平繁無忙の何でも書くブログ

  • コロナウイルスと中国と清朝とモンゴル帝国

    アメリカのトランプ大統領が新型コロナウイルスの責任が中国にあるという批判を繰り広げていますが、どんなに明確な証拠があったとしても、現在の中国政府が認めるわけがありません。でっち上げなら当然認めないでしょうし、本当に事実だとしたらなおさら認めるわけにはいかないでしょう。世界的な感染による被害の損害賠償を請求されたら中国の国家予算の数十年分でも足りないくらいです。

    そもそも、一つの国家が別の国家に責任を追及して、はいそうですすみませんでした、ということにはなかなかならないものです。第二次世界大戦後のような、明確な戦勝国と敗戦国に分かれるのであればともかく、単に言い合っているだけならそこからの進展はないでしょう。アメリカだって中国に新型肺炎の責任を取らせるために戦争をふっかけるところまでいくわけがありません。

    「〜〜の責任を取れ」と言っても、責める側と責められる側によほどの力の差がないかぎり成立しないわけです。一つの国家の枠内であれば、唯一の合法的暴力装置である政府が裁判や行政を通じて国家内の企業や個人に責任を取らせることは可能ですが、国際社会においてはそんなことが出来ませんから、中国の責任を追及したところで、中国以外の全ての国が責める側に回らない限り無理ですし、ロシアやイランのような反米の国が擁護するでしょうから結局は何も変わらないでしょう。

    しかし2000年代後半以降から、中国は国際社会において協調姿勢ではなく、対立と懐柔の二本立てであからさまに挑戦するようになりました。日本にとっては尖閣諸島問題と過去の戦争問題で責めてきますが、南シナ海での対立やチベット・ウイグル地域での弾圧、西側諸国との明らかな意見の相違や人権問題など、当面解決することがないであろう問題ばかりです。

    中華人民共和国はその前の中華民国を引き継いだものであり、中華民国は清帝国を引き継いだものです。その論理を持って、南シナ海や満州、チベットやウイグルなどを含む広大な領土を所有する正当性を主張しています。

    その前の清帝国は創始者のヌルハチがチンギスハンの正当なる後継者を名乗って出来たものでもあります。元王朝の末裔から引き継いだわけですが、この歴史を縮めて考えれば今の中国はモンゴル帝国(少なくとも元朝)から続いているとも言えます。

    だったら日本としては、元寇(文禄の役・弘安の役)の責任を取れと今の中国共産党政府にふっかけてしまうことも出来ることになります。

    それに対して今の中国は元寇の責任も無いというのなら、元朝の後継者たる清朝が支配していたウイグル・チベット地域を支配する正当性もなくなります。

    元朝だけではなくモンゴル帝国がユーラシア大陸の人々に与えた暴力の責任を取らせるなら、今のロシア・ウクライナ・ポーランド・イラン・アフガニスタンあたりも訴える権利が出てきますね。実行するかどうかはともかく。

    まあ、これは無茶な論理です。ただ、国家が国家の責任を追求するのはかくも難しく微妙な問題ではあります。

  • 虎の威を借る狐≒他人の意見を借る報道機関

    今に始まったことではありませんが、マスメディアの報道(特にテレビ番組)での放送後に、取材を受けた当事者や関係者がその報道を間違っているとSNS上で発言するケースを、よく見かけるようになった気がします。

    最近ではこんなことがありました。

    テレ朝「お考えを十分に紹介しきれなかった」 「グッド!モーニング」医師取材で「内容を真逆に編集」指摘受け
    https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2020050802100168.html

    昔はともかく今ではもはやテレビにしろ新聞にしろ中立な主張をしていると思っている日本人など絶滅危惧種レベルだと思いますが、自分たちの主張を自分たちが行うだけではなく、その主張を持っていない人を自分たち側に引き込んで同じ主張をしているように見せるのはどう考えても問題です。

    新聞で言えば社説欄、テレビニュースであればその局の記者や論説委員が組織を代表して意見を述べるのは当然のことです。しかし、その意見に対する反対意見も同時に採り上げることでその組織に対する信頼度がむしろ上がるのだと思っていましたが、もはや反対意見などを無視して公平さなどうっちゃっておくのはどこの報道機関でも同じかも知れません。上述の記事はテレビ朝日の問題ですが、他の局や新聞社も五十歩百歩でしょう。

    新聞の読者からの意見の欄や、テレビニュースが街の声として歩行者に取材するシーンなど、パッと見では公平っぽく見えますが、実際はその新聞やテレビの主張と真逆の意見が採り上げられることはありません。まあそれはそうですよね。読む側・見る側としては、そういう前提を頭に入れた状態で情報を摂取するしかありません。そうでないと無意識にバイアスをかけられてしまいます。

    不正確な報道はもちろんダメです。ただ、人間なので当然ミスもあるでしょう。また、報道機関も意思を持って主張を広げる欲望があるのも納得は出来ませんが理解は出来ます。

    しかし、現在におけるSNSやインターネットが無ければ、その報道が間違いだとか不正確だとかは、視聴者には全く伝わりません。冒頭に取り上げた記事でも、その医師が報道内容をチェックしたから分かったことであって、報道機関が悪意を持ってねじ曲げたことに気がつかないケースもあるでしょう。これって結構恐ろしいことで、何も「現代」の報道「だけ」が不正確だということだけではなく、SNSなど無かった時代の報道ももしかしたら正確では無かったのかも知れない、という見方も可能となってきます。

    30年前に見た、新聞記事は正しかったのか。40年前に見たテレビニュースで、ビデオ出演した専門家の意見は正確に内容が伝えられていたのか。情報を受ける側には検証のしようがありません。

    そして今、自分が見ている情報、ニュースは果たして本当に正しいのでしょうか?

    結局は、その情報が正しいかどうか100%のレベルで判別することは出来ません。一言で言うなら、半信半疑で受容するしかないのです。

  • 端末内情報処理そのもののクラウド化の未来

    以前、ちょっと考えたことがあって、このnoteにも書きましたが、

    https://hrsgmb.com/n/n8a9a4f7c74d5

    その頃にはIT業界全体が完全にコモディティ化して、また中身のクラウド化が一層進んで、通信端末内部では処理はほぼ行わず、多くの情報処理はクラウドベースとなり、通信端末は文字通り「通信」のみ行う端末になっていそうです。
    そうなれば、多くのメーカーは力を失い、通信事業者の方が力関係的に強くなるのかも知れません。

    数年後レベルの話ではなく、5Gどころか少なくとも6Gが実現しないと話にならないとは想像しますが、未来の情報端末は、表示、通信、入力機能とバッテリーだけになるのではないでしょうか。いわば、クラウドで演算処理をして入出力だけを端末で行うという形です。

    パソコンではシンクライアント端末というものは以前から存在していましたが、それのスマホ版・タブレット版となります。

    端末が扱う情報量や演算量がひたすら増え続けていますが、CPUにしろSoCにしろどこまで処理能力を上げていけるのかという問題もあります。しかも、パソコンからスマートフォンに個人が所有する情報処理端末は小型化しています。スマートフォン自体は大型化していますがそれも限度があります。人の身体が大きくならない以上、画面サイズで言えば6インチ〜7インチの端末が限界でしょう。そのサイズに収まる範囲で、演算処理装置を組み込む必要があります。データ量が増えて演算能力がさらに求められれば、どこかで限界が来るかも知れません。その時には、個人の端末レベルでは処理を行わずに、データを送信して送信先のサーバで情報処理を行い、処理結果のデータを端末で受信して表示する、ということにすれば、端末レベルでの処理能力不足・廃熱・バッテリーの問題を解決出来ます。

    もちろん、一番の問題は端末内部での情報処理と少なくとも同程度の速度で、データを送信してサーバで処理してまた受信して表示するというところまで完結出来るかどうか、ということですが、通信速度が今後も向上していけば可能かも知れません。その辺は偉い人が考えつくでしょうけれど、個人の端末で情報処理能力を上げていくよりは、サーバで集中して処理するほうが、全体での効率はいいと思うんですよね。

    この辺は近未来SF的な想像になってくるのかも知れません。この「シンクライアントスマホ」が実現可能だとして、すぐに思いつく問題点としては、通信障害やサーバ側の故障が起きたときにスマホがただのカマボコ板以下の存在になることです。

    今の世の中でも大規模な通信障害が起きると、通話や通信が出来なくなります。それでも端末内部での処理は可能ですから、通信しないゲームやダウンロード済みの電子書籍などは読めます。それでも重要な社会問題になります。シンクライアントスマホになってから通信障害やサーバ障害が起きると、本当にただの金属片になってしまいます。

    その辺は、通信経路を複数のキャリアが使えるようにする(今で言うDSDS、デュアルSIMデュアルスタンバイ)とか、サーバ側も自動的に複数の選択肢から選べるようにするとか、冗長化で何とかなりそうな気がしますが、全部アウトになったら終わりですかね。

    むしろ、そうなって情報処理の中央集権化が進むことによって、個人のプライバシーが無くなりかねないことの方が問題でしょうね。全てをシンクライアントスマホにしてしまうと、通信会社とその先のサーバ所有企業が強大な権力を持ってしまいますし、それこそ中央政府が悪意を持ってそのデータにアクセスする恐れもあります。

    そうなると、従来の端末内部での情報処理能力を持ったスマホを持っている人が反政府・レジスタンスのような立ち位置になってしまうかも。完全にSFの世界ですかね。ただ、まあこんな想像を前もってしていれば、いざそんな時が訪れた時にも慌てなくても済むんじゃないでしょうか。あまり来てほしくはありませんが。

  • 在宅勤務の個人的なメリット・デメリット雑感

    少し前から在宅勤務で仕事をしています。テレワークを今までしたことがなかったわけではないですが、ここまで本格的に実施したのは初めてです。

    テレワークになったメリットもデメリットも多分多くの人がnoteにもブログにもSNSにも山ほど書いているでしょうからいちいち一般的な話をしてもしょうがないですね。

    人それぞれ、業務内容によっても全然変わってくると思いますが、個人的な感想としては
    ・部屋から出ない
    ・家にいても家の用事はほぼ出来ない
    ・通勤が無いけれど通勤も少しはメリットがあった
    ・動かない
    ・気分転換が難しい
    というところがやってみて分かったデメリットですね。

    メリットとしては
    ・まともな食事を摂れる
    ・通勤が無い分、(睡眠)時間の余裕が出る
    ・荷物の配達など受け取りやすい
    これくらいでしょうか。メリットもデメリットももっと細かいところはあるかも知れません。

    しかし部屋から出なくなりますね。業務時間中はトイレと食事で部屋を出るだけです。たまにコーヒーを入れるくらい。電話対応も業務用携帯に飛んでくるようにしていると、おちおち机から離れられなくなりますし。

    通勤がないことでやったー!と思う反面、電車通勤でもそこそこ歩いていたのだなと実感します。自宅から駅まで、駅構内、乗換駅、さらに駅構内、そして会社までで意外と歩いています。それが全て無くなるので時間が浮く一方、全く運動しなくなります。通常ならその分、散歩なりなんなりすればいいのでしょうけれど、このご時世ではうかつに散歩も出来ません。マスクしながら外で運動というのも窮屈です。そんな理由を付けて動かなくなります。

    移動しないことで気分転換も難しいですね。電車の中や駅での電車待ちの間はKindleで読書をしていましたが、今では読まなくなってしまいました。

    気分転換でいうと、食事のために外に出たりコンビニに行ったりもないのでずっと自室内・自宅内の景色のままです。これもあまり精神的には良くないですよねえ。その分、コンビニ弁当に頼らなくなるのはメリットなんでしょうけれど。

    こういったメリットやデメリットは本当に人それぞれだと思います。会社の業種やルールにもよるでしょうし、個人の業務内容も同じ会社の中でも様々ですし、自宅の環境や家族構成によっても大きな違いがあるでしょう。

    ただ、確実にほぼ全員に言える問題は、今回のコロナウイルスによって始まった在宅勤務が一体いつまで続くのかが誰にも分からないことでしょうね。

  • くたばれFAX運動を始めませんか?

    コロナウイルスによる出勤自粛と在宅勤務(テレワーク)の一つの問題点として、業務のシステム内にFAX送受信が組み込まれている企業や組織は完全テレワークに移行できないことがあります。

    すでに職場からFAXの利用を送るだけでなく受ける側としても無くすことに成功している人たちにとっては、この時代になってもアナログのFAXが存在しているのか、と驚くかも知れませんが、世の中の何割かの企業や組織には、未だに毎日、毎週あるいは毎月、業務フローの中に決まった業務としてFAXの利用が行われているのです。

    自宅から多くの事務作業が行えるようになった現代において、FAXなんて亡霊のように思えるかも知れませんが、古い業界あるいは官公庁絡みや公的組織に関わる業務においては結構あります。私も全ての業界の業務フローを知っているわけではありませんが、存在している業界があることは確かです。

    ちなみに、実はFAXは電話機や複合機を利用したアナログなやり方だけではなくて、パソコン+ウェブブラウザを使って行う方法もあります。いわゆるインターネットFAXとか言われているものですが、いくつかのサービスが存在しているので、それらを使っているところもあると思います。

    ただ、そんなインターネットFAXを利用出来るのであれば、そもそも電子メールに添付ファイルでいいはずで、あくまで過渡期の業界や企業での利用でしょうし、何のためにインターネットFAXを使っているかも分からなくなってきます。

    そして、インターネットFAXが使えないような業務フローの場合は、今回のコロナウイルス騒ぎの中でも送受信のために職場に誰かがいないといけません。毎日出勤する必要は無いかも知れませんが、完全テレワークというのも無理でしょう。

    そういえば去年か一昨年に、イスラエルでもFAXに頼る企業が多い、というニュース記事を読んだな、と思って探してみたらありました。

    ハイテク立国イスラエル、人気デバイスはFAX?
    https://jp.wsj.com/articles/SB12270526700512964492004585139301783375876

    日本以上にハイテクなIT大国のように思われているイスラエルですが、FAXも結構使われているそうです。日本同様、20世紀後半の早い時期にFAXが普及してしまったが故の弊害なのかも知れません。すでに存在する業務システムを改変するのは大きな苦労が必要ですから、仕組みを変えたがらない圧力が存在するのはFAXに限ったことではありません。

    日本とイスラエルと、どっちが先にFAXの呪縛から抜け出せるのでしょうかね?

  • 性風俗とベーシックインカムと社会正義

    遅ればせながら、ナインティナイン岡村さんの風俗発言について。

    今さらこれが悪いアレが悪いとか言うのもどうかと思いますが、そもそも性風俗が貧困女性のセーフティネットになっていることの方が問題だと思うんですけどどうなんですかね。

    その辺はそのままでもいいんでしょうか。

    男性の場合はいわゆる肉体労働系になってしまうんでしょうけれど、そっちのほうはこそこそ隠れるような働き方にはなりませんし、社会保険だってもらえるケースも多いでしょう。性風俗で働いている女性の場合、保険や税金のところにも問題が存在します。

    もちろん、そういったところで働く人の全てが、失業してしまって生きていくためにやむを得ずという人ばかりではないでしょう。ただ、セーフティネットとしての他の選択肢がなかったり、あるいは生活保護受給のハードルが高かったりイメージが悪かったりすることで、性風俗を選んでしまうとしたら、これは行政や社会にも責任があることになります。

    いっそのことベーシックインカムが導入されれば、そういった選択肢が一番手に上がることはなくなるでしょう。性風俗だけではなく、暴力団や半グレ、ブラック企業や詐欺的な商法の企業で働くことを選ぶ人も減るはずです。

    そのためにベーシックインカムを導入すべきだというとこれはこれで物議を醸しそうな気がしますが、そういったメリットもあるはずです。社会正義と経済政策の兼ね合いというか天秤というか、どっちを取るかという問題にもなってきます。

    ベーシックインカムで得たお金を利用者側として、性風俗なりギャンブルなりにつぎ込んでしまう人は出てくるでしょうけれど、逆にそういったところで働く人が減ることでそういったところの経営が成り立たなくなって結果的に存在が消えるということもあるかも知れません。この辺は社会実験しない限り分からないでしょう。完全に想像の世界です。

    必要悪という言葉は便利な言葉です。その辺の業種も必要悪であって社会にはある程度必要だという意見も全く理解出来ないわけではありませんが、必要悪という言葉で分かった気になって無視し続けるよりは、少しでも社会がより良い方向に進めていく道があるのであれば、そっちの方を選ぶか、すぐに選ばないまでも検討するのも必要なことではないでしょうか。

  • 組織の長の個性というリスク

    今回の新型コロナウイルスに関する対応を巡り、トランプ大統領がWHOを厳しく非難し拠出金の停止まで持ち出しています。トランプ大統領は2月頃までは中国の対応を褒めそやしていたのに、3月には厳しく非難し始めましたので、WHOに対してもコロッと態度を変える可能性がないわけでもないでしょうけれど、そもそもアメリカ合衆国という超大国は国連などの国際組織に対してはあまり積極的には関わりません。もちろん巨額の拠出金を出してはいますが、相対的な国力の差があるからそう見えるだけで、アメリカはアメリカのために存在する、と言う考えが保守派の中に存在することは間違いありません。

    今回のWHOとの軋轢も、その歴史的な保守的思想も加わってのWHO批判ではあるのですが、WHO、テドロス事務局長に対する憤懣は多くの国に存在するのではないでしょうか。

    1月下旬、武漢での感染拡大が明らかになってきたときにも、まだ緊急事態ではないので中国との行き来を封鎖するべきではないと公言していたのはどこの誰かと言ってやりたいくらいです。

    それが、今ではWHOの言うことを聞かなかったから世界がこんなことになったと言っているので開いた口が塞がりません。

    歴代のWHOトップの名前など一人も知りませんが、今のテドロス事務局長が過去最低の事務局長だということは分かります。

    さて、トランプ大統領が批判しようがしまいが、今のWHOに問題があるのは明白だと思います。

    じゃあどのくらい問題があるのかというと、一般人には分かりませんが、

    ・トップ一人が腐っているのか
    ・WHOの一部が腐っているのか
    ・WHOの全部が腐っているのか

    このどれかでしょう。おそらくは、WHOの中でも現場で奮闘しているような人たちには優秀な人がいっぱいいるのだと思いますし、そう思いたいですが、そういった方たちの頑張りを一気に無にしてしまうほどのミスを、この数ヶ月間でWHOの主要幹部が犯してきたのではないでしょうか。

    いわば、トップのパーソナリティによって組織全体のイメージが損なわれてしまうことになります。

    もしトップ一人が腐っているために、致命的な判断や行動のミスが生じるとしたら、WHOはトランプ大統領とアメリカ合衆国を批判できないでしょう。そもそもアメリカ合衆国における大統領はそれほど権限が強くありません。国内での相対的な独裁的な権力は、韓国やロシアに比べると低いです。

    そのトランプによってWHOへの拠出金が止められ、複数の国がWHO改革を公言するようになっています。テドロス事務局長の対応失敗によってWHOそのものの存在意義が揺らいでいるのであれば、世界的にみて大きな損失です。WHOにとってだけではなく、保健衛生が未発達な発展途上国にとってもダメージは大きい話です。その発展途上国に対して、直接あるいは間接的に中国が支援を行うとしたら、結局のところWHOと中国の巨大なマッチポンプと言わざるを得ないでしょう。

    さすがにWHO全体を改革すべきだとは思いませんが、今回のテドロス事務局長の対応については疑問を覚えざるを得ません。はっきり言うと交代(あるいは更迭)が無い限り、かつてのようなWHOとの協力体制を維持することが出来ないという国がアメリカ以外にも出てくるのではないでしょうか。そうなったときに、WHOはトップの首を切れるのか。いわば自浄作用が働くのか。ことはWHO内部の権力闘争だけではなく、世界の公衆衛生にも関わる問題ですので、迅速かつ果断をして欲しいところです。

  • 運を他人のせいにするか、努力を自分の責任ととるか

    もしも、
    「人生の半分は運で決まるようになっている」
    と神様に告げられたらどう思うでしょうか?

    神様がダメなら仏様でもお天道様でも親でも大統領でも学者でもいいですが、信じる対象から言われて、そのことを自分が確信したらどう考えるでしょうか?

    「人生の半分も運で決まるなら努力しても意味がない」
    と考えるか、
    「残り半分は努力次第だから頑張ろう」
    と考えるか。

    もちろん、前者よりも後者の方が良いに決まっていますし、そうありたいと誰もが思うでしょう。ただ、これが「人生」ほどの大きなテーマではなく、仕事とか恋愛とか日常に近い話になるとどうでしょうか? そして実際、残り半分の努力を尽くせているでしょうか?

    新型コロナウイルスによってどこでも誰でも苦しんでいます。実際に感染して身体的な痛みを味わった人は言うまでもありませんが、直接的な被害がなくても間接的に大変な思いをしている人は感染者よりもはるかに多く存在します。

    その中で、今回のコロナウイルス騒ぎは自分で何とか出来る範囲は超えているが、自分で出来るところは努力しよう、と意識を切り替えて日々を過ごせている人はどれくらいいるでしょうか?

    これは自分への戒めでもありますが、他人のせいにしても限界がある問題を他人のせいにしているケースもあると思います。

    マスクもしてないのに平気で人前で咳をしているような人とか、方針がふらついている頼りにならない政府とか、無理に仕事をさせようとする企業とか、確かに存在がムカつくし不満があって当然だし批判されてしかるべきなのかも知れませんが、まずは自分(と自分にとって大事な人)の身を守らないといけません。

    不要不急の外出をしている人は、そのことで批判されたときに他人のせいにしていないでしょうか?

    例えば山登りをしていて、上から岩が落ちてきた時に、上にいる人が落としたから悪いとか、山道の整備をしていない国や自治体が悪いとかわめいている場合でしょうか?

    まずは石を避けるしかありません。文句を言っている間に怪我します。文句を言う前にまずは危険回避です。文句は後でいくらでも言いましょう。

    もちろん、多くの人が文句を言ったから全員への10万円支給とか緊急事態宣言とかが実現したのだと思いますが、お金が無ければ節約するしかないし、それは普段からするべきことですし、感染しそうなところには行かないのも緊急事態宣言が出なくても当たり前のことです。

    自分の身を守るのはまずは自分です。その上で、自分で自分の身を守れない子どもは保護者が面倒を見ないと行けないし、障害者や貧困層などの社会的弱者は自治体や政府が守るという順番です。自分で自分の身を守ることが出来る人の順位はその下になります。

    もうそれはしょうがないことです。そうしないと社会が成り立ちません。

    政府や自治体のやっていることを全面的に肯定する気はサラサラありませんが、現代社会において初めての事態で、どの国も手探りで戦い、成功している国もあれば失敗した国もあります。それまでの医療・保険・福祉体制にもよりますし、感染症対策がバッチリな国は逆に、感染症がないときに医療リソースを他に振り分けられていないとも言えます。そしてそれはそれまでの為政者や官僚や有権者の責任でもあります。

    だから、何とか今回の事態を切り抜けてから、これまでの社会体制と今後の社会体制を見据えて選挙などでの審判を有権者として下せばいいと思います。逆に言うと、将来にその審判を下すためには、今を生き残らないといけません。

    安倍内閣がダメだと思うならそれはそれでいいですし、個人的には3選で終わりだとは思いますが、今この時に本当に必要な事は何かを考えながら行動したいと思います。

  • アメリカ合衆国における貴族っぽい人たち

    アメリカ合衆国は建国(独立)時から民主主義国家として生まれたので、王族も貴族もいません。まあ、革命を食らって追い出された他国の王族貴族が亡命状態でアメリカで余生を過ごしていることはなぜか多いですが、アメリカ生まれアメリカ育ちでアメリカの国歌における王族貴族は存在しません。

    当たり前と言えば当たり前のことなのですが、その代わりにアメリカの上流階級は基本的にお金持ちです。他国の上流階級だってお金持ちですが、その国の王族貴族だって上流階級に分類されますし、必ずしも民間人の富裕層並みの資産を持っているとは限りません。

    アメリカの上流階級も全員富裕層とは言えないかも知れませんが、そもそもアメリカ合衆国という国が資本主義の権化でもありますので、富裕層が社会的にも上位に当たります。清貧という思想が全く無いわけではないでしょうけれど、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にあるように、利益を上げて資産を蓄えることが出来ることが信仰の先にある国でもあります。富裕層になった(特に一代で)人は尊敬の対象になりますし、さらにその人が自らの財産を少なくとも表面的には惜しみなく、社会のために寄付することがさらに尊敬を集めます。

    そうやって出来た最上部の階層は、いわば王制国家の貴族に比すことが出来るでしょう。セレブとしてメディアや人々に持てはやされる人達でもあります。富裕層とセレブは完全一致するわけではありませんが、貧乏なセレブは存在しません。

    貴族と似ているといっても同じではありません。セレブは一代で成り上がることが出来ますが、貴族は古くから続いていることが誇りでもあり存在意義でもあります。貴族階層は庶民と入れ替わることはめったにありません。セレブは資産を失えば一気に庶民に転落です。逆にアメリカンドリームを実現させればセレブの仲間入りです。

    現代社会におけるセレブは交代可能です。言い換えると資本主義的・民主主義的な貴族です。庶民層から成り上がることも庶民層に落ちぶれることもあり得ます。貴族本人は本来働きませんが、セレブは働いた結果で働かなくても良いくらいの資産を築きます。

    文化的なリーダーでもあるところは貴族とセレブは似ているでしょうか。セレブの一挙手一投足がメディア(マスでもソーシャルでも)が取り上げることで他人に影響を及ぼします。

    セレブは貴族と違って働きます。もちろん親のすねをかじる子どももセレブ扱いされることはありますが、その贅沢の源泉はあくまでセレブ本人が稼いだお金ですし、労働の意識がなくてもInstagramでインフルエンサーとして大量のフォロワーがいるならそれはそれで働いていると言っていいでしょう。

    そういえば、アメリカには貴族がいないけれど外国大使になる人が社会的地位の高さを得られるために、著名人や実業家がなることが多いと聞いたことがあります。いわば金銭では得られない名誉職でもあるので、セレブ(富裕層)にとっては魅力的な役職なのかも知れませんね。

  • スマホの携帯性と使用頻度と依存の話

    またもやRakutenMiniの話ですが、iPhone8Plusから変えたこのRakutenMiniによって、携帯電話を携帯し続けることが出来るようになりました。

    オッサンなのでシャツの胸ポケットに昔から携帯電話を入れていたのですが、重くて大きくなったiPhoneは胸ポケットに入れるとはみ出る上に重さで傾いてポケットの生地を伸ばしてしまいます。左肩にも負担がかかります。確かiPhone5Sの時までは何とかポケットに入れられましたが、もはや今では間違いなく無理ですね。別の場所にあるポケットか、カバンなどに入れるしかありません。そして机の前にいるときは机の上に置いておくことになります。席を立つときにいちいち持ち運ぶ面倒さもついてきます。

    一方で、先日購入したRakutenMiniならば、胸ポケットに入れ続けても服にも身体にも負担がかかりません。およそ万年筆2本分くらいの重さですので当然です。そういえば、ガラケーでも胸ポケットに入れていたな、と記憶をよみがえらせるくらいの軽快さです。使いたいときにすぐに使えますし、使わなくなったときにすぐに手から放せます。

    すぐに使えるということより、すぐに手を空に出来るということの方が個人的には大きいのかも知れません。大きい携帯でもずっと手に持っていれば使いたいときに使えますが、使わないときにも持ち続けるというのは合理的ではありません。手が滑ったら落としてしまいますし、そもそも邪魔です。

    持ち続けるということは、使い続けることとは違います。使わないときにも持ち続けるためには携帯性が重要となりますが、スマホとしては4インチを超えると携帯し続けられないと思います。先日発表された新しいiPhoneSEが4.7インチになったことに対して失望した人はその点が問題だったのだと思います。というか私がそうでした。ただ、そのiPhoneSEの140gくらいはまだ許容範囲でしょう。世の中の大半のAndroidスマホはもっと大きくて重いですし、iPhone11も同様です。ハイエンドのチップを搭載してなおかつ指紋認証を備えて値段の安いiPhoneSEはかなり売れるのではないでしょうか。

    逆に、そうなってくるとiPhone11ProやProMaxなどのハイエンド機種の存在意義も問われてくるかも知れません。Appleだけではなく、SamsungやHUAWEIなども10万円を軽く超えてくる値段のハイエンド機種を出していますが、その辺は軒並み大きいのですよね。結局そのスマホで何でも出来るようにしているので。いっそのこと、SペンがあるGalaxy Noteのメモみたいに、大きさを生かした機能があれば別ですが、たいていは大きいので動画や写真に便利、バッテリーもたくさん、重いゲームも出来るよ、といった売り方ばっかりですね。

    スマホ1台で何でも出来るような性能を持ってしまうと、何をするにしてもそのスマホを使うようになります。調べるとき、本や漫画を読むとき、ゲームするとき、連絡を取るとき、暇を潰すとき、などなど何でもかんでもスマホで事足りるようになれば、そりゃあスマホ依存してしまう人が出てくるでしょう。

    出来ることが増えれば使用頻度が増え、手放すことが出来なくなってしまいます。もちろんこれがスマホ依存の原因と言えるのか知りませんが、手放しやすいスマホにしてしまうのも一つの解決策になるかも知れません。依存している人がRakutenMiniみたいな極小スマホに耐えきれるかどうか分かりませんが。

  • 自分が食べる弁当を他人に決めてもらうセレンディピティ

    仕事の日に昼食をコンビニ弁当にすることが結構あります。最近ではそもそも飲食店が営業していないことが多く、空いているところがあっても行く気がしません。となると、コンビニ弁当という選択肢が最上位に上がってくるわけですが、行くコンビニも限られますし、買う弁当も限られてきます。

    弁当・麺類・丼類など全ての種類を考えると相当な品数になるわけですが、実際のところは買う商品は限られてきます。物理的にコンビニ内に全種類無いということよりも、自分の好みによって知らず知らずのうちに買う可能性を除外してしまう弁当類が多くあります。

    手っ取り早く言うと、自分が選んで食べる弁当ってだいたい限られる、ということです。

    そこで、自分が食べるお弁当の購入を誰かに買ってきてもらい、さらに何を買うかもその人任せにすることで、普段自分では選ばないものを食べることが出来ます。

    これにより、いつもスルーしている弁当を食べてみることで意外な発見があるかも知れません。もちろん、どうしても食べられないものや食品アレルギーがある人は充分に注意しないといけないでしょうけれど、そうでないなら面白い試みだと思います。

    一種のセレンディピティですね。

    毎回他人に一方的に買ってきてもらうのも問題ですので、この理屈に賛同してくれる人が例えば同じ職場などにいるなら、お互いに相手の食べる弁当を買ってきて、値段差があればその差額分だけ支払う、というのもいいでしょう。自分のお勧めを食べてもらって、感想を聞いてみても楽しいはずです。

    職場の話だけではなくて、今はコロナウイルスの問題もあって外食ではなく中食として買ってきたものを自宅で食べることが多くなっています。家族の間でも好きな食べ物の違いがあるでしょうし、家族間でも相手の弁当を買ってみるのも自粛疲れの解消に少しは貢献できるかも知れませんよ。

  • 簡単に聴けるけど自由に聴けなくなった音楽

    私自身は音楽を聴くにしても音質の違いはあまり気にしません。というよりも音質の違いが分からないと言った方が正確かも知れません。ある程度以上からは多分分からないと思います。

    今は音楽はストリーミングで聞いています。先日まではAppleMusicを利用していましたが、iPhoneからAndroidに変更したこともあり、YouTubeMusicをここ最近は利用しています。どちらにせよ、ストリーミング配信です。

    音楽や音質にこだわりがある人が、ストリーミングやダウンロード配信あるいはデジタル音楽自体を批判というか、あまり好意的に見ていない意見をチラチラ見かけましたが、最近は減ってきましたかね。ほとんどの歌手・バンドの音楽がどこかのストリーミングで聴けるようになったと思いますし。

    ストリーミングやデジタルの音質が低いから聞く気がしないというのは詭弁じゃないかとも思います。確かに聞く人が聞けば、生の音やレコードあるいはコンパクトディスクなどよりも圧縮音楽の音質が分かるのは確かでしょう。私だって128kbpsのMP3と64kbpsのそれとで同じ曲を聞き比べたら分かります。

    しかし、それこそ昔はアナログレコードの音源をAMラジオから流して、それを家庭のラジオで受信して、居間で周りの生活音混じりで聴いて楽しんでいたはずです。もちろんその時代でも防音個室でこだわりのオーディオ設備を整えていた人はいましたが、圧倒的多数の一般人は音質が悪いからといってラジオやカセットテープを使わなかったわけではありません。

    デジタル音楽、特にストリーミング配信に対する抵抗感というのは、その音楽を聴く権利だけを定期的に購入しているだけで、将来無期限に聞くことが出来るとは限らないことに対する抵抗感でもあるのかな、とも思います。これは時代の流れでもありますし、配信を行う企業が音楽業界にどれだけ還元できているか、という問題でもあります。

    また、デジタル配信されたものは、やろうと思えば劣化無しのデジタルコピーを無限に作成出来ます。オリジナルの価値が限りなく減っているわけですが、先述のレコード→ラジオ→カセットテープなんかだと経由する度に音質は劣化します。CDからカセットテープにコピーする時も劣化して、カセットテープからカセットテープにコピーする時にも劣化していきます。

    今は100パーセントのデジタルコピーを簡単に作られるため、著作権保護を気にせざるを得ません。音楽の制作側に全く還元されない違法コピーは防がないといけませんが、それをいろいろな業界に求めていく肝心のJASRACがそれ以外のところで評判が悪いのはかえって音楽業界のためにならないのではないかとも思ってしまいます。

    著作権保護の仕組みはあってしかるべきではあったのですが、21世紀に入り音楽視聴の新時代としてアップルのiTunesは、逆にDRMを外して誰もが気楽に音楽を楽しめるようにしました。気軽には聴けるようになった一方で、
    「この音楽を所有しているのは誰か?」
    という問題も提起されてきました。

    iTunesは始めはダウンロード販売でしたが今ではストリーミング配信の2強の一角です。ストリーミング配信では、その音楽の権利を持っているのは誰でしょうか? そもそも、「音楽の権利」とは何でしょうか?

    製作者(歌手や作詞作曲者)、提供者(レコード会社)、配信者(AppleやSpotifyなど)
    、購入者(私たち消費者)など立場が色々ありますが、1つの曲の権利が様々に分割されています。レコードやCDの時代にも同じ立場はありましたが、最終的に購入した消費者が、その円盤を持っている限り、かつ個人使用に限り好きなように出来ました。今のストリーミング時代ではそうではなくなったことで、気軽には聴けるけど気楽には聴けない状態になってしまったのではないかな、と思います。

    個人的な想像では、その気軽さと気楽さのギャップがストリーミング配信に嫌悪感を持つ人がいる理由ではないかと思います。