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  • 無宗教でも無信仰ではない日本人

    日本人は無宗教だとよく言われます。合わせて、海外では無宗教などあり得ないから無宗教と言うと驚かれたり危険視されたりする、とも言われます。

    危険視というと穏やかではありませんが、無神論者やアナーキスト同然に思われるのでしょうけれど、そこまで行き詰めている日本人はほとんどいません。むしろ、無宗教を名乗っていても、「無信仰ではない」日本人が大半です。

    そもそも、無宗教かどうかという考え自体が、一神教が当然のキリスト教・イスラム教・ユダヤ教社会におけるものであり、日本人としては唯一の宗教のみを信仰しなければならない、という歴史を歩んできていません。

    現代日本人が触れる宗教は大半が仏教であり、それも家族親族が亡くなったときの葬儀やその後の仏事法要においてです。それと、正月の初詣での神社と、結婚式でポピュラーになったキリスト教くらいです。もちろん個々には差がありますが。

    特定の宗教を敬虔に信仰しどっぷり浸かること自体が現代日本では稀になりました。
    現代日本で仏教が葬式のために存在するようになったのは、江戸時代に徳川幕府による仏教を通じての民衆支配のための檀家制度によるものです。そこには宗教的信仰は関係なく、前近代的国家が国民を効率的に支配するための目的があっての制度でした。

    もちろん、その時代においてみながみな、仏教に対して嫌々従っていたわけではなく、支配と敬意がごちゃ混ぜになっていた状態で、それは明治期以降も廃仏毀釈を乗り越えた後の仏教に対して持っていたものですし、今に至ります。ただ、宗教には関わるが敬虔な信徒ではないという状況は、この数百年間の日本においてそう特異なものではありません。

    ただ、宗教的な観念や道徳は日本人の生活に根付いています。悪事をする心の防波堤になるのは、一神教においては神そのものですが、多くの日本人にとってのそれは「お天道様」です。今はそれほどでもないでしょうけれど、だからといって神社の鳥居と電柱が並んでいて、立ちションするとしたら電柱の方にするでしょう。わざわざ鳥居に立ちションする人はいません。

    宗教に密接に関わらなくても、信仰的な意識を持つことは可能です。信仰は自分の心の中における規範であり、それを他人と共有すると宗教になります。

    現代日本人の宗教観は、一神教のそれよりもカントの「内なる道徳律」に近いかも知れません。少なくとも、同じ信仰を持たない人を否定し攻撃する宗教には賛同しない人が大半でしょう。

    ここまで、まるで多神教や日本の仏教が平和で穏やかだと言っているように思われますが、過去の日本でも中世においては僧兵による強訴や、一向一揆、あるいは比叡山による法華門徒焼き討ちなどありましたし、今まさにインドでヒンドゥー教が原理主義的な他宗教排除を行っています。組織化して他人と宗教観を共有すると、歯止めが利かなくなる点では大差ありません。

    結局、信仰を内に留めて自らの良心に照らして行動の規範にするのが一番良いと思いますが、あくまで私一人の個人的な考えです。

    改めて書くと、物を大事にするとか、ゴミをポイ捨てしないとか、お互いに敬意を払うとか、不要に騒がないとか、生活に根付いた道徳観が、一神教徒から見て宗教的なのであれば、日本人は無宗教であっても無信仰ではないと言えるのではないでしょうか。

  • 理由が無いと行動できない人間の「理由なんていらない」

    ヒトは社会性動物とも言われます。

    群れを超えた社会を形成する生物は、ヒト以外にも動物あるいは昆虫などでいくつも例を挙げられますが、人間ほど複雑かつ重層的で大規模な社会を作り上げる生物は、当然ながら地球上には他に存在しません。

    では、人間にしかない特徴って他にないのかと思いましたが、行動するのに理由が必要な動物、という枠組みはどうでしょうか?

    例えば、仕事をするのは働いた代償に金銭を得るためです。そこに本能的な目的はなく、理由や動機づけがあるだけです。

    勉強だってそうで学歴を得るためやスキルを身に付けるためです。

    家を買うのは、動物が巣を作るのと似ていますが、それ以外にもステータス的な理屈が存在します。動物が繁殖のための番(つがい)を作るのと、人間が配偶者・パートナーを作るのとを全く同じとは言えないでしょう。

    行動するのに理由を付けないといけないのは人間だけで、動物が必要なのは原因や目的だけです。理由はありません。

    理由という概念自体が、高度な社会を生きるために必要な高度な思考によってもたらされるものです。

    理由があってこそ社会の中で生きていけます。その行動を理由によって説明しないと社会から排除されてしまいます。

    だからこそ、
    「~~するのに理由なんていらない」
    という名言が、社会の中で目立ち輝きます。人間にとって理由はあって当然なのんです。

    まあ、現実社会で理由無しに行動するのは馬鹿か天才のどちらかなんですけれどね。

  • 万有引力のように人間関係にも引力がある

    お金は寂しがり屋だからお金を持っている人のところに集まる、と言われることがあります。

    言い方を変えると金持ちはさらに金持ちになっていく、ということでもあります。

    まるで万有引力のようですが、人類の歴史上において利子という発明によって、お金がお金を引き寄せる傾向が強まったことは確かでしょう。お金を持っている人はお金を稼ぎやすいのです。

    あんまり金のことをがめつく言うと嫌われますが、この「何かを持っていると、その何かがさらに集まる」というのはお金に限ったことでもない気がします。趣味に関する物品や情報のような無形のものまで、集まるところに集まりがちです。

    その最たるものが人間でしょう。

    人が人と集まるのは何も寂しがり屋だからではなく、それによって生活上、経済上、あるいは防衛上の観点で都合が良いからです。

    動物が群れるのは種の保存のためですが、人間が群れるのは自らやその家族たちの生存という理由に加えて、生活が便利になることもその一つです。

    だからこそ、集落を作り、村になり、街に集まり、都市を築き、大都会に囚われて生きていくことを選択します。

    ごく稀にそのような人の集まりを嫌って孤独を選ぶ人もいますけれど、マクロ的に見れば確実に人は人を呼び集めます。

    なればこそ都市の過密化と地方の過疎化が進むのです。

    放っておいたら過密化と過疎化が進むのは自明の理であり、社会を設計し改善していくにはそれを是正せねばなりません。

    お金は集まりすぎた分を再分配するシステムが先進国なら備わっています。効果的かどうかは別ですが。
    しかし集まりすぎた人を再分配するシステムはどうでしょうか?

    一部の国では遷都、首都移転によって解決を図っていますが、新首都を大きくなるまで育てるのは相当厳しいはずですし、それはそれで過密化の場所が増えるだけです。

    お金にしろ人にしろ再分配は自由主義・資本主義の観点からは難しいものです。社会主義・共産主義による強権体制なら出来なくはないですが、長期的・全体的に見て失敗に終わることは20世紀の歴史が証明しました。

    だからこその民主主義であって、社会システムの維持のために再分配という微調整を行う政権を選ぶしかないのですよね。選挙で再分配を選ばなかったら、不安定な社会を自ら選ぶことになって、誰も得しないはずです。

    問題は、選挙の得票にも引力的な、勝ち馬に乗る投票もあることです。言い換えると、「自分の投票を死票にしたくない」というモチベーションですが、現行の日本の国会における小選挙区制はまさにその「2位以下が死票になる」システムであり、勝ち馬が勝ちやすい選挙です。この点から見て、金や人の再分配が有権者の選択によって難しくなり、富や所得の格差、都市過密化と地方過疎化が是正されないことの原因の一つと言えるでしょう。

  • 最も正しい行動が最も正しい結果をもたらすとは限らない

    ウクライナ戦争やガザ地区の紛争によって印象も報道も薄れてしまいましたが、シリアの内戦も無くなったわけではありません。

    アサド大統領、反政府勢力に加えて東からISの勢力が、北からクルド人勢力が入ってきて混乱に拍車がかかった状態がずっと続いています。欧米特にフランスが旧宗主国として強く関与する一方で、アサド大統領を支持するロシアやイランもいて、さらにイランと対立するサウジアラビアや、シリア北隣のトルコも当然関わっています。

    内戦の原因はもはや一昔以上前になった「アラブの春」による革命を求める反政府勢力を、権力を失いたくないアサド大統領による弾圧したことでした。

    「アラブの春」はチュニジアに始まり、北アフリカを席巻してシリアに到達したところで、この大規模な内戦を招くことになりました。もちろん民主化を求める革命が悪いわけではないのですが、独裁体制を敷いている独裁者がそれに反発するのは当然で、
    「独裁者を倒せ!」
    の一点張りでは激しい対立、というか弾圧が待っているのは世の理です。

    シリア以外の国での革命が次々と成功していったことが、逆にアサド大統領の激しい抵抗を生み出したことは言うまでもありません。民主化を認めて権力と軍隊を手放せば、自分も家族も悲惨な末路をたどることが目に見えていれば、欧米に非難されても自国民を虐殺してでも、現状維持を求めてしまう心理も無理からぬことです。

    また、アラブの春よりも前に欧米との関係を正常化していたカダフィ大佐が革命によって倒され惨殺されたことも、アサド大統領が権力を手放さない一つの理由にもなっていると思います。

    独裁から民主化への道のりは、血塗られた革命によって行われることもあれば、国内の混乱や諸外国の非難を嫌いって経済発展を最優先させるために平和裡に民主化されることもあります。台湾や韓国はその成功した代表例でしょう。マルコス大統領を追い出したフィリピンも、そのキッカケとなった事件でアキノ議員という犠牲はありましたが、マラカニアン宮殿を囲んだ民衆を虐殺することはなく、大統領一族はハワイに亡命することで難を逃れました。

    アサド大統領に対しても、中南米やロシアが亡命の非公式打診をしていたらしいですけれど、亡命したとして保護されるとは限りません。「人道に対する罪」で裁かれることになれば、逃げ続ける人生を送ることになります。

    超国家的司法取引として、国連等国際機関が権力を手放す代わりに罪に問わない、ということをしても良かったかも知れませんが、これは後知恵ですかね。

    「人道に対する罪」は人間と国家の平和を乱す者に対して厳しい処罰を下すためのものです。厳しい処罰を科すことにより戒めとするためです。

    そして、正義を貫くのであれば、「人道に対する罪」がある独裁者を無罪放免には出来ません。しかし、それにより独裁者による激しい抵抗を生み、平和を生み出せないのであれば、失敗でしょう。

    革命により民主化を行い、自国民を弾圧する独裁者を裁くという正しい(はずの)行動が、平和ではなく内戦を生み出すという正しくない結果をもたらすことになるのは皮肉としか言いようがありませんが、現在もまだ多くある独裁国家に対して、国際社会はシリアでの失敗に学んだ上での対応を取れるでしょうか?

  • 貢ぐ側よりも貢がれる側の方が裕福

    世の中の人間は三つに分けられます。貢ぐ側と貢がれる側と、そのどちらでもない人です。

    貢ぐというと大げさですが、私のように特定のサッカークラブの熱心なファンも貢いでいるようなものですし、アイドルが好きでグッズを買ったりするのも同様です。昨今はホストに貢ぐ女性が社会問題になっていますが、その一方でキャバ嬢らに貢ぐ男性も過去数十年にどれほどいたことか。

    最近の若い人は多分知らないでしょうけれど、二昔ほど前に夜のお店にいたチリ人女性に多額のお金を貢いでいた男性が、そのお金が横領したものであったので逮捕され、その一方で女性はチリに帰国してしまってお金を取り戻せなかったという事件がありました。

    貢ぐ貢がれるというのは今に始まった現象ではないのは当然ですが、現代の特徴としては、貢ぐ側よりも貢がれる側の方が裕福なことでしょうか。

    かつては貢ぐ側がパトロン・スポンサーとして、貢がれる側をサポートするものだったはずです。

    それが近代化、資本主義化した社会においては、貢ぐ側の人が増える一方で単価が下がり、貢がれる立場が職業化してきました。

    芸術家のみならず、芸能人・スポーツ選手もファンとして貢いでくれる人があってこそプロで居続けられます。

    その最高峰がトランプ前大統領でしょうか? 金額も世界的影響力も半端ないですし、良くも悪くも資金集めが上手で、信者も多く呼びかければお金が湯水のごとく沸いてきます。

    それでいて、一族含めてトランプの資金・資産は貢いでいる人たちの中で誰よりも多いのですよね。貢ぐ側もその辺はあまり気にしないのでしょうか? まあ信者なんてそんなもんといえばそうなのですが、
    「人に頼むよりも自分の資産から払えよ」
    とは思っていたら信者とは言わないですね。

  • 8K化よりも60フレーム化したテレビの方が見たいかも

    地上波テレビ放送が4K化したときにはそれなりに話題になりました。もちろん、大半の視聴者は別に気にしていなかったと思いますが、むしろ出演する側の芸能人の方が気にしていたでしょうか。テレビ放送そのものよりも、テレビを使って映画などを見る人にとっては、受像機としてではなく映像再生機器としてのテレビが高画質化したことは嬉しかったと思いますけれど。

    さて、そのテレビも次は8K化されます。高画質化の進化が止まらないわけですが、さすがに8Kで地上波放送を見るのが楽しみという人は尚更いないでしょう。映画などの映像作品にしたって、もはや今の時代では大半の人がストリーミング配信で楽しむ時代です。8K放送のために8Kテレビを買う人ってどれくらいいるのかと疑問に思ってしまいます。

    将来はもちろん、現時点においても、テレビを使ってYouTubeやNetflixなどのストリーミング配信サービスを利用する人はたくさんいます。そういう人にとって、高画質化も良いのですが、動画自体の60フレーム化の方が動画視聴としての満足度が高いのではないでしょうか。いわゆる「ヌルヌル」です。

    テレビやスマホやPCモニターなどは、現在は最低ラインが60fpsです。それ以上のフレーム数に対応するスマホ、モニターも増えてきました。ゲーミングモニターなどは144Hzや240Hzが出てきています。1秒あたりのフレーム数が細かくなると、シビアなアクションゲームなどでは細かな動きを察知できるから重宝されます。

    テレビの放送自体は59.94フレームを1行飛ばし書き換えているので事実上29.97fpsで動いているように見えます。テレビ放送自体も、いずれは60フレーム化するでしょうね。その方が滑らかですし、テレビの視聴者がネットストリーミングで60フレームに慣れているのに、30フレームのカクカクしたテレビ番組にはいずれ耐えられなくなるでしょう。

    テレビ番組をテレビではなくTVerを使ってスマホで見る人も多くなってきましたから、スマホも考慮したテレビ規格は必須になるはずです。

    https://www.soumu.go.jp/main_content/000892077.pdf

    実際、総務省の審議会でも8K化だけではなく、60フレームや120フレームも見据えた内容が検討されています。

    まあ、高画質化や高fps化したところで、番組内容自体はそう変わらないと思いますが・・・。

  • 年中行事の輸入と定着

    外国文化に基づく行事、例えばクリスマスとかハロウィンとか、キリスト教由来の祝祭日を盛大に祝ったり騒いだりすることに反感を覚える人は結構います。

    最近ですとハロウィンイベントでの馬鹿騒ぎに批判が集まりがちですが、その一方でクリスマスやバレンタインデーはもはや定着したイベントと言えるでしょう。キリスト教徒の人からしたらイベント扱いするなと怒られそうですが。

    また、母の日・父の日については昔から反対する人もいなかったような気がします。その日に限らず親孝行をしろ、という人はいたでしょうけれど。

    本当に最近の流行りですと、イースター、復活祭もイベント化し始めています。まだイースターエッグくらいでしょうか。それにしてもこういったイベントが日本化するのは、クリスマスのチキン(七面鳥)、バレンタインデーのチョコ、ハロウィンのカボチャといった食べ物に関連するのが多いですね。

    こういった外国由来のイベントではなく、昔からある年中行事を大切にしろ、という意見はもっともなのですが、その「昔からある年中行事」も結局は大半が外国由来、もっというと中国由来のものです。

    節分や桃の節句、端午の節句、お月見の重陽の節句やお中元などなど枚挙に暇がないですが、そもそも中国由来の暦を使っていたのですから当然です。

    むしろその中国由来の暦によるのに近世になって日本で生まれた「土用の丑の日に鰻を食べる習慣」こそ、珍しいですよね。

    もちろん日本古来からある日本独自の年中行事もありますが、日本独自か中国由来かをあえて意識して区別する人なんてそうそういないでしょう。馴染んでしまえば一緒です。多分、キリスト教由来のイベント(あえて年中行事とは言いませんが)も、将来的には日本古来・中国由来の年中行事に混ざって馴染んで区別しなくなる時代が来るのでしょうね。

  • サテライトオフィスのURL

    昨年転職しましたが、新しい職場ではグループウェアとしてサテライトオフィスを使っています。

    一時、DAZNの合間のCMでよく流れていて知ってはいましたが、実際に使用して初めて気が付いたこととして、URLが
    「sateraito」
    なんですよね。英単語の「satellite」ではありません。

    気が付いたときはちょっと驚きましたが、英単語の「satellite.jp」や「satelliteoffice.com」といったドメインは取れないでしょう。

    ローマ字読みの「sateraito」にすることで、ドメイン奪取競争は日本人だけが相手になります。

    力技だが日本国内でのサービスだったらこれでも良いですよね。

    そもそも、カタカナ語を必ず英語表記しないといけない法もありません。英語→他言語で同じ言葉でも綴りが変わるのは当然なのですし。

    英語のsatelliteはドイツ語だとSatellit、スペイン語だとsatéliteです。この辺はちょっとした違いですが、ロシア語でспутник、アラビア語でقمر صناعي、日本語でサテライト、韓国語で위성、中国語(簡体字)で卫星となります。言語の文字体系が英語圏と違うものになると分からなくなります。

    それを思えば、「sateraito」くらいは可愛いものです。英語での「satellite」は、日本語の発音でアルファベットを使うと「sateraito」となるのですから、間違いというわけではありません。日本語URLも可能になりましたが、ローマ字読みのURLも意外とありなんじゃないでしょうか?

  • 何か一つの主張を目にしたとき、その真逆の主張も目にしておいた方が良い

    先日、スポーツ観戦について真逆の主張になる2つのページを見かけました。

    https://togetter.com/li/2416501

    https://gigazine.net/news/20240811-watching-sports-good-social-bonding-effects/

    スポーツ観戦は果たして良いものか悪いものか。心理学者でもなく、著名な作家でもない一般人にとってはどっちとも決められませんが、この2つの主張には、スポーツそのものの二面性が表れているようなきがします。

    私自身はサッカー観戦、特にガンバ大阪の観戦に特化しているような人間ですが、見ている時、応援している際に苦しい思いもします。

    かつて、ガンバ大阪の社長だった金森喜久男氏がサポーターミーティングの際に、
    「我々サッカークラブはファンに苦痛を売っているのだ」
    と、欧州視察時の向こうのクラブ関係者に言われたという話をしていました。これは確かにその通りで、強いチームのファンを渡り歩くグローリーハンターの方が気が楽でしょう。勝つチームだけ応援するのですから。

    ともかく、スポーツで誰か・何かを応援するのは、楽しいことではありますが、その一方で辛い気持ちになることもあります。だったら止めれば良いという意見も真っ当ではありますが、そうは言っても止められないのが人間なのです。

  • 2024年8月11日J1リーグ第26節柏レイソル対ガンバ大阪DAZN観戦の感想

    首位町田が勝ち点を落としてもガンバもお付き合いをしてしまい、勝ち点差を詰められないままですが、それよりも今のガンバが勝ちパターンに乗れていないことが気になります。

    ポヤトス監督は今日も先発をイジってきました。後ろは変わらないものの、ボランチにはネタ・ラヴィ、2列目に山田と倉田を入れ、トップには出場停止明けの宇佐美を戻しました。

    柏は水曜の試合が荒天により中止になったため、一応コンディション的にはガンバよりは有利でしょう。宇佐美はサヴィオに注意と言っているようですが、細谷もちょっとJ1クラスから抜け出している感があるんですよね。鹿島にいた頃の上田綺世レベルになりかけている感じがします。

    試合開始後、いきなり1分で細谷のキープからシュートのこぼれ球でピンチも黒川のクリアで難を逃れました。やはり細谷はヤバい。

    6分、カウンターから宇佐美のシュートはクロスバーに当たって跳ね返り、VARでチェックするもゴールならず。前節からガンバのシュートは枠に嫌われていますな。

    20分頃からは柏のペースでしたが、37分には大きな展開から再び宇佐美が左足でのシュートもGKに防がれCKに。

    前半はお互いに決定機はあったもののスコアレスで終了。

    柏は倉田と接触して傷んだ関根が交代。ガンバは交代無しで後半開始です。

    後半は柏のボールキープが前半より長く、チャンスも柏の方が多いもののガンバ守備陣も決定的なところはやらせません。

    59分、倉田と山田に代えてウェルトンと坂本が入ります。ここから前掛かりになるでしょうから、決めて突き放すところまで見ていきたいところ。

    66分、坂本の長いドリブル突破から始まったチャンスで最後は山下のシュートもGKに弾かれます。

    70分、完全に崩されてシュートされるも一森がブロックし福岡が必死のクリア。

    71分には岸本とダワンを入れてネタ・ラヴィと松田を下げました。

    73分にはそのダワンが黒川のクロスからヘディングシュートもGK正面。

    82分、ガンバ最後の交代は山下から食野。

    88分には速攻から柏にシュートされるも一森のセーブ。

    5分のアディショナルタイムも何事も起きず0-0で終了。ガンバは3試合連続の無得点です。

    町田がホームで湘南に敗れたため町田との勝ち点差は1だけ縮まりました。さらに鹿島が磐田に敗れたのも朗報ですが、広島に得失点差で抜かれて4位に落ちてしまいました。やはり勝たないと。そのためにはゴールを取らないといけません。

    ガンバのこの夏の補強が、現時点ではすぐに稼働できない林大地の獲得のみなのは物足りないと言わざるを得ません。2列目とトップのどちらも出来て得点出来る選手あたりが一番欲しいところです。

    もしくは、守備力を落とさずにジェバリと宇佐美の併用出来る形を見出すか。それが出来るなら得点数は増えるはず。

    なんとかしなければとは誰もが思っているとは思いますが、守備が安定していることでチームの調子が崩れないことだけは今シーズンのガンバの最も大きな強みですね。

  • 今の時代は勉強が出来るだけの人間に希少価値は無い

    日本よりも人口が多い中国では、当然ながら大学生の卒業者も多く、ここ数年は新卒の就職が大変厳しいようで、たびたびニュースにもなっています。日本でも少し前までは就職活動は厳しいものでしたが、昨今は人手不足が深刻化し、ブラック企業を引き当てない限りは結構な売り手市場になってきています。

    それでも、四大卒の就職活動では高度経済成長期やバブル期の頃に比べるとやっぱり厳しいことには変わりません。なんでそうなったかというと、景気が悪いということもありますが、ただ単純に四大卒の新卒者の数が増えただけです。

    https://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/002/020807.htm

    こちらの文部科学省の資料のうち、「図4 卒業者数,就職者数及び就職率等の推移(大学(学部))」を見れば分かりますが、90年代前半までは急激な角度で大学卒業者数が増え続けています。バブル破綻後に増加割合が急減しましたが、その頃からその年代の人口が減り始めているからです。

    89年~92年あたりが団塊ジュニア世代の大学卒業時期であり、その頃がピークになっていて、その一方で大学の新設などがあったのと、不景気による就職難だからこそ大学に進学する人が増えたため、結果として大学新卒が漸増し続けてきました。

    大卒者が必ずしも勉強が出来るとはいいませんが、ものすごく大雑把に平均を取ればやっぱり勉強が出来る方に分類されます。勉強というと角が立ちますが、情報をインプットして加工してアウトプットするという修練が出来ている、といえば良いでしょうか。

    特定の業種・職務に「特化していない」人間を労働市場に送り出す役割を大学特に4年制大学が担っていたのですが、勉強して(情報を入れて)業務を行うというプロセスが出来る人間に、企業側として価値があったということも出来ます。

    ただ、昔はそういう人に労働者的な価値が多くあったのですけれど、情報をインプットして鍛えられるAI、いわば勉強が出来るAIが出てきた以上、勉強が出来ることにそれほど価値はなくなったのでしょうね。

    インターネット出現以前には価値があった「知識人」というジャンルと同じです。知識があること自体が優位性があった時代では、たくさんの本を読んだり経験した人の知識は貴重でしたが、インターネットによって質はともかく量は誰でもカバー出来るようになって、「知識人」の価値は無くなりました。

    それと同じように、勉強してアウトプットするだけの労働者の価値は、もうしばらくしたら無くなります。勉強が出来てプラスアルファ人間として何があるかが重要なんでしょうね。

    よく、「資格を取得しても意味が無い」という意見を見かけますが、それと似ていますかね。資格を持っているだけで安泰なんてことはなくて、それを活かしてどう働くか、金を稼ぐかという自分なりのシステムを作らなければ意味が無いのは確かです。

    頑張って勉強して大学卒業や資格取得をするだけで楽できる時代なんてそもそも昔から無かったのですが、より一層、何かのプラスアルファが必要な時代に突入しているのです。

  • 久し振りに成分献血

    暑い最中ですが、夏季休暇を活かして平日昼間に献血に行ってきました。

    ここのところ長時間かかる面倒さもあって成分献血はしてきませんでしたが、昨年9月以来に成分献血をしてきました。

    いつものごとく、阪急梅田グランドビル24階の献血ルームでしたが、やはり平日昼間は空いていて快適ですね。長時間待つこともないし、混雑していません。

    若い人(おそらく10代)が怪我を理由に断られていましたけれど、夏休みの時期は初めての献血という若者も多いのでしょう。

    いざ、自分の話としては、何事もなく血小板献血も45分ほどで終わりました。一時期は成分献血で結構時間が掛かることもありましたが、あれは多分、自分の血液の流れが良くなくて時間が掛かっていたのかも知れません。調子の悪いときは1時間半以上掛かっていた記憶もあります。

    最近は検査結果も大変良好ですので、成分献血で出して戻す時間もあまり短くなりました。

    さて、今日の獲物は特にキャンペーンとかも利用出来ず、ラブラッドのポイントを使った景品交換のみです。

    献血ちゃんのカップ麺フタホルダーです。あんまりカップ麺は食べないのですが、今日はトイレットペーパーとの2択で、こちらを選択しました。

    ところで、この献血ルームでは飲料の自動販売機(というか無料提供機)がありまして、コーヒー・緑茶・紅茶・コーラ・ファンタ・水などかなりの種類の飲み物を好きなだけ飲めます。

    ただ、私は血管が浮き出ないタイプの人間なので、献血前は出来るだけ血管が収縮しないように冷たいのものを飲まないようにしています。

    とはいえ、この時期に熱い飲み物はさほどほしいものではなく、一番良いのは常温の水なのですが無いんですよね。冷たい水を出して放置していれば良いのではあるのですが。

    HOT or COOLの2択ではなくて、常温の水やお茶が欲しいという人は私以外にもいると思うのですが、どうなんでしょうか。

    提供するのがかえって面倒だという問題はあるかも知れませんが、何なら自販機ではなくて500mlペットボトルでも良いし。一部のビジネスホテルみたいになっちゃいますけれど。