平繁無忙の何でも書くブログ

  • 好きなものの間違い、嫌いなものの正しさを認める難しさ

    好きなもののことを調べてさらによく知るという過程は非常に楽しいものです。そして同好の士と知識や情報を交わし合うのも非常に楽しいものです。

    その一方で、自分が好きなものをけなされたり否定されたりしたら反発する感情が出てくるのも当然です。当然ですが、理不尽な非難ならともかく、適切な批判であれば正面から受けた上で対抗すべきでしょう。

    そのために、さらに好きなものを調べたり、その周辺の知識を増やすことで自分をより高められるはずです。

    いわば批判は苦い良薬であるのですが、好きなもの自体に致命的な問題があると、そこに触れたくないけれど触れざるを得ないジレンマが存在します。

    好きな人や組織の主張や言動が自分の感覚や理性と違っている場合、隙だという感情を離れられるでしょうか?

    好きな人が言っていることが間違っているかも知れない、と考えるのは本当に難しいものです。これは逆もまた真なりで、嫌いな人が言っていることが正しい場合に、それを認めるのも非常に難しいです。

    全てのモノに半信半疑で臨めば、好きなものが間違っていても、嫌いなものが正しくても対応出来ます。ただ、それはそれで無味乾燥というか好きなものを楽しめません。感情を何かにオールインするからこそ全力で楽しみを満喫できます。

    せめて、嫌いなものを減らしておけば、感情のコントロールはしやすくなるでしょうか。どちらにしても難しいところではありますが。

  • Chromium版Edgeも出来たことですし、Safariも多少はすり寄っては?

    昨年購入したApple Silicon採用のM1 Mac miniは快適に動作し続けています。ただ、一番安い構成で購入したため、メモリは8GBしかありません。

    M1Macではメモリスワップが発生しても、退避先のSSDへの読み書きが高速なのであまり不便には思いません。しかし気になるのは気になりますので、いつも開きっぱなしのブラウザを、GoogleChromeからEdgeに変更してみました。

    MicrosoftのEdgeは、かつては独自のレンダリングエンジンでしたが、あまりにシェアが低かったため、結局GoogleChromeの元になっているChromiumをベースにして提供されることになりました。日本語版ではちょうど去年くらいに正式リリースされてもう1年強になりますね。

    Chromium版Edgeでは、GoogleChromeの拡張機能を全て利用出来て、またメモリ管理も優秀で少なめになっているとも言われています。有名なのは使用していないタブをスリープしてメモリを節約する機能ですね。

    実際に使ってみて、使用済みメモリやスワップ使用領域は減ったように思えますが、厳密な比較検証をしたわけではないので確実とは言えません。

    ただ、動作は問題なく、拡張機能も当然ながら全部使えていますし、GoogleChrome同様にAndroidやiPadとの同期も出来ますので使用感の違いはありません。

    しかし、Microsoftがオープンソースを利用してそれなりに利用者がいるソフトウェアをリリースするというのは、20年以上前のMicrosoftとオープンソース界隈の激しい対立のことを思い返すと、隔世の感が半端ありません。

    WindowsとLinuxの連携、GitHubの買収、Azureでも当然オープンソース利用が前提でもあります。

    もはやMicrosoftはクローズドなエコシステムでパッケージソフトを販売して利益を稼ぐ会社ではなく、クラウドの会社でもあります。この方向性は今後も変わらないでしょうね。

    Windows10Xという、様々なデバイスに載せるWindowsの方はかなり苦しんでいるようで、結局延期になるとの報道がありましたが、Windows11の方に注力して、全く新しいWindows開発に資金も人的リソースも割いていないのかも知れません。

    デバイスに搭載されるOSがWindows以外、iOSやAndroidやLinuxであっても、その中でOfficeやTeamsやOutlookなどを使って、Azureに載せているシステムを利用してくれたらそれで良いのでしょう。

    逆にAppleは、結構閉鎖的というか排他的というか、自社のブランド内で完結するクローズドなエコシステムで成り立っていますが、ハードソフト両方を作っているから出来ることでしょう。MicrosoftもGoogleも本質的にはソフトウェアの会社ですし。

    いずれは何でもブラウザ上で動く時代になるかも知れませんが、AppleのSafariではちゃんと動かないサービスがあるのも困りものです。GoogleChromeが標準になりつつありますので、その辺はなんとかすり合わせてもらえないでしょうかね。InternetExplorerでしか動かないサービスは切り捨てましょう。というかまだ存在していることには驚きよりも絶望を覚えてしまいますが、官公庁や法人向け銀行サービスとかには本当にあるんですよね……。

  • 2021年7月24日J1リーグ第2節ガンバ大阪対鹿島アントラーズDAZN観戦の感想

    本来3月に行われるはずだった第2節ですが、新型コロナの感染によって3月丸々ガンバの試合が無かったため、五輪による中断期間にまとめて行われることになりました。

    ガンバとしては猛暑の中での連戦となり大変極まりないですが、見なし開催による敗戦になるよりはマシと思って戦うしかありません

    ACLから帰還後のガンバは1勝1敗。17試合で勝ち点17の17位とセブンティーン揃いで強敵鹿島をホームに迎えます。

    目下、ガンバの問題点はACLから続いていて、攻撃陣でパトリックしか頼りにならないことに尽きます。守備でも問題が無いわけではありませんが、懸念していたACLでやられたロングボールではまだ破綻していません。今はパトリック以外得点が出来ないことの方が問題です。

    この鹿島戦では一部入れ替えたものの、2試合前の福岡戦のスタメンとほぼ変わらず、ローテーションというよりはターンオーバーに近いメンバーマネジメントとなっています。

    パトリックの負担が大き過ぎますので、宇佐美とレアンドロ・ペレイラが調子を取り戻してくれることを期待します。

    開幕前の時点で、ボランチ候補が山本・チュセジョン・井手口に矢島もいて、奥野の出番がどれくらいあるかと思っていましたが、今のガンバで一番計算できるボランチが奥野となっているのは皮肉というか何と言うべきか。

    と思っていたらキックオフ後のフォーメーションでは奥野が右サイドに位置しています。倉田山本のボランチに宇佐美と矢島が2列目ですね。ちょっと意外。

    序盤から鹿島がガンバの3バックの左右を突いてきます。黒川と奥野がそのスペースをタイミング良く埋められるかどうかが鍵になります。

    攻撃面では中盤で鹿島の守備に引っかかってしまうシーンが続きますが、13分、矢島が高い位置で奪ってすぐにロングシュートを狙うも惜しくも右に逸れました。この辺からガンバが前線まで運べるようになり、ゴール前まで攻め込めるようになり、五分五分の状態のまま飲水タイムへ。

    その後はお互いにチャンスはあれど決められず、スコアレスで前半終了。期待のペレイラ・宇佐美ともに良い出来ではなかったですが、矢島・黒川・奥野の出来が良く、惜しい場面はありました。ただ決定的な場面まではないので、結局はどこでパトリックを入れるか、という話になりそうです。

    後半は交代無しで開始。開始直後に攻められエヴェラウドのヘディングを浴びますが外れて助かりました。その後も、ファンアラーノに決定的なシュートを打たれますが東口のファインセーブで助かり、59分にも抜け出た犬飼のシュートを東口が何とかキャッチ。

    前半は3バックの左右を攻めてきた鹿島が、後半はDFラインの裏を狙う攻撃にシフトしてきました。

    後半押され続けている中、レアンドロ・ペレイラとパトリック、奥野と小野瀬という同じポジションでの交代をします。個人を代えての攻撃の質向上を図る意図でしょう。

    それでも鹿島ペースでしたが、69分に小野瀬のクロスのこぼれ球を拾った山本が打ったシュートが外れたところで飲水タイムに入りました。

    飲水タイム明けにいきなり鹿島にゴールを決められ失点。攻めるしかなくなったガンバは直後に宇佐美に代えて一美、矢島に代えてウェリントン・シウバを投入。結局今日もペレイラ・宇佐美ともに良いプレーは出来ませんでした。

    76分にシウバが持ち込んで一美がシュートするも沖に弾かれてしまいました。

    さら84分、山本からチュセジョンへの5人目の交代。しかしその後は鹿島に上手く時間を使われてしまい、0−1で試合終了。痛恨の連敗となりました。

    失点シーンは昌子が取りに行って奪えずにスルーパスを出されたものでしたが、後半から鹿島の攻撃に守備の対応が追いついていなかったことが遠因でしょう。

    敗因自体は結局のところ得点を奪えなかったことですが、選手の問題もあるでしょうし、フォーメーションの問題もあるでしょうし、システムやらコンディションやら、色々な理由があるのでしょう。原因が何にせよ、攻撃には明らかに大きな問題を抱えています。これを解消できないと、この後の連戦も非常に厳しい結果が予想できると言わざるを得ません。

    藤春・井手口らの怪我人も気掛かりですが、ペレイラ・宇佐美ともに本領を発揮できない理由が個人だけに帰するというのは、チーム状況を見ると無理があるでしょう。

    次も中2日でホームでの大分戦です。勝ち点1差で残留を争う、6ポイントマッチです。次は間違いなくパトリック先発でしょう。

  • 慣習のビジネス化によるGDP成長の曲がり角

    冠婚葬祭は古来から社会にとっての大事な儀式として行われてきました。

    冠・・・成人式
    婚・・・結婚式
    葬・・・葬式
    祭・・・祭礼
    をまとめた四字熟語ですが、基本的にはどれも社会における共同体が行ってきました。

    しかし現代社会においては、それぞれ担当が分離しています。

    成人式は自治体が行いますし、結婚式は教会・神社・ホテルが会場となります。葬式も仏寺、神社、教会でしょうし、祭礼は観光客を呼ぶためのイベントになりつつあります。

    自治体による成人式は別として、他はいずれもビジネスになっているわけで、かつては共同体で当然無償かせいぜい実費負担くらいで行っていたものが、資本主義に組み込まれていることになります。

    経済が発展あるいは肥大化していくと、かつて素人によって無償で行われていた慣習が、専門家が少なくないお金を受け取って請け負う商品・サービスに転換される例は冠婚葬祭に限ったことではありません。

    それこそ育児が保育所・幼稚園やベビーシッターになり、自炊が外食・弁当になるだけでも、ビジネスが増えていくことになります。

    経済成長、経済発展は社会に流通するお金の量が増えるだけでなく、そのお金を介在する仕事自体が増えていくことでもあります。右から左に同額で商品やサービスが提供されればGDPは増えませんが、付加価値という利益を上乗せして提供されればGDPは増加します。無報酬の慣習が有償のサービスになれば経済成長していることになります。

    GDPを20世紀最大の発明だと称したのは誰だったか忘れましたが、資本主義化度合いを測る上では非常に分かりやすい指標であるのは間違いありません。

    ただ、今後もGDPが経済指標として最高の地位を保ちうるかというと疑問も出てきます。

    まさにその疑問は、世界最大の資本主義国家であるアメリカ合衆国がもたらした、IT技術の発展によって沸き起こりました。

    コンピュータとインターネットの普及によって、これまでアナログ的に行われていた事業や仕事が効率化し、時間・距離・経費を減らしていけばその分GDPも減ってしまいます。

    その減った分以上にIT業界が発展していればGDP自体は増えるでしょうけれど、どこまでも規模拡大が続くのでしょうか?

    GDPは20世紀最大の発明であり、かつ20世紀にしか通用しないものなのかも知れません。付加価値の総量ではなく、投入するリソースに対して生み出される成果の比率、いわば生産性そのものを指標とした方が、経済発展の度合いを見比べやすくなるのではないでしょうか。

    そうなると、我が日本はGDP世界3位の地位よりも低い生産性ランキングに甘んじることになるでしょうけれど、はっきり突きつけられた方が日本全体の効率性向上のためには良いのかも知れませんね。

  • 危機を乗り切った政府が信頼され続けるとは限らない

    この夏と秋には自民党総裁選と衆議院総選挙が行われます。現時点でもどちらを先にするかがまだ決まっていないという状況ですが、9月の国連総会、東京五輪、内閣支持率や世論状況を見ながら決めるのでしょう。

    与党や首相周辺筋は東京オリンピック・パラリンピックの成功と、新型コロナワクチン接種の進行を持って、総裁・首相継続の正当性としたいのでしょうけれど、果たして上手く行くでしょうか?

    1945年、長く厳しいナチスドイツとの戦いを勝利で終えた直後に行われたイギリスの総選挙は、チャーチル内閣が信任される見込みで解散して実施されました。

    しかし、結果は歴史が示すとおり、「これまでの成功」を語ったチャーチルの保守党は惨敗を喫して、「これからの政策」を語った労働党の内閣が成立しました。チャーチル首相は第二次世界大戦でヒトラーに屈服することなく戦い抜いた英雄であったはずですが、その直後の選挙にその人気が反映されなかったのです。

    また、90年のアメリカにおいて湾岸戦争を短期間で勝利し、ズルズルと戦いが続いたわけでもないのにブッシュ大統領(父)は民主党のクリントンに選挙で敗れ、大統領を1期しか務められませんでした。

    こういうことは遠い異国の昔ばなしということでもありません。

    2011年の東日本大震災では、菅内閣の対応への批判が強く起こり、その年のうちに野田首相への交代し、さらに翌年の総選挙では民主党が敗れて自民党・公明党が政権に返り咲きました。震災や原発に関しての対応で時の政府を手厳しく批判していたのは、当時野党だった自民党です。

    そして去年から続く新型コロナウイルスCOVID-19によるコロナ禍に対しては、自民党政権は安倍前首相から菅首相へと代替わりしましたが、近年では見ない内閣支持率に低迷しています。

    この状態で、自民党がこの秋の総選挙でも勝つと、与党・内閣では思っているでしょうけれど、実際はどうでしょうか?

    東京オリンピックを何とか開催し終わらせ、国民を涙なみだナミダの感動の渦に巻き込んで、内閣の人気が爆上がりすると思っているとしたらなかなかのものです。

    おそらくは、オリンピックが始まる前と終わった時の支持率は大差ないでしょう。もはや国民はオリンピックへの関心を失いつつあります。成功しようが失敗しようが、多分変わりません。

    むしろ、オリンピック関係者や選手などで感染が広まり、重症者や死者が出てしまった場合は、組織委員会に責任が無くとも批判は免れないでしょう。そうなると、国民も「五輪の成功」という感触を持てるわけがありません。

    菅内閣の支持率は、五輪後も良くて現状維持、悪くてさらに下がるとしたら、総裁選も総選挙も予断を許さない状況になるはずです。

  • GAFAMの都合と駆け引き

    自宅のパソコンはMacしかないため、テレワーク時にはMacでMicrosoftのOffice、TeamsやOneDriveを使っています。Officeは比較的早めにAppleSiliconにネイティブ対応しましたが、TeamsとOneDriveのアプリケーションはまだIntel用をRosetta2経由で動かしています。

    Office以外のアプリもMacユーザーとしては早くに対応してほしいですが、Microsoftだってそれだけのリソースを割くかどうかは戦略的な問題でもあるのでしょう。なにせ、Rosetta2での動作がかなり安定していますので、かえってユーザーサイドの要望も切実なものでもないのですよね。

    むしろ逆にMicrosoftにして見れば、AppleがWindows版のiTunesやSafari(だいぶ前に開発停止しましたが)などで大して力を入れていないのと同じだ、と言いたくなるかも知れません。

    この辺は、各社がユーザー数と開発リソースを天秤にかけて上層部が決めることなのでしょう。MicrosoftとAppleでの駆け引き次第です。

    そのMicrosoftが先日発表したWindows11では、Androidアプリも動作できますが、何とAmazonアプリストア経由でのインストールとなります。その発表の数日後には、Google Playストアで公開されるアプリの形式を仕様変更するとGoogleが発表しました。

    これにより、従来のAPKファイルでのAndroidアプリ配布と、新しいAABファイル形式でのGoogle Play経由のアプリ配布が混在することになります。これだってGoogleにはGoogleの都合があるのでしょうけれど、開発者側はGoogle PlayとAmazonアプリ(+Windows11)に対応するには2種類の形式を用意しないといけないので面倒なことになります。まさかGoogleがMicrosoft&Amazonやその他のアプリストアを抱える企業に嫌がらせをしているわけではないでしょうけれど。

    Google、Apple、Microsoft、Amazonが相互にアプリケーションとプラットフォームに絡め合っている状況になっているのですが、GAFAMの残り一つ、Facebookは他の4社と毛色が全く違います。Facebook(サービスの方)にしろInstagramにしろ、プラットフォームっぽい感じはありますが、あくまでSNSであり、その中での広告料で成り立っているFacebook(会社の方)は、AppleのiOS、GoogleのAndroid、MicrosoftのWindowsの中で生きていくしかありません。

    そう考えると、昨今槍玉に挙がりがちな個人追跡の広告システムが批判され、各社のプラットフォームで使えなくなると、Facebookはかなり厳しい経営になりそうな気がするのですけれど、そうでもないのでしょうか?

    個人的には、どこか有名どころをFacebookが買収するんじゃないかと勝手に思っています。Facebookが売上ゼロのInstagramを買収したのは9年前ですけれど、もうそろそろデカいのが来るのではないですかね。

    そう言えば、日本のヤフーが日本におけるYahoo!の商標権を買収したリリースが少し前に出ていましたが、アメリカの本家Yahoo!をFacebookが買っちゃうとかどうですかね?

  • 「もはや震災後ではない」「もはやコロナ後ではない」と言う日が来る未来

    今回の東京オリンピックは「復興五輪」とも名付けられています。復興とは言うまでもなく、2011年に発生した東日本大震災による壊滅的な被害からの復興を意味します。

    1923年に起きた関東大震災の後には当時の東京市長、後藤新平が「帝都復旧」ではなく「帝都復興」を掲げました。元通りではなく、それ以上の街を新しく作るのだという意気を持っていたわけですが、今の日本にそれがあるかどうかはともかく、震災後に東京オリンピックを開催しようとした点では同じです。

    1923年関東大震災→1940年東京オリンピック(中止)
    2011年東日本大震災→2021年東京オリンピック(予定)

    となりますが、今回の東京オリンピックもコロナ禍で1年延期した上に、中止を求める人もいて、結局ほぼ無観客での実施となりました。単なる偶然の符合ではありますし、1940年のオリンピックも復興のためでもなかったので、今回のオリンピックと無理矢理重ねなくても良いかもしれません。ただ、スポーツを政治問題や社会問題の解決のツールに使おうとする考えは、特に最近始まったわけでもないことは明らかです。

    2011年の震災から10年経ちましたが、あっという間の10年だったのか、長く感じる10年だったのかは人それぞれでしょう。大阪に住まう私としては、もちろん大変な未曾有の災害であることは理解していますが、理性での認知であって感覚での認知ではありません。どちらかというと実際に大きな揺れを体験した1995年の阪神淡路大震災の方が、感覚的な記憶は強く残っています。

    日本は自然災害の多い国であり、地震、台風、豪雨、噴火など、毎年大きな被害が起きています。東日本大震災を感覚的に認知して直接的な脅威と捉えた人は、東日本に住んでいた人でしょう。それ以外の地域では、2011年以前や以後に起きた、身近な災害の方が記憶に残ります。

    現代は、趣味も経験も多様化・細分化しています。誰もが歌える流行歌も、誰もが見ている国民的テレビ番組も、誰もが読んだ小説なんて存在していません。厳密には昔だってなかったですが、世代も地域も超えて話題に出来るものはかつてはありました。

    知識として話題には出来ても経験としては東日本大震災ですら、西日本の人にとっては感覚的には語れません。

    そんな中、決して歓迎できるものではなく、無い方が良かったのは間違いないですが、新型コロナウイルスCOVID-19によるコロナ禍は、2020年〜2021年を生きていた人にとっては死ぬまで共通で語れる事象となってしまいました。

    このコロナ禍以前で、日本だけではなくほとんど全ての世界中に共通する話題というのは、おそらくは第二次世界大戦・太平洋戦争以来でしょうか。

    いずれこのコロナ禍が収束した後、10年後や20年後に初めて会った人との共通の話題として、
    「新型コロナは大変でしたね。あの時あなたは大丈夫でしたか?」
    という話が一般的になるのでしょうか?

    1945年の終戦から11年経った、1956年の日本の経済白書において、
    「もはや戦後ではない」
    と書かれて流行語になりました。

    2011年の11年後に
    「もはや震災後ではない」
    と言えるでしょうか?

    2020年の11年後に
    「もはやコロナ後ではない」
    と言える状況になっているでしょうか?

    そう言えるかどうかは、結局は人類の真摯な努力次第でしかないのですが、果たして出来るでしょうか?

  • 人が使うデジタルデバイス・紙媒体のサイズ

    スマートフォンの大画面化は相変わらずですが、1画面としてはもう限界に達したかと思います。人の手が急激に大きくならない以上、持てるサイズに限界は当然あります。大きいモノで7インチで、それ以上を求めるなら折りたたみ式やスライドして広がるタイプなど、変則ギミックが必要です。

    スマホに限らず、人間が使うデジタルデバイスの画面サイズはだいたい絞られてきました。

    手で持つデバイスであれば4インチ〜7インチ
    持ち運んで使用するデバイスなら10インチ〜15インチ
    机の上で固定するスタイルのデバイスは20インチ〜30インチ

    大雑把に分けるとこんなものだと思います。それぞれ上から、スマホ、タブレット・ノートPC、デスクトップPCが該当します。

    そして、それぞれのサイズで、いわゆるRetina解像度、人間がそれ以上細かさ(あるいは粗さ)を認識できないくらい細かな解像度であれば、それ以上細かくするメリットはほぼありません。なんとなく綺麗には見えるかも知れませんが、トレードオフとして必要な性能・電力が犠牲になります。

    数十センチメートルは離れて利用する、20インチ〜30インチくらいのモニターであれば、もっと目を近づけて使用するスマホほどの細かさは必要ありません。画面全体で、ドットを認識できない程度の解像度で十分となります。

    そう考えると、もうこれ以上の高解像度さへの挑戦は、一般人が使うデバイスではほぼ不要でしょう。

    思えば、デジタル画面に限らず紙の媒体だってサイズは印刷技術の発達によって変更されてきました。

    日本で言えば和紙と筆と墨を使っていた時代では、情報量に比してどうしたって結構な大きさが必要です。しかし、木版印刷を挟んで活版印刷の時代になると、人の目で読めてなおかつ小さなサイズの文字で表現できるようになり、本・雑誌・新聞のサイズが定まりました。

    前述した、

    手で持つデバイスであれば4インチ〜7インチ
    持ち運んで使用するデバイスなら10インチ〜15インチ
    机の上で固定するスタイルのデバイスは20インチ〜30インチ

    がそれぞれ、本・雑誌・新聞と同じなのは偶然でしょうか?

    偶然でないとしたら、あくまでデバイスのサイズを決めるのは技術ではなく人間の手と目ということになります。

    さて、今後のテクノロジーの行方を考えてみると、デジタル画面については、リフレッシュレートの向上と消費電力、目へのダメージ軽減が短期的目標になるでしょう。

    そして長期的目標としては、画面が画面ではなくなる、今のVRグラスがさらに進化して現実とデジタル画面の融合というか、区別が必要無くなる状態になるのではないかと思います。

    まあ、脳に電極を差し込んで直接情報のやり取りをするのであれば、画面インターフェイスも不要になるでしょうけれど、さすがに私が生きている間は無いと思うのですが。

  • 誰がどんな意図で誰に対してメッセージを出すか

    泣いても騒いでも東京オリンピックの開幕が近付いてきました。延期出来ないなら、無観客・無関係者・無報道陣でやるべきと思っていましたが、無観客以外は実現せずに始まりそうです。

    五輪開催反対の人からのヘイトを集める一人、IOCのバッハ会長が来日し、ホテル前とかで「バッハ出ていけ」といったプラカードを掲げての抗議活動もあるようですが、そもそも日本語で書いてもバッハ会長は読めないですよね?

    読ませたい対象が読める文字で書かないと相手には伝わらないと思うのですが、もしかしたら抗議している人はバッハ会長が日本語を読めるという独自情報でも持っているのでしょうか。

    そうでないとしたら、抗議活動のプラカードや横断幕の文字をバッハ会長個人は読まなくても良いということになります。抗議活動自体に意味があるのです。はっきり言うと、横断幕の文字を読ませたい相手はバッハ会長ではなく、報道を通して見る日本人に対してということになります。

    抗議活動を揶揄する意図ではありません。メッセージには相手が必要であり、双方が理解出来るメッセージでないと意味がないのです。

    もちろん、英語で書かれている抗議の横断幕やプラカードもありました。そういうのはもちろん本人にも読ませるものですし、国外の報道機関にも見せるためのものでしょう。

    古代、神に対する儀式で使われる壺や器の内側に文字を刻むことがありました。当然ながら、その儀式でその壺を見る人には、その文字は見えません。しかし、人に見えない文字は神に捧げる文字となります。

    メッセージは相手が読める形でないと伝わりません。相手が読めない文字で書かれていると言うことは、そのメッセージの相手は想定とは別の人のはずです。

    メッセージは、送り手、受け手と中身までを含めた解釈をしないと読み間違えます。それは抗議活動に限ったことではなく、マスメディアでも同じでしょう。「メディアはメッセージである」というマクルーハンの金言にもある通りです。

    昨今のマスメディア不信の一つは、マスメディアは正しい情報を公平に出していますという建前が大きいのではないでしょうか。実際にはポジションというか色というか、各社によって同じニュースでも解釈や切り取り方は異なります。

    その辺を分かった上で読むのと、マスコミの情報は全て公正なものという前提で読むのとでは全然違う受け取り方になります。

    単なる誤報もありますが、その社のポジション的に不正確とは言わないまでも微妙にずらしたり情報を減らしたりして報道することもあります。

    それを全て、陰謀論的にマスコミは自分の思想の反対サイドにいる怪しからん奴らだと切って捨ててしまったら、自分が間違っている場合に得られるはずの有益な情報にも目を塞いでしまいます。

    裏切られたショックで「もう何も信じない」状態に陥ってしまいかねません。

    マスメディアの情報なんて半分は誇張か嘘だくらいに思っておいた方がいいのですが、少なくとも、このメディアのこのニュースはどういう意図があるか、ということを半分、頭に入れて読むくらいがちょうど良いのではないでしょうか。

  • 2021年7月17日J1リーグ第21節アビスパ福岡対ガンバ大阪戦DAZN観戦の感想

    失意のACLから一週間。帰国した選手・スタッフが新型コロナに感染していたことも分かり、まさに踏んだり蹴ったりのACLでしたが、3月試合が出来なかった分が加わった過密日程が待っているので泣き言も言っていられません。これから真夏に中二日で15連戦というとんでもないスケジュールです。

    ACLでは毎試合得点は出来たものの、得点源として頼りに出来たのはパトリックだけでしたし、守備ではロングボールに対して明らかに弱点を露出してしまった問題も抱えています。

    攻守に課題がある中で迎えるリーグ再開初戦では、レアンドロ・ペレイラと宇佐美の2トップ、いつもの3バックという陣容ですが、井手口がメンバー外、奥野がベンチのため中盤が攻撃最優先の布陣となりました。

    絶不調の福岡に対して攻め続けようという意図は感じられますが、キックオフ後の最初の決定機は7分の福岡CKからのヘディングでした。

    その後はガンバペースでボールを回して中盤を制圧していますが、パスの出し手と受け手の呼吸が合わないのが気になります。特にレアンドロ・ペレイラが絶望的に周りと合わないのですが、どうにかならんのでしょうか。

    ガンバペースとは言えなかなかシュートまではいかず、惜しいシーンと言えば29分、宇佐美が直接FKを狙って弾かれた時くらいです。

    中盤でのつなぎは、選手層の差やサッカースタイルの違いもあって、ガンバのポゼッションの時間が長いですが、どうも山本と矢島の相性が悪いようにも思えます。矢島と山本がはっきり縦の関係になれずに近い位置にいると、パスが詰まるように見えます。

    それでも攻めていった44分に波状攻撃から宇佐美がボレーシュートを打つも枠の左に逸れました。

    結局、不調の福岡に対してゴールを奪えず前半終了。今のガンバの苦境を象徴する前半45分でした。

    ハーフタイムでの交代は無し。

    ベンチが動くとしても、パトリックを入れて前線を強化するか、奥野を入れて中盤の役割を整理するくらいでしょうか。とにかくチャンスの数が少なすぎます。

    47分、クロスから決定的なシュートを打たれるも東口がブロック。後半開始からいきなり劣勢続きです。

    その後はまた、攻めるガンバとカウンターの福岡という構図ですが、65分の宇佐美のシュートは力無くキャッチされました。

    そろそろ仕掛けないと時間が足りなくなりますが、打つ手がパトリックくらいしかないのがなかなかに絶望的です。

    そうこうしていると結局山岸に先制点を奪われました。何もしないガンバが苦境に立つのは当たり前でしょう。と思っていたら、VARでハンドと判定されてノーゴール。ガンバにとっては100%の幸運としか言えません。

    このタイミングで宇佐美からウェリントン・シウバに交代。個人的には川﨑の方が見たいのですが、この辺は序列が決まっていますね。

    その後も福岡に攻められる中、パトリック・一美・奥野が入り、ペレイラ・矢島・倉田が下がりました。パトリック・一美の2トップにトップ下がシウバ、山本・奥野のボランチのはずです。選手間の役割整理はこれで出来るはずですが、いかんせん残り時間が少ない。

    そんな中、85分に左サイドから奥野が入れたクロスが相手に当たり、即座に反応したパトリックが頭で合わせてガンバが先制に成功しました。

    山岸のノーゴール判定に続いて、運が味方してのゴールでしたが、結局パトリックが頼りになることを証明するゴールでした。

    90分にはスローインからグローリーのシュートを東口がビッグセーブ。東口に頼り過ぎですが今に始まったことではないので今は考えないようにしましょう。

    レフェリーがイヤホンマイクを交換した時間とか、VARでのゴール取り消しとか色々あった後半なので、アディショナルタイムは8分という長さになりました。

    パワープレイでひたすら攻められる時間帯を見ると、守り切れなかったACL第3節のチェンライユナイテッド戦を思い出してしまいます。

    追加点を取れれば問題ないのですが、96分のパトリックから一美につないだシュートはオフサイドでノーゴール。

    99分40秒まで時計が進んだ混戦は何とかそのまま試合終了。

    幸運もあっての勝ち点3だったことは否めません。はっきり言うと、パトリック不在の前線、奥野不在の中盤では難しく感じます。

    これからの連戦を考えるとメンバーを固定するのは難しいですが、欠かせない選手というのはACLから続いて変化がないことを確認した試合でもありました。

    試合数の差もあって以前、降格圏の17位ですが、16試合で勝ち点17となり、勝ち点がようやく試合数を上回りました。

    次の試合は7月21日(水)の神戸戦です。セルティックへの移籍が決まった古橋は今日も得点していましたが、どうやらこの後に出発するらしいので、ガンバにとってはありがたい話です。もちろん、ガンバが勝ってこその幸運と言えるのですが。

  • パラレル思考からシリアル思考へ

    プロデビューから将棋界を席巻し続けている藤井聡太二冠ですが、以前に読んだ記事か何かで、思考時に脳裏に盤面を浮かべないというのを知って理解が出来なかったのですが、棋譜一手ずつ盤面上で駒を動かすのではなく、棋譜をそのまま理解しているのでしょうか。

    凡人の理解の範疇をはるかに超えているのですが、盤面を表示するために必要な脳内リソースがもったいないのか、ひたすら手順処理に思考を全振りしているのか。

    それと関連付けるようにふと思ったことが、昔のパソコンではデータ転送をパラレルに行うポートが主流でしたが、今ではほぼ存在していません。

    プリンタポート、パラレルポート、SCSIやATA、E-IDEなどの規格では、複数の信号線を同時に使って、一度の転送処理で複数のデータを送受信する仕組みでした。

    一つの信号線でのデータ転送速度が遅かった時代では、一つの信号線でやり取りするよりも、複数の信号線でまとめてドーンと送信して処理した方が速かったわけです。

    しかし、データ転送速度が速くなるにつれて、このパラレル方式よりもシリアル的に、一つの信号を高速に送受信した方が速くなりました。

    パラレル方式ではデータをひとまとめにするのに時間がかかり、またひとまとめに送られてきたデータを処理するには結局一つずつ拾っていくことになりますから、データ転送速度が速くなるとまとめたりばらけたりするところがボトルネックになりました。

    結局、現在のパソコンではSerialATAとUSBという二種類のシリアル方式のデータ転送が取って代わることになりました。

    将棋の盤面を頭に思い描くのも、いわばパラレル的というか、同時に表示する駒が多数出てきて、もしかしたら藤井二冠レベルの思考速度だと、むしろ盤面がボトルネックになるのかも知れません。棋譜をシリアル的にひたすら高速に処理している方が結果的には速いのかも知れません。

    凡人が適当に言っていることですので、全くの見当外れかも知れませんが、処理速度については相当速いことは間違いないと思います。

    サッカーでも俯瞰でピッチを見るような思考が出来る選手が、素晴らしいパスを出したりします。現代でも過去でも、それはサッカーの名選手としての必須条件だと思いますが、もしかしたら将来、俯瞰で捉えることすら時間的な無駄と見なして、自分や他人のプレーを全てシリアル的に処理して最終的なプレーを実行するような選手が出てくるかも……。

  • Windows10が最後のWindowsではなくなったことによる問題と商機

    先日発表されたWindows11によって、Windows10は「最後のWindows」ではなくなりました。かつて言っていたことはどうなんだ、という話ですが、それにはそれ相応の事情があったのでしょう。

    Windows10では毎年2回の大型アップデートが行われていますが、これをユーザーが迅速かつ確実に行ってくれるとは限りません。パソコンリテラシーの低い人だと、設定→システム→WindowsUpdateに進むことすら一度もしたことがない可能性もあります。

    同じWindows10であっても、パソコンによっては、使う人によっては相当に中身が異なることになります。

    Microsoftとしては古いバージョンのWindows10のサポートは打ち切ってきましたが、それもパソコンに不慣れな人には情報として届きません。結局、Microsoftの意図とは異なり、Windows10という名の「古い」Windowsが存在し続けることになります。

    いわば、Windows10の内部で断片化が起きてしまいます。こうなると、新しい経験をユーザーに一律に届けることが出来なくなります。そのため、新しい経験を詰め込んだ新しいWindowsをWindows11と新たにネーミングしてリリースすることで、ユーザーを新しいWindowsにまた集約することが出来ます。

    古いWindows10を使い続けられてセキュリティの問題や、新たなエクスペリエンスを提供できない状態が続くよりは、「最後のWindows」という前言を翻してでも、古すぎるWindows10を排除しやすい状態にしたかったのではないかと個人的に推察します。

    さて、これでWindows11とWindows10が世界には混在することになります。正確にはWindows8.1がまだサポート中ですがこれは避けて考えましょう。

    問題は、Windows10が2025年までのサポートであることと、Windows11にアップグレードできないパソコンが相当数存在することです。これにより、サポート切れのWindows10パソコンを危険性を顧みずに使い続けるユーザーがかなり出てきそうなことです。かつてWindowsXPやWindows7の時にも同様のことがありましたが、ネット常時接続が当たり前の今では、サポート外のOSを使い続けるリスクは半端ではありません。

    Microsoftがサポート期限の延長、あるいはWindows11の要件の緩和をするかも知れません。そうなればいいですが、そうならなければ世界中に溢れる、Windows11になれないリスク満載のPCがネットにつながることになります。

    ここで、いっそのことGoogleが、ChromeOSをWindows10搭載PCにも入れられますよ、と大々的に攻勢をかければ結構シェアを取れるのではないでしょうか?

    コロナ禍でビデオ会議、リモート授業、テレワークが日常的なものになりました。Windows10のサポートが切れる2025年でそれらがまた非日常のものになっているとは思えません。その時に、大量のパソコンがゴミとして扱われるよりは、ChromeOSによって寿命を延ばすことは環境的にも経済的にも良いことです。

    現状の半導体不足が2023年頃までは続くと言われていますが、2025年の大量のWindows11への切替需要に応じられるかも怪しいものです。ChromeOSで生き返り、限られた用途ながらそれなりのことが出来るパソコンが増えるというのは、Googleという一企業だけの利益だけではなく、世界や社会にとっても有益な手段だと思います。

    今のところはChromeOSそのものは自由に使えませんが、ほぼ同等のChromiumOSは使えますし、CloudReadyなどのサービスを使えば、Windowsマシンにも導入できます。とは言っても、学校や企業が大々的に利用を勧めるには不安や信頼性の問題もあるでしょう。だからこそ、Googleが他人の褌で相撲を取るというか、WindowsマシンにChromeOS導入のサポートを公式に実施するという決断すれば、2020年代の後半はChromeOSの時代が来る可能性だってあり得るはずです。