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  • 監視社会を逆手に取ってみる

    時々、自宅の前に椅子を置いて道行く人や車をずっと眺めているようなお年寄りがいますよね。

    個人的にはなんでそんなことしてんのかなと思っていましたが、ふと、それってYouTubeとかでどこかの街頭カメラの映像を見ているのと似ているのじゃないかと感じました。

    ただ、全く同じではなくて違いは非対称性ですかね。

    前者では自分が見ている他人から自分の様子も見られますが、後者では一方的にネット経由で見ている人と見られる人がはっきり分かれます。まあ、眺めている側の人にとっては見られていることを気にしていないか、気付いていないかどちらかなのかも知れませんが。

    さて、現代社会ではあらゆるところに監視カメラが設置されるようになりました。監視社会の到来として嘆く声ももちろん分かりますが、いっそのこと監視カメラ映像は原則的に公開しないといけない、ということにしてみればどうでしょうか?

    少なくともこれで情報の非対称性は無くなります。自分が見られる可能性があるカメラも自分で確かめることが出来れば、監視カメラ映像を利己的に使う組織の悪意を防ぐことにもなるはずです。

    プライバシーの配慮が必要な場所を映しているカメラも当然ながらありますが、そのようなカメラの方を何らかの規制か許可を設ければいいのではないかと思います。

    監視社会の問題は監視する側と監視される側が分かれて、そのパワーバランスが大きく前者に片寄っているところにもあります。

    原則、カメラは公開されて、いつでも誰でも容易に見ることが出来ることにすれば、監視カメラの映像を握っているメリットが無くなります。

    もちろん、監視カメラの過多や監視社会の問題点はこれだけで解消されるわけではありません。しかし、そもそも誰かから見られているかも知れない、というのは悪いことばかりではありません。

    特に日本人のような性格であれば、悪事への抑止力にはなるでしょう。それが息苦しい社会と感じるのか、公正な社会と感じるのかは人それぞれです。今のSNSでの炎上騒ぎなどを勘案すると、おおらかな社会ではなくなってしまうかも知れません。

    以前、別のnoteにも書きましたが、

    https://hrsgmb.com/n/n9e021266f5e7

    かつて楊震の部下だった者がいました。楊震もその部下も出世してまた会うことになった際に、その部下だった者がお礼として人目を忍んで金品を持ってきたところ、楊震は拒絶します。その部下は、
    「私が会いに来たことは誰も知りませんし、こんな夜中に誰も見ていませんからどうぞお受け取りください」
    と言いましたが、楊震は
    「天知る、地知る、我知る、汝知る。なんで誰も知らないと言えようか」
    と言って改めてきっぱりと断りました。

    そもそも何かするときには誰かに見られているのです。誰にも恥じないことであれば堂々としていればいいだけの話です。

    将来的に政府が市民に牙をむいたとしても、反政府勢力にとって公開されている監視カメラ映像は利用価値があるはずです。

    ピンチはチャンスだし、苦境は糧になるし、欠点は長所に出来ます。止められないテクノロジーを批判するのではなく、それを逆手にとって何が出来るか、ということにリソースを注ぐ方が建設的だし、未来につながるでしょう。

  • 批判的に受容する

    オリエンタルラジオの中田敦彦のYouTubeでの歴史解説動画が、不正確なものだという批判が上がっていましたね。

    歴史解釈なんて専門家でも人それぞれなところがありますから、勝手にやる分には勝手にやってろよ、という考えもありますが、その動画を見て間違いを正しいものと思い込んでしまう人が多く出てくるのであれば、問題視されてしかるべきでしょう。

    あくまで芸人であって歴史学者ではありませんし、そもそも元ネタも書店で普通に売られているような本らしいので、それはそれで大上段に振りかぶって語るほどの歴史観があるとも思えません。

    ただ、そもそもYouTubeにはとんでもない嘘・間違いを伝えるような動画も大量にあります。今回問題視されたのは、有名な芸能人の動画であるため影響力が大きいからです。

    その動画を見る側が100%信じなければいいだけの話ではあるのですが、世の中には有名人が語っているだけで信じてしまう人がいます。だからこそそういう需要自体が生まれてしまうのでしょうけれど、自分が見聞きしている情報を鵜呑みにしない、ということは重要でしょう。

    https://hrsgmb.com/n/n48fbc76f0a99

    一年近く前に書いたnoteですが、情報を100%信じるのではなく、かといって100%否定するのも結局は信じることの裏返しですからそれもせず、半信半疑(20%信じるとか、60%くらい信じるとかはアリ)で受け止めるということは、別にYouTube動画だけではなく何でも通用する話だと思います。

    言っている人、書いている人が素人ならもちろん、専門家であってもそうです。

    本を読むときでも、新書レベルであれ専門書レベルであれ、断言しているような書き方をしているときにはまず疑うポイントです。

    その根拠がどこにあるのか、別の結論の可能性は無いのか、ということは読みながらでも考えていき、著者の論点を批判的な視点も交えながら受容していく、ということを心がけた方がいいでしょう。

    もちろん、小説とかフィクションで作者の意図を考えながら読んでいたら全然没頭できず楽しくもなんともないでしょうけれど……。

  • Jリーグ春秋制に限界が来ているのかも・・・

    一人のサッカーファン・Jリーグファンとして、これまでずっとJリーグの現行の春秋制を支持してきました。

    これまで何度も欧州などの秋春制にシーズンを合わせる話が持ち上がっては消えていきました。その都度、選手の移籍のためにシーズンを変更するのはおかしいと思っていましたし、そもそもドル箱の夏休みと、雪国での試合の問題があるので端から無理だろうとは思っていました。

    実際、直接影響を受けるJリーグの各クラブからの反対が多く、結局実現はしませんでした。

    ただ、昨今の酷暑・ゲリラ豪雨・巨大台風の到来を考えると、日本の真夏や台風シーズンは屋外で人が集まるイベントを開くのに向かなくなりつつのではないかと思います。

    酷暑は言うまでもありません。夏場は必ずナイトゲームになるとはいえ、その時間帯もまだ暑いですし、キックオフ前から観客は集まります。試合前イベントも今ではほとんどのクラブでやっていますが、酷暑の中で行われます。そして、たいていのイベントは輻射熱のあるコンクリの地面の上で行われます。小さい子どもにとってはかなり厳しい環境です。

    ゲリラ豪雨も最近の日本では社会問題化しています。ただの雨であれば、そしてスタジアムそのものはそれほど問題ではないですし、そもそもサッカーは大雨の中でも実施されるスポーツです。問題は雷です。雷があれば試合は中断・中止されますし、屋根のないスタンドにいる観客はスタンド内に避難しなければなりません。それにスタジアムへの行き帰りで使用する交通手段にもゲリラ豪雨は大きな悪影響を与えます。

    台風に関しては言うまでもありません。毎年のように多くの地域で大きな被害をもたらしますし、試合開催の有無そのものにも大きな影響を与えます。

    秋春制に移行したところで、8月や9月に全く試合を行わない、ということも難しいでしょうが、ここまで気候変動が大規模になってくると、Jリーグも無縁ではないでしょう。秋春制に移行することで避けられるトラブル・不確実性は避けるべきかも知れません。

    選手の移籍に関して言うと、昨年夏にガンバ大阪のスタメン3人がヨーロッパにシーズン中の移籍を行いました。ファン・ウィジョ、中村敬斗、食野亮太郎の3名です。

    過去、西野監督時代のガンバでは2006年から毎年のようにシーズン中にブラジル人フォワードが移籍していきました。

    2006年 マグノアウベス
    2008年 バレー
    2009年 レアンドロ
    2010年 ペドロジュニオール
    2011年 アドリアーノ
    2012年 ラフィーニャ
    2013年 レアンドロ

    これらの移籍には契約終了やそもそも成績不振だったケースもありますが、ここまで来ると笑うしかありません。

    そんなわけでシーズン中の移籍にはガンバサポーターは慣れっこだったのですが、さすがに日本人含めて3人も移籍したのは衝撃的でした。実際、宇佐美・パトリック・井手口と古馴染みの選手が戻ってきてもチーム状態はなかなか良くならなかったですし。確か鹿島アントラーズも3人移籍したはずで、無冠はその影響もあったはずです。

    J1でスタメンの20歳前後の日本人選手は間違いなく欧州のスカウティング網に引っかかっています。シーズン中の移籍が多いクラブと少ないクラブが同じ土俵で戦うのも厳しい話です。

    これら二つの理由、気候変動と選手移籍によって、改めて秋春制も考えた方がいいのではないか、と宗旨替えを考えるようになってきました。いつ移行するのか、移行時はどういうシーズンの組み方にするのか、シーズンオフはいつにするのか、雪国での降雪時はどうするのか、などなど、問題はいくらでもあります。しかし、今の春秋制でも問題はあるのですから、総合的に検討し判断することも必要でしょう。

    まだ秋春制には反対の人も多いでしょうね。それは認めます。少し前まで私も絶対反対でしたので。ただ、これこれこういう理由と状況があって、解消や改善が出来るので移行します、移行するに当たってこのような対策と配慮を行います、ということをバッチリ決めれば、クラブにもサポーターにも理解は増えていくのではないでしょうか。

  • 慌てず慢心せず体調管理するべき

    新型コロナウイルスの感染拡大と、それに伴い混乱が日本でも増えてきた感じがします。

    日本人として最初の感染者は、今の日本で最も中国人団体と接する観光業からでした。感染したバス運転手とバスガイドの方々には不運だったと同情せざるを得ません。

    中国人観光客の急激な減少により、観光施設などでの経営状況の悪化を嘆く声も出ています。観光客が中国人に片寄っているリスクがここで顕在化したわけですが、観光業が地方の経済を回し始めている現代日本のリスクも明らかになったということでもあります。今はまだ、日本全体にしろ地方レベルにしろ、GDPにおける観光産業の割合はそれほど高くはありませんが、将来的にもこの方向に進むのが果たして本当に正しいのか、ということを考える機会になるでしょう。

    そういったことは今後おいおいゆっくり考えていくべきことでしょうが、今考えるべきはこの新たな感染症に対して適切に対応することです。

    新型肺炎の症状、単なる風邪とどこが違う? いま知っておくべきこと
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200130-00267323-bizspa-life

    個人的には、上記の記事が比較的冷静かつ分かりやすく書かれた記事だと思います。

    慌てず騒がず落ち着いて、慢心も過信もせず、自分の体調管理をいつも以上に気をつけて、それでも症状が出てきたらすぐに相談・受診すれば大丈夫なはずです。

    SARSやMERSに比べて今回のコロナウイルスの致死率は低いようです。感染しても重症化する前に適切な診療を受ければ死ぬことはなさそうです。

    もちろん、抵抗力の弱い子ども・高齢者や体調を崩している人、あるいは妊娠中の人などは慎重になるのは当然です。

    それなりに長い時間、感染者と同じ空間に居続けた場合に感染する可能性がある、というウイルスです。街中で感染者とすれ違っただけで感染する可能性は低いはずです。

    不幸中のほんの少しの幸いとしては、日本ではインフルエンザの流行に備えて冬場はマスクを増産して供給していましたし、個人レベルでもあらかじめ買い溜めしている人も多かったはずであることでしょう。

    マスクをしていれば感染しないわけではないですし、特効薬もありません。まだまだ楽観視は出来ませんが、致死率を考えるとこの世の終わりが来るような煽り記事は無責任だと思います。

    今回の問題に関しては、中国の武漢地方政府や中央政府の対処に大きな問題があったのは間違いありません。また、WHOが事態を甘くみていたのも確かです。

    WHOはやっと緊急事態宣言を出しました。

    WHO、新型肺炎で緊急事態を宣言 18カ国に感染拡大で
    https://jp.reuters.com/article/china-health-who-idJPKBN1ZT2UJ

    いろいろな病気に対して予防が重要と呼びかける保健衛生機関が、肝心の新感染症への予防的な対処を怠って感染を広げてしまったのは、喜劇かつ悲劇です。

    また、中国政府の怠慢、というよりも面子を大事にする姿勢によって、結果的にもっと大きな信用失墜が起きたのも大いなる皮肉でしょう。地方政府や中央政府が、問題を指摘された12月時点で早く手を打っていれば、今回の武漢封鎖という究極の選択をしなくても済んだかも知れません。

    今の武漢は病院、ベッド、医師、薬、検査キットなどが不足していて、感染者数がそもそも正確にカウントできていないはずです。本当の感染者数は相当な時間が経たないと分からないでしょう。

    中国政府はトランプ率いるアメリカ合衆国の独善的な外交・経済施策を非難していますが、今回のコロナウイルスへの対処がとてつもなく独善的なものであったことで、中国政府の主張がそもそも欺瞞に満ちていることを図らずも自ら立証してしまいました。

    ただ、WHOの姿勢が示すように、世界全体で見たら今回の新型肺炎への注目度はそれほど高くないようです。

    アメリカのCNNはずっとトランプ弾劾問題を扱っていますし、ヨーロッパは31日に正式に決まったブレグジットで持ちきりです。カタールのアルジャジーラの英語放送ではコロナウイルスを扱っていましたが。

    中国国外での死者が出ていないからまだ世界的には楽観視しているのかも知れません。ただ、ウイルスは短い時間で突然変異を繰り返しますから、感染力も致死率も高い、恐るべきウイルスに変化する可能性もあります。そうなる前に中国や世界が封じ込められるか、時間との戦いです。

  • ツッコミ不在のボケが起こす失言・炎上

    政治家が失言したり、有名人がTwitterで炎上したりすることがよくあります。

    たいていの場合は悪意があっての発言や書き込みではなくて、仲間内での冗談やそのノリでやってしまったことが報道・拡散されて大騒ぎになっていきます。

    もちろん、ヘイトスピーチに類するものは本気で悪意を持って行われているでしょうが、たいてい騒ぎになっているのはたいてい本人は悪気があってのものではないことが多いはずです。

    悪気がないからこそ、誤解だからこそ、当の本人によるその騒ぎに対する対応、つまりは全面的な謝罪がなされなかったり遅れたりするわけですが、日本人のジョーク・笑いの感覚的に、ツッコミ待ちの冗談をうっかり言ってしまって、その冗談に対して誰も突っ込まないから大騒ぎになっているような気がします。

    例えば漫才でボケ役がとんでもない、無茶苦茶なことを言ったとしてもそれはツッコミによって笑いに昇華されます。ツッコミ待ちのボケがツッコまれないと小さな笑いしか生めません。ツッコミあってのボケ(逆もまた真なり)なのです。落語の場合は一人二役で上下に分かれて会話しますからその中でツッコミが発生します。

    そういうツッコミ待ちのボケを、自分一人しか壇上に立っていない、マイクを握っていない状況でスピーチの中に織り交ぜてしまうと、誰もツッコんでくれず、ただ当人は笑わすためのボケとして言い放ったジョークが一人歩きしてしまい、それのみを切り取るととんでもない発言ということになってしまいます。

    まあ、もちろんそんな不用意なボケを不用意にぶちかます人間がそもそも悪いのですが、公的な場面、例えば国会や記者会見、会議などでの発言と、私的な場面、誰かの結婚式や支援者とのパーティーなどでの発言とでは、同じ失言をしたとしても批判のレベルは変えるべきではないかと思います。

    公私の別がつかない書き込みによる炎上についてはTwitterなどSNSは分かりやすいでしょう。

    そもそもSNSは私(身内)というものは基本的には存在していなくて、全てが公開されているものと思わないといけないはずです。自分のフォロワー・友人知人だけが読んでくれると思って書いたとしても、それは無限に拡散される可能性があります。

    仲間だけでの集まりでくだらない冗談を言い合うのはごく普通のことです。冗談に対して冗談で返したり、ツッコんだり、さらに悪ノリしたり、と話が続いて行くのは誰だって同じでしょう。

    しかし、SNSでの書き込みも前述の政治家の失言と同じく、書き込みそのものにはツッコまれても変化はありません。その書き込みに対して、「いいね」の数が増えたりリツイートのような参照・引用がされることはツッコミとは言えず、漫才に例えるとボケに対しての観客の反応の方が近いでしょう。

    飲み会で喋る分には誰かがツッコんで笑いになりますが、SNSではツッコまれないままただひたすら拡散されていきます。それを全世界に公開してしまえば炎上は必至でしょう。

    結局は、スピーチにしろ書き込みにしろ慎重にしなさい、ということなのですが、ツッコミ無しでも成立するボケというのは難しいものですね。

  • 今さらながらマイナンバーカードを取得した話

    今さらではありますが、自分のマイナンバーカードを取得しました。

    先月12月の中頃にスマホから申請して、1月の20日頃にハガキが来て先日、区役所まで取りに行きました。

    個人番号の通知カードが届いてから数年間、別に必要無いからいいか、と放置し続けていて、今後も当面は必要無いのですが、勤め先の年末調整時に書く書類に、毎回通知カードを探して個人番号を書くのも面倒なのでいっそのことカードを取ってしまえ、と思って申請しました。

    ただ、もしかすると申し込んだ時期があまり良くなかったかも知れません。年末調整よりも、2月から始まる確定申告で使用するために申請する人もこの時期くらいからはいるでしょうから、発行まで一ヶ月超かかってしまいました。

    カードを区役所に取りに行くのも平日に行ったのですが、そこそこ時間がかかりましたね。まあ身分証明書にもなるカードですからそんなポンポン簡単に手渡されるような仕組みになっているわけがないのですが。

    取得までのプロセスはしょうがないにしても、取得してからの使い勝手という面ではまだまだなマイナンバーカードですね。

    個人事業主であれば確定申告で使うこともありますが、一般的な会社員ではまだ使う場面が出てきません。

    将来的には健康保険証の機能も内包するようですがまだ実装されていませんし、単なる身分証としてしか使えない上に、安易に番号を見せないようにということも言われています。

    持ち歩くにしても財布やカードケースに入れると、使い道のないカードが一枚分のスペースを占有することになります。それならクレジットカードやキャッシュカード、ポイントカード等を入れておいた方がマシでしょう。

    せめて健康保険証や運転免許証としても使えるようにならないと、携帯しようとは思えませんし、普及することもないでしょう。

    官庁や自治体の職員に対して、マイナンバーカードの取得を呼びかけたり義務づけたりする動きもあるみたいですが、そもそも公務員でさえ積極的に取得しようとしない現行の制度では限界があるでしょう。

    そもそも、マイナンバーカードが不便なのは成立に当たってのいろいろな反対もあったと思いますが、マイナンバー、イコール、徴兵制という理屈で批判するのはいかがなものかと思いました。

    個人番号の仕組みを利用して、将来の徴兵制導入を進めるためだ、という批判ですが、そのようなことはやろうと思えばそもそも国民全員に割り振られている個人年金番号でも出来るでしょう。

    第一、もし万が一、徴兵制が復活したとしても、徴兵された素人の兵士が現代の高度に専門化された兵器を操作できるのか、素人の兵士がたくさんいて何が出来るのか、という疑問もあるのですが、どうなんでしょうね。

  • 食糧自給率が低いのに軍事国家化の恐れがあるか?

    憲法改正の話題になると、護憲派からは軍国主義化や侵略戦争を懸念する批判が出てきます。憲法9条があるから日本は平和なのだということはともかく、本当に改憲が実現すると他国を侵略する可能性が出てくるのでしょうか?

    戦前の日本は帝国主義に基づき、資源のない国家が生き残るための植民地を獲得する目的を持って領土を広げていきました。その経緯や結果として、政党政治の崩壊、軍部特に関東軍の暴走、軍事国家化の果てにアメリカ合衆国との決定的な戦争が始まり、そして敗れて体制が変わりました。

    冷戦とその崩壊後、そして今まででの戦後の75年間を経て、日本は国家戦略的にも、あるいは単なる流れ的にも、他国からの輸入品と他国への輸出品に大きく依存する国家となりました。

    GDPにおける輸出金額はそれほど比率は高くありませんが、戦争によって経済活動が大きく減退し、特に輸出が滞るよりも輸入がストップする方が大きな影響があるはずです。

    それは個人の生活においても、企業の生産活動においても、あるいはそもそもの戦争を仕掛ける軍隊に必要な物資においても、輸入が無ければやっていけません。

    必需品の第一として誰でも簡単に挙げるのは石油です。石油がなければ多くの車両、火力発電、あるいは生活必需品の生産などが出来なくなります。例え動力・発電方法を原子力発電や自然エネルギーに切り替えるにしても時間がかかりますし、プラスチックなど石油から作られる製品そのものの問題もあります。

    第一、太平洋戦争はアメリカとの対決が決定的になって石油禁輸措置を食らったことが開戦の直接の契機でした。それほどまで石油は国家の行く末を決定してしまいます。産油国で無い以上は国際社会における石油禁輸制裁は事実上の現代国家の崩壊を意味します。

    それ以外にも日本は食糧自給率が低く、多くの食品を輸入しています。日本産が多くを占める卵や牛乳などにしても、鶏や牛が食べる餌はほとんど輸入に頼っています。田畑で作る穀物や野菜にしたって、肥料や農薬は原材料やそのものを輸入しています。

    収穫にはトラクターなどの耕作機械が必要ですし、それを作る金属や動かすガソリンも輸入品です。食品を加工する機械も、都会まで輸送するトラックも、食品をパッケージするプラスチックも輸入が止まれば何も出来ません。

    国際社会に逆らって戦争を始めるというのはそこまで覚悟しないと現代では出来ません。ロシアやイランやベネズエラが反米的でいられるのは産油国であるからでもあります。

    そもそも、国連憲章では戦争は禁じられています。不戦条約があっても第二次世界大戦・太平洋戦争が起きましたが、当時の世界情勢と比べると今の時代に日本がどこかに戦争を仕掛ける可能性を論じるのは、非現実的と言わざるを得ません。

    護憲派は護憲の理由をもう少し他に求めるべきではないでしょうか。

  • ロヒンギャ・ミャンマー・ウイグル・中国

    ミャンマーによるロヒンギャ迫害がジェノサイドであるとガンビアが訴え、それを受けた国際司法裁判所がロヒンギャの人々を守る措置をミャンマーに命じました。

    国際司法裁、ミャンマーにロヒンギャ迫害停止を命令
    http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKBN1ZN0BF.html

    これはあくまで仮処分決定であって、裁判の判決として虐殺だと認めたわけではないですが、数年かかる裁判の結果を待つと迫害が進んでしまうとの判断ですので、ある程度は結果が見えているような気がします。

    このロヒンギャ問題については、おそらくミャンマーで最も有名な政治家であるアウンサンスーチー女史にも非難が浴びせられています。しかし、彼女自身にとっても難しいのは、ロヒンギャ(ミャンマー側はベンガル人と呼称)に非常に厳しい対応を取ることを、ミャンマー国民の大半が支持していることだと思います。

    ミャンマー国民がロヒンギャを敵視している以上、国際社会の要求に応じる形でアウンサンスーチーがロヒンギャ迫害停止を国民や軍に訴えた場合、彼女自身の立場にとって悪影響があるかも知れませんし、その地位を追われることもあり得えます。

    ノーベル平和賞受賞者としてどうなのか、という非難もありますが、そもそも別にその受賞理由がロヒンギャ保護だったわけではありません。もちろん、軍政に対する抵抗が受賞理由でしたから、その軍がロヒンギャ迫害をしているのであれば軍と戦うべきだ、というのが西側社会の主張なのかも知れませんが、ノーベル平和賞(あるいは西欧の大学の学位)を特定の政治抗争の原因や引き金にしてしまうと、またミャンマーに軍政が戻りかねないのではないかと懸念します。

    今回の国際司法裁判所への訴えは、イスラム教徒であるロヒンギャを救うために、イスラム諸国を代表してガンビアが訴訟を起こしたわけですが、あるいみイスラム教と仏教の争いとなりかねません。仏教側は特に国際的な繋がりがあるわけではないので過激化した代理戦争となることは無いでしょうけれど、別の宗教あるいはミャンマーよりも大きな国であれば外交上の摩擦にもなるでしょう。

    同じくイスラム教徒であるウイグル族への中国政府による迫害については、イスラム諸国は特に具体的な対抗措置は取っていません。この辺はミャンマーと中国の国際的な影響力の違いによるものでしょう。はっきり言うと中国マネーに依存しているイスラム諸国は中国にいるウイグル族を見捨てているとも言えます。

    その中国は、ロヒンギャへの支援も行っているそうです。

    焦点:終わらぬロヒンギャ難民危機、積極支援する中国の野心
    https://jp.reuters.com/article/myanmar-rohingya-china-idJPKBN1ZL10M

    記事中にもあるとおり、野心というか見返りを求めての支援なのでしょうけれど、もしかすると、「経済発展さえすれば問題は解決する」という、今の中国の思想も表しているのかも知れません。

    経済発展は、中国国内においては貧困層の収入の底上げや農村戸籍所有者の出稼ぎ需要をもたらし、一時的には政府への不満も減ります。ウイグル・モンゴル・チベットなどの各自治区でも経済発展の恩恵を受けている層は反政府的な活動を減らしているでしょう。もちろん実際には解決するわけではなく、問題の顕在化・深刻化が先送りされるだけです。

    ロヒンギャにしてもウイグルにしても、虐殺・迫害とそれへの非難ということではなく、あくまで国際社会における力関係を反映させた対策しか取れないのは、内政不干渉という大原則があるとはいえ残念なことです。

  • 放送から配信に移行する時代において録画の需要はあるか?

    放送波によるテレビ番組の送受信から、インターネットを介したストリーミング配信に移行しつつある時代です。

    私は映画やドラマなどはほぼ見なくてもっぱらストリーミング配信はDAZNでのサッカー観戦ばかりですが、以前の試合を自由に見られるわけではないのは残念です。

    テレビ放送であれば録画機器さえ持っていれば録画した番組を何年後でも見ることができますが、ストリーミング配信はこの点で決定的な違いがあります。消費者は配信データを閲覧できる権利だけを購入しているようなものですので、配信側がデータを消せば見ることは出来なくなります。

    ストリーミング配信された作品であっても、そのコンテンツ提供者・作成者が配信側の許可を得た上で、販売することはあり得るでしょう。今でもDVD・Blu-rayでドラマや映画、音楽ライブなどは売られています。Jリーグでも優勝記念DVDなんかはよくありますよね。

    しかし、このままストリーミング配信全盛期となるとDVDやBlu-rayのようなディスク自体が使用されなくなり、販売する意味が無くなるかも知れません。そうなったら今ディスクで販売するような、非ストリーミング配信の映像などはダウンロード販売ということになるでしょう。ただ、著作権保護されていないデータだと容易に不正コピーされて拡散されてしまいますし、著作権保護した場合はその保護を成り立たせる認証システムや著作権者の都合(倒産や買収)によって将来のデータ利用(鑑賞・閲覧)が保証されないことになります。

    そうなるとデータを提供する側の都合に左右される、という点では結局ストリーミング配信と大差はありません。

    ストリーミング配信の視聴者が購入した「見る権利」は「見続けられる権利」と異なるのか。そのうち訴訟社会のアメリカとかで裁判で争う人が出てきてもおかしくないんじゃないかと密かに思っていますが、どうでしょうね。

    自分が見たい作品を自分が録画して見続けることが出来る、という点ではテレビに勝る仕組みは今のところありません。しかし、せっかくの利点とも言える録画機能を、肝心のテレビ側がデジタル化以降大幅に制限してしまいました。

    アナログ時代にもコピーガードはありましたが、今のデジタル放送では結構なゴニョゴニョなことをしないと自由に録画は出来なくなってしまいました。テレビがストリーミング配信の攻勢をしのぐとしたらこの部分ではないかと思うのですが。

    リアルタイムの視聴者を増やすため(もちろん著作権侵害を防ぐためでもありますが)、視聴者が好きなときに録画した番組を手軽には見られないようにしてしまったことで、かえって好きなときに好きなものを見られるYouTubeやNetflixなどのネット配信が支持を得てしまいました。今ではテレビ局側がオンデマンド配信アプリを出している始末です。

    そんなことをするくらいなら、テレビ番組の録画に関する制限を大幅に緩めてしまった方がテレビが生き残る確率は高くなると思いますが、そんな感じにはならなさそうですね。

    むしろテレビ側がネット配信に取り込まれそうな勢いです。

    Prime Videoチャンネルに「シネフィルWOWOWプラス」。名作&カルト230本以上が見放題
    https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1230906.html

    例えばこんな感じに。

    所有から利用に移行していくのは動画だけではなく、書籍や音楽もそうですね。アナログのビデオテープ時代を知っている世代が死に絶えたら、こういった不満を持つ人自体もいなくなるのかも知れません。

  • 小選挙区制度がもたらす改憲の国民投票の読みづらさ

    日本で小選挙区制度が導入されたのは90年代中頃のことでした。当時はアメリカやイギリスのような二大政党制をもたらして政権交代により政治の活性化・透明化を図ることを目的として説明されて導入となりました。

    その十数年後には実際に自民党から民主党への政権交代がありましたから効果はあったのかも知れませんが、その後のもう一度の政権交代後は安倍内閣の歴代最長政権が出来てしまいました。その自民党安倍政権を今では痛烈に野党の立場で非難している小沢一郎は、自分が強引に導入した小選挙区制度に対してどう思っているんでしょうね。

    安倍一強の理由は別に小選挙区制度だけではありませんが、中選挙区制度だったら総裁や幹事長の言うことを聞かない非総裁派閥もある程度は存在していたはずですから、他党への政権交代はなくても自民党内での政権交代・安倍おろしは起きていたかも知れません。そう考えると中選挙区制度の中で長期政権を築いていた佐藤栄作の凄さを感じざるを得ませんが、それはともかく現時点で小選挙区制度自体の改革や廃止を訴える声は小さいので、当面はこのままでしょう。

    総裁3期目となった安倍政権にとって、悲願の憲法改正はずっと悲願のままで存在し続けています。改憲に必要な衆参両院で国会議員の3分の2という数字をクリアしないといけないからですが、例え選挙でそれだけの議席を党として得たとしても、実際に憲法改正の議員投票を行った時には造反する議員も出てくるでしょう。そう考えると3分の2を大きく上回るレベルでの議員数にならないと発議すら出来ないでしょうが、安倍一強体制が続く割にはそれほど議席数は伸びていません。あくまで有権者は衆院にしろ参院にしろ3分の2を超えるか超えないかというラインで行ったり来たりする程度の支持に留まり続けています。

    また、例え大幅に議席数を増やして衆参両院を通過したとしても、最後に国民投票が待っています。国民投票は過半数でクリアですので国会の3分の2という数字よりは楽そうに思えますが、ここで小選挙区制度の仕組みがかえって逆に票読みを出来なくしてしまいます。

    小選挙区制度では、一選挙区に一人だけが当選しますので、多くの死票が出ます。トップ(つまり当選者)がその選挙区において過半数の得票をしているとは限りません。3割4割でも当選できます。そうやって当選した議員の数が3分の2を超えていたとしても、得票率では過半数を超えていないことも充分にあり得ます。

    現に、直近の2017年衆議院選挙では与党で3分の2の議席数を確保できましたが、得票率では小選挙区でも比例代表でも5割を切っていました。この結果だけを見れば今は憲法改正出来ないと安倍総理が判断するのは当たり前です。憲法改正の発議をして国民投票にまで持ち込んでもそこで過半数を取れなければ、改憲派としては大きなダメージを食らうことになります。
    自身の政権の安定に寄与している現行選挙制度が、その一方で国民投票で勝てるとは限らないことも補償してしまうのは大きなジレンマでしょうし、だからといって選挙制度を変えるのも本末転倒でしょう。選挙で勝てなくなったり議席数が減ったりしたら政権自体が危うくなってしまいます。

    結局のところ、安倍政権3期目においても多分、改憲については何も進まないんじゃないでしょうか?

  • 光と陰(物理的かつ世間的な)

    明るいところから暗いところは見えづらい一方で、暗いところから明るいところははっきり見えます。

    これは単なる物理的な現象の説明ですが、世間一般の人間関係にも適用されるのではないでしょうか。

    明るいところ、言い換えると華々しくスポットライトを浴びている人からすれば、 暗いところ、すなわち社会的に活躍しているとは言えないような人のことを認識するのは難しいものです。逆もまた真なり。挫折した人や苦しんでいる人から見れば、成功した人、あるいは成功している人は非常にまぶしく見えることでしょう。

    単にまぶしく見えるだけならいいですが、

    「自分はこんなに苦しんでいるのにアイツは楽して成功しやがって」

    とか妬み始めることもあるでしょう。

    もちろん、輝いている人はそれなりに努力と能力があってのことのはずですが、自分の境遇と見比べて不当な成功を享受していると曲解してしまうわけです。

    逆に、輝いている人は自分の周りには同じように輝いている人しかいないように勘違いしてしまいかねません。明るいところから暗いところは見えないからです。

    しかし、その明るい場所からは見えない暗闇から、明るい場所にいる人を羨み妬みながら見つめている視線には気付きません。

    かくして、リアルな世界やネット上で格差が生まれ、誹謗中傷がなされ、時折物理的な事件も起き、さらに社会が分断されていきます。

    残念ながら、世の中は公平でも平等でもありません。生まれも育ちも社会には大きな差が存在します。だからといってそれに耐えきれずに非道な手段を取ってしまうとただのテロリストになってしまいます。そうかといって諦めて受け入れすぎても社会の不公正は是正どころかより一層深刻化してしまいます。

    絶望でも盲信でもなく、進むべき道はその間にあります。

  • 夫婦別姓を認めた方が少子化対策になるのではないのか

    子どもは自らを生む親を選ぶことは出来ません。

    そしてその親の行いに関して、生まれてくる子どもには何の責任もありません。

    子どもが生きる権利は子どもが生まれながらに持つものであり、その子の親が両親がいようと片親であろうと、富裕であろうと貧しかろうと、生きる権利が制限される理由はありません。

    子ども4人を放置疑い 乳児死亡
    https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200123/2000024524.html

    未だにこのような痛ましい事件、法律上はともかく道徳的には殺人とも言える事件は無くなりません。パチンコ店があるからこのような事件が起きるのだ、とまで言うつもりはありませんが、少なくとも三点方式という事実上の賭博システムは厳しく禁止するべきでしょう。日本では私営ギャンブルは認められていないのですから、取り締まることには何の問題もないはずです。

    それは別として、子どもの権利は憲法上も必ず保護されるべきものです。子どもの養育は保護者の義務でありますが、子どもが生きる権利と密接につながる保護者の養育義務が履行されるのに必要な支援が適切に行うことは、出生率の低下に対しても有効に働くはずです。

    さて、国会ではこんな事件もありました。

    「選択的夫婦別姓」代表質問にヤジ、自民の女性議員「だったら結婚しなくていい」
    https://www.yomiuri.co.jp/politics/20200122-OYT1T50332/

    そもそも、ヒト(ホモサピエンス)が結婚という制度を作り出したのは、多くの動物と同じように「つがい」として子どもを産み育てるためでした。

    特にヒトは他の哺乳類と比べても出産や子育てに手間暇がかかる動物です。妊娠期間は約10ヶ月に及び、その間は妊婦の行動に制限がかかります。子どもは生まれてから成人(自分で食料を得る年齢)に達するまで十数年は必要です。そのような子孫を確実に残すためには、妊婦や乳幼児を守るオスが必要となります。言い換えれば、つがいのメスとその子を見捨てないようにオスを制度で縛る必要がありました。

    さらにつがいだけではなく、血縁関係での集団に発展して、さらにそこから発展して社会が生まれていきましたが、子どもの養育が親(保護者)によるものという考えは昔から今まで続いてきました。

    そして結婚する家庭を社会が支えるわけですが、その社会において子どもの成育に憲法に基づく保護が与えられるのであれば、あえて結婚する理由が無くなってしまいます。

    そんな時代においても結婚というシステムを選択しようとする二人がいるのであれば、結婚しやすいシステムに改変していくのは社会的進化としては普通のことだと思いますが、選択的別姓に対しては感情的に反発する保守派(個人的にはこんな考えは保守でも何でもないと思いますが)もたくさんいるようです。

    シングルマザー・シングルファーザーでも育てられる社会にはなるべきですが、シングルのよりは両親がいる方がいろいろと子育てしやすくなるのは当たり前です。その夫婦の成立のしやすさを反対するのが保守派というのは無理があるのではないでしょうか。

    夫婦別姓を認めないことは、結婚しない男女、及び親が一人の子どもをかえって増やすことになるのではないでしょうか?

    出産や子育てをしやすくする政策に反対し、外国からの移民導入にも反対するのであれば、ひたすら人口が減少していきます。減った方が良いと考えているのなら別ですが、そうでないのならそういう政策を作り出すべきだと思うんですが。