力なカジノ業者が大阪から撤退して横浜に注力するというニュースがありました。

    横浜市がカジノ誘致を正式発表 「これまでにない経済的社会的効果」
    https://www.huffingtonpost.jp/entry/yokohama-ir_jp_5d5e312ce4b0dfcbd4881d6f
    横浜市は22日、カジノを含む統合型リゾート(IR)を誘致すると発表した。横浜港の山下ふ頭(同市中区、47ヘクタール)に整備し、2020年代後半の開業を目指す。

    米カジノ大手サンズ、大阪撤退=誘致表明の横浜に照準
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2019082201142&g=int
    米カジノ運営大手ラスベガス・サンズは22日、日本でのカジノを含む統合型リゾート(IR)に関して、大阪市での開発の機会を今後追求しないと発表した。横浜市がカジノ誘致を表明したことを受け、首都圏に照準を合わせる。

    大阪のカジノ構想が今後どうなるか予断を許しませんが、あの広大な夢洲の使い道としては良い案だと思うんですよね。サンズが大阪から撤退したのは大阪のIRが無くなったというよりは競争相手に勝てないと判断したからのような気がします。

    カジノ運営米シーザー、日本のIRライセンス取得に向けた活動中止
    https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-08-29/PWZ9MI6JTSEE01
    ラスベガス・サンズは大阪でのIR開設は目指さず、東京と横浜に絞って参入を目指す方針を表明。MGMリゾーツ・インターナショナルは大阪に注力する方針を示している。

    こちらの記事では匂わせていますが、大阪はMGMに水面下でほぼ決まりのようになっていてのサンズとシーザーのこれらの対応が出てきたのではないかと思います。

    このIRあるいはカジノの設置について治安やギャンブル依存症の問題が存在するのは分かりますが、そもそも日本には世界と異なりあらゆる町中にギャンブル施設が大量に点在しています。

    言うまでもなくパチンコ・パチスロ店です。

    一応、建前上、法律上、警察の見解上、あくまで、三点方式としてパチンコ店が出した景品をその近くにたまたま高額で買い取る店がたまたま偶然存在していて、そのお店が買い取った景品をまたパチンコ店が何らかの形で買い取ると言うことで合法的に成り立っている仕組みです。ここまで書いていてむなしくなってきましたが、まあいわゆるギャンブルです。

    日本のギャンブル依存症の大半はパチンコ店が生み出しているものであり、新たに大阪や横浜にリゾート施設併設のカジノが出来たところで依存症患者が急増することもないでしょう。もちろん増えることは増えるでしょうが、パチンコ店の三点方式を潰した方が依存症対策には効果的なのは言うまでもありません。

    カジノ(IR)の誘致に絡んでギャンブル中毒、依存症の問題があるという反対意見を言っている人は、当然ながらパチンコ・パチスロの三点方式による事実上の換金も反対しているんですよね?

    どこの国にもギャンブルに依存してしまう人がいるのは事実だと思います。その人達を国外のギャンブルに追いやってしまうよりは、国内で囲い込んだ方が経済学的にも依存症対策的にもまだマシと思います。だからといって日本中の町にギャンブル施設があるのは行き過ぎでしょう。競馬や競輪などの公営ギャンブルと、外貨を稼ぐIR併設カジノくらいで充分なのではないでしょうか。

  • 中食用のプレーンなパスタが欲しい

    外食産業が中食(店で買って家や会社で食べる)に押されているそうです。

    単純に外食するよりも中食の方が似たような食事内容(味はともかく)であれば安く済むという経済的なメリットもありますし、ライフスタイル・働き方の変化により外で食べるよりも自宅や会社で食べた方が便利ということもあるのだと思います。

    そうはいっても、コンビニやスーパーで売られている決まった弁当だけで中食を毎日過ごしていると、どうしても飽きが出てきます。レトルトのパックご飯の上に何かをかけて食べたり、レトルトや冷凍食品のおかずになるものを買ってきて電子レンジで温めて食べたりすることによって変化は付けられますが、そのパターンもだいたい限られてきます。

    レトルトのパックご飯はありますがレトルトのパスタは事実上一種類しかありません。
    パスタソースは山ほどありますが。

    https://www.otsuka-plus1.com/shop/g/g10054/

    これもペンネタイプなので、スパゲッティタイプが欲しいところです。
    そこで、各社コンビニやスーパーは白ご飯のように茹でただけのスパゲッティ100gとか売ってくれませんかね。

    そこにレトルトのソースをかけたり、コンビニレジ横のホットスナックを組み合わせたりして、中食でも多彩なパスタも作れると思うんですよね。

    そうすると既存のパスタが売れなくなってしまう可能性はありますが、他のものも一緒に売れる可能性があるのでイーブンでしょう。

    そういったパスタやご飯にかけるタイプのレトルト製品は増えていますが、もうちょっとかけられる方のバリエーションが増えてくれると個人的には嬉しいです。

  • 国内市場と国際競争力に求められる違い

    トヨタ自動車がスズキとの提携を発表しました。

    これで日本国内の大手自動車メーカーは、
    トヨタ・ダイハツ・スズキ連合
    日産・三菱連合
    ホンダ
    の3グループに大別されることになりました。

    産業の発展において資本が集中した方が良い場合もあれば、分散して激しい競争が行われた方が良い場合もあります。

    戦後の日本では経済復興の中、自動車産業は多くなったメーカーを政府主導で合併させたりして過度の国内競争を防ぎつつ国際競争力を付けさせて、日本を代表する輸出品目に発展しました。

    また、半導体産業ではカシオとSHARPが電卓の生産と改良で激しく競争している内に、外国メーカーを大きく突き放すくらいの競争力を身につけたということもありました。

    どちらにせよ、国内で寡占状態による弊害を大きくせず、かつ、国際競争力も保ち続けるのはたいていの産業で2〜5社くらいまででしょうか。

    国内一社独占にして全ての資本を集中してしまえば国際競争力は非常に強くなりますが、その一方で国内市場においては競争力が働かず、消費者や下請け、あるいは労働者がその分割を食って悪い条件での取引を強制されることになります。

    逆に国内市場において多くの企業が争うと、消費者にとっては選択肢が増え、下請けも取引先が増え、労働者も働き先が増えます。逆に言うと企業の方が割を食うことになり、結果として国際競争力が落ちることになります。

    この辺は企業自身だけではなくて政府・官公庁でもどのように手綱を引くか悩みどころです。国内市場の競争を促す一方で、国際市場でのシェアの確保のための国際競争力を落とさないようにしないといけません。

    これはサッカーのクラブチームの世界でも同じですね。国際試合で勝つためには強いチームの数を絞って有力選手を集中させた方が良いに決まっていますが、その代わり国内リーグではそれらの有力チームばかりが優勝し続けることになります。ヨーロッパでもいわゆるビッグクラブ以外がリーグ優勝することは非常に稀です。

    日本のJリーグでは幸いなことに、優勝クラブは比較的ばらついている一方で、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)では2007年浦和レッズ、2008年ガンバ大阪、2017年浦和レッズ、2018年鹿島アントラーズが優勝しています。ただ、このJリーグ勢がACL優勝した年は国内リーグでは2007年〜09年鹿島アントラーズの3連覇、2017年・18年川崎フロンターレの連覇と国際試合と国内リーグでの勢力が分かれていました。言い換えると、リーグ優勝するクラブ・ACL優勝するクラブ・その他のクラブという分類が可能でした。この辺はある意味どうしようもない格差でしょう。どうしたって格差は生まれますし、その方が国際試合では良い結果が出てしまっています。

    逆に事実上、国際試合が存在しないアメリカのNFLなんかは徹底的にチーム間の戦力格差が広がらないようにルール決めして、毎年のようにスーパーボウル勝者が替わります。

    国内市場に閉じこもれる産業・分野はプレイヤーが乱立した方が良く、厳しい国際市場で戦うところではプレイヤーは少数の方が良い、ということです。

    ここまで書いていて、ふと、日本のマスメディア産業が斜陽気味なのはインターネットによる直接的な影響だけではなく、インターネットによって強制的にグローバル化に組み込まれたことではないかと思い始めました。

    日本語使用者が日本国内にほぼ限られるという特殊性もあって、テレビ・新聞・出版業界は多くのプレイヤー(テレビ局・新聞社・書店あるいは出版社)が存在して国内市場で競争してきました。しかしインターネットを含むIT革命によってその状況は変わりました。

    テレビはYouTubeやネット配信メディアと、新聞はネットニュースやブログ・SNSと、出版業界はネット書店や電子書籍との激しい競争状態に陥りました。いまや、かつて多数乱立していたプレイヤーが各個撃破されていっているような状況です。それを解消し存在感を出すためには、どの業界でも合併による少数化してリソースを大きくして国際競争力を身につけることしかないと思うのですが、そんな気配はなさそうですね。

    例えばTBSと日本テレビが合併するとか、産経新聞と読売新聞が合併するとか、講談社と新潮社が合併するとか、それくらいのビッグディールが起きないと今後もマスメディア産業の右肩下がりの状況は変わらないと思います。

  • 2019年9月1日J3リーグ第21節ガンバ大阪U23対福島ユナイテッドFC試合観戦の感想

    久し振りのスタジアムでの観戦はU23の方になりましたが、とりあえずトップチームのことは忘れておいて若い選手たちの未来を妄想しながら楽しみながらの試合観戦となりました。

    思えば、今年の初めは中村も食野もU23で試合に出ていて、その2人は今やヨーロッパにいます。その後このU23チームを引っ張っていた高木も山形に移籍したため、攻撃の中心になる選手が明確にならない中、戦績も上がらない状態です。その辺、トップチームと似たような感じですが新たに存在感を出してきたのが中村仁郞と唐山翔自です。

    まだ16歳ですがプロでやるであろう将来を感じさせるプレーを見せている二人です。まあ、順調にトップに上がって順調にスタメンになったらすぐにヨーロッパに取られちゃうのでしょうから、サポーターとしては今のうちに楽しんで見ておくしかないですね。

    今日の試合もスタメン過半数がユースです。先発平均年齢が17.73歳という構成ですので、むしろユースにプロが混じっているようなチームになっています。下の写真はガンバ公式Twitterより。

    一部報道で来年度でこのU23チームが終わり、ということが言われていますが、ここまでユース選手の起用が増えてしまうと、かえって存在意義が揺らいでみえてしまうのもしょうがないかなとも思います。

    ところで、久し振りにこのパナスタに来たのですが、かなり芝の状態が悪く見えました。メインスタンド側のホームゴール裏近くの芝の写真です。

    もともと屋根のため陽当たりも風通しもよくないスタジアムですが、今年の猛暑がさらに芝生の成長に悪影響を与えたのでしょうか。

    今のガンバは細かくパスワークして攻めるようなサッカーをしていないので、その辺は関係ないものの、芝の状態が悪いことが選手の怪我につながらなければいいのですが。

    さて試合開始。直後にいきなりピンチを招きましたが何とかしのげました。序盤は福島のパスワークについていけない場面がありましたが、注目の唐山のゴールで流れがガンバに来るようになりました。このゴールもクロスが上がる瞬間に相手DFの前に外から入って合わせた見事なヘディングシュートでした。

    さて、フォーメーションはいつもの4−4−2ですが、今日は芝本が1.5列目くらいに入り、唐山と2トップに近いようなポジションにいます。その分、中盤は奥野が広い範囲でカバーしているようです。

    中村仁郞のドリブルも通用していて前半全体の内容としては1点のみに終わったのはもったいないくらい。

    後は山口がボールを奪ってそのまま攻め上がってシュートを打ったシーンが惜しかったですね。決まっていれば今節のJ3ベストゴールになっていてもおかしくない場面でした。

    後半は打って変わってガンバにとっては取るべき時に点をきっちり取れた45分となりました。

    J3最年少ハットトリックとなった唐山、2得点の中村は申し分の無い出来で、中村がハットトリック出来なかったことくらいしか心残りがないような結果となりました。

    16歳コンビの活躍に触発されたのか、むしろその二人によってベンチに追いやられた鬱憤があったのか、途中出場の白井は明らかに気合いが入っている様子で迫力もあり、ゴールも決めることが出来て良かったです。

    後は6−0になりアディショナルタイムに入ったところで、GKを谷から王に変えることが出来たのも一つの収穫でしょうか。チーム状況からこれまで何度もベンチには入っていましたが出場機会が無かったですし。6点差があるので思い出出場かと思いきや、むしろ一番危ないシュートを打たれて横っ跳びセーブする見せ場もありました。

    一方の福島はボールをつないでいくにしてもボールを奪われたときの守備が非常に悪かったですね。最終結果は6−0でしたがもっと入っていてもおかしくなかったくらいでした。

    福島の最前線にイスマイルが入ってからはガンバが対応に手こずりましたが、そこにつながる効果的なパスもそれほどなく、福島の決定機は何度もありましたが最終的に無失点で終えることができました。

    唐山はこれでガンガン調子に乗ってゴール量産か? というくらいの出来でしたが、幸か不幸かアンダー代表のエクアドル遠征があるんですね。ガンバ的には残念ですが次節も白井・中村に期待しましょう。

  • 2019年8月31日J1リーグ第25節横浜Fマリノス対ガンバ大阪DAZN観戦の感想

    最近はずっとスタジアムでの試合観戦が都合により出来ていないため、ガンバの調子が上がらないのも合わせてもどかしい限りですが、最悪な結果ではないんですよね。ずっと引き分けですから。

    なにせ、大幅に布陣を変えた大阪ダービー以降、「負けたのは首位のFC東京相手だけ」と聞くと、「割とええやん」って思ってしまうかも知れません。実際には勝てる試合を引き分けに持ち込まれてしまっていることが多く、勝ち点2を何度も取りこぼしてしまっている状況なのですが。

    この夏に大幅に選手の入れ替えが発生したのも監督としてはやりづらいところはあると思いますが、宇佐美・パトリック・井手口という出戻り選手なのでチームに馴染むのは早いのですからもうちょっと勝ってほしいところでもあります。

    前述の出戻り3選手に加えて、川崎から鈴木、山口から高木を獲得してこれで終わりかな、と思っていたところに結構なビッグニュースが先日ありました。

    元スペイン代表スサエタ獲り G大阪交渉認める
    https://www.nikkansports.com/soccer/news/201908300000057.html

    私個人は海外サッカーを全く見ないので全然分からないのでなんとも言えないのですが、アスレチック・ビルバオがバスク人のみでチームを構成するクラブだとは知っています。代表経験もありビルバオ一筋のレジェンドとか言われている選手と聞くと楽しみな気持ちが抑えきれませんが、まだ決まったわけではないのでまずは目の前のマリノス戦です。

    マリノスは前節名古屋から5点奪っていますので、まずガンバとしては守備に気をつけたいところ。特にこの続いている引き分けでは常に失点しています。

    ガンバは毎試合のように中盤・前線のスタメンが少しずつ変わるのも良くないんじゃないかなとも思いますが、今日はパトリックがベンチに入り矢島がスタメン復帰しました。

    前半の試合展開としては持つマリノスと守るガンバといった感じで、ガンバは相手へのプレスが遅れ気味になりファウルになるケースが多かったように思えました。

    そんな中、カウンターからフリーで福田のシュートがポストを叩いたのは惜しくもありもったいなくもありました。

    攻められてはいるのですが何とかギリギリのところでは守っていて、本当に危険なシーンというのは数えるほどだなと思っていたら見事なミドルをティーラトンにぶち込まれました。あそこは完全にフリーで打たせてしまったのが問題。後ろに人数がかかるフォーメーションなのにバイタルでああなるのはシステム的な問題なのか、選手個人の問題なのか。

    またこの試合でも失点してしまい、無失点で90分を終えられない守備の問題が解消していないことは明らかですが、ともかくもう点を取るしかありません。

    44分にはロングパスに抜け出した福田がエリア内でシュートしますが右に大きく外れます。なんか福田はチャンスを作るんですが決められないですねえ。

    結局このまま前半終了。左アウトサイドの福田しか決定機を掴めていないどころかシュートも打てていないところに攻撃の問題も抱えていることが分かります。

    後半開始時に前半のあの内容で選手交代がないことにも驚きですが、アデミウソンへのロングボール以外はやはり攻められていてあっさり2点目を奪われたことにも驚きです。いや驚きではないか。

    そして矢島と倉田に代えて遠藤とパトリックを投入。慌てている感が否めませんが2点差で慌てない方がおかしいでしょう。

    64分には右サイドを突破したパトリックのマイナスのクロスが合わず。

    2人交代してからガンバの攻勢が強まり、中に入ってきた小野瀬がヤットとのパス交換からDF網を突破してドリブルでエリアに侵入し、しっかりシュートを決めてこれで1−2。右サイドが出来るスサエタが加入すると小野瀬との右アウトサイドのポジション争いになりますが、小野瀬はインサイドハーフになるかもしれない小野瀬ですが、インサイドハーフでも前での勝負が出来そうですね。

    その後にはアデミウソンのシュートがポストに弾かれましたが、前半からこの辺ツイてない。

    76分にはヤットのクロスをパトリックが合わせますがオフサイド。ビックリするくらいオフサイドでしたがあれ本人気付かんのかな。

    その後にはマリノスの遠藤に決められて1−3。チャンスを外すとこうなりますよね。

    諦めるつもりはありませんが、さすがに鳥栖相手の仙台と、松本相手の大分を応援せざるを得なくなります。

    そして宇佐美を渡邊千真と交代し、最後の攻勢にかけますが3点目を取ったマリノスが再び勢いづいて攻めてくることもありなかなか攻め手が見つかりません。最前線のパトリックにクロスを当てるくらいでマリノスが焦ることもありません。

    結局このまま試合終了で勝ち点は28のまま。松本対大分の試合が引き分けで松本の勝ち点は24となりました。今はまだ鳥栖対仙台の試合が仙台1点リードなのでこのまま逃げ切って欲しいところです。鳥栖が勝つとガンバ28、仙台28、鳥栖27となり非常にやばくなります。

    しかしガンバもどうしようもなく降格するようなサッカーではないのですが、2012年も降格するようなチームじゃ無いと言われ続けて落ちましたので油断するわけにはいきません。結局2年連続で残留争いしていることをクラブはどう考えているのか。監督についてはまだチャレンジという名の更迭をするタイミングや状況でも無いのも悩ましいところ。今17位とかならやってたかも知れませんが。

    今さら新しいシステム・フォーメーションを試すチーム状況でも順位でもありませんが、やるとしたらこの後のルヴァンカップ準々決勝の2連戦でしょうね。

    それかスサエタがむっちゃ早くチームにもJリーグにも馴染んで毎試合とてつもない活躍をしてくれるか。

    追記

    まさかの鳥栖逆転でガンバ的には最悪の結果に。
    14位ガンバ 28
    15位仙台  28
    16位鳥栖  27
    17位松本  24
    となり、いよいよ残留争いの渦中というか火中に放り込まれました。上も9位の名古屋まで勝ち点差が詰まっているので1つ勝てばジャンプアップできるけれどそもそも勝ててないので意味の無い妄想になってしまう。
    6年前よりも魔境度合いが増している今のJ2に落ちて1年で昇格できる自信が無い。J2暮らしが定着するとホントにヤバい。パナソニックに見限られたらどうするんだ。

  • 24時間テレビの歴史的意義

    日本テレビが毎年行ってきた24時間テレビが、先日放送されました。

    私は毎年、大阪のOBPまで行って募金しています。毎年、もらった紙製の募金箱を一年がかりで1円玉・5円玉でいっぱいにして会場に持っていって渡して、それと引き換えにまた紙製の募金箱をもらって一年がかりで入れていく、というサイクルが出来上がっています。

    この24時間テレビは色々と批判を浴びている番組・イベントでもあります。それは認識していますが、募金を持っていく人間としては、こんなに簡単に小銭を寄付できるシステムがあまり他に無いんですよね。

    やらない善よりやる偽善とも言いますが、偽善というほど悪くはないんじゃないかなとも思います。ただ、正直なところテレビ番組としては全く魅力が無いので1秒たりとも観ていませんが。

    日本にチャリティーという言葉を根付かせたという意味では歴史に残る番組なのでは無いかと思います。

    この番組の出演者のギャラが高いという話もよく聞きますが、そのギャラ以上に募金が集まるならそれは間違ってはいないのではないかとも思います。もちろん、全員ノーギャラで有名人が出て大量の募金も集めてくれるのが一番良いのですが、もしそれが難しい場合、「ノーギャラでそこそこの有名人」 or 「ギャラ有りでそれなりの有名人」のどちらを選択するべきでしょうか。

    これはチャリティーに関する思想の違いにもなりそうです。あくまであるべき姿・理想を重視するのか、集まる寄付の最大化を重視するのか。

    「ギャラありでそこそこの有名人」で大して寄付も集まらない、という最悪の結果でなければどちらでも良いような気がします。

    ただ、「皆さん募金しましょう!」と呼びかけている人間が多額のギャラをもらっていたらむかつくのは分かります。心に棚を作ってそのことは考えずに募金に行くか、ネットで批判するかそれは個人の自由です。

    しかし、このチャリティーによって救われている人がいるのも事実ですから、番組の内容さえもう少しまともになれば批判も減るのではないでしょうか。

    あのマラソン(今年は駅伝というかリレー形式だったようですが)も毎年やるともはや何の意味も無いと思います。初めてマラソン企画が行われたときは面白い企画だし新鮮味もあり緊張感もあったのですが、毎年惰性のように実施されていてはかえって逆効果ではないのかなとも思うのですが、今さら止められないのでしょうね。もう止めよう、という声が挙がらないのか、挙がっていても封殺されるのか。代わりの企画が無いというのもあるのでしょうけれど、いっそのこと日本テレビの地デジの第1チャンネルでは無く、第2チャンネルの方で細々とやるのはダメなんですかね。第1チャンネルの番組でちょくちょくチャリティーの話をしたり、生放送の番組なら組み込んだ企画をやったりとか。

    いずれはこの24時間テレビも視聴率が落ちて中止という話が出てくるでしょう。その時にすっぱり止めるのももったいない話です。歴史ある企画ですし、日本におけるチャリティーの一里塚にもあたる番組です。何らかの形で細々とやっていく方式に変更するのもいいのではないでしょうか。そうなるとどれだけ寄付が減るか分かりませんが、試しに一年だけ縮小してやってみて、経費の減りの方が募金の減りよりも大きければその差額を寄付に回せばいいのです。

    チャリティーを日本に根付かせましたが、あとはチャリティーや寄付・募金をもう少し日常的に、当たり前に行うべきという意識付けが出来るところまで行けば、この24時間テレビの歴史的意義が達成されるのだと思います。

  • 悪事は十年かけて広まる

    権力は腐敗します。そしてその腐敗は時間が経てば経つほど進みます。

    そのため、多くの民主国家では元首や最高権力者の多選禁止や年数制限を設けています。

    例えばアメリカ合衆国では2期8年。例外は第二次世界大戦中のフランクリン・ルーズベルトのみです。

    フランス大統領はコロコロ変わりましたが、今では2期10年に制限されています。

    同じ立憲君主制国家である日本とイギリスでは首相の任期制限はありませんが、共に選出してくれる政党の支持が必要ということもあり、10年を超えるような長期間の在任は事実上難しくなっています。

    フランスとイギリスの間のような制度のドイツでは、大統領はいるものの儀礼的な存在ですから連邦議会での指名を受けた首相が最高権力者となります。これも制限はありませんが昨今のメルケル首相の権力・権威の低下を見るにやはり10年くらいがほどよい期間だったのではないかとも思えます。

    以前にも取り上げたことがある、私の好きな春秋左氏伝にはこんなくだりがあります。


    当時は大規模な戦争がしばらく無く、各国に融和ムードが広がっていました。
    そんな中、楚という南方の大国に後継ぎの親類を殺して即位した王がいました。
    当然ながらそんな王ですから、周辺の小国を併呑し傲慢な態度で諸外国にも接します。
    自国で開催した国際会議に置いても傲慢であり続けた様子を見た、鄭と宋という中規模の国の優れた大臣(鄭の子産、宋の向戌)がこのように話をします。

    鄭の子産が宋の向戌に向かって
    「私はもう楚を心配(恐れ)しない。威張り散らして部下の諫言を聞かない。十年も保たないだろう」
    と言うと、向戌はこう言った。
    「その通り。十年は威張らないと悪は広がらない。悪が広がってしまえば後は見捨てられるだけだ。善も同じで時間をかけて徳が広がれば、後は繁栄するものだから」

    正しいことをやっているような権力者でも時間が経てば上手く行かなくなり腐敗するものです。かといって、最初から腐敗というか悪事を働くような独裁者、悪徳の王というのもすぐに崩壊するものではありません。

    悪が広がる、権力が腐敗するのに10年という期間はそれなりに十分な長さでしょう。逆に言うと、10年を境目にしてそれ以上続けられないようにすれば、国家が破滅的な状況に陥らなく出来るとも考えられると思います。

    「十年一昔」と言いますが、10年間というのは時代が変化するのに十分な期間です。今から10年前を思うと、スマートフォンが広がる手前でした。その10年前では2000年問題での騒ぎもありましたが、ホームページでCSSが広まり始めたころでしょうか。そのさらに10年前となると、日本ではNECの98シリーズが全盛を極め、スーパーファミコンが発売された頃ですね。10年毎にさかのぼると、10年間同じ政権が続くのは社会情勢の変化に対応出来ないだろうという気がします。

    10年間、権力を維持し続けても社会の変化に対応しきれなくなります。権力構造が時代に対応していない中で、現実の方を権力構造に合わせようとする無理を通せば道理が引っ込みます。10年もやれば次世代に引き継ぐべきなのでしょう。

    さて、中国の国家主席も2期10年までだったのですが、昨年制限が撤廃されました。

    日本も自民党総裁の任期が3期9年に変更されたところですが、4選もあってもいいのではないかという観測気球も出されましたね。

    https://hrsgmb.com/n/n97d52f5bd41c

    その時にはこんなnoteも書きましたが、どうなることでしょうか。

  • 体に良いものが体に良いとは限らない

    タイトルを読むとちょっと何言っているのか分からない状態だと思いますが、体に良いとされるものにこだわりすぎると良くない、という話です。

    過剰な健康志向が招く摂食障害「オルトレキシア」
    https://www.afpbb.com/articles/-/3146361

    かなり前の記事を貼っちゃうのもあれなんですが、体に良い食べ物という概念自体がそもそも問題な気がします。

    カロリーが高い低い、あるいは特定のビタミンを多く含んでいる、といった見方であればわかりますが、そもそも「体に良い」ってなんぞやってことですよね。

    上記の記事は自分に対して強迫観念になってしまい、無理をして精神的な負荷をかけてしまう、というところに話のオチをもっていっています。しかし、体に良い食べ物とは何か、というところで人々の間での乖離があります。

    カロリーが高すぎなくてアレルギーにもならない、ということであれば分かりますが、ドレッシングやソースも否定するのは行き過ぎでしょう。

    極端な言い方をすると、消化の良い、柔らかい食べ物例えば豆腐とかお粥とかばかり食べていれば胃には優しいですが、噛むことがなくなって歯や歯茎や顎にとって悪影響があるはずです。カテキンを多く含むお茶を飲めばコレステロールや脂肪の抑制になりますが、逆にそのお茶が含むカフェインで体に悪い影響もあるでしょう。

    とどのつまり、良いものもあれば悪いものもあるはずで、体に良いとされる特定のものばかり飲食している方がむしろ体に悪いのはずです。

    バランス良く食べる、ということはよく言われますが、まさにこれです。

    清潔さを求めすぎてかえって人間の体が弱くなったとも言われます。微生物・寄生虫もほどよく存在してこその生物としての人間なはずです。

    何かの実験で、ノミを徹底的に排除したラットか何かは寿命が短くなったとか聞いたことがありますが、食べ物も似たようなものではないでしょうか。

    悪いものに対する反応によってかえって良い結果が生まれる、ということはおそらく生物の体だけではなくて色んなものに応用できる概念だと思います。

    ナシーム・ニコラス・タレブによる反脆弱性という考えがまさにそうです。

    反脆弱性[上]
    https://www.diamond.co.jp/book/9784478023211.html
    反脆弱性[下]
    https://www.diamond.co.jp/book/9784478023228.html

    一般的に良いものとされるものばかりを固定化して摂取・維持し続けると、かえって大きな変動が訪れた時に対応出来なくなります。

    体に良いものだけを食べるということは、その食べ物のみに対応出来る身体にしてしまうということですし、例えばその食べ物を手に入れられなくなったときにどうしようもなくなります。人間は雑食性の生き物ですし、何でも色んなものを食べる方が人間の身体には合っているはずです。

    体に良いもの、というのは体に本当に良いのか、という考え方を持っておく方が結果的には良い結果に鳴るのではないでしょうか。

  • 知識や経験を囲い込むのは正しいのか?

    インターネットが普及した90年代後半以降、知識・情報というものを手に入れるためのコストが急激にかつ右肩下がりで安くなっていっています。

    単なる、本を読んだだけで手に入れられるような知識は現代ではたいていゼロ円で得られるようになりました。

    その一方で、実際に経験してみないと身につかない情報というものの価値は、前述の知識に比べるとまだある程度の価値は維持しているように思えます。

    だからこそ、この、「note.mu」というウェブサービスで有料記事・有料マガジンが売られていて、買う人のお金によって「note.mu」が維持されているのだと思います。

    単にネットを漁って得られる知識であれば誰もお金は支払いません。お金を払わないといけない、その記事でないと得られない情報だからこそお金を払う人がいるわけです。

    しかし、インターネットがもたらした情報革命は、「情報は知られたがっている」という擬人的な比喩で表されるように、情報の無制限の拡散そのものでもありました。

    インターネット普及以前の、情報を得るための障害が多かった時代との違いとして、情報を格段に得やすくなり、情報を得ることが目的ではなく得た情報でどうするか、ということにフォーカスを当てて人類は活動できるようになりました。

    そうなってくると、noteという、無料でも公開出来るけれど有料コンテンツの利用者がいないと成り立たないウェブサービス上でこんなこと書いていいのか分かりませんが、課金というハードルを設けて知識や経験を一部に囲い込むのは、人類の将来的な発展を考えると本当に正しいのだろうか、という疑問を持ってしまいます。

    誰にでもチャンスあり? 自作ソフトを海外企業に買われたエンジニアの体験談が好評
    https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1202363.html

    この記事を読んで改めて考えた疑問なのですが、ちなみに記事内の元のブログの直接のURLはこちらです。

    趣味で作ったソフトウェアが海外企業に買われるまでの話(knqyf263’s blog)
    http://knqyf263.hatenablog.com/entry/2019/08/20/120713

    こういった経験を積極的に公開するのは、この人自身がオープンソース文化に日常的に慣れ親しんでいるからなのかも知れません。

    オープンソースはまさしくインターネットならではの思想だと思いますが、経験を元にした価値ある情報知識はこれからどのように拡散していくのか、有料での提供というビジネスモデルは今後も維持されていくのか。note.muというサービス自体の根幹にも関わると思いますが、どんな未来が待っているんでしょうね。