平繁無忙の何でも書くブログ

  • 楽天モバイル(MNO)にMNPしました

    4月8日から正式運用が始まった、自社回線の楽天モバイルにMNPしてみました。

    それまではdocomo系のMVNOを数社、6年間ほど渡り歩いてきましたが、久し振りに正式キャリアに復帰しました。MNP番号を発行して楽天モバイルのHPから申込をしましたが、その際にeSIMで運用できるRakuten Miniという端末も購入。数日後に到着しました。

    始めは、eSIMが使えるiPhoneを別途購入して、楽天非サポートながらiPhoneで使用しようと思っていたのですが、いざ、RakutenMiniを使ってみるとこれがなかなか良いものでした。

    色んな人がレビューを書いているので改めて細かく書くつもりはありませんが、とにかく軽くて小さいことが正義です。もともと200g超えのiPhone8Plusを使っているからでしょうけれど、
    「こんなに軽くて小さくてもスマホなんだ」
    という感想を持ちます。

    しかし、逆に今のiPhoneや大半のハイエンドスマホが
    「こんなに重くて大きくても『携帯』電話なんだ」
    という感想を持つべきなのかも知れません。

    お金を生み出すリッチコンテンツを快適に利用することを考えると、画面サイズはひたすら大きくなっていきます。2画面スマホも複数存在します。

    RakutenMiniはそれらの概念を覆すものです。これをメインで使う人は少ないでしょうけれど、そもそも昔のiPhoneと大差ありません。重さは違えど画面サイズは3.6インチですから、iPhone4などの3.5インチとほぼ同等です。ホームボタンが無く、ベゼルが小さい分だけRakutenMiniが小さく軽くなっているような感じです。

    ちょうどRakutenMiniを使い始めたところで、新しいiPhoneSEが発表されましたが、事前リーク・予想通り、iPhone8ベースのものでした。重さ148gということですので、RakutenMiniの2倍近くあります。こう考えてしまうと、iPhoneに無理にこだわらなくてもいいのかなと言う気すらしてきます。Mac、iPad、iPhone、Apple Watch、AirPodsというエコシステムにどっぷりハマっているのでどうしようかとも悩んでしまっている状態です。

    以前、

    https://hrsgmb.com/n/nbb09218af827

    こういうnoteを書きましたが、Appleには小型端末への需要もあるということを考えてほしかったです。4.7インチ〜6.5インチくらいの間にいくつもの機種を混在させるのもあまりAppleらしいとは言えない気がします。自社製品間で競合している様を見るに、だんだん普通のメーカーに近くなってきているようです。

    楽天モバイルの自社回線については、結構使える、という印象です。使う前に覚悟を決めていたからかも知れませんが、自宅でも職場でもauのローミングではなく楽天の回線につながりますので、不便さは感じないです。移動中が問題ですが、電車の中ではずっとKindleを読んでいるのでほぼ使うことがないという理由もありますが。

    画像1

    速度として自宅でこれくらい出ていれば問題ないですね。自宅では固定回線につなげるので不要ですが。

    RakutenMiniをメインスマホとして使うようにするかどうか悩みどころです。

  • 最適なタイミングで実行するのは難しい

    今回の新型コロナウイルスに対する各国政府の動きを見るに、最高のタイミングで最大の効果を発揮する政策を実施するのは非常に難しいことが分かります。

    感染を非常に低く抑え込んでいる国が全く無いわけではありません。台湾やニュージーランドは優れた対応をしたようです。どちらも島国であるという理由の他に、台湾はかなり早い段階で中国での感染状況を把握できていたことや、ニュージーランドは人口が比較的少ないことも理由に挙げられると思います。

    もちろん日本や韓国も1月時点では対策の取りようがあったはずですが、台湾ほど「いざという時には中国と対立してもいい」という覚悟を持てないことがかえって徒になったのかも知れません。

    しかし、日韓ともに現時点では世界的に見るとまだ対応としてはマシな方です。失敗はあれど国家的に大悲劇と言える状態かというと、欧米と見比べるとそこまでではありません。下を見て安心するのは人としてアレですが。

    人口が数千万人以上いる国では、台湾のようにかなり早くに中国との行き来を塞いで政府レベルで徹底的に国民(一応は国ではないことになっていますが)を管理しないと大変なことになるという証明がなされた格好です。監視のない保護はあり得ません。

    感染が拡大してしまった国は、「まだ大丈夫」とか「締め付けると経済がなあ」とか「感染が拡大し始めたら引き締めよう」とか思っているうちに、あっという間にどうしようもなくなってしまいました。

    逆に日本では2月終わりに安倍首相が一斉休校要請を出しました。その時には教育を犠牲にするとか、子どもの世話をする親のことを考えていないとか、散々に非難されましたが今ではむしろ休校を続けるべきと言う人の方が多いように思います。その後の政策がかなり問題なのは確かですが。

    早く動きすぎると経済や社会に対する悪影響が出てしまいますし、遅すぎると感染が広がってしまいます。金と命とどっちが大事だ、という二択を迫れば誰だって後者が大事だというでしょうけれど、それを具体的に政治の世界で実行するとなると経済が死んでも失われる命もあります。高度な政治的判断がどの国でも毎日行われている状況でしょう。

    引用するのは不適当かも知れませんが、相場の格言に
    「頭と尻尾はくれてやれ」
    という言葉があります。

    例えば株式売買で言えば、最安値で購入して最高値で売れれば一番儲かりますが、最安値で買うのは難しく最高値で売るのも難しい。買い時売り時を大きく間違えると利益が減り損失が増えます。ギリギリまで売買のタイミングを見極めるのではなく、最安値よりも少し高い値で買って最高値より低い値で売るくらいでいい、という格言です。

    新型コロナウイルス感染対策で言うと、最適なタイミングを計り続けて逡巡するくらいなら、小さな失敗を覚悟の上で大きな失敗を防ぐことを考えた方が良いのだと思います。

  • ベーシックインカムが無理でも富裕税は出来るか?

    つい先日、こんなnoteを書きました。

    https://hrsgmb.com/n/n0a67fd613c88

    今回の新型コロナウイルスによって、ベーシックインカムの必要性を訴える人が増えるのではないかと思っています。北欧などの福祉が重要視されている国であればどこか始めるかも知れません。まずはそもそも落ち込んだ経済を復活させるための政策が最優先でしょうけれど、ベーシックインカムによって将来の危機においても収入そして生活の不安がなくなれば、かえって安心して消費が増えて経済の復活も早くなると思います。

    実際、3月にはイギリスのジョンソン首相(まだ元気な頃)がベーシックインカムに言及していました。

    英首相、ベーシックインカム検討 コロナ対策で一時的に
    https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56978020Z10C20A3EAF000/

    あくまで一時的ですから、恒久的なベーシックインカムというよりは臨時給付といった方がいいでしょう。また、スペインでも検討されているという話もありましたが、そっちは無収入や低所得者だけを対象にするという考えらしいので、日本で言えば生活保護に近いもののはずです。

    どちらにせよ、本格的にベーシックインカムを導入するところまでは言っていません。ただでさえ経済が落ち込み、国家財政も危機的な状況になる中でベーシックインカムの財源など確保できない、というのはどこの国にも言えることなのでしょう。

    とすれば、逆に経済対策のために一部への増税を強める意見も出てくるはずです。

    税金というのはそもそもお金や資産に対して課せられるものです。使ったお金に対して課税されるのが消費税(付加価値税)、もらったお金に対して課税されるのが所得税や法人税、あるいは相続税などです。それ以外にも不動産や自動車などの大きな資産に対しても課せられます。

    使ったお金・もらったお金・持っている資産に対して税金が発生するわけですが、貧しい人からは付加価値税しか取れませんし、貧富の格差の拡大によって中間層もどんどん減っています。となると、最終的には富裕層に対する課税しかありません。固定資産税は存在していますが、それ以外の現金(預金)、換金性の高い金融資産(株式、債券)は持っているだけでは課税されません。それらに対しても課税している国はありますが、それほど多くはありません。いわゆる富裕税や財産税と言われるものです。

    多額の資金・資産を持っているだけで毎年一定割合で課税される仕組みですが、当然ながら富裕層からは嫌われる税金です。

    日本でも戦後に存在していましたが数年で廃止されました。これは戦前にあった貧富の格差の是正には多少なりとも貢献はしたのでしょうけれど、インフレが長く続く時代にはあまり意味がないですね。所得税の累進課税を高くした方が税収的にも格差是正にも役立つのは考えれば分かります。

    逆に、インフレではなくデフレの時代であれば、所得税よりも財産税の方が貧富の格差の是正が出来ます。デフレでは物価が下がるのと合わせて収入も減りますが、既に存在する資産は減りませんから相対的に資産価値が高くなります。その分だけでも財産税を課税しよう、という政府がどこかに出てくるんじゃないですかね。もちろんデフレの国だけですけれど。

    ただ、当然ながらその国の富裕層は猛反発して政府に対してロビー活動をするでしょうし、それでもダメなら財産を持って国外に逃げるでしょう。逃げられなくてもパナマ文書にあったような、富裕層のみが可能な租税回避策を行うはずです。

    この辺は、国際社会が協力して一斉に課税しないと富裕層には逃げられるでしょう。逃げた先の国に対して国際社会が圧力をかけられるかどうかが肝ですよね。現状ではあまり出来そうにはないですが。

  • キス・ハグといった挨拶は多分なくならない

    今回の新型コロナウイルスによって、挨拶時に握手、キスやハグをする文化が感染を広めたとも言われています。逆に、日本では挨拶時にお辞儀する文化によって感染が急拡大しなかったという人もいます。

    当然ながら本当のところはそれだけではなくて、日本で言えばインフルエンザや花粉症対策としてマスクをすることに心理的抵抗がないことや個人レベルでマスクの備蓄があったこと、国民皆保険制度や医療機関の設備の充実、手洗い・うがいの文化、早めの一斉休校要請があったことなど、様々な理由が複雑に絡み合って欧米ほどの被害が出ていないのでしょう。

    ただ、感染が拡大してからも積極的に握手しまくっていたイギリスのジョンソン首相が感染したことは、握手などの物理的接触が感染を拡大させやすいということの分かりやすい一例になったとは思います。

    この、握手・キス・ハグといった挨拶は良くない! 止めるべきという意見もあるようですが、数百年以上続いている習慣を簡単に無くせるとは思えません。当事者である外国の人達が本当のところどう思っているのか分かりませんが、今は止めるべきと思っていてもこの問題が収まればまた普通に復活するような気がします。

    だからといって、そういった文化を持っていない日本人が批判するのも的外れというかおかしいでしょう。「禍福はあざなえる縄のごとし」と言います。キス・ハグといった挨拶によって安心するという心理的効果はあったはずですし、歴史的社会的な経緯によって必要とされてきた原因や理由もあったはずです。一律に間違っているというのも無理な話です。

    逆に、もし、日本人の捨てがたい慣習に何らかの問題が発生したとするケースを想像したらどうでしょうか?

    研修医が平気で飲食する会合を開いて集団感染したり、警察署で歓迎会を平気で開いて集団感染したりしています。みんなで一緒に酒を飲んで仲を深める、という習慣は、一般人よりも感染症に詳しいはずの医師や、自粛要請を出している政府の部下である警察官でも止められないほどの心理的強制力を持っていることの証でしょう。

    こんな状況下においても歓送迎会を行うなんて、外国人から見たら馬鹿に見えるかも知れませんが、日本人の一部にとっては命よりも大事なものなのでしょう。これはおそらく日本人以外には理解出来ないものです。

    また、今回の新型コロナウイルスの騒ぎの中でも自粛要請を無視してでも花見を敢行する人がそれなりにいたくらい、日本人における桜や花見に対する執着はかなり強いものがあります。

    例えば、そんな桜の木を媒介にするような凶悪な伝染病・感染症が発生したとしたらどうなるでしょうか?

    日本人は、日本中に存在する桜の木を全て伐採できるでしょうか?

    毎年春の1,2週間ほどだけ楽しめる植物なんか切ってしまえばいいじゃないか、と外国人は思うでしょう。しかし、今の日本人にはそこまでのことは出来ないかも知れません。

    長く続いている文化や習慣や慣習は、続いていることが続く理由にもなりますが、それが生まれて続いている理由や原因もあるはずです。何か新しい、急にストップしなければならない事態が生じたとしても変えることは難しいものです。

    「郷に入っては郷に従え」という言葉があるのは、そうしない人がいるからです。裏返せばその共同体の外側にいる人間からは内部の人達の文化や習慣に対する心理が分かりづらいからでもあるのでしょう。その「分かりづらさ」という内心を是正せずにそのまま発言や行動に移してしまうと、結局は国家や民族、人種などに対する差別になってしまうのです。

  • トップが説明する相手は誰なのか

    今、手元にない本から引用するので不正確になりますが、佐々淳行さんがあさま山荘事件について書いた本にこんなくだりがありました。

    メディア担当の部下が、事件の進展がない日の記者会見を中止しようとした時に、中止ではなく会見を開いて、今日は進展がない、ということだけ伝えて記者に解散してもらった。いつも記者会見があったのに何も無いからと言って記者会見を開かなかったら、かえって記者連中が邪推して色々と騒ぎ立てるし、それでかえって事件解決が遠のくことになりかねない。伝えることがない時には伝えることがないと伝えることが大切なのだ。

    はっきりは覚えていないですがこんな感じの内容でした。マスメディアとその対応の一つの要点であるように思います。

    今ちょうど吉村大阪府知事の記者会見が終わったところです。最近は毎日のように住民に対して発言をしています。また、入れ違いのように山本群馬県知事の記者会見が始まったところです。これらは簡単にネットで見ることが出来ます。テレビではテレビ局が流さない限り見ることは出来ません。直接住民に訴えることが出来るインターネットのストリーミングはまさにこういう使い方をすべきなのでしょう。

    トップには膨大な仕事がありますし、スポークスマンが他にいるのでそれに任せる、というのも一つの選択肢ではありますが、責任者が責任を持って発言する姿を見せる、というのも重要な仕事の一つです。

    議院内閣制の国家では、首相は国会によって選出されるものですので、行政における責任は議会に対して説明する必要があります。一方で都道府県知事は住民による直接投票で選出されます。首相が国会に対して説明し、知事が住民に対して説明するのは法的に見れば当然ではあるのですが、こういうところに政治の神髄があるように思えます。

    現状は毎日感染者数、死者数、回復者数が増えていく状況です。
    「今日は特に何もありません」
    という記者会見は首相だろうと知事だろうとあり得ないでしょうけれど、トップが毎日姿を見せること、特に国会やマスメディアのワンクッションを挟まずに直接国民に語りかけることは、危機的状況においてこそ必要なはずです。

    第二次世界大戦時のフランクリン・ルーズベルトの炉辺談話ほどのインパクトがなくてもいいので、直接語りかけることはトップとして、はっきり言うと安倍首相にとっては最重要な仕事なんじゃないのかなと、知事の記者会見を見ながら思ってしまいました。

  • ショートショート「被験者」

     白衣を着た中年の男が言った。
    「博士、ウソ発見器の準備が終わりました」
    「うむ、ご苦労だった、中村君。いよいよだぞ、この画期的な実験が始まるのは」
     答えたのは初老の男で、彼も同じく白衣を着ていた。彼ら二人の間にはイスに縛り付けられた若い男が、焦点の定まらない目で、あらぬ方向を黙って見つめていた。
    「さあ、中村君、この、ウソは絶対につけないという催眠術にかかった男が、ウソ発見器に対してどのような反応を示すのか、しっかりと記録しておいてくれよ」
    「はい、博士。記録の準備も整っています。どうぞ開始して下さい」
     博士は、若い男に向かって、
    「よし、質問を始めるぞ。さて、あなたの名前は田中良雄ですか?」
     と尋ねた。若い男は、
    「はい。私の名前は田中良雄です」
     と、しっかりした口調で返答した。
    「あなたは女性ですか?」
    「いいえ、男です」
     博士は、答えを聞きながら計器類を見て、満足そうにうなずき、質問を続けた。
    「ウソ発見器はちゃんと動作しているようだな。では、この男はウソがつけないという催眠術にちゃんとかかっているのか確かめてみよう。田中さん、あなたはウソをつけますか、もしくは、ウソを今ついていますか?」
    「いいえ、ついていません。私は、ウソはつかない人間です」
    「それでは、あなたは、ウソをつけない催眠術をかけられていますか?」
    「……。はい。かけられています」
     若い男の思わぬ反応に、白衣の二人は驚き慌てた。
    「どういうことでしょうか? 博士」
    「いや、私にも分からん。計器には何の反応も現れておらんし。彼が自分の状況を正しく理解していれば、催眠術とは言えないのだから。もしかすると、催眠術にかかっていることを無意識のうちに悟っているのかもしれない」
    「しかし、そんな事があり得るのでしょうか」
    「何とも言えないね。さっきの質問への答えは、イエスでもノーでも矛盾が生じるものな
    のだ。イエスの場合、催眠術にかけられているのを自覚しているという事になり、それは理性が保たれていることである。ノーの場合はもちろん事実に反する。結果としてイエスの方が出てきたわけだが、私の予測ではその時にウソを付いているという反応が計器に現れるはずなのだ」
    「しかし、反応は現れていません」
    「うむ、そこが不思議なところだ」
    「ひょっとして、催眠術が失敗だったのではないですか?」
    「いや、そんなはずは……。待てよ、この男に催眠術をかけたのは、一体誰なのだ? 私は催眠術のかけ方なんか知らないぞ。中村君、君か?」
    「私だって博士と同じですよ。第一、ここはどこなのです?」
    「むむっ、そういえばこの部屋には窓がないし、ドアにも外側から鍵がかかっている。これはどういう事なのだ?」

     白衣の男二人が慌てふためく様を隠しカメラのモニターで見ながら、身なりの立派な中年の男は、ソファでくつろぎながらつぶやいた。
    「おや、もう私が二人にかけた催眠術が切れてしまったか。やはりパラドックスに直面すると意識が覚醒してしまうようだ。まあ研究材料としてはなかなか面白い実験だったな。さて、彼らに事情をはなして開放してやるとするか。ん? 何でこのドアには外から鍵がかかっているんだ?」

  • ショートショート「輝く虚栄」

    「さあ、早くしてちょうだい。パーティまで時間がないんだから」

    「奥様、そのご要望にお応えするわけには……」

    「何言ってるのよ! ちゃんとお金は払うんだから、つべこべ言わずにさっさとしなさいよ」

    「しかし……」

    ある街のある美容院のVIPルームで、妙齢の女性が若い美容師にきついロ調で注文していた。

    「全くもう! そうしなきゃ、今夜のパーティで皆の関心を集められないじゃないの! 超セレブの私が、その他大勢に数えられるなんて、耐えられるわけないのよ! 上得意の私に逆らう気? それとも旦那が死んで未亡人になったからと言ってあなたも馬鹿にしてるの!?」

    ヒステリックに甲高い声をあげる女に押されて、美容師の男はしぶしぶ求めに応じることにした。

    「かしこまりました、奥さま。それではご注文通り、額にダイヤモンドを埋め込み、指の先にはサファイア・ルビー・エメラルドをちりばめます。よろしいですね?」

    「ええ、いいって言ってるじゃないの」

    「それでは奥様。こちらの書類にサインをお願いいたします」

    と言って、男は保険契約書のような紙を取り出した。

    「はい、これでいいんでしょ」

    中年の女はすぐさまサインをして、書類を返した。

    「では、これより埋め込み手術を行います。それによってお客様の蒙むる損害は、当店は関知いたしませんので、その点をご了承くださいませ」

    「はいはい、早くしてよ。もう」

     二十一世紀の半ばを過ぎたこの時代、女性達が自らの美を競い合う意識が高まった。ついには、自分の体の各部分にきらびやかな宝石類を埋め込んで、その美しさを見せつけるようになった。形成医学が急速に進歩していたので、埋め込み手術の失敗や、術後の問題を招く心配もなかった。爪や耳たぶといった箇所には、皆、気軽に手術を行って宝石を埋めていた。上流階級に属し、社交界において自慢しあうことが楽しみのような婦人達は、大きく胸の開いたドレスにマッチするように、鎖骨の辺りや、スリットからのぞく足に宝石を埋めたりして、競い合っていた。

     手術が済み、決して安い額ではない料金を支払って美容院から出てきた、先程の女性は、街でも注目の的だった。皆、驚いたような顔で、女性を見ていた。その多くの視線を受けて、女性は有頂天だった。

    (ふふん。これでパーティでも注目の的に違いないわ!)

     そして実際、パーティでは彼女は多くの人々から多くの視線を浴びた。それに関しては満足だったが、ただ疑問も残った。みんなが自分から視線を外すときに笑っているようにも見えたのだ。

    (何でみんなあんな目で私を見たのかしら。羨ましそうな、悔しそうな顔をするものとばかり思っていたのに。変な人ばっかり)

     自分を乗せたタクシーが自宅に着き、玄関に立った。しかし、彼女は家の中に入れなかった。自宅のセキュリティシステムが、額のダイヤによる光の反射のために顔を認識できず、指の先の宝石によってつぶされた指紋を照合できないまま、彼女は呆然と立ちつくしていた。

  • 目と口とマスク

    「目は口ほどにものを言う」ということわざがあります。

    言葉を発していなくても目が言いたいことを表していて隠しきれないことを言いますが、表情を出す顔のパーツの中で、日本人が目やその周りの動きを重視している表れでもあります。

    ケータイ文化から生まれた絵文字でも、目を中心に描かれているものが多く、感情を目から読み取る文化なのかも知れません。

    冬から春にかけて、インフルエンザと花粉症を防ぐ目的で日本ではマスクを付けることが当たり前になっていました。そのためにマスク姿で外を出歩くことは日本人にとってごく当たり前のことでした。それでもマスクを付けているからコミュニケーションが取れないわけではありません。会話はくぐもって聞こえるものの成り立ちますし、それこそ目を見ればある程度の意思疎通が出来ます。

    一方で、今回の新型コロナウイルスの問題によって、各種メディアでも取り上げられているように、外国ではマスクを付けるのは日常的ではありませんでした。病気にかかっているというようなものであり、軟弱な証しとも言われていたそうです。

    感染予防の邪魔をするイランの行き過ぎた「マッチョ信仰」
    https://www.newsweekjapan.jp/tokyoeye/2020/03/post-14.php
    マスクや傘は体を守るためのアクセサリーだと感じている人が多いのだが、それは弱々しいイメージがあるからだ。

    今はどこの国でもマスクが不足するくらい、手に入れようと必死になっています。かつてのマスク嫌いは減っているようですが、新型コロナウイルスが過ぎ去った後でもマスクに対する考え方は変わったままでしょうかね。

    さて、マスクを付けていても会話は出来ますが、やはり聞こえづらいです。その一方で聴覚障害者の人がよく使う手話であれば、マスクは無くても通じます。

    実際には手話の時でも大きく口を動かして何を意味しているのか補助的に使っていますが、最悪無くても通じます。その点は逆に利点となっていますが、耳が不自由な方というのは色々な状態があります。

    全く聞こえない人もいれば、少しだけ聞こえる人、そこそこ聞こえる人などです。また、周波数というか高い音低い音によっての違いもありますし、補聴器・人工内耳を付けて聞こえるにしても雑音も大きくなってしまう不便さもあります。

    耳が不自由だからといって誰もが手話を使いこなせるわけではなく、相手の口の動き、唇の動きを見て言葉を読み取っている人もいます。少し聞こえる音と、口の動きをミックスして理解しているわけです。

    そういう人にとっては、マスクを付けている相手との会話は難しくなります。

    こういうことは想像で考えることも出来るはずですが、本当のところはそのようなケースに遭遇してはじめてハッと気がつくものだと、実際に遭遇して思いました。

  • ポータルニュースではメディアが平等の扱いを受けることになる

    ヤフーニュースとかLINEアプリでのニュースとか、あるいはSmartNewsとかを読んでふと気がついたのですが、こういったポータルサイト・キュレーションサイトではニュースの発信源にかかわらずみな平等の扱いを受けています。

    具体的に言うと、ニュース元が日経新聞だろうと東京スポーツだろうとロイター通信だろうと週刊実話(さすがに載ってないかな)だろうと、見出し一覧画面では見出しのみ表示されて、内容はおろかニュース元は実際にクリック・タップしてからでないと分からないようになっています。

    ヤフーニュースでは、ヤフーニュースのページに飛ぶと下の方には見出しと媒体名が載っていますが、トップページやヤフーニュースの上部に表示されているのは見出しのみです。

    発信元の媒体名だけで記事の良し悪しを読まずに決め込んでしまうのはもちろんダメですが、日本で言う一般紙とスポーツ紙、イギリスで言う高級紙と大衆紙などの違いが、読み始めるまで分からないというのはマスメディアにとっては大きな違いです。

    読んでみて結構いい加減なこと書いているな、と思ったら、何というかいわゆるそんなにお堅くない系のメディアであった、ということは良くあります。一般的に信頼されているようなメディアの見出しも、書いてる奴も信じてないだろと言うようなメディアの見出しも、上述のポータルサイトなどでは同格の扱いを受けることになります。

    ニュースを集めて表示させる側から見れば、まず第一に利益を上げるためにアクセス数・クリック率を高めたいでしょうから、真偽はともかく扇情的な見出しを掲載する方にインセンティブが働きます。

    明確な嘘などはポータルサイトも元のメディアもそもそも掲載しないでしょうけれど、微妙なラインやフェイクニュース、ソースが怪しい、あるいは誤報などについてはどんなメディアでもあり得ます。怪しくても過激な見出しを出すことで収益につながるのであれば、そういう方向に進んでいきかねません。そうならないようには管理する側は相当な理性とパワーが要るでしょう。

    従来の紙媒体のメディアであれば、扇情的なメディアは扇情的な紙面作りを、お堅いメディアはお堅い表紙で店頭に並んでいます。表紙や第一面を全く見ずに中身の見出しで買うか買わないかを決める人はいません。先に何のメディアかを見てから手に取って、中身を見る流れのはずです。

    そう考えると、紙媒体からポータルサイトに移行することで、メディア名が記事(見出し)の信頼性を担保することはなくなります。見出しのリンクをクリック(タップ)するまで、その記事がどのメディアのものか分かりません。

    無料で読んでいる記事に文句を言うのも無理筋な話でしょうし、読む側が今何を読んでいるのか、ということを意識しながら読むしかないでしょうね。

  • ペンネームの本人確認

    このnoteはペンネームで書いています。noteでは本名で書いている人もいればペンネームを使っている人もいます。どちらかというと前者の方が多いでしょうか?

    note以外のプラットフォーム、ブログやTwitterなどでも本名やペンネームは様々に利用されています。本名であれば属性が似ている同姓同名でも無い限り、簡単に
    「これを書いているのは私です」
    と証明することが出来ると思いますが、ペンネームの場合はどうでしょう?

    紙などの旧来の媒体に発表している場合は、その媒体の関係者による証明が必要になるでしょうけれど、ネット媒体に自分で投稿している場合は、自分がその媒体にログインすることによって証明できるはずです。

    具体的には、例えばこのnoteのログイン画面で、ID(メールアドレス)とパスワードを打ち込んでログイン出来れば、そのペンネームが自分のものだと証明できます。

    もちろん、IDもパスワードも他人のものを手に入れて成りすましで主張することは可能です。noteに限らずブログやSNSでも同様です。

    ネット媒体では本人確認は本人のみで可能と言えますが、成りすまされたらどうしようもなくなります。この点は旧媒体の方がセキュリティがしっかりしているというか、リアルな人間がリアルな人間の証明をするので成りすましは非常に困難になります。成りすますには本人を排除して、身分証なども奪って、顔も整形して、証明してくれる人を騙して。まるでサスペンスミステリーです。

    デジタル、特にネット媒体であれば、簡単に本人確認・証明が出来ますが、ログイン手段を適切に管理しないといけないですね。当たり前の話ですが。

  • 無印良品の肩の負担を軽くするリュックを使っています

    少し前に、無印良品で「肩の負担を軽くする撥水リュックサック」を購入して毎日使用しています。

    肩の負担を軽くする 撥水 リュックサック 黒
    https://www.muji.com/jp/ja/store/cmdty/detail/4550182293715

    どうやら、キャリーバッグに付けられるタイプが新商品というかバージョンアップ版として出ているようですが、普段は使わないのでそこは問題ないです。

    買うずっと前から良いな、とは思っていたのですが、でも今使っているカバンもあるからまあいいか、という状態がおそらく1年以上続いていました。でも先日無印良品週間に店舗に行ったときに1000円引きで売られていたので、1990円ならもし自分の身体に合わなくても惜しくないと思って買いました。使いました。もっと早く買えば良かったと思いました。

    背負ったときの軽さというか、何も入れていない状態でも大きさの割に軽量なリュックですが、真価は中身をたくさん詰めたときにあります。2リットルのペットボトルとかパソコンとか重いものを入れても、「重い!」という感じがしません。

    ショルダー部分の肩への圧力のかかり方が柔らかくて、その一方で背中全体で荷物を背負っている感があるので、身体の特定の部位が疲れるということがありません。中身も日常使いなら不足することが無いくらいの容量がありますので、これは良い買い物でした。二、三千円で買えるバッグ・リュックの最高峰に位置するのではないでしょうか。

    しかし調べてみると、カバンのデザインとしてカッコよくないとの意見もチラホラ見かけました。ただ、個人的にはよく分かりません。私自身がカバンに求めるものが、入れやすさ、内容量、コンパクトさ、持ち運びやすさなどだからでしょうか。外見が格好いいかどうかという判断基準がのがあるのは分かりますが、無印のこのリュックはリュックらしいリュックです。だから人によってはダサいとも思えるのかも知れません。

    デザインがシンプルというかさっぱりというか、凝ったデザインでもなくスタイリッシュでもありませんので、カバンにそういう目的がある人は向いていないかも知れませんが、そうでない人にとっては一度は手に取って試してみた方が良いと思います。小学生のランドセルの代わりにしてあげても良いんじゃないかと思うくらいです。

  • 黒船、敗戦そしてコロナウイルスという外圧がもたらす社会変革

    俗に日本は外圧が無いと大きく変革できないと言われがちです。

    ペリー率いる黒船が来て鎖国が解かれ、敗戦そしてマッカーサーによって大きく変わったと思っている人は結構多いはずです。

    ただ、詳細に歴史を調べればそこまで単純ではありません。

    幕末で言えばペリー以前にも日本近海にはロシアやイギリス、フランスの船が到来して圧力がかかっていましたし、水戸学の進展・浸透、各藩の財政窮乏や独自の財政政策、幕閣の政争など諸々の前提があってからのペリー来航でした。

    昭和20年の敗戦にしても、そこで一気に変わったわけでもなく、元々明治末から大正にかけてのデモクラシーの進展があり、戦時中での国家体制が戦後の経済発展を規定したとする説もあります。

    今回の新型コロナウイルスによって、日本社会は大きな変革を求められているのかも知れません。今はそれどころではなく、いかに感染者数や死者数を抑えるか、医療崩壊を回避するか、困窮家庭を救うか、経済を復興させるか、という大問題がいくつも存在していますので、収束した後のことなど考えてはいられませんが、大きく変わるのでしょうか?

    働き方改革やセーフティネットなど、必要性は認められるが何か他のものを犠牲にしてまでは導入されてこなかったものがいくつもあります。

    働き方改革でいえば、時差通勤・フレックスタイム・リモートワーク・残業削減策などがあります。単に言うと、無理しすぎの労働をしないことです。

    セーフティネットで言えば、生活保護の改革(必要以上にもらう人・必要なのにもらえない人の問題)・ベーシックインカムなどです。単に言うと、生活に困らないことです。

    自己責任という言葉で全ては個人の問題であり、社会全体や政府・国家が何もかも救うべきではない、という考えが今回のウイルス禍で吹っ飛ぶかも知れません。

    自分が責任を取るから好き勝手に外出して飲食して遊ばせろ、と主張しても通らないのが今回の危機的状況です。感染しても無症状な人間が他人にウイルスを伝染させる可能性がある以上、個人の権利は制限せざるを得ません。自己責任と個人の自由の権利がトレードオフではなくなりました。

    企業が従業員を無理して働かせても、従業員の自己責任として逃れていましたが、体調不良時に無理して働くことが社会に危機を与える行為になるのであれば、企業の存続に関わる問題に発展しかねません。

    セーフティネットの整備を中途半端にして、貧しいのはその人の責任に帰してしまうのであれば、その人は働き続けざるを得ません。それによって感染が広がっては結局国家・政府の責任になります。セーフティネットがあれば無理に働く必要は無いはずです。

    もう少し細かい話になりますが、企業が従業員を評価するのに成果主義が必要だ、という考えがバブル崩壊後に生まれましたが、なかなか広がってはいません。結局はデスクワークですら時間単位での給与計算となるケースも多いです。

    それでも、会社に通勤してきて上司や同僚の側で働いているのであれば、ある程度成果物のチェックが出来ました。完全成果主義にならなくても評価のしようはあったはずです。

    ただ、リモートワーク中心の業務体制になったとしたら、労働時間を管理するのも難しくなります。始業終業はチェックできても、他人が目の前にいるわけではないので、ExcelなりSlackなりを開いたままボーッとしていたり、漫画読んだりしていても分かりません。さすがに外出する人はなかなかいないでしょうけれど、10分くらいだったらトイレに行っていたと言い訳できるでしょう。

    ウェブカメラを付けっぱなしにして仕事している様子を上司などがチェックすることも可能でしょうけれど、そこまでやるようなところは嫌がられるでしょう。本人はともかく部屋や家族まで映る可能性があるのでプライバシーの問題もあります。

    そうはいっても、ビジネスチャットツールにある在席・離席機能もあんまり使い勝手が良いとは思いません。ついついクリックするのを忘れそうです。

    結局、労働時間で業務管理するのではなく、成果物で管理した方が良いと判断する企業も出てくるのではないでしょうか。

    リモートで働いている従業員の方ももちろん、サボらないように意識を強く持って仕事をしないといけないですね。

    「小人閑居して不善をなす」という状態にならぬように、リモートワーク、あるいは自宅待機や外出禁止の状況下でどう過ごすか、どう生きるか。社会全体だけではなく、個人の変革も生まれるかも知れません。